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13.その夢が意味するものは? sideアレクセイ

「マリエーヌ!」


 耳を突き抜けるような声に、ハッと顔を上げた。


 バタバタと使用人らしき者たちが慌ただしく駆けていく廊下。

 その真ん中に僕は佇んでいた。


 「公爵様が……」と口々に言う声が聞こえてくるが、誰も僕に見向きもしない。

 まるで僕の姿が見えていないかのように、素知らぬ顔で通り過ぎていくだけだ。

 周囲を見渡しても、ここが公爵邸である事に間違いはない。


 だが、辺りにいるのは見知らぬ使用人だ。

 そもそも、僕は今まで何をしていたのか、直前の記憶がすっぽりと抜け落ちている。


 ――これは……夢か……?


 そう考えるのが自然だった。


 しかし、だとしても夢というにはあまりにも鮮明だ。


「マリエーヌ! どこにいるんだ⁉」


 またこの声だ。


 先ほどから煩く声を荒げている男の声はいったい誰なのか。


 マリエーヌという名前にも聞き覚えはない。


 ――探し人を求めて公爵邸に何者かが押し掛けてきたのか?


 どちらにしろ、夢の中で何が起きようと僕には関係ない。

 せめて声の届かない静かな場所へ移動しようと、僕は声とは反対の方角へと歩き始める。


 その時、バァンッ! と扉が開く音が響き、こちらへ向かって駆けてくる足音が聞こえた。

 背後から迫りくる気配を避けようと身を躱した時、僕の隣を通り過ぎた横顔に思わず息を呑んだ。


 寝間着姿のその男は――僕と同じ白銀色の髪を揺らし、ルビーの如く赤々とした瞳を携えていた。


 ――僕……? ……いや、アレクシアなのか……?


 僕とよく似たその姿は、自分が知る息子の姿とは遠くかけ離れている。


 だが、なぜか、そう確信した。


 大人の姿をしたアレクシアは、ふいによろめきながら廊下に膝を突くと、肩を上下させ呼吸を整える。

 やがて再び立ち上がり駆け出したかと思えば、ある部屋の前で急停止し、


「マリエーヌ‼」


 叫ぶと同時にダァン! と勢いよく扉を開け放った。


 人目もはばからず、あんなにも声を荒げて感情を乱すなど……いくら夢だからといっても、見苦しくて見ていられない。

 そう目を逸らしかけた時、部屋の前で立ち尽くすアレクシアの瞳からボロボロと涙が零れ出した。


「あ……あ……。マリ……エーヌ……ほんとに……君……なのか……?」


 その先にあるものを求め縋るように手を伸ばし、アレクシアは部屋の中へと歩き出す。


 ――アレクシアが……泣いている……?


 アレクシアが涙を流す姿など……もう何年も見ていない。


 母親と引き離されたばかりの頃は、毎日のように泣いていた。

 だが、いくら泣いたところで意味はないのだと理解するように、いつからか泣く事もなくなった。

 そうして無益な感情や行動を排除する事も、あの教育の一つだ。


 ――それなのに……なぜ、アレクシアは泣いている……? いったい、その先に何が……誰がいるというのだ……?


 僕の足は、自然とその場所へと急いた。


 アレクシアの手により、開け放たれた扉の前には多くの使用人たちが集まっている。

 しかし僕の体は誰に触れる事もなく、群衆の中を通り抜けた。


 開けた視界の先には、おぼつかない足取りのアレクシアと、その先に一人の女性が佇んでいた。


 腰まで伸びた亜麻色の髪。戸惑いの滲んだ新緑色の瞳。

 彼女もまた、唖然としたままアレクシアの姿を見つめている。


 やがて彼女の前へと辿り着いたアレクシアは、静かに告げた。


「マリエーヌ……君を愛してる」




 目を覚ますと、いつもの寝室だった。


 ――やはり夢か……。


 分かりきっていた事を今一度確認する。


 体を起こすと、カーテンの隙間から満ちた月が姿を覗かせた。


「あり得ない……」


 無意識のうちに、僕の口から零れたのはあのアレクシアの姿に対するものだ。

 所詮は夢の出来事だ。あんな息子の姿など、あり得るはずがない。


 だが……あまりにも鮮明だった。


 切なげに涙を流す息子の姿が。ひたむきに名前を叫んでいた息子の声も。


 今も脳裏にこびりつくその姿、その声を振り払うように首を振る。


 アレクシアの後継者教育が終わる頃には、血も涙もない無情な人間となっているはずだ。

 あんな風に感情を剥き出しにして……ましてや涙を流すなどあり得ない。


 あってはならない。


 だが……一体、どうしたというのか。


 心の奥底で、そんなあり得ない事を期待してしまう自分がいる。


 ――あのような未来が、存在してほしい――と。


 今、レイシアとレイモンドが健やかに過ごせているのは、全てアレクシアのおかげだ。

 そして僕自身も、短い時間ではあるが、父親として一緒に居られる。


 そうやって僕たちが家族として過ごせる時間は、アレクシアただ一人の犠牲の上で成り立っている。

 僕たちが優雅にお茶を飲んでいる時でさえも、アレクシアは孤独の中で、必死に生にしがみつき耐え忍んでいるのだ。


 そんな不幸を一身に背負う息子が、あんなにも誰かを切望し、愛を囁く姿を……。


 誰かを心から愛し、愛される未来を……。


 実現させたいと、切に願ってしまう。


 ――これも、息子に情が湧いたというのか……?


