18.穏やかな逃避行の日々
逃避行編、マリエーヌ視点に切り替わります
ビーズを散らしたような無数の星々が煌めく夜空の下。
草原に広げた敷物に寝転がりながら、私は夜空を眺めている。
「綺麗ですね……」
視線は夜空に固定したまま、私は隣に並ぶアレクシア様に声を掛けた。
「ああ。本当に綺麗だな……」
その声と共に、夜空が広がる視界の隅にアレクシア様の顔が覗いた。
その視線は、夜空ではなく私へと向けられている。
「星々の光が照らし出す君の姿は神秘的でなんと麗しいのだろうか……。君が夜空に毅然と輝くルヴィナならば、僕は君に寄り添うアルタスとなろう。いつ何時も、僕は君の傍から離れない」
恍惚とした眼差しで私を見つめたまま、アレクシア様は流暢にそれを語った。
「……?」
正直、アレクシア様が何を言っているのかよく分からなかった。
主に後半部分が。
反応に困りながら目を瞬かせる私に、アレクシア様は少し得意げに笑んだ。
「この国では、星を女性に見立てて口説く方法があると聞いて、少し調べたんだ。君に例えたルヴィナは、星の中でも一番美しい輝きを放つ星で……ちょうどあの辺り、一際大きな輝きを放つ星が見えるだろうか」
天を指差すアレクシア様の指先を辿ると、確かに他の星々に比べて一層強い輝きを放つ星が見えた。
「少し青く光って見える星ですか?」
「ああ、それだ。そしてそのすぐ近くで赤く光っている星がアルタスだ」
再び集中して星空を観察すると、確かにルヴィナのすぐ近くで朱色に輝く星が見えた。
「アルタスもルヴィナも年中通して見られる星で、アルタスはルヴィナのすぐ近くを回り、決して傍から離れない。何者も寄せ付けない、ルヴィナの守護者と言われているんだ」
「まあ……素敵ですね……」
そんな風に星に意味を持たせるとは、なんてロマンチックなのだろう。
感動に胸を打たれながら、もう一度アレクシア様の言葉を思い出す。
「ルヴィナが私で、アルタスがアレクシア様……という事は、アレクシア様が私の守護者という事ですね」
「ああ、そうだ。どんな外敵からも僕が必ず君を守る」
甘い笑みを浮かべながら、それでいて誠実な眼差しで私を射止め、アレクシア様はそう断言する。
星の輝きに照らされた白銀色の髪が夜空に映え、真紅の瞳はなんとも愛おしげに、いつまでも私を見つめていた。
この地へと私たちが渡ってから、もう三ヶ月が経とうとしていた――。
◇◇◇
バターの香ばしい香りが漂う厨房。
その中央に設けられた広い調理台には、山盛りに積み重ねられた焼きたてのパン、瑞々しいレタスやトマトなどの生野菜、薄く均等に切り分けられたハムやチーズなどの加工食材が、それぞれのお皿に盛り付けられている。
私は手にしている片手鍋の中身をお皿に移し替え、調理台の前で椅子に腰掛けているジェイクさんの奥様、エマさんにそれを見せた。
「エマさん、こんな感じでいかがでしょうか?」
エマさんは、ラベンダーのような薄紫色の瞳をお皿へと向け、私が作ったスクランブルエッグの仕上がりを確認すると、ニコッと微笑み頷いた。
「とても良い仕上がりだと思います。具材はこれで十分ですね」
無事に及第点を頂けたようで、私は手にしていたお皿も調理台へと並べる。
エマさんはゆったりとした動作で椅子から立ち上がると、膨らんだお腹を調理台ギリギリまで寄せた。
天窓から降り注ぐ日差しが、結い上げた淡い金色の髪を艶めかせる。
エマさんは私よりも十歳ほど年上の女性。
だけどその姿は若々しく、それでいて気品があり、いつも穏やかな笑みを浮かべている。
二児の母親であり、もうすぐ三人目のお子様も生まれる予定である。
エマさんは調理台にある具材をぐるりと見回すと、ポンッと軽やかに手を叩いた。
「では、さっそくサンドイッチ作りに取り掛かりましょうか」
そう言うと、エマさんは楕円型のパンを一つ掴み、ナイフを手に取った。
パンの中央に刃を当て、スッ……とナイフを引き、パンに深い切り込みを入れる。
それをお皿に置き、新しいパンを手に取り、同じ動作で次々とパンを捌いていく。
――さすがエマさん……とても早いわ……。
普段は自分で料理を作っていたというエマさんの動きは、とても手馴れていて無駄がない。
その手際の良さに感嘆しながら、私は次の作業に取り掛かるため服の袖を捲り上げた。
事の発端は、『今日の昼食はサンドイッチを作って外で食べるのはいかがでしょうか?』というエマさんからの発案だった。
エマさんはよく子供たちと一緒にサンドイッチを持参してピクニックへ出掛けていたらしく、今日の晴れ晴れとした青空を見て、ふと思い立ったという。
子供の好きなサンドイッチを作ってあげたいというエマさんの希望を叶えるべく、私もそれに賛同。
妊娠中のエマさんの負担を少しでも軽減するため、私もサンドイッチ作りに参加させてもらう事にした。
といっても、私はサンドイッチを作るのは初めて。
パンを手に取ったものの、豊富な具材を前にして思わず固まってしまった。
――えっと……どれをどう組み合わせればいいのかしら……?
