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14.僕の理解できないもの sideアレクセイ

 大陸統一を目前にして、僕は侵攻部隊の一員から外された。


 その命令を下したのは皇帝だ。

 大陸統一を成し遂げる瞬間の栄光を、僕に与えるつもりはないのだろう。

 おかげで時間の余裕ができた僕は、執務の片手間で身辺整理を始めた。


 僕が居なくとも、滞りなくアレクシアに執務を引き継げるように。


 それとは別に、僕が握っている()()()()、それと密かに用意していたものの数々を、アレクシアにしか解読できない暗号にして数枚の紙片にしたためた。


「公爵様。こちら書類の内容に不備があるようですが、いかがなされますか?」


 声を掛けられ、補佐官から渡された書類に目を通し、それを突き付けた。


「送り返せ」

「かしこまりました」


 従順に頭を下げ、彼は速やかに自席へと戻る。

 僕が戦地で引き抜いた元騎士、ジェイクという男は補佐官としても優秀な働きを見せている。


 帝国騎士団に属する騎士は、敵前逃亡や裏切りを防ぐ目的として特殊な洗脳を受けている。

 だが、この男は洗脳に抗い戦闘を放棄した。

 それどころか、自ら死を選ぼうとしていた。


『私は、我が子に誇れない父親になるくらいなら、ここで死にます』


 その目は本気だった。


 一方的に他国へ攻め込み、国と家族を守ろうと戦う相手を、これ以上殺す事はできない、と。


 しかし戦場で逃亡を図れば裏切りと同罪。

 自分だけでなく家族をも危険に晒す行為となる。

 ゆえに、彼は自分の家族を守るために、戦死する事もやむを得ないと考えていた。


 自らを犠牲にしてでも家族を守ろうとするその姿は、いつかの自分の姿を彷彿とさせた。


 ――ここで殺すのは惜しい。


 そう判断し、その場で彼を僕の護衛、兼補佐官になるようにと命じた。


 そうして帝国に戻り、我が子との対面を果たした彼は、皇帝にではなく僕に忠誠を誓い付き従うようになった。


 洗脳に惑わされない強固な精神力を持ち、家族を愛する彼ならば……いつの日か、アレクシアが愛を知り、それを守ろうとした時、大きな力となってくれるはずだ。


 だからこそ、僕は彼に、息子たちの事を託した。

 最後まで見放さず、味方でいてやってほしい――と。


「かしこまりました」


 そう応じる彼の姿勢に、一切の迷いも見られなかった。




 その夜、僕は用意した紙片を、昔アイリーンから渡された恋愛指南書なるものの中に挟んだ。


 ――僕にはよく理解できなかったが……愛を知れば、中身を見るくらいはするだろう。


 執務机に細工を施し、それを潜める。


 果たして、アレクシアがこれを手にする事があるのか。

 手にしたとして、紙片の中身を確認し、愚かだと破り捨てるのか。


 ――手駒は十分に用意した。僕にできるのはここまでだ。


 当初は、アレクシアが愛する者と共に帝国を離れ、国外で暮らす手段を用意していた。

 僕と同じように、アレクシアが皇帝に縛られたままでは、僕たちと同じ末路を辿る事になる。

 それを防ぐためには、ここを離れる他ない。


 だが……どういう巡り合わせか、寸前でもう一つの選択肢も手に入れた。

 こちらは危険な賭けではあるが……託す価値はある。


 瞼を閉じ、あの日、夢で見たアレクシアの姿を瞼裏に描き出す。


 一人の女性を、必死に追い求めていた息子の姿を。


 ――愛する者と逃げてもいい。

 運命に抗い、愛する者のために立ち向かうのも。

 あとはお前次第だ、アレクシア――。


 それは、あるかも分からない不確定な未来。


 されど、決して自分が目にする事のできない未来の息子に、心の中で語り掛けた。


    ◇◇◇


「こんなところに別荘があったなんて……もっと早く連れて来てくださればよかったのに」


 高台に聳え立つ屋敷を前に、レイシアは紫色の瞳を輝かせた。

 僕たちは今、レスティエール大陸を離れ、広大な海に囲まれたハレイヤ国に訪れている。


 発端は、レイシアと共に食事をしていた時だった。


 唐突に、『たまには夫婦水入らずで旅行へ行きませんか?』と、レイシアから提案された。


 これまでレイシアがそんな風に僕を誘った事はない。二人だけで外出をした事もなかった。

 だが、もう間もなく死を迎える僕が、彼女の望みを叶える最後の機会。

 そう考えて、僕は彼女の提案を叶えるべく計画を立てた。


 帝国内では、あまり二人でいる姿を見せるべきではない。


 そう判断し、この場所を旅行先へと選んだ。


 別荘内の一室で、僕とレイシアはテーブルを囲み、別荘に常駐している使用人が淹れたお茶を飲んだ。


「はぁ、美味しい……」


 お茶を飲み、レイシアは力が抜けたように肩を落とした。


 満足げに微笑む彼女の顔を見ながら、僕もティーカップを持ち上げる。

 カップの底が見えるほど澄んだ淡い赤褐色の紅茶は、彼女の髪色によく似ている。


「君には色々と迷惑をかけたな」


 ふいにそんな言葉が口を突いて出た。