 その答えは分からない。


 だが……もしもその可能性が、少しでもあるのなら……。


 息子の未来のために、僕が今、できる事は――?


   ◇◇◇


 年月が経つにつれ、北部への侵攻は激化の一途をたどった。


 すでに後継者教育を終え、十四を迎えたアレクシアも、皇帝の勅令により戦場へと駆り出された。


 初陣と感じさせないほどの冷静さと、人を殺す事に何の躊躇もない冷酷さ。

 立ち塞がる敵を確実に仕留めると、早々と敵将の首を狙い疾走する。

 アレクシアは瞬く間に多くの戦果を挙げ、この戦争に大きく貢献していた。


 そんな時、その出来事は起きた。


 キンッ‼ と甲高い金属音が弾け、アレクシアは失敗したとばかりに舌打ちを漏らす。


 敵軍と交戦中、あろうことか、アレクシアは突然、僕に斬りかかってきたのだ。

 僕の首を狙った迷いのない太刀。

 咄嗟に防いだものの、アレクシアは本気で僕を殺そうとしていた。

 少しでも油断していれば、僕の命はそれまでだっただろう。


「まだ早い」


 思わず僕の口から本音が漏れた。


 アレクシアは何食わぬ顔で踵を返し去って行く。


 その後ろ姿を見ながら、小さく苦笑する。


 ――今はまだ、お前に殺されるわけにはいかない。


 だが、それでいい。いずれお前の望みは叶う。


 その時が来れば……この首を、お前に捧げよう――。




 時を同じくして、レイモンドも十二歳となった。


 容姿はアレクシアとよく似ているが、性格はまるで違う。

 感情が豊かでよく笑い、甘えるようにレイシアにべったりだ。

 アレクシアと会えないレイシアの寂しさを埋めるためにも好きにさせていたが、さすがに甘やかしすぎた。


 社交の場を経験させるため、皇宮で開催された夜会にアレクシアとレイモンドを連れていった。

 レイモンドが後継者候補から外されたという話はすでに誰もが知っている。

 ゆえに、レイモンドが周囲からどのような視線に晒されるかも分かっていた。

 だが、屋敷で甘やかされて育ったレイモンドにとっては良い刺激になるだろうと思った。


 しかし、周囲から向けられた冷たい視線に、レイモンドはあまりにも脆かった。

 早々に気分が悪いと訴えるレイモンドを休憩室で休ませ、皇帝陛下への挨拶についても、「必要ない」と告げた。


 はなからレイモンドを皇帝の前に出すつもりなどなかった。

 今の皇帝は、レイモンドの存在など気に掛けていない。

 それよりも、戦地でのアレクシアの活躍ぶりを耳にして、すっかりそちらに心酔している。

 下手にレイモンドを皇帝の前に出せば、気分を害し、また良からぬことを考えかねない。


 それを踏まえての判断だった。


 だが、僕の言葉に、レイモンドはひどく傷ついたような顔を見せた。


 レイモンドが有能な兄に対してコンプレックスを抱いていたと知ったのは、もう少し後の事だった。


 その日以来、レイモンドは変わった。


 邪気の無い笑顔が取り繕うようなものとなり、求められる言葉を言うだけで本心を見せない。

 勉強のためと言って自室で過ごす事も多くなった。

 たまに一緒に過ごしていたとしても、表面上の会話が交わされるだけ。

 甘ったれた息子を嘆かわしく思わっていた僕だが、どこか他人行儀な息子の姿に妙な苛立ちを覚えた。


 そんな息子の変化にレイシアも気付いていたのだろう。

 息子に向ける慈しみの笑顔に、憂いの色が滲むようになっていた。


 少しずつ綻びを見せながら、家族のかたちが変わっていく。


 それを修復する術も分からぬまま、それでも時は無情にも過ぎていった。


 アレクシアの躍進もあり、大陸統一が実現される時も着実に近づいていた。


 同時に、それは僕の死が近いという事も意味していた――。


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― 新着の感想 ―
いつも楽しく読んでます! ドラマや他のマンガなどでも家族の絆は一度亀裂が入るとなかなか修復は難しいよね!! お互いに嫌いではないのに何処かよそよそしくなったり、いつも以上に感情を読もうとして空回り…
やっぱりきのなまと言えばこのシーン! アレクシアがマリエーヌの元へたどり着くシーン!! ……お父上にも見られてたんですねwww 不器用でしかいられなかったアレクセイ様が切ないです 戦争が終わる…… …
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