00.揺るがぬ忠誠心 sideジェイク
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逃避行編スタートです!
「このたびはご協力いただき、心より感謝申し上げます」
公爵邸の玄関ホールで、迎え入れた四名の協力者たちに、私は頭を下げた。
彼らの背後には、公爵夫妻の新婚旅行に同行していたウィルフォード騎士団の団員二名が佇んでいる。
「とんでもございません。微力ながら、公爵様のお力になれたのであれば大変光栄でございます」
そう言いながら、恭しく頭を下げる黒髪の男性は、公爵様と体格がよく似ている。
隣に並ぶ三名の男女も同じように頭を下げた。
無事、任務を完遂した彼らからは、緊張から解き放たれた安堵感が見てとれる。
だが、まだ油断はできない。むしろこれからの方が危険なのだ。
協力者である彼らの身の安全を確保するためにも、私はすぐに次の指示を出す。
「長旅でお疲れでしょうが、休んでいる時間はありません。早急に髪の色を落とし、服も着替えてください。準備が整い次第、隠し通路から外へ出ますので、引き続き護衛の指示に従って動いてください」
私が後ろに控える騎士に目配せすると、二人は無言で頷き「こちらへどうぞ」と、先導して彼らを促す。
すると、その内の一人、マリエーヌ様と同じ亜麻色の髪の女性が私の前に歩み寄った。
「補佐官様も、どうかお気を付けてください」
心配そうな顔でそう言うと、一礼して彼らの後を追った。
監視の目を欺くために仕込まれた、マリエーヌ様によく似た仕草が見事なまでに身に付いている。
マリエーヌ様と接する事の多い私たちでも、遠目から見れば本人と見分けがつかないだろう。
公爵様以外は。
彼らが部屋へと入ったのを確認し、私は玄関の扉を少しだけ開き、外の気配を探る。
――監視はまだいるようだな。
何らかの気配は感知できるが、人数までは分からない。公爵様は上手く彼らを撒けたのか……。
カカッ……カッ……。
外を警戒する私の耳に、その微音が届く。
公爵様が従えるカゲからの報告だ。
公爵邸へ帰還する彼らにも、カゲを一人付けていたのだろう。
――さすがに気付いたか。
その報告によると、船から降りる際、監視の人間は公爵夫妻が偽物である事に気付いたようだ。
だが、すでに本物の公爵様一行は予定通り逃避先へと向かっている。
今更気付いたところで計画に支障はない。
――私もすぐにここを離れなければ……。
静かに扉を閉めると、私は公爵様の補佐官として、最後の仕事を片付けるために執務室へと向かった。
廊下を歩く私の背後から、数名の足音が聞こえたが、それはすぐに遠くへ去るように消えた。
どうやら先ほどの協力者たちが隠し通路へと渡ったようだ。
公爵邸には、極一部の人間にしか知らされていない隠し通路がある。
有事の際、それを使って外へ脱出できるようになっている。
その隠し通路へと続く扉の鍵は公爵様が所持していた。
それを公爵様はここを発つ前、私に託した。
協力してくれた彼らが無事にここから脱せられるようにと。
昔の公爵様なら、そんな配慮はしなかっただろう。
利用できる人間は都合よく利用し、用が済めば簡単に切り捨てる。
その者が後でどうなろうが関係ない、と。
そんな公爵様が、たった一度会った人間に対して、隠し通路まで使わせるほど身の安全に配慮するとは……変わったな……。
そう。公爵様は本当に変わった。
今回の協力者は、決して公爵様から脅されて協力に応じたわけではない。
むしろ公爵様のお役に立てるならと、嬉々として協力に応じたのだ。
当然、それ相応の報酬は用意しているが、これは皇帝の監視を欺くという危険な行為。
捕まれば問答無用で処分されるだろう。
それなのにもかかわらず、彼らが私たちに協力したのには理由があった。
彼らは公爵領の領民ではない。
公爵領に隣接する他領の領民だ。
以前、彼らが暮らす地では、未知の流行り病が猛威をふるっていた。
感染力が強く、突然の高熱に倒れる人間が続出する中、効果的な治療方法は見つからなかった。
病原が広がるのを懸念した皇室の命令により、関所は封鎖され、その地は完全に孤立状態へと陥った。
残された人々は、目に見えない病魔に怯え、交易を絶たれたがために生じた食料難に苦しんだ。
窮地の中で人々は暴徒化し、秩序は崩壊。
畑は荒らされ、犯罪や暴動が頻発し、感染者が収容されている施設に火が放たれるなど、まさに地獄絵図のような日々だったと彼らは語った。
そんな絶望的な状況の中、一筋の光が差し込んだ。
開かないはずの関所が開き、ウィルフォード公爵家の家紋が掲げられた馬車が次々と到着した。
公爵様が領主と交渉し、特例として公爵家の馬車を通したのだ。
公爵様の指示の下、大量の食糧と共に感染病に精通する有識者と医療従事者、そしてウィルフォード騎士団の騎士を複数名派遣した。
未知と恐れられていた病だったが、国外では症例があり、そこから入手した治療薬により感染者は快方に向かった。
