23.突き付けられた現実
微笑ましそうに私たちを見ていたグレイソンさんも、すぐに真面目な顔へと切り替わる。
「皇太子、つまり今の皇帝が前皇帝を殺害し、唯一の目撃者である宰相が黙殺し、騎士たちが隠蔽工作をしたという話は、これで納得していただけましたよね」
その言葉に、私は静かに頷いた。
洗脳により、騎士たちが皇帝の命令に従い動いたという事であれば納得がいく。
「帝国民には、前皇帝の持病が悪化し急死したと公表されました。ですが、皇宮に勤める者の中には、前皇帝が殺害された事を知る者もおります。中には皇帝の関与を疑う者もいたでしょう。しかし、皇帝が帝位欲しさに前皇帝を殺したのだと声を上げれば、自分が皇族侮辱罪で捕らえられる可能性もあります。故に、たとえ疑いを持っていたとしても、誰も口にはしませんでした。こうして、あの男の罪は闇に葬られたのです」
「……では、グレイソンさんはどうしてそれを知っているのですか?」
先ほど、グレイソンさんは皇帝が殺害された現場について語っていた。
それも返り血を浴びた皇太子……と、実際の現場を目撃した者にしか分からない情報も口にしていた。
つまり、その情報をグレイソンさんは誰かから聞いたという事になる。
――考えられるのは、当時の宰相であるグレイソンさんのお祖父様だけど……そんな危険な情報を、親族だからといって話すかしら……?
「私の祖父は、死の真際に自分の罪をある人物に告白しました。私はそれを偶然聞いてしまったのです」
その言葉に、私は驚きに目を見張った。
「そんな危険な情報をいったい誰に……」
グレイソンさんの琥珀色の瞳が私から横に移動する。
「先代のウィルフォード公爵です」
「お義父様に……⁉」
それについては、お義父様の手帳には書かれていなかった。
――そうよね……。こんな危ない情報、お義母様に教えられるはずがないわ……。
「恐らく、祖父もまた自責の念に苛まれていたのでしょう。職務から退いてからは、病を患い床に臥せる事も多くなっておりました。自分の死期を悟り、誰かに罪を告白したかったのかもしれません。公爵をその相手に選んだのは、彼にならその罪を告白したところで何の影響も及ぼさないと思ったのでしょう。皇帝に不利となる情報は握りつぶすはずですから。しかし、偶然祖父の部屋の前を通りかかった私は、その告白を聞いてしまったのです。祖父は私の存在に気付いていなかったようですが、公爵は気付いていたようですね。それでも私を処分する事無く、あえて生かしておいたのは、こういう日がいつか来ると分かっていたからでしょうか……」
その言葉の意味がよく分からず、グレイソンさんの視線を辿りアレクシア様を見上げる。
私の視線に気付いたアレクシア様は、今の話を補足するように告げた。
「父親が残した情報の中には、皇帝に対して不信感を抱き、協力者となりえる人物のリストがあったんだ。ジェイクがリストに記載されている人物に接触を図り、交渉する役割を担っているんだ」
「そうだったのですね」
アレクシア様の言葉に頷いていると、ふいにグレイソンさんが遠い目となった。
「トンプソン卿から刃を突き付けられた時は生きた心地がしませんでした。あれ、断ってたら私死んでましたよね……」
どうやら結構手荒い方法で接触を図っているようで。
とりあえず、ジェイクさんが元気そうだという事は分かって安心した。……安心していいのかしら?
