05.両親の死の真相
数日後――内密に行った調査により、両親の死因はただの事故ではないという結論に至った。
事故が起きる直前、同じ山道を渡ろうとした旅商人が、その場に居合わせた帝国騎士団の人間により足止めされていた事。
事故原因の調査が上層部からの圧力により行われなかった事。
それらの情報を外部に漏れないよう根回しされていた事も含め、そんな大掛かりな隠蔽工作をできる人間は限られている。
なによりも、皇帝が父親を殺害する動機に心当たりがあった。
やはり皇帝は、あの時の父親の申し出を易々と許可したわけではなかったのだろう。
そして気になっていた第五皇子についても、生存を確認できたとの報告があった。
第五皇子は温泉宿を経営する女将に保護され、今もそこで暮らしているようだ。
しかし第五皇子は警戒心が強い人物らしく、カゲの監視に気付くような素振りを見せたらしい。
そのため第四皇子の人格と、皇族の証についての情報は得られなかった。
――本当に皇族の証を持っているかどうかで、僕たちの動きも変わるが……。
熟慮の末、僕たちの新婚旅行先をディーランド大陸とし、僕が直接第五皇子への接触を試みる事にした。
奇遇にも、マリエーヌのショールを製作した工房と、第五皇子が暮らす温泉宿は同じ山中にあるらしい。
観光地としても人気がある国で、マリエーヌのショールの修繕もできる。
旅行先に決めても不自然な点はない。
第五皇子はカゲに拉致させるなりすれば、皆が寝静まる深夜に話をする事もできる。
問題は、僕たちに付いてくるであろう監視の目をどう欺くかだが……。
――協力者が必要になるな。
小さく息を吐き、目の前に佇むジェイクへと視線を移す。
ジェイクは両親の事故についての調査報告書を手にしたまま動かない。
次の瞬間、グシャッと報告書を握りつぶし、殺気立った表情で顔を上げた。
その様子からして、今にも皇宮へ向かいかねない。
コイツが復讐心に暴走する前に、手綱を握っておく必要がありそうだ。
「ジェイク。お前にいくつか提案がある。これにのるなら、お前の家族の身の安全はこちらで保障する」
僕の提案に、復讐の炎に揺らいでいた瞳が徐々に冷静さを取り戻していく。
「お聞きします」
そう答えた時には、純粋に家族を守ろうとする父親の顔となっていた。
そうして僕たちは、いくつかのパターンを想定しながら、今後の計画を慎重に組み始めた。
新婚旅行当日。
僕たちは予定通り、レスティエール帝国を発った。
背後に潜む黒い影の存在と共に。
想定外のトラブルはあったものの、マリエーヌとゆっくり話をする機会を得た。
ここしばらくは通常の執務に加え、今回の計画のための下準備もあり、マリエーヌと過ごす時間まで削られていたのだ。
二人で過ごす時間は、それまで蓄積していた疲労を優しく溶かしてくれた。
更には馬上での甘い戯れに酔いしれ、いっそこのまま二人で遠くへ行けたなら……と、心が揺れ動いたりもした。
だが、マリエーヌの気持ちに迷いはなかった。
かつては幽閉されていたと言っても過言ではない公爵邸を、彼女は自分の帰る場所だと言ってくれた。
そこで彼女を待つ人々の事も、かけがえのない存在として大切に想っている。
この一年で、マリエーヌは多くのものを得た。
彼女の幸せを願い、僕が用意したもの。彼女自身の人徳により得た信頼、敬愛、尊奉。
それらを取り上げるなど、やはり僕にはできない。
よって、僕の中でマリエーヌと二人だけで遠くへ逃げるという選択肢は捨てた。
そして誓った。
マリエーヌを必ず、あの場所へ帰す、と。
――ならば、第五皇子の存在にかけるしかない。
そう思った矢先だった。
その第五皇子自らが、僕たちの前に姿を現したのだ――。
◇◇◇