食糧事情も安定し、多発していた犯罪も、騎士の存在が抑止力となり治安は好転。
やがて病は無事終息し、人々は徐々に日常を取り戻していった。
公爵様の手腕により、その領地に住まう多くの人命が救われたのだ。
一度帝国に見捨てられたその地では、皇帝よりも公爵様に対して忠義を果たそうとする者が多い。
彼らにとって、公爵様はまさに神に等しき存在なのだ。
公爵様がその地に寄贈したマリエーヌ女神像も、きっと丁重に祀られているのだろう。
当然、マリエーヌ様の知るところでは無いが……。
それにしても、今思い返しても、あの時の公爵様の行動は不可解極まりなかった。
聞いた事もない治療薬を国外から大量に仕入れたり、食料の備蓄量を倍にすると言い出したり……。
思い返せば、現地に派遣する人間の選定も、本格的に病が流行する前から行われていた。
まるで、そんな事態が起きるのを想定していたかのように。
公爵様の奇行はそれだけではない。
全く無名だった新参の企業に次々と投資し始めたかと思えば、名だたる大企業への融資をバッサリと打ち切った。
あの時も、ついに恋愛脳でおかしくなってしまわれたと、何度も頭を抱えた。
だが、結果として前者は莫大な利益を生み出し、後者は不正の収益報告を上げていた事が発覚して倒産。
私が何度も目を剥く一方で、公爵様は悠然と報告を聞くだけだった。
まさしく神の采配と言わざるを得ない行動を、公爵様が見せていたのは、マリエーヌ様を愛するようになり半年ほどの間だった。
しかし、その期間だけでマリエーヌ様のために使用した膨大な金額をあっさりと上回るほどの収益と、強固な信頼と人脈を得る事ができた。
――あの時の恩義や手に入れた資産が、まさかこういうかたちで役立つとは……。
そんな事を思い返しながら、執務室へと戻った私は机の上に置かれた書類を掴み、火の灯る暖炉の中へと投入した。
これらのほとんどは、ここで働いていた者たちに関する書類。
公爵様が行方をくらましたとなれば、情報を得るためにも、まずは公爵邸の関係者を拘束するだろう。
彼らの身元が分かるものは全て処分しておかなければならない。
自ら希望した数名の侍女は、公爵夫妻が向かった地へと向かわせた。
他の者たちには他の職場を斡旋し、すでに任を解いている。
己と家族の身を案ずるならば、余計な事は口にしないようにと警告済だ。
自ら火に飛び込むような真似をしなければ、彼らにまで害は及ばないだろう。
パチッと火花が弾け、投じた紙の束が燃え尽きるのを見届けていると、ふいに先代の言葉が脳裏に過った。
『もし僕の身に何かあれば、息子たちを頼みたい』
その言葉を託された一ヶ月後、先代はこの世を去った。当時の公爵夫人と共に――。
私にとって先代は、命の恩人だった。
私がまだ傭兵だった頃、大陸統一を目指す帝国は腕の立つ志願兵を集い、戦地へと派遣していた。
それに参加した私は数々の戦果を挙げ、その功績を認められて念願だった騎士の爵位を授与された。
そして帝国騎士団へと迎え入れられ、帝国と皇帝に揺るがぬ忠誠を誓い、戦いに身を投じてきた。
そんな時、騎士となる前から私を支えてくれていた妻の妊娠が発覚した。
まだ膨らみもないお腹の中に、確かな生命が宿っているのだと。
言葉にできない感動と共に、私はお腹の子にとって良き父として誇れる存在になる事を誓った。
しかし、その喜びに浸る間もなく再び死地へと駆り出された私は、自国を守り、家族を守ろうと戦う敵兵を前にして剣を振るえなくなった。
相手は子供だった。
鍛えた事もないような体で、構え方も分かっていない槍を手にしていた。
投降を呼びかけても応じなかった。
それならお前たちが出て行けと罵倒された。
その瞬間、自分こそが彼らの平穏を乱す侵略者であり、守るべき家族に害を及ぼす存在なのだと自覚した。
戦意を喪失した私は動く事さえできなくなった。
そして、死を覚悟した私を、助けたのは先代だった。
――あの時、先代に助けられなければ、マグナスと会う事は叶わなかった。ランディも、この世に生まれていない。
二人の息子の姿を思い出しながら、私は髪を括っているリボンを解いた。
私の誕生日に息子たちから贈られたこの青いリボンの裏には、二人の手書きのメッセ―ジが書かれている。
その内容はほとんど読めないが、私にとって初めて息子から贈られた物であり、宝物だ。
だからこうして普段から肌身離さず身に付けている。
だが……。
――しばらくこれは使えないな……。
大事なリボンが汚れてしまわないよう、内ポケットから取り出した小さな革袋の中に収める。
息子たちにとって、誇れる父親でありたいという想いは今も変わらない。
だが――その生き方を全うしようとした私は、あの時に死んだ。
この命は、先代のために使うと決めている。
たとえそれが、この国の法を犯すものであったとしても。
私が忠誠を誓う相手は、今も昔も、ただ一人だけなのだから――。




