12.皇帝陛下との交渉 sideアレクセイ
二日後――。
皇宮へ到着し、皇帝の面会許可を得られたのは更に三日後だった。
「アレクセイ。そなたも平民を侵攻部隊に入れる事に同意するのか?」
謁見の間へ通され、皇帝への挨拶を済ませた直後、渋い顔をする皇帝に問われた。
どうやら僕との謁見前まで、今後の侵攻に向けた作戦の報告を受けていたようだ。
「はい。先の作戦で失った戦力は甚大です。大陸統一を確実とするなら、平民からも志願者を集い、訓練に参加させるべきです」
「ふむ。そなたも同じ見解か」
苦虫を嚙み潰したような顔で言うと、皇帝は苛立たしげに溜息を吐き出す。
大陸統一を成すまで、あと二十年はかかると言われている。
まだ先は長い。これまでに失った戦力を考えれば、身分など気にしている余裕はない。
一人の兵士を鍛え上げるのに数年はかかるというのに、失う時は一瞬だ。
戦果を挙げれば騎士の爵位を得られると聞けば、若い群衆がこぞって名乗り上げるだろう。
「平民ごときを、神聖な軍隊に入れるとは……」
皇帝は未だに渋っているが、自分の代で大陸統一を成し遂げたいと思っているのなら、呑むべき事案だ。
一層大きな溜息を吐き出すと、皇帝は気だるげに僕へと視線を移す。
「――で、そなたは何用でここへ来たのだ? 謁見を申し出るなど珍しいではないか」
唐突に本題へと入り、体が自然と強張るのが分かった。
跪く体を更に深く落とし、口火を切る。
「畏れ入ります。このたびは、我が愚息であるレイモンドを後継者候補から外したく、お願い申し上げに参りました」
「……なに?」
皇帝の口から放たれた不穏な声に、喉の奥が詰まる。
それを無理やり呑み込み、吐き出した。
「第一子であるアレクシアがすでに後継者教育を受けております。ゆえに、レイモンドが教育を受ける必要性は感じられません」
それを聞いて、皇帝は訝しげに首を傾げる。
「そなたは今更何を言っておるのだ? 二人に同様の教育を受けさせ、より優秀な方を後継者へという方針であろう。皇室が定めた規則に異議を唱えるつもりか?」
直後、グッ……と首元を掴み上げられるような喉の圧迫感を覚える。
「そなたの要求は却下だ。そのレイモンドとやらにも同様の教育を受けさせろ。分かったな」
「……」
「返事をしろ。アレクセイ」
沈黙する僕に、皇帝は苛立ちを滲ませた声で命じる。
その瞬間、心臓を強く掴まれるよな強烈な痛みが走り、額から汗が噴き出した。
――皇帝陛下の仰せのままに。
そう答えようとして開いた口をギリッと噛みしめる。
唇の端が切れ、口腔内に広がる血の味を飲み込み、声を吐き出した。
「レイモンドは、後継者候補から外します」
「なんだと?」
許可を求めるのではなく、自らの意志を伝えると、皇帝は憤怒の表情へと変貌する。
「そなた、私の命令に背くつもりか? その意味を、分かって発言しておるのか……?」
ゆっくりと言い聞かせるように問われ、項垂れていた頭を持ち上げた。
気色ばむ皇帝の顔を見据えたまま、ズキズキと痛む左胸を掴むように手を当てる。
「はい。この命を捧げるつもりでお願い申しております」
僕の返答に、ピクッと皇帝の目尻が揺れ、その顔が鬼のような剣幕へと歪んでいく。
同時に、僕の心臓を襲いくる痛みも更に激しさを増す。
何度も遠のく意識を必死に繋ぎ止めながら、ただひたすらに押し寄せる苦痛に耐えた。
少しでも気を抜いた瞬間にも意識を持っていかれそうだ。
一方で皇帝は僕を睨みつけながらも、その口からは未だ何も命ぜられない。
本来なら、今ここで不敬者として処罰されてもおかしくない。
皇帝が強く命じれば、自ら命を断つ事さえも従わざるを得ないだろう。
だが――今はそれができないと、僕は確信している。
フルフルと拳を震わせ、皇帝は上気させた顔でこちらを睨みつけながら忌々しげに口を開いた。
「そなた……良い性格をしておるな。今、そなたを失うわけにはいかないと、分かっていての申し出であろう」