織物工房での見学を終えた後、案内人に商取引の話を持ち掛けた。
工房と繋がりを持てば、第五皇子の動きを探りやすくなる。そんな目論見もあっての事だった。
オーナーと簡易形式での契約を交わし、僕はすぐにマリエーヌのいる売店へと向かった。
そこで彼女の隣に立つ人物に気付き、思わず目を疑った。
肩まで伸びた深緑色の髪。瞳を隠すような長い前髪。十代半ばの瘦せ型の男。
報告書に書かれていた第五皇子の容姿そのものだ。
――なぜ、マリエーヌと一緒に……? 偶然か……? それとも……。
考えるよりも先に、マリエーヌの隣に僕以外の男が立っている事への嫉妬心に火が付いた。
すぐさま睨みつけると、僕と目が合った男はハッと息を呑む。
狼狽える男を視線で威圧しながら、声色は優しげに愛妻の名を呼んだ。
「マリエーヌ」
それに応えるよう、マリエーヌがこちらへ振り返ろうとした瞬間――硬直していた男の口元が僅かに綻び、前髪の隙間から赤い瞳が姿を覗かせた。
「――!」
わざと自分の存在を知らしめるかのように、男はそれを僕に見せつけ素早く去っていった。
驚いたのは、僕がその男と初めて会う気がしなかった事だ。
僕は第五皇子とは面識がない。だが、第四皇子とは何度か会った事がある。
僕がさっき感じた気配は、第四皇子そのものだった。
――あり得ない。第四皇子の死体は本人で違いないと証明されていた。
となると、『第四皇子の人格』という父親の残した情報が鍵となるのだろう。
それにしても、あちらから近付いてくるとは思わなかった。
しかもあの様子だと、僕の正体にも気付いている。
――なるほど……。カゲも手を焼くわけだ……。
警戒心が強く、隙を見せないため、満足に情報を得られなかったという第五皇子はなかなかの曲者のようだ。
わざわざ接触を図ってきたという事は、奴も僕に用事がある……というわけか?
それが確信に変わったのは、第五皇子が僕たちの乗ってきた馬を逃がしたという、カゲからの報告を受けた時だった。
◇◇◇
第五皇子に誘導されるように、僕たちは奴が住まいとする温泉宿に世話になった。
女将が倒れたのは第五皇子にとっても想定外だったらしいが、マリエーヌの機転により僕たちはしばらく温泉宿に滞在する事になった。
この時、すでに僕は第五皇子の赤い瞳を確認していた。
というのも、マリエーヌと共に温泉に浸かりながら、愛し合う夫婦としての甘美な戯れの最中、あろうことか奴が突然飛び込んできたのだ。
すぐにマリエーヌは温泉に体を沈めて隠したが、熱に潤んだ瞳と紅潮する頬、髪を上げて露わになった艶めかしいうなじは隠せなかった。
――殺す。
そう思った時には、すでに僕の手は奴の首を掴み上げていた。
僕の手を退けようとする奴の力は弱々しく、あまりにも呆気なく奴の意識は落ちた。
……はずだった。
次の瞬間、奴の意識が覚醒し、大きく見開かれた瞳は燃えるような熱を帯びる赤色に染まっていた。
別人のような身のこなしで僕の手から逃れ、再び第四皇子の気配を漂わせる男を前にして、父親が書き残した『第四皇子の人格が存在する』の意味をようやく理解した。
――この男……二重人格者だったのか……。
それもどういうわけか、第四皇子の人格が表に出ている時のみ赤い瞳が出現するらしい。
――第五皇子ではなく、第四皇子と話をしなければ意味がないようだな。
そうなると、やはり監視の人間が邪魔だ。
どう追い払うべきかと考えていた矢先、偶発的に起きた山火事によって監視の目はなくなった。
おかげでようやく第五皇子と話をできる環境となり、僕は第五皇子の部屋を訪ねた。レイモンドが付いてきてはいるが。
状況を把握しきれていない第五皇子については早々に見限り、温泉の時と同様に物理的に追い詰めれば、第四皇子の人格はあっさりと姿を現した。
