14.義妹スザンナの来訪
「マリエーヌ様。スザンナ様がお見えになっているのですが……いかがいたしましょうか?」
「え……?」
スザンナが……?
公爵様の様子が変わって三カ月が経った頃、難しそうな表情を浮かべたリディアから告げられた懐かしい名前に、胸の奥を嫌な感覚が襲った。
もうすぐ昼食の時刻になる、とソワソワしていたのに食欲も一気に失せてしまった。
スザンナはお父様と前の奥様との間の娘で、私の義理の妹になる。
私と誕生日は数ヶ月違いだったから、彼女ももう二十二になっているはず。
私が公爵家に嫁いでからは一度も会っていないけれど、特に会いたいとも思っていない。
実家にいる時、私は彼女にずっと蔑まれていたから――。
スザンナと出会ったのは、私が九歳の頃。
レストランのオーナーをしていたお父様と結婚する事になった時だった。
傾きかけていたお父様のレストランを、お母様の的確な助言によって持ち直した事がきっかけで、二人のお付き合いが始まったと聞いた。
その話をお母様から聞いた時、なんとなくお母様はお父様に恋をしているというよりも、仕事に恋をしている様にも見えたけれど、お母様が決心したならと、私は特に反対しなかった。
初めて顔を合わせたスザンナは、父親の後ろに隠れてチラチラと様子を窺う、人見知りをする可愛らしい女の子だった。
同じ屋敷に住むようになっても、声を掛けたらすぐに逃げる様に何処かへ行ってしまったので、殆ど言葉を交わす事は無かった。
それでも、いつか仲良くなれる日が来れば良いと、小さな希望を胸に抱いていた。
だけど私達の関係はある日突然変わってしまう。
十歳の時、突然お母様が病に倒れてこの世を去った。
悲しみに暮れる私とは裏腹に、お母様の葬儀を終えたお父様は、悲しむ様子も無く何事も無かったかの様に日々を過ごし始めた。
お母様の部屋はあっという間に片付けられてしまい、形見となる物は全て売られ、お金にならない物は処分されてしまった。
激しい憤りを覚えた私は、お母様の私物を返してほしいと、お父様の腕にしがみ付いて必死にお願いしたが、突然強い力で突き飛ばされた。
呆気にとられたまま見上げたその先には、今まで優しく接してくれていたお父様の面影は微塵も見られなかった。
「今まで育ててやった恩を忘れたのか!? この恩知らずが! お前を育てるのに一体いくらかかると思ってるんだ! この家から追い出されたくなければ大人しく俺に従ってろ!」
険しい顔でそう罵倒され私は何も言い返すことが出来ず、怒りの感情を押し殺して自分の部屋でただ一人泣く事しか出来なかった。
当てになる親戚なんていない、まだ一人で生きていく術も知らない私には、この家から追い出されない様にお父様の顔色を窺いながら暮らしていくしかないと思ったから。
涙を流しながら途方に暮れる私の元に、何食わぬ顔をしたスザンナが姿を現した。
「いい気味ね」
突拍子も無く言われたその言葉に、一瞬だけ悲しみを忘れて耳を疑った。
「私ずっとあんたの事が嫌いだったの。私よりも少しだけ早く生まれたからって見下した様な目で見てくるんだもの」
「え? そんなつもりは……」
「口答えしないで。この家から追い出されたら困るんでしょ? だったら自分の立場っていうものが分かっているわよね?」
そう言うスザンナは、十歳の女の子とは思えない様な不気味な笑みを浮かべていた。
昔、お母様が言っていた。
「人は誰もが心の中に悪魔を飼っているのよ。いつもは心の片隅で眠っているんだけど、周りの監視の目が緩んだ時に、突然姿を現して暴れ出す事があるの」と。
だから、私は彼女の中の悪魔が姿を現したのだと思った。
そして悪魔はお母様の言葉通り、暴れだし始めた。
頻繁に私の部屋へ訪れる様になり、私の私物を物色し始めた。
私が持っていたお気に入りの可愛いお人形やアクセサリー等、「あなたにはもったいないから貰ってあげる」と好き放題に奪われた。
ごっこ遊びに付き合わされた時には、「あなたがヒロインになってもいいわよ。私が悪役令嬢の役をしてあげるから」と勝手に役を決められ、悪役令嬢のごとく暴言を吐かれ、紅茶を頭からかけられた。
十六を迎えたスザンナがデビュタントしてからは、私と遊ぶ事は無くなったけれど、彼女の家の中での我儘は酷くなる一方だった。
一度着たドレスはもう着たくないと、お茶会の度にドレスを新調していたし、気に入らない侍女はすぐに解雇されていった。
私には一抹の愛もくださらなかったお父様も、実の娘のスザンナの事は溺愛していて、スザンナの我儘にはいつも応えていた。
私はなるべくスザンナとは関わりたくなくて、あまり近付かない様にしていたのだけど、スザンナの機嫌が悪い時は私の部屋へわざわざ憂さ晴らしにやってきた。
家の中では奔放な彼女だったけれど、一歩外へ出ればお淑やかで気弱な女の子を演じていた。
そのせいで内に秘めていたストレスが家で発散されていたのだと思う。
根暗だ、醜い、お前は生きている価値が無い、などと散々罵倒されたあげく、部屋を荒らされた。
それがひとしきり終われば、今度はお父様の元へ行って私に虐められたと泣きついた。
涙を流しながら訴える娘の言葉を聞いたお父様は、地下にある暗くて狭い物置部屋に私を丸一日閉じ込める……それがいつものパターンだった。
別に暴言を吐かれようが、聞き流せばいいだけの事。
部屋をぐちゃぐちゃにされても、片付ければいいだけの事。
だけど、この物置部屋だけは私はどうしても慣れなかった。
暗くて、寒くて、狭い。外部から遮断されて、何の音も聞こえない。
まるで私がこの世にたった一人しか存在していないかの様な孤独感に襲われた。
事実、私は一人ぼっちだった。
お母様がこの世を去ってから、私を心から愛してくれる人なんていなかったのだから。
外面の良いスザンナは、父親が再婚して出来た義姉に虐められていると周囲に言い広めていたせいで、私と友達になってくれる人もいなかった。
何処にも私の居場所なんて無かった。
だけど、いつか私を愛してくれる人と結婚して幸せな家庭を築く事が出来たなら――。
それが私の夢であり、唯一の心の支えだった。
だけど現実はそう上手くはいかなかった。
結婚しても私は変わらず一人ぼっちだったから――。