「……」
――そうだ。今ここで僕が死ねば、皇帝の代で大陸統一を成し遂げるという野望からは一気に遠ざかる。
広大な公爵領から得られる豊富な財貨は、帝国の軍事費の大本を担っている。
その全てを掌握する僕を失えば、財源は大幅に減少する。
更には戦場においても、貴重な戦力を失う事になる。
平民すら厭わないほど武力を欲する帝国にとって、ここで僕を失う痛手は計り知れない。
「理由を申せ」
苛立たしげに皇帝が言う。
少しは譲歩する気があるようだ。
僕を苦しめていた戒めも軽くなり、小さく息を吐く。
だが、まだ油断はできない。
真っすぐ皇帝を見据え、理由を申し立てる。
「不毛な争いを避けるためです。このまま二人に教育を受けさせれば、いずれは爵位を巡り対立する事になります。それも命を奪い合うような過激なものへと発展し……どちらかが死にます」
これまでの歴史がそれを物語っている。
皇帝は何を今更という顔で、鼻先であしらった。
「当たり前であろう。そうやって、より力のあるものが公爵位を継いできたのだ」
「私は、どちらかが生き残るのではなく、二人が生き残る未来を望みます」
「……」
呆気に取られたように、皇帝が目を見張る。
やがて気を取り直すように軽く頭を振った。
「そなたらしからぬ発言だ。父親になり何かが分かったのか? 父として子を愛するようになったとでも?」
「……残念ながら、私は我が子を愛する術を知りません」
沈んだ声で言うと、皇帝はフッと鼻を鳴らす。
当然の事だと思っているのだろう。
僕もそう思う。
「ですが、せめて彼らの父親でありたいと思います」
父親であるためには、どうすればよいのか……今はまだ、はっきりとした答えが出ない。
だが、レイシアが母親として、命を懸けてでも我が子を守ろうとした姿が、その答えに繋がっている気がした。
「……」
長い沈黙の末、その口から重い溜息が吐き出されると、皇帝は心底呆れ返るように首を振った。
「もういい。そなたの言い分はよく分からぬが……。そなた、運が良かったな」
「……?」
気付けば、今しがたまで張り詰めていた空気がいつの間にか和らいでいる。
いったい何が皇帝の溜飲を下げたというのか……。
皇帝は指先で顎を撫でると、悠々と口を開いた。
「奇遇にも、先ほど皇后が懐妊したと報告を受けたところだ」
「……!」
予想だにしなかった報告に、思わず息を呑む。
しかしすぐに我に返り、従順の姿勢を正す。
「それは……誠におめでとうございます」
祝辞を述べれば、皇帝は満足げに目を細める。
それから、まるで未知の宝物でも手に入れたかのように、皇帝は上機嫌に唇を舐めた。
「子が生まれれば、そなたの言い分も少しは理解できるやもしれぬな……。いいだろう。そなたの要求は吞んでやる。だが――」
その瞬間、血の色を帯びた瞳が僕を射貫く。
「アレクセイ・ウィルフォード公爵。私の命令に背いたそなたには死刑を言い渡す」
粛々と告げられた死刑宣告。
しかしそれに動じる事もなく、軽く頭を下げて承知の意を示す。
小さく舌打ちする音が聞こえ、次の言葉が続けられた。
「ただし、刑の執行は我が帝国が大陸統一を成し遂げた後だ。それまでの猶予期間、我が帝国のためだけに誠心誠意尽くせ。分かったな」
「承知いたしました」
この結果も、全ては僕の計画通りだ。
この瞬間までは――。
「ああ。もう一つ、条件を言い渡す」
唐突にそう付け足した皇帝に、嫌な予感を覚えながら顔を上げる。
「アレクシアに与える毒の量は従来のものよりも増やす。奴がそれに耐えられず死んだ場合、代わりにレイモンドを後継とし、教育を受けさせよ」
「……!」
目を見開き動揺を露わにする僕を見て、皇帝はしたり顔で唇の端を上げた。
だが……これが皇帝にとっての最大の譲歩である事は分かっている。
「皇帝陛下の仰せのままに」
恭しく頭を下げ、僕はその条件を受け入れるしかなかった――。
皇宮から戻った僕は、すぐにレイシアの部屋を訪ねた。