そしてこちらが詳しく事情を説明するまでもなく、奴は僕に協力すると言い出したのだ。
「ただし、俺からも条件がある」
僕の側に付くと明言した直後、第四皇子の人格――ルディオスはそんな事をぬかし始めた。
――やけに協力的だと思ったが……こっちが本来の目的か。
だが、目的も分からないまま協力関係を結ぶ方が危うい。
なにが裏切りのきっかけになるか分からないからだ。
この男の目的をここではっきりさせておくべきだろう。
「言ってみろ」
促すと、ルディオスは主導権を得たとばかりに笑みを深め、腕を組んで壁を背にしてもたれかかる。
その不遜な態度を見れば、やはり皇帝の息子だと思わざるを得ない。
「まずは、ここに残る母さんの安全確保だ。もし母さんがあんたの協力者として疑われた場合、母さんにまで危険が及ぶ可能性がある。そうならねぇよう、護衛をつけるなりして母さんを守ってほしい。できれば母さんに勘づかれねぇように。余計な心配はさせたくねぇからな」
やはりこの男にとっても、あの女将はよほど大切な存在なのだろう。
となると、ここで女将を守っている限りは、この男が裏切る可能性は極めて低いというわけか。
「女将については問題ない。マリエーヌが母親のように慕う人間を危険に晒すつもりはない」
難なく答えると、ルディオスは満足そうに目を細める。
「そうか。ならこの条件はクリアだ。もう一つは――」
「待て。いくつ条件を出すつもりだ?」
当然のように次の条件を口にしようとする男に、調子に乗るなと睨みを利かせる。
「そう怖い顔すんなって。これで最後だからよ」
パタパタと手を振りながら軽い口調で言い払うと、ルディオスは一瞬考えるように目を伏せ、再び僕へと向き直る。
「一応確認するが……あんたの目的は、あの親父を玉座から引きずり下ろし、俺をそこに挿げ替えようってんだろ?」
「な⁉」
「ああ、そうだ」
「はぁ⁉」
いちいち大袈裟な反応をよこすレイモンドは無視し、これに乗じてこちらも訊ねる。
「だが、お前にその気がなければ意味がない。どうなんだ? 僕に付くと言うからには、その気があるのだと思ってはいるが」
僅かな手がかりから僕の目的にまで到達するあたり、頭がよく回る人間なのは理解した。
だが、コイツについての情報がまだ少ない。
そもそも、馬を逃がしてまで僕との接触を図ろうとしたのはコイツの方だ。
何か明確な目的があるはずだ。
ルディオスは薄っすらと笑みを浮かべ、一つ頷く。
「ああ。あの親父を廃位させるのに異論はない。だが――」
直後、ルディオスは一切の笑みを消し、真紅の瞳で僕を見澄ました。
「皇帝になるのは俺じゃねぇ。ジーニアスだ。これだけは譲れねぇ」
「……どういう意味だ? お前がなろうと弟がなろうと、結果は同じ事だろう」
たとえ人格が二人存在しているのだとしても、皇帝になるのは体の所有者である第五皇子に違いない。
それをわざわざ条件として提示する意味が分からない。
首を傾げる僕の前で、ルディオスは素っ気なく頭を振った。
「俺が表に出るつもりはねえって事だよ。これも、俺は見せるつもりはない」
言いながら、ルディオスは自分の赤い瞳を指差す。
それが何を意味するかを理解し、僕は呆れ果てながら深い溜息を吐き出した。
「話にならん。それを持たなかった第五皇子が、どのような扱いを受けていたか知っているだろう。当然、次期皇帝としては認められない。お前が皇帝として表に立ちたくないのなら、皇帝として認められた後、弟に体を渡すなりすればいい。あの男さえ廃位させてしまえば、後の事はどうとでもなる」
「そうだろな。あんたにとっちゃ、あの男さえいなければ自由に動けるようになるんもんな。逆に言えば、あの男がいる限りあんたに自由はない。だからあんたは邪魔なあの男を排除さえできれば、後で俺たちがどうなろうとどうでもいいんだろうよ」