 レイシアは驚いた様子で目を丸くすると、頬に手を添え首を傾げる。


「あら……。アレクセイ様がそんな事をおっしゃるなんて……明日は槍でも降るのでしょうか?」


 フフッと笑いながらそんな事を言うレイシアに、僕も鼻で笑って言う。


「ふっ……君は明日、ここが敵襲を受けるとでも思っているのか?」

「まあ。そういう意味ではございません。本当にアレクセイ様は頭がお堅い方ですね」

「君は時々突拍子もない事を言う。未だに理解に苦しむ」

「ふふっ……そうでしょうね。ですが、私はアレクセイ様の事をよく存じております」


 なぜか自信ありげにそう言われ、思わず目を見張った。


「……僕の事を?」

「はい。きっとアレクセイ様ご自身よりも、私の方がアレクセイ様の事をよく理解しております」


 どうして急にそんな事を言い出したのか。

 それも、何の確証があってそう思っているのか。


 やはり彼女は理解できない。


 だが、少し試したくなった。


「ならば……今、僕が何を考えているか。君には分かるのか?」


 僕の問いに、レイシアは「そうですね……」と、しばらく思案し、


「将来について……でしょうか」


 その回答に、思わず冷笑が零れた。


「不正解だ。そんなもの考えていない」


 間もなく死ぬ人間が、将来の事など考えても意味はない。

 だが、不正解を引き当てたレイシアは悔しがる様子もなく、


「では、正解を教えてください」


 穏やかに微笑みながら答えを要求され、思わず言葉に詰まる。

 分かるはずがないと、正解など考えていなかった。


「特に何も……。それが答えだ」


 僕の返答に、レイシアはどこか納得いかない顔で小さく息を吐き出した。

 そんな彼女に意趣返しとばかりに問いかける。


「君の方こそ、何を考えている?」

「あら、当ててはくださらないのですか?」

「考えたところで分からない」

「まあ、考えてもくださらないのですね」


 レイシアは落胆するように息を吐き、そしてすぐにスゥッと息を吸い込むと、流暢な口調で語り始めた。


「今日の紅茶はとても美しい色をしているわ。初めての香りだけどいい香りね。口通りもなめらかで美味しいわ。もしかしてここの特産品かしら? あとで何の茶葉を使っているのか聞いてみなくちゃ。アレクセイ様は相変わらずの顰め面だけれど、いつもよりお茶の進みが早いわ。きっとアレクセイ様もお気に召したのね。せっかくだから、お土産に持って帰ろうかしら」

「……」


 飲み干そうとして口に含んだお茶を、僕は嚥下する事ができなかった。


「そんなもの、はなから当てられるはずがない」


 そう言ったのは僕ではない。


「――って、思いましたか?」


 得意げな笑みをこちらに向け、レイシアはおどけるように首を傾げる。


 ひとまず口腔内のお茶を一気に飲み干し、ティーカップを置いた。

 空になった僕のティーカップを見て、レイシアは笑みを深める。


「アレクセイ様。考えている事全てを正確に当てる必要はございません。それと、正解は一つとは限りません。今の場合、『お茶が美味しい』『ここに来れて嬉しい』『この時間が楽しい』どれも正解です」


 そう言いながら、レイシアは淑女らしい所作でティーカップを持ち上げ、一口、二口と飲む。赤みを帯び、少し潤んだ唇がふいに開いた。


「アレクセイ様は、正確な答えを求めようとしすぎではないでしょうか。真面目に考えて、明確な答えが出なければ、理解できないと思考を斬り捨てるのでしょう? それと、考えるだけ無駄だとと決めつけてしまえば、考える事すらも放棄する。正解は、意外と単純明快(たんじゅんめいかい)だったりするのです」

「……君が何を言いたいのか分からない」

「ふふっ。考える事を放棄されましたね」


 まるで彼女の手の平で転がされているかのように、張り合いの無い会話が続く。

 今日のレイシアは、いつにも増してよく喋る。

 あの邸を出て、開放的な気分になっているのだろうか。


「あなたは、ご自分の事をよく分かっていらっしゃいません」


 だとしても、なぜこうも僕に突っかかってくるのか。

 お茶の中にアルコール成分でも含まれているのかと疑いたくなる。


「少なくとも、君よりは分かっている」

「いいえ。あなたは分かっていない。日々、自分の中に生まれる感情が何かを……分かろうとしていない」


 気付けば、レイシアの凛とした眼差しが、僕を真っすぐ見据えていた。


 話を軽くあしらおうとする僕に、真面目に向き合うようにとその瞳が訴えかけている。

 だが、彼女が何を言わんとしているのか分からない。


 考えたところで、やはり僕には――。


「だから私が――あなたの代わりに、あなたの事を知る努力をしようと思ったのです」

「……なに?」


 思わぬ言葉に唖然とする。

 やはり彼女は時折、突拍子もない事を言う。


「なぜ、僕でも分からない事を君が知ろうとする?」

「私が、あなたの事を理解したいと思ったからです。この目に映るあなたの姿だけではなくて、あなたの心を知りたいと思ったのです」


 ――心を……知る……?