「アレクセイ様! お戻りになられたのですね」
僕を見た瞬間、レイシアはソファから立ち上がり僕のもとへと足早にやってくる。
その腕の中では、感情の読めない表情のレイモンドがジッと僕を見つめている。
心配げにこちらを見上げるレイシアに、皇帝からレイモンドを後継者候補から外す許しを得たと話した。
「それは……本当ですか……?」
信じられない様子で大きく目を開くと、その瞳に徐々に涙が溜まっていく。
「ああ。レイモンドは君が育てるといい」
その瞬間、ギリギリまで溜まっていた涙が堰を切ったように溢れ出した。
「……! あぁっ……ありがとうございます! アレクセイ様……本当に……ありがとうございます……ありがとうございます……」
レイモンドを大事そうに抱きしめたまま、レイシアは涙を流しながら何度も頭を下げる。
ひとしきり感謝を述べて、やがて顔を上げたレイシアは嬉しそうに微笑んだ。
その腕の中にいるレイモンドも機嫌良く笑っている。
そんな二人を前にして、胸の奥がじわりと熱を帯び、何かが満たされていくような心地良さを感じていた。
今ならもう少しだけ、二人に近付ける気がする。
そんな淡い期待を抱いた時、レイシアがおずおずと口を開いた。
「あの……アレクシアは……」
それをはっきりと口にせずとも、どこか期待するような眼差しをこちらへと向けて。
途端に胸の内を吹き抜けた冷ややかな風が、僕の体の熱を急速に冷やしていく。
「……アレクシアの教育を完遂させる事が、レイモンドを後継者から外す条件だ。これ以上異議を申し立てれば、レイモンドの話まで振り出しに戻る」
「……そうですか」
先ほどまでの嬉しそうな微笑みが、一転して憂いに染まる。
だが、レイシアはそれ以上何も言わず、唇をきつく噛みしめ苦渋を滲ませた。
「結局、あの子一人だけが犠牲になってしまうのですね……」
どこか遠くを見るような眼差しで、レイシアは口惜しげに呟いた。
まだ納得はしていないようだが、レイモンドを守るため、それを受け入れようとしている。
毒の増量と、僕の死刑については話をするつもりはない。
――これ以上は、彼女には酷すぎる。
我ながら、甘い考えだと思うが……。
これも彼女に抱く情、というやつだろうか。
それからは、僕とレイシアの関係も以前のように戻り、穏やかな日々が過ぎていった。
その一方で、五歳を迎えたアレクシアは、本格的な毒の訓練が始まっていた。
従来よりも量を増やしての毒の摂取は、その体を容赦なく蝕んだ。
もはや毒への耐性をつけるためとは言い難い。
激しい痛みにのたうち回り、苦しみ喘ぐ我が子の姿を見て、己の過ちを悔い改めよという皇帝の声が聞こえてくる。
しかし、ここでアレクシアが命を落とせば全てが水の泡だ。
僕は意識を失いかけているアレクシアの頬を蹴り、髪を掴み上げ引きずった。
それでも意識が戻らねば冷水を浴びせ、体を蝕む毒に抗わせた。
死に逃げるのは簡単だ。
だが、そうはさせない。
家族を守るためにも――絶対に、アレクシアを死なせるわけにはいかない。
そう思う家族の中に、アレクシアが含まれているのか、自分でもよく分からなくなっていた。
恐らくだが、僕を処刑する執行人は、新たな公爵となるアレクシアだろう。
我が子のために命を捧げた僕を、我が子に殺させる。
裏切り者を許さぬ皇帝が考えそうな事だ。
アレクシアが躊躇なく僕を殺せば、皇帝は満足し、新たな公爵として祝杯を挙げるだろう。
ただし、アレクシアが少しでも躊躇いを見せれば――アレクシアも何かしらのペナルティを受けるかもしれない。
だからこそ、僕に対して何の情も抱かせるわけにはいかない。
そして僕も、アレクシアに対して一切の甘えも許す気はない。
それに、僕を殺す人間でもあるのだ。
こちらだって容赦はしない。
そう自分に言い聞かせ、アレクシアの前では徹底的に冷酷無慈悲な父親の姿を貫いた。
そんな時だった。
僕があの光景を目にしたのは――。