「ウィルフォード卿が反逆を企てていると聞いた時には耳を疑いました。更には行方不明になっていた第五皇子を保護したと聞いて、とても信じられませんでした。それが事実ならば、新たな皇帝となれる人間が存在する事になるのですから。あの男を失脚させるチャンスが来たと思いました。……しかし、直接この目で皇子殿下のお姿を拝見しない限りは協力できない。そう申し出て、こちらへ赴く機会をいただいたのです」
グレイソンさんはソファから立ち上がると、ジーニアス君の前へと歩み寄り、その場に跪いた。
「ジーニアス皇子殿下。どうか私と一緒にレスティエール帝国へ来ていただけませんか?」
ジーニアス君は椅子に座ったままグレイソンさんを見下ろすと、フイッと横に目を逸らした。
「あなたが言うように、あの男が皇帝として認められないのなら、あの男の実子である僕も皇子としては認められないんじゃないの?」
その問いに、グレイソンさんは静かに首を横に振った。
穏やかな琥珀色の瞳が弧を描き、ジーニアス君へと向けられる。
「確かに、あの男の事を私は認めておりません。しかし、貴方が歴代皇帝の血を引く人間である事に変わりはありません。新たな皇帝になる資格が貴方にはあります」
「……でも、僕は皇族の証を持っていない」
その瞬間、深い青色の瞳に憂いが生じる。
正統な皇族であるのにもかかわらず、瞳の色が違うというだけで周りの人間から忌避されていた過去は、ジーニアス君にとっても辛い日々だったはず。
ジーニアス君の気持ちは、理解できる。
私も、かつては同じような環境に身を置いていたから……。
周囲から自分の存在を否定され、本当に自分が無価値のように思えて、自己否定ばかりが強くなった。私なんて……と、何度自分を卑下しただろう。
――本当に、自分が皆に受け入れられるのか……不安になる気持ちは分かるわ……。
それでも、グレイソンさんは今も微笑みを崩さない。
気落ちするジーニアス君を安心させるように、穏やかな眼差しを彼へと向ける。
「ジーニアス皇子殿下。皇太子になるために必要な条件は、皇帝の直系男子である事だけです。赤い瞳については帝国憲法では触れておりません。初代皇帝も、自分の子孫が必ず赤い瞳を継ぐとは思っていなかったのです。赤い瞳が皇族の証というのも、後世になってから周りが言い出した事です。それに、あなたが間違いなく皇族の血を引いているという事は、ルディオス皇子殿下の存在が証明しているではございませんか」
「……」
優しく諭すグレイソンさんの言葉に、ジーニアス君は僅かに息を呑んだ。
青い瞳にうっすらと涙の膜が張り、ゆらりと揺らぐ。
グレイソンさんの言葉に、ジーニアス君が少しずつ警戒心を解き始めているのが分かる。
――ジーニアス君が皇帝になって、グレイソンさんが次期宰相になるのなら、二人は良い関係が築けそうな気がするわ……。
そんな期待を抱いていると、穏やかだったグレイソンさんの眼差しが途端に厳しくなった。
「ジーニアス皇子殿下。貴方が次期皇帝となるためには、まずは正式な皇太子となる必要があります。そのためには、皇族登録証に登録された第五皇子の手形と照合させる必要があります」
「……僕の手形が登録されているの?」
驚きに目を見開きながらジーニアス君が訊ねると、グレイソンさんは力強く頷いた。
「はい。貴方は正統な皇族の人間ですから当然です」
「……そうなんだ。知らなかった」
ジーニアス君はグレイソンさんから視線を逸らし、どこか物思いに更けるように宙を見つめた。
二人の間に沈黙が流れる中、私はジーニアス君の前で跪いているグレイソンさんに訊ねた。
「あの、ジーニアス君が正式な皇太子となった場合、皇帝の罪を理由に帝位を剥奪するのですか?」
それが可能なら、穏便に事は進むのでは……? と、そんな淡い期待を抱く。
けれど、こちらへ振り返ったグレイソンさんは渋い顔となり首を横に振った。
「そう上手く事が進めば良いのですが……残念ながら、皇帝の罪を立証する証拠がありません」
悔しげに言うと、グレイソンさんは琥珀色の瞳を見開いた。
「ですが、今の皇帝は五十七と高齢ですし、新たに皇妃を娶る気もございません。帝国の終焉を辿るだけの皇帝と、子孫を望める若い皇太子。どちらが帝国の君主として相応しい人物なのか……騎士たちの中で迷いは生じるはずです。血統主義の大臣たちも、私たちの味方になってくれるでしょう。今の皇帝に不満を抱いている人間は少なくありません。……それを口にした人間は、もう残っておりませんが」
さらりと付け足された言葉に、ゾッと悪寒が走る。
いったい、その発言により何人が犠牲になったのだろうか……?
「一番厄介なのは皇帝を守ろうとする騎士の存在です。その騎士たちの忠誠心を皇帝から奪う事ができれば、我々の勝利と言えます。皇帝よりも皇太子が君主として相応しいと認められれば、皇太子の一言で騎士たちは皇帝を捕らえるでしょう。ただ……」
グレイソンさんは難しい顔となり、戸惑いがちに告げる。
「そのためには……ルディオス皇子殿下の協力も必要になります。騎士たちが新たな皇帝と認める条件には、赤い瞳も含まれているので……」
洗脳時に語られる、帝国の君主を称える文言には『神から授かりし白銀の髪と高貴な血を引く真紅の瞳』というものがあるらしく、青い瞳のジーニアス君では、騎士たちが新たな皇帝と認めるかは分からないという。
ジーニアス君は軽く肩を竦めた。
「だろうね。それについては問題ないと思うよ」
何でもないように受け流すジーニアス君の態度に、隣に座るアレクシア様の口から溜息のようなものが漏れた。
――でも……そんなに上手くいくのかしら……?
「あの……もしそれが上手くいかなかったら、その時はどうするのですか?」
いくら皇太子といえど、実権を握っているのが皇帝である以上、こちらが不利なのには変わりない。
もしも騎士たちの忠誠心が皇帝から離れなかったら、皇帝の一言により捕らえられるのはこちら側の人間になる。
私の問いに、グレイソンさんは微塵の迷いもなくきっぱりと答えた。
「あの男と同じ手段を取ります。皇帝を殺し、その座を奪うのです」
「‼」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
――皇帝を……殺す……?