「なぜ……?」


 聞いたところで理解できないというのに、僕の口は問うのをやめない。


「あなたが、あの中庭を私に見せてくれた本当の理由を知りたかったからです」

「理由なら話したはずだ。健康な子を生んでもらうためだと……」


 しかしレイシアは、ただ穏やかな笑顔を浮かべるだけで、何も言わない。

 まるで、僕の言葉が不正解だと言われているような気がした。


「……知れたのか?」


 ――僕の知り得ない答えを……。


「正解かどうかは分かりませんが、私が導き出した答えはあります」


 すると、レイシアは胸の前でポンッと手を合わせ、ねだるような笑みを浮かべる。


「ですから、アレクセイ様。私に答え合わせをさせてくださいませんか?」

「……は?」


 思わず聞き返していた。


 呆れる余り言葉が出ず……しばらくこめかみを押さえた後、溜息交じりに告げる。


「君が言ったはずだ。僕が自分の事を分かっていないと。僕が分からない事を、どう答え合わせをする?」

「方法ならあります」

「……?」


 レイシアは合わせていた手を解き、自身の胸元へと添える。


 慈しむような笑みを僕に向ける姿は、あの時、中庭で初めて僕に微笑んだ彼女の姿とよく似ている。


 レイシアももう四十を迎え、あの時のような少女ではない。


 それなのに……純真無垢と言う言葉がよく似合う彼女の姿に、僕は不思議な感覚に陥った。


 笑みを象るその口が、言葉を紡ぐ。


「あなたが私と出会ってからこれまでに、()()()()()()出来事について、その時の自分の気持ちを率直に書き記していただきたいのです。その時々の記憶を思い出し、自分が思った事、感じた事を……先ほど私が言ったように、思いのままに書き出してください。そしていつの日か、それを私に見せていただきたいのです」

「……そんな事をして、何の意味がある?」

「それを元に、私があなたの答えを出します。そうすれば、私が導き出した答えが合っていたのか、答え合わせができます。もちろん、分かった答えはアレクセイ様にもお教えします」


 楽しげにそう言うが、やはり突拍子もない内容だ。


「くだらん戯れだ」

「いかがですか?」

「……気が向いたらだ」

「お願いします」


 僕のあいまいな返答に、レイシアは満足げに笑顔を浮かべ……付け加えた。


「では、またいつか、ここへ来た時に答え合わせをさせてくださいね」


 またいつか――それは無理な話だ。


 僕がここへ来られる事は、もうない。


「……ああ」


 それなのに、僕は承諾した。

 嘘を吐いたつもりはない。


 いつの日か、彼女が望んだように、ここで答え合わせをするといい。

 たとえそこに僕が居なくとも……。


 ――僕の記憶を、ここへ置いていく。


 その後、自室へと戻った僕は、真新しい手帳を取り出しペンを握った。


 彼女と出会ってからの記憶を、今一度辿るように……その時々の記憶を思い返しながら白紙のページにペンを走らせた。


 翌日からは、なるべくレイシアの希望に添う過ごし方をした。

 街へ出て露店を巡り、演劇を観賞し、喫茶店で休憩する。

 次の日にはレイシアは前日に歩き疲れたせいで動けなくなっており、別荘で一日を過ごした。

 前日までは少女のようにはしゃいでいたというのに、いっきに老け込んだようにベッドに横たわる彼女の姿がなんとも滑稽に思えた。


 その間も、僕は自室で過ごす時間はひたすらに手記をしたためていた。


 この旅行中での印象深かった事も、忘れずに書き記した。


 そうして五日間の滞在期間は、瞬く間に過ぎていった。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

二人の物語は次回が最後となります。

結末はご存じの通りではありますが、最後まで見届けて頂けると幸いです。


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― 新着の感想 ―
いつも楽しく読んでます! 本文にもあったけど、女性はどんなに歳を重ねても一瞬(瞬間)だけ出会った頃の少女のような面影を見せる時はあるけど、見れることが本当に仲の良い夫婦のなんだろうなと思えるね〜 …
やだもう泣きそう(T△T) 嘘は言っていない。ただ、その約束を果たすのはこの二人ではないのだと思うと、募る切なさに胸が締め付けられます なぜこの夫婦はやり直せなくて、子どもたちはやり直せたんだろう?…
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