刺々しく言いながら、ルディオスは軽蔑の眼差しを僕に向ける。
その言葉を肯定するつもりも、ましてや否定するつもりなどさらさらない。
よく分かっているじゃないかと感心しながら、軽く鼻であしらう。
それを見てルディオスは小さく舌打ちを漏らす。
「確かに俺が表に出れば、新たな皇帝として認められる可能性は高い。だけどよ……それじゃあ意味ねぇんだよ。ジーニアス自身が、皇帝として認めらんねぇと……。でないとコイツは、いつまで経っても変われねぇ。ずっと俺に頼ってばっかで自分で決める事すらできねぇんだ」
そう口にしながら、ルディオスは歯痒げに眉をしかめ、ギリッと歯を食いしばる。その口元が、ふいに力が抜けたように息を吐き出すと同時に、その顔に影が落ちた。
「俺だって……いつまでここに居られるか分かんねぇんだから……」
その声すらも、霞んで消えそうなほどの力ない呟き。
自分の存在に確証が持てない。
いつ消えるかも分からないと……先ほどまで見せていた強気な姿勢が脆く崩れ落ちたように、その姿からは寂寥の念が滲んでみえる。
「そうだな……。そういう事態も考慮しておく必要があるな」
赤い瞳がなくとも、この男が皇帝の直系男子である事は間違いない。
それを証明できれば、皇帝側の人間をこちらに引き込めるかもしれない。
皇帝を恐れるあまり誰も口にはしないが、後継者がいない事を危惧する人間は多い。
皇帝が高齢となった今ならチャンスはある。
だが……。
「お前の弟は、皇帝になる気はあるのか?」
その問いに、ルディオスは僅かに顔を顰め難色を示す。
「……ジーニアスは、俺が皇帝になるべきだと考えてる。母さんと、母さんが大切にしているこの場所を守るためにな」
「どういう事だ?」
「今、この大陸の東部では紛争が頻発している。三十年前に結ばれた講和条約では、大陸内の国同士で戦う事は禁じられていたが、一ヶ月ほど前、急に戦争をふっかけてきたんだ。恐らく、裏で手を引いてる国がいる。それも大陸の外にある国だ。その国が援助に入り、大陸統一をけしかけてるんだろう。恐らく、目的はこの大陸にある豊富な資源……ってとこだな。条約が締結してからは各国の軍事力も削られてきた。本格的な侵攻が始まれば、あっという間に攻め入られる。ここが巻き込まれるのも時間の問題だ」
女将が言っていた話にもあった。
レスティエール帝国が大陸統一を成し遂げたのを見て、触発されたと。
「俺もジーニアスも、母さんと、母さんが大事にするこの宿を守りたい気持ちは同じだ。だから、この国の後ろ盾となる強力な国家の存在がほしいんだ」
「……なるほどな。確かに、レスティエール帝国が後ろに付けば、下手に手出しはできなくなる」
「ああ。喧嘩をふっかける相手としては分が悪すぎるからな。だが、あの親父が協力するわけねぇだろ? だから俺らが皇帝になって――」
「兄さんたちは……さっきから何を言っているんだ……?」
「ああ?」
突然、口を挟んだレイモンドに対し、ルディオスは不快げに片眉を上げる。
「皇帝陛下を引きずり下ろすなんて……兄さんたちは謀反でも起こすつもりなのか⁉」
「そのつもりだ」
何を今更……と、軽く頷いてみせると、レイモンドは更に声を荒げた。
「馬鹿げてる! 兄さんは帝国の公爵だろ⁉ 帝国のために戦う剣であり守るべき盾でなければならない! その頂点に君臨する皇帝陛下にも、絶対的な忠誠を誓う存在だ! それなのに……皇帝陛下を裏切るつもりなのか⁉」
「そうだ。今のままではマリエーヌは幸せになれない」
