46.証を持つ者、持たざる者 sideジ二―
ジニーことジーニアスの過去編となります
レスティエール帝国の第五皇子として産まれた僕を、その場に居合わせた誰もが祝福した。
瞼の奥に潜むこの瞳を目にするまでは――。
皇族の血を引く男子は、白銀色の髪と真紅の瞳を持って生まれてくる。
そのはずなのに――僕の瞳の色は、母親と同じ青色だった。
そんな子供を皇妃が出産したとあらば、不貞の子と疑われ、その場で母親もろとも斬り捨てられてもおかしくはない。
だが、それを免れたのは、僕より少しだけ早く産まれた双子の兄がいたからだ。
兄は、燃えるような赤々とした真紅の瞳を持っていた。
それは紛れもない、皇族の証。
兄の存在が、僕と母親の命を救ってくれた。
皇族の証を持たない僕に対する、周囲からの視線は冷ややかなものだった。
僕の存在を知るのは皇宮に仕える者と、父親に近しい人間のみで、世間には公表されなかった。
父親である皇帝も、年の離れた三人の兄たちも、僕に会おうとすらしなかった。
僕を産んだ母親は『不出来の皇后』と呼ばれ、出産から間もなくして、皇室から追いやられ、使用人たちが居住する別塔の一室で僕と共に暮らすようになった。
粗悪な環境の中でも、母親は僕を可愛がってくれた。
だが、僕が三歳の時に肺炎を発症し、まともな治療もさせてもらえないまま帰らぬ人となった。
残された僕は、たった一人で、窓から外を眺めるだけの孤独な日々を過ごすようになり、『ジーニアス』という、母親が付けてくれた名前で呼んでくれる人もいなかった。
兄さんが、僕の前に現れるまでは――。
◇◇◇
「ジーニアス! あそびにきたよ!」
日当たりの乏しい薄暗い部屋。
がっちりと閉じられた扉を軽々と開け放ち、太陽のような笑顔を輝かせて現れたのは僕の双子の兄であり、第四皇子のルディオス。
五歳を迎えた頃、僕の所には兄さんが頻繁に訪れるようになっていた。
それまでは、自分に双子の兄が存在するというのも知らなかった。
だから初めて兄さんがここに来た時、僕は目を疑った。
だってその容姿は、僕と瓜二つだったから。
ただ一つだけ、瞳の色が違う事以外は――。
兄さんは、僕たちは双子なのだと教えてくれた。
そして自分はお前の兄だと、鼻を高くして威張るように言うと、年の離れた兄たちは遊んでくれないから一緒に遊ぼうと、僕を誘ってくれた。
兄さんは、おやつの時間にポケットに忍ばせたクッキーや、書庫から持ち出したという本を持ってきてくれた。
初めて口にした甘いお菓子は、涙が出るくらい美味しかった。
文字が読めない僕に、兄さんは不器用ながらも懸命に教えてくれた。
おかげで本を読むという新しい楽しみができた。
兄さんの存在が、僕に生きる希望を与えてくれた。
僕はまた、兄さんに救われたんだ――。
そんな時、皇宮内である重大事件が起きた。
僕の兄の一人である第一皇子が、皇宮内に侵入した暗殺者の手により殺されたのだ。
皇太子として任命されるはずだった、十六歳の誕生日を目前に控えての出来事だった。
真っ先に疑われたのは、第二皇子。
一つ違いの兄が皇太子となるのが気に食わないと、日頃から周囲に愚痴を漏らしていたらしい。
皇帝の命令により、すぐに第二皇子の身辺調査が行われ、第一皇子の暗殺計画を企てる証拠となるものや証言が次々と浮き彫りになった。
第二皇子は必死に無実を訴えたが、その甲斐もむなしく、第一皇子殺害の首謀者として、協力者と思わしき人物もろとも処刑された。
こうして、第一皇子殺害の件は、あっけなく幕を下ろした。
だけど、僕には分かっていた。
本当は誰が第一皇子を殺したのか……その真の首謀者の正体を――。
それから更に四年が経ち、僕たちが九歳になった頃――再び不幸が起きた。
新たな皇太子となるはずだった第三皇子が亡くなったのだ。
自殺だった。
第三皇子は数日前からひどい錯乱状態が続いており、「兄上が殺しに来る!」としきりに訴えていたらしい。
前日も同様の訴えがあり、医者が鎮静剤を打って眠らせていた。
しかし翌日の朝、首を吊った状態の第三皇子を側近が発見した。
十六となる誕生日の、前日の出来事だった。
もともと第三皇子はプレッシャーに弱く、次期皇帝としての重圧に耐えかねたのだろう……と、誰もがそう納得した。
第三皇子の亡骸は丁重に弔われ、特に調査の手が入る事もなかった。
そして、次期皇帝の第一有力者は、第四皇子である兄さんへと渡った――。
◇◇◇
「兄さん。僕と一緒にここから逃げよう」
第三皇子が亡くなり間もなくして、僕は兄さんに告げた。
新たな後継者候補となった兄さんとは、会える頻度が少なくなっていた。
だから一週間ぶりに会えた兄さんに、つい言ってしまったのだ。
「……は?」
それを聞いた兄さんは、ぽかんと口を開けて啞然としていた。
それも当然の反応だ。
何の脈略もなくそんな事を言われても、意味が分からないだろう。
だけど、僕にも焦りがあった。
「でないと……このままじゃ兄さんまで殺されてしまう……」
胸の内から滲み出る不安から、そんな言葉まで吐露してしまった。
すると兄さんはしばし目を瞬かせ、「ははーん……」と、不敵な笑みを浮かべた。
「ジ―ニアス……お前まさか、俺が殺されるとでも思ってんのか? 確かに俺は、頭はそんなに良くないし、口も悪いって言われてる。だが、剣の腕には自信があるんだぜ」
言いながら、腕まくりをしてグッと力