24.対立
ジーニアス君とグレイソンさんが専門的な話を始めたところで、私はお茶を飲んで一息ついた。
おかげで気持ちはだいぶ落ち着いた。
「では、私と一緒に来てくださるという事でよろしいですか⁉」
喜びの声を上げるグレイソンさんに、ジーニアス君は伏し目がちに頷く。
「では、二日後に私と共に参りましょう。ウィルフォード卿も……」
「待て。早すぎる」
「え?」
突然、待ったをかけたアレクシア様を見て、グレイソンさんはキョトンと目を瞬かせる。
「一ヶ月後にしろ」
一方的に命じられ、グレイソンさんはあからさまに顔を顰める。
「そ……それはなぜですか? トンプソン卿からはすでに準備は整っていると伺ったのですが」
「ああ。だが、事態が変わった」
「⁉ 何か不測の事態が起きたという事ですか⁉」
「そうだ」
深刻げに頷くと、アレクシア様は内ポケットに手を入れ折りたたまれた紙を取り出した。
それを素早く振って広げると、グレイソンさんに向けて突き出す。
「およそ一ヶ月後、流星群の活動が最も活発になるとの予測が発表された。これは百年に一度訪れるかどうかの機会だと言われている。よって一ヶ月後の新月、僕はマリエーヌと共にここで流星群を観察する!」
アレクシア様が声高らかに宣言すると、しん……と部屋の中に沈黙が流れる。
カチッカチッ……と、時計の秒針が刻む音が奏でられた後、
「え、それだけですか?」
キョトンとしたままグレイソンさんが首を傾げる。
直後、アレクシア様の額にピキッと青筋が立ち、剣呑な瞳がグレイソンさんを睨みつける。
「それだけだと……?」
低く重厚感のある声で凄まれ、グレイソンさんはビクッと青ざめる。
「いえ! その……でしたら、マリエーヌ様のご意向をお伺いしてもよろしいでしょうか⁉」
「え?」
急に話を振られ、今度は私がキョトンとする。
それでもお構いなしと身を乗り出し、グレイソンさんは口早に言い立てた。
「私としては一刻も早く計画を実行に移すべきだと思います。長引くほどに、この場所が皇帝に知られるリスクも高くなります。私自身も皇帝から目を付けられていない今であれば、ある程度は皇宮内を自由に動けます。ジーニアス皇子殿下を皇宮内に忍び入れる事もできるでしょう。帝位継承の間に保管されている皇族登録証の第五皇子の手形と、ジーニアス皇子殿下の手形を照合すれば、正式な皇太子となれます」
「……それだけでいいのですか?」
本来ならば、皇帝も含めた帝国の重鎮が集まる場で、皇太子の任命式が大々的に行われるはずだけど……。
「問題ありません。過去にも任命式を行わずして皇太子を立てた例があります。ですから、すぐにでも帝国へ向かうべきなのです!」
グレイソンさんが私に向ける眼差しからは、「どうかウィルフォード卿を説得してください!」と熱望するような気迫が伝わってくる。
――そうよね……私が説得すれば……。
今回の作戦は、アレクシア様とジェイクさんが主導となって進めている。
そしてジーニアス君はこの作戦の要。
ジーニアス君がレスティエール帝国へ向かうとなれば、アレクシア様も向かわざるをえない。
その間、私はここに残る事になるけれど……。
――二日後……。
そんなに急に、事態が動くとは思わなかった。
昨日まで、いつもと変わらない穏やかな日々を過ごしていたから……。
――そうよ……。遊びに来ているわけじゃないのだから……。
また、自分の認識の甘さを痛感する。
それなら尚更の事、私がここでアレクシア様の背中を押して、送り出す必要がある。
それなのに……。
――行かないでほしい……。
そんな自分勝手な思いが、私の言葉を詰まらせる。
いつか、こういう日が来るのは分かっていたはずなのに……。
ようやく向き合えた現実と、勝手に思い描いていた理想とのズレを目の当たりにして……迷いが生じた。
想像してしまった。
アレクシア様の、死を――。
「あの……!」
弾かれたように声を上げると、グレイソンさんはビクッと目を見張る。
思考を必死に巡らせ、理由を探した。
「……もうすぐ……エマさんの出産があるのです」
「え? えっと……それはどちらさまでしょうか……?」
「ジェイクさんの奥様です。今妊娠中で……もうすぐ赤ちゃんが産まれるのです」
「なんと……それはおめでたい事だとは存じますが……それが何か関係が……?」
顔を引きつらせながら笑顔を保とうとするグレイソンさんに、私はこちらの事情を話す。
「エマさんの出産時、アレクシア様にはお医者様を連れて来ていただかないといけないのです。不測の事態が起きた時にすぐ対応できるよう、お医者様に立ち会っていただく話になっているのです」
「……それは、ウィルフォード卿でないといけないのですか?」
「……はい。私たちの中で、街まで降りるのを許されているのはアレクシア様だけですので……」
半分の真実と、半分の嘘を交えながら、私はアレクシア様を繋ぎ止めるための口実を口にした。
実際には、アレクシア様がいなくとも、外部とのやり取りはできる。
元からここに常駐していた使用人は地元の人間。彼らにお願いすればいいだけの話。
だけど、今はどうか……もう少しだけでも、心の準備をする時間が欲しい。
「……ちなみにですが……ご出産はいつ頃で……?」
「……予定通りなら、あと一ヶ月ほどでしょうか」
「一ヶ月……」
直後、グレイソンさんの顔にズンッと重い影が落ち、ガックリと項垂れた。
その時――。
「いい加減にしなよ」
怒りを孕んだ重圧感のある声に、部屋の空気がピリッと張り詰める。
それを告げたジーニアス君は、私とアレクシア様を見比べながら溜息交じりに口を開いた。
「ねえ。今の自分たちの状況、分かってる? 僕たちの敵が誰なのか、本当に自覚してる? 大陸全土を支配する大国のトップ相手に喧嘩売ってんだよ。それなのに、この期に及んで星を見るとか他人の出産とか……さすがに危機感が足りないんじゃない」
苛立たしげに吐き捨てられた言葉に、図星を突かれたような後ろめたさを覚える。
危機感が足りない。そうジーニアス君が言ったのは、今回の件だけではなく、ここに来てからの私たちの様子を見て感じていた事なのだろう。
――確かに……危機感が足りていなかった事は、今痛いほど実感しているわ……。
だからこそ、ジーニアス君がこちらに向ける視線が胸に突き刺さった。
その視線から逃げるように、私はソッと目を逸らす。
「そもそも……どうして新婚旅行なんて計画したの? あなたなら、やろうと思えば皇帝の監視を撒いて帝国を抜け出すくらいできたはずでしょ。わざわざ監視の人間を引き連れて僕の所へ来る必要もなかった。そのせいで母さんまで巻き込んで……。最初からマリエーヌさんにも事情を説明して、もっと慎重に動くべきだったんじゃないの」
怒りの矛先がアレクシア様へと向かい、私は咄嗟に声を上げた。
「それは、アレクシア様は私を不安がらせないようにするために……」
「その考えが甘いんだよ。現に今、皇帝を殺害する話を聞いてどう思ったの? この計画を進める事に迷い始めてるんじゃない?」
「……!」
痛い所を突かれ、そのまま押し黙るしかなかった。
――違う……。アレクシア様は悪くない。
私がもっとしっかりしていれば……きっと事情を説明してくれていたはずだから……。
不甲斐ない気持ちでいっぱいになりながら、何も反論できない悔しさに涙が滲む。
「お前もジェイクと同じか……」
ぼそりと呟かれた声に、私はアレクシア様を見上げた。
鋭く尖った赤い瞳は、標的を定めたかのように真っすぐジーニアス君へと向けられている。
「僕たちの目的は、あくまでも新婚旅行だった。お前に関してはついでだ。それなのに、お前が勝手に僕たちの新婚旅行を邪魔し、余計に計画を狂わせたのだろう」
「……は?」
意味が全く理解できなかったかのように、ジーニアス君は啞然として聞き返す。
「お前が勝手に僕たちの馬を逃がし、自分の宿屋へ誘導したのだろう。そのせいで監視の人間を連れて行かざるを得なかったんだ。お前の母親を巻き込んだのは、お前の責任だ。勝手に責任転嫁するな」
「それは、兄さんが……」
「責任転嫁するなと言っただろう。何もかもを兄に任せようとするお前が、兄が取った行動の責任まで押し付けるな」
「……!」
図星とばかりにジーニアス君が目を見張り、悔しげに唇を噛みしめる。
そこへ、ハラハラとしながら様子を伺っていたグレイソンさんが、おずおずと口を挟んだ。
「……あの……ウィルフォード卿は、なぜそうまでしてマリエーヌ様との新婚旅行を強行したのですか?」
直後、アレクシア様は苛立たしげにグレイソンさんを睨んだ。
グレイソンさんの口から、「う……」と小さな呻き声が漏れる。
「僕たちは新婚だ。新婚旅行へ行くのは当然だ」
正確には新婚ではないのだけど、アレクシア様がそう言うのなら、新婚という事にしておく。
グレイソンさんは納得いかないという面持ちで、負けじと反論する。
「そうかもしれませんが……時期をずらすとか、せめて状況が落ち着いてからでも……」
「その時にしかできない事もある。不明確な未来など当てにならない」
「……」
グレイソンさんは、まるで聞き分けのない子供を見るような眼差しをアレクシア様に向け、ガックリと肩を落とした。
これ以上の問答は意味がないと諦めるかのように。
だけど、私はアレクシア様の言葉を聞いて、胸が締め付けられた。
アレクシア様は、今も時々、体が不自由になった前世の頃を夢に見るらしい。
そして目覚めると必ず手足を動かして体の状態を確かめる。
あの時のように、また何をきっかけにして体が不自由になるか分からないから……と。
アレクシア様は、前世での自分の姿を、過去の話だと割り切っていない。
これから先の未来にも、起こりえる事だと考えている。
だからこそ、今しかできない事がある。
今だから、できる事がある。
それを念頭に置いて行動している。
はたから見れば、生き急いでいるようにも見えるかもしれない。
けれど、それくらいアレクシア様にとって、今という時間をどう過ごすかは大切な事なのだろう。
「今が良くても、先の未来が潰されたら意味がないよ」
ジーニアス君が溜息交じりにそう言うと、アレクシア様の視線が再びジーニアス君を射止める。
「さっきから僕たちへの不満ばかり口にしているが……そういうお前はどうなんだ?」
「……なにが」
ジーニアス君はあからさまに顔を顰め、アレクシア様を睨んで言い捨てる。
アレクシア様は背もたれに体を預けながら悠々と足を組み直すと、少し顎を上げてジーニアス君を見下ろす。
「お前こそ危機感が足りないんじゃないのか? あの男を玉座から引きずり下ろし、お前がその座に座るんだ。その覚悟が、今のお前にあるのか?」
挑発的とも思える態度で問われ、ジーニアス君は静かに息を呑む。
「それとも、また兄を盾に逃げるつもりか?」
「……!」
大きく目を見開いたジーニアス君の表情は、図星を指されたかのようで……それでいて、少し傷付いたような表情にも見えた。
「その覚悟も無い人間が、僕たちに何を言う資格も無い。今回の計画において、お前が一番の懸念要因だという事を忘れるな」
冷たく言い放たれたアレクシア様の言葉に、私まで心苦しくなる。
十六歳という、成人として認められたばかりの人間には重すぎる重責だと思う。
けれど、今のジーニアス君に求められるのはそれだけの覚悟と器量。
彼が新たな皇帝として認められるためには、有無を言わせず周囲をひれ伏せさせるほどの威厳も必要になる。
この計画が成功するかどうかは、騎士の忠誠心をどれだけジーニアス君に向けられるかにかかっているのだから。
すると、固く口元を引き結んでいたジーニアス君が、フッと力の抜けた笑みを零した。
「……そうだね」
どこか投げやりな言い方に違和感を覚えながら、ジーニアス君へと視線を向ける。
ジーニアス君は、大きな溜息と共に脱力するように椅子にもたれかかると、口元に笑みを浮かべた。
けれど、その青い瞳は光を失ったように虚無を映し出す。
アレクシア様から遠回しに覚悟を決めろと言われたはずなのに、その姿は覚悟どころか、全てを諦めているかのようで。
「ジーニアス君……?」
「じゃあ、僕はもう、ここにいる必要はない」
はっきりと告げると、ジーニアス君は静かに瞼を閉じた。