ゾッと全身に悪寒が走り、喉の奥がヒュッと詰まった。
ドクン、ドクン……と脈打つ鼓動が、徐々に大きくなり耳元でこだまする。
その音に被さり二人の会話が聞こえてくる。
「皇帝殺しは憲法違反だったんじゃないの?」
「あの男こそが違法な存在なので、殺したところで私の中では違法にあたりません」
ジーニアス君の指摘をグレイソンさんはあっさりと切り捨てた。
「ずいぶんと都合のいい解釈だね。……まあ、それなら問題ないんじゃない」
実の父親を殺害するという話を、ジーニアス君は当たり前のように受け入れている。
それを実行する事に何の迷いも見せない二人の会話を聞きながら、私は言い知れない恐怖に襲われた。
――この計画の中で、誰かが死ぬの……?
じっとりとした嫌な汗が額に滲む。
まるで空気が薄くなってしまったかのように、息が上手く吸えない。
息苦しさを少しでも解消したくて、吸って、吐いてを意識的に繰り返す。
――皇帝を排するという事は……そういう手段も、やむを得ない……という事……?
よくよく考えれば、思い至る事だった。
けれど、アレクシア様から聞いた話の中で、誰かが死ぬといった話は出てこなかった。
危険な計画というのは知っていたけれど、それを語るアレクシア様の声は穏やかで、死を連想させるものではなかった。
それでも、話を聞いて全く不安がなかったわけではない。
私の知らないところで、私自身が危険に晒されていた事にもゾッとした。
けれど、アレクシア様を傷つけたのが皇帝だという事実を知り、それに対する怒りの方が勝った。
だから私も、傲慢な皇帝を排し、ジーニアス君が新しい皇帝になるべきだと思った。
それなのに……。
――私は今まで、どこか俯瞰的な視点でこの計画を見ていたのかもしれない。
まるで歴史書の文字を辿るように……。
謀反、政変、クーデター。世の中を大きく動かす出来事は、これまでの歴史の中で繰り返されてきた。
だからアレクシア様の話を聞いた時も、そういう時期が来たのだろうと思った。
年号順に並べられた記録の最後尾に、一文追加されるように。
だけど、政変の最中、具体的にどんな事が起きていたのか。
私の読んだ歴史書の中には記されていなかった。
そこで犠牲となった人々の数、どれだけの被害があったのかなんて、私は知らない。
知らないから、そういった起源全てが美談のようにすら思えた。
けれど、きっと記録には残せないような、多くの犠牲があったに違いない。
激闘の末に倒れた者、反逆者として処刑された者、巻き込まれて亡くなった者……それと同じ事が、私の周りで起きるのかもしれない。
――怖い……。
そんな恐ろしい光景が、急に現実味を帯びてきて、押し寄せる恐怖に体が震え出す。
上手く呼吸ができない息苦しさに、じわりと涙が滲んだ。
ゆっくりと暗転していくように、目の前が暗くなる。
「マリエーヌ」
アレクシア様の声にハッと我に返る。
見開いた目の先で、心配そうにこちらを見つめるアレクシア様の顔があった。
それがあまりにも近くて反射的に身を引くも、背中に回されたアレクシア様の腕により、あっという間に引き寄せられる。
「大丈夫か? ……顔色が良くない。すぐに部屋へ戻って休もう」
「え? あっ……待ってください! 私は大丈夫ですから」
私を抱きかかえようとしたアレクシア様の手を咄嗟に掴んで止めた。
アレクシア様は軽く目を見張った後、苦渋の表情でこちらを見つめる。
「しかし、顔色が……」
頬を優しく撫でられると、アレクシア様の手がいつもより熱く思えた。
それだけ私の顔が冷たくなっていたらしい。
――温かい……。
アレクシア様の手から伝わる温もりが、喉の奥につかえていた何かを溶かし、呼吸が楽になった。
うるさいほど高鳴っていた鼓動も、少しずつ落ち着いていく。
私が安堵の息を吐き出すと、アレクシア様も少し安心したのか、表情が和らいだ。
「本当に、大丈夫です。最後まで話を聞かせてください」
「マリエーヌ……」
笑みを繕い懇願する私を、アレクシア様は静かに見つめる。
今も怖い気持ちに変わりはない。
けれど……。
――現実と、向き合わないと……。誰かの命が関わるのなら尚更、目を逸らしてはいけないわ……。
その意志を示すために、私は目を見開いてアレクシア様と視線を交わす。
アレクシア様はしばらくの逡巡の末、「決して無理はしないように」と告げ、この場に残る事を許してくれた。
壁際でこちらの様子を伺っていた二人も、やがて会話の続きを始めた。