「それは……あの教育が理由なんだろう⁉ 母さんを苦しめたのと同じ、後継者教育から子供たちを守るために……。それなら、謀反なんて馬鹿げた事よりも、まずは教育の見直しについて皇帝陛下に直訴すべきじゃないのか⁉」
「はぁ? 直訴? 何言ってんだ?」
レイモンドの訴えに、ルディオスは心底馬鹿にするような態度で首を傾げる。
「あの親父にそんな甘い考えが通じるわけねぇだろ。そんなもん口にした瞬間、殺されてもおかしく――」
そこでルディオスは、何かに気付いたように「あ……」と軽く目を見張り、
「そうか、あんたか。公爵の弟で、公爵家の男子なのにも関わらず後継者教育を免れた人間っていうのは」
身を乗り出すよう、興味深げにレイモンドに顔を近付けると、レイモンドは引き気味に一歩後ずさる。
「……そうだ。父さんが皇帝陛下に直訴して許しを得たんだ。だから今回も――」
「なるほどな。だからあんたの頭はそんなにめでてぇんだな」
レイモンドの言葉をばっさりと斬り捨てると、ルディオスは見せつけるように自分のこめかみをトントンと叩く。
その挑発的な態度に、レイモンドはあからさまに顔を歪め、不快感を露わにする。
「……それはどういう意味だ?」
「まんまの意味だよ。本当になんも分かっちゃいねぇんだなぁ、あんた。あの男が、自分に逆らう人間を許すわけねぇってのに」
忌々しげに睨んでくるレイモンドに向け、ルディオスはニィッと口元に笑みを刻む。
「おい。余計な話はするな。あとで面倒な事になる」
「別にいいじゃねぇか。こいつも知りたがってんだし……なぁ?」
同意を求められ、レイモンドはグッと口元を引き結んだまま頷く。
僕が重い溜息を吐き出すのと、ルディオスが口を開くのは同時だった。
「皇帝の命令は絶対だ。帝国の人間なら当然知ってるよな?」
「ああ。だが、それでも父さんは皇帝陛下に申し出た。僕を後継者候補から外し、教育はさせない、と。父さんは命を懸けて、僕と母さんの心を守ろうとしたんだ」
「確かにな。まさに命懸けの決断ってやつで違いねぇな」
嫌みったらしい口調で言葉を投げかけられ、レイモンドは僅かに顔をしかめる。
しかしすぐに顔を引き締め、言葉を続けた。
「結果的に、父さんは皇帝陛下の許しを得た。だから皇帝陛下にも、慈悲の心があるはずだ」
「ぶふっ!」
途端、ルディオスは勢い良く噴き出すと、腹を抱えて笑い出した。
「はっははは‼ あの男に慈悲の心? ふっ……ははっ! んなもんあるわけねぇだろ! あんたが言ったんじゃねぇか。命を懸けたって」
「……?」
おかしそうに笑うルディオスを前に、レイモンドは呆気に取られたまま目を瞬かせる。
ルディオスはひとしきり笑うと、目尻に滲む涙を指先で拭い、ハァ……と息を吐き出した。
「あんたの親父は、自分の命を懸けたんだよ。自分の命と引き換えに、あんたを後継者候補から外したんだ」
「……は?」
その言葉に、レイモンドは愕然とする。
だが、すぐに引き攣ったような笑みを浮かべ、動揺のあまり掠れる声を震わせた。
「そんな……あり得ない……。だって、父さんは……」
「その父親は今、生きているのか?」
「……‼」
追い打ちのようなルディオスの問いに、レイモンドはハッと息を呑んだ。
そして何かを辿るように視線を彷徨わせると、思考を振り払うように大きくかぶりを振る。
呼吸をするのもやっとというように、脂汗の滲む額を手で押さえたまま視線を地に落とした。
それを見て、ルディオスは悪巧みをする子供のような笑顔を浮かべ、レイモンドに問いかけた。
「やっと気付いたか? あんたを地獄みてぇな教育から逃すために、父親が払った代償が何だったのか」
「……父さんが死んだのは……事故なんかではなく……殺されたのか……? 皇帝陛下に……?」
真っ青な顔のレイモンドが、縋るような眼差しをルディオスにではなく、僕へと向ける。