具材を見回しながら、うーん……と悩んでいると、隣からクスクスと笑う声が聞こえた。
「そんなに悩まなくても、いろんな組み合わせで作ればいいのですよ。たくさん作って好きな具材を選んでもらいましょう。あと、具材を挟む前にパンの切り目にバターを塗るのも忘れないでくださいね」
「あ……そうでしたね。分かりました」
エマさんの助言通り、パンの切れ目にバターを薄く塗る。
こうすると、具材の水分がパンに染み込むのを防げるらしく、口当たりもよくなるらしい。
バターを塗り終えて、レタス、ハム、チーズをパンの中に少しずつ挟んでいく。
――こんな感じかしら? なんだか少し物足りない気もするけれど……。
パンに具材を挟むだけなのに、出来栄えがいまひとつなサンドイッチを前に、私は首を捻る。
すると、エマさんが作り終えたサンドイッチをお皿の上に置いた。
パンからはみ出すほどのレタスとチーズ。香ばしく焼いたベーコン数切れが豪快に押し込まれ、大胆かつ食欲をそそられる仕上がりに、思わず喉を鳴らしてしまう。
「わぁ……すごく美味しそうです」
感嘆の声が自然と零れると、エマさんは嬉しそうに笑った。
「パンからはみ出るくらい具材をたっぷり入れた方が美味しく仕上がりますよ。これなら子供たちも野菜をたくさん食べてくれますから」
それを聞いて、食事に出てきたサラダに手をつけようとしなかったエマさんの息子、ランディ君の姿を思い出す。
兄のマグナス君が『ランディ、野菜も食べろよ』と指摘しても、ランディ君は意地でもサラダに手を付けようとしなかった。
「そういえば、ランディ君は野菜が嫌いでしたね。その点、マグナス君は何でも食べますよね。さすがお兄ちゃんです」
私が感心していると、エマさんは苦々しく笑いながら肩を竦めた。
「マグナスも昔は好き嫌いが多かったのですが、弟ができてからは何でも食べるようになりました。ランディもそうなってくれるといいのですが……。もう七歳ですし」
作り終えたサンドイッチをお皿の上に置きながら、エマさんは小さく息を吐く。
今回のエマさんの発案には、息子に野菜を食べさせたいという親心もあったのかもしれない。
「ランディ君もきっとマグナス君みたいに良いお兄ちゃんになると思います。赤ちゃんが生まれるのをすごく楽しみにしていましたし」
お腹の中の赤ちゃんに話しかけるランディ君の姿を思い出し、フフッと笑みが零れた。
赤ちゃんが生まれたら、きっとランディ君は付きっきりでお世話をしていそうな気がする。
そんなランディ君の姿を想像しながら、私は新しいパンを手に取った。
エマさんの作ったサンドイッチをお手本にして、レタス、トマト、スクランブルエッグと、見栄えの彩りも考えながらたっぷりと具材を挟んでいく。
今度は最初よりも断然美味しそうなサンドイッチができあがった。
挟んだ具材に押し返されるように、少し横に広がったサンドイッチを、いつも気品ある所作で料理を口に運ぶアレクシア様がどうやって食べるのか。
その姿を想像すると、思わず顔が綻ぶ。
そうして私たちは次々とサンドイッチを作り上げ、瞬く間にパンは空になり、代わりに種類豊富なサンドイッチがズラッと並ぶ。
このままサンドイッチ屋さんが開けてしまいそうな光景に、私は感嘆の息を吐いた。
「これを見たらランディ君たち、きっと喜ぶでしょうね」
「ウィルフォード卿も、マリエーヌ様の手作りと知れば、大層お喜びになられると思いますよ」
頬を緩めながらそんな言葉を交わし合っていると、リディアが大きなバスケットを持ってやってきた。
「マリエーヌ様、できあがったサンドイッチはこちらに入れ……わあぁ! 美味しそう!」
調理台に並ぶサンドイッチを目にした瞬間、リディアの紫色の瞳がキラキラと輝き出す。
うっとりとした眼差しでそれを見つめていたリディアの喉がゴクリと鳴り、引き寄せられるかのようにサンドイッチへと手が伸びていく。
けれど、私たちの視線に気付いた瞬間にハッと我に返り、ヒュッと手を引っ込めた。
スッと唇の端をさりげなく拭い、何事もなかったかのようにバスケットを調理台の上へ置くも、視線はチラチラとサンドイッチへと向かっている。
それを見ていた私とエマさんは、顔を見合わせフフッと笑う。
「リディアの分もあるから、一緒に外で食べましょう」
「ほんとですか⁉」
パァァッと表情を輝かせ、素直な反応を見せるリディアを微笑ましく思いながら頷くと、
「ありがとうございます! では、敷物やお皿なども準備してまいりますね!」
とびきりの笑顔で言い放ち、リディアはそそくさと厨房を飛び出す。
私とエマさんはリディアが用意してくれたバスケットに、それぞれが作ったサンドイッチを詰め始めた。