その姿からして、一筋の希望を見出そうとしているのだろうが。
「恐らくな」
期待を裏切られ、レイモンドの表情に絶望の影が落ちる。
「じゃあ……母さんが死んだのも……?」
「……ああ」
あの皇帝の、父親に対する憎悪を見る限り、母親も計画的に殺されたと考えるのが自然だ。
「あの男は、裏切り者をただ殺すだけじゃ飽き足らねぇんだ。自分を裏切った奴を死ぬほど後悔させねぇと気が済まねぇような執念深い男なんだよ」
その見解は僕と同じ。やはり親子というだけあって、父親の性格をよく理解している。
「つまり、あんたの両親はあの男に殺されたんだ。どうだ? 皇帝が憎くなっただろう? 両親の仇を取りたいと――」
「父さんも、母さんも……僕のせいで殺されたのか……?」
「ああ?」
光のない眼差しで問われ、ルディオスは意表を突かれたように目を見張る。
「僕がいなければ、父さんも母さんも殺される事はなかった……。そういう事か……?」
「……あー……どうだろうな。まあ、そうかもしれねぇが……」
歯切れ悪くルディオスが肯定した途端、レイモンドは力が抜けたようにガクッと項垂れた。
「そうか……。全部……僕のせいだったのか……」
生気のない声を漏らすと、レイモンドはフラッ……とよろめき、壁にぶつかる。
そのまま壁にもたれかかるようにして動かなくなった。
それを呆然と眺めていたルディオスは、僕に訊ねる。
「……あいつ、どうしたんだ?」
「言っただろう。面倒な事になる、と」
レイモンドをわざわざ呼び寄せたのは、公爵不在となった帝国内で実権を握ろうとする貴族の派閥争いに巻き込まれるのを防ぐためだった。
だが、それとは別に重要な役割を担わせようとしたのだが……。
――レイモンドは、もう使えないかもしれないな……。
この時点で、僕はレイモンドという駒を脳内でバッサリと斬り捨てた。
「じゃあ、ジーニアスにはあんたから説明してくれよな。俺が同意したって言えば、すぐ納得するからよ」
今後の計画についての話を終え、ルディオスがそう言い残すと、赤い瞳が青色へと変化した。
直後、ジーニアスは勢いよく後ろに飛び退き、僕から距離を取る。
警戒心を剥き出しにしながら僕を睨みつけ……ハッとしたように目を見張った。
「……兄さんと話したの……?」
「ああ。お前の兄は僕と一緒に来る事に同意した」
「……そう」
ジーニアスは俯くと、口元を引き結んだまましばらく沈黙し……顔を上げた。
「明日の朝、ここを出るんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、僕も一緒に行った方がいいんだよね」
ルディオスの言った通り、何の説明も受けていないのにも拘わらず、ジーニアスはすでにその気になっている。
だが、兄が自分を皇帝にするつもりだとは思っていないのだろう。
「……お前はそれでいいのか?」
「別に……。兄さんがそれを選んだのなら、僕はそれに従うだけだから」
「……そうか」
まるで自分は関係ないとでもいうようなジーニアスの態度に、ルディオスが言っていた意味を理解した。
この男は、はなから自分の意思を持っていない。
選択も行動も、全て兄任せで考えている。
兄の存在によりただ生かされているだけで、その中身は何もない。
自分では何をするつもりもないのだろう。
――この男が皇帝になど、なれるはずがないだろうが……。
まるで他人事のように責任を放棄する第五皇子と、激しい自己嫌悪に呑まれ使いものにならなくなった弟。
それらを前にして、重々しい溜息を腹の底から吐き出した。
いっその事、この問題児どもを置き去りにして、やはりマリエーヌと二人だけで逃げるか……と、しばらくの間、僕は瞑想にふけた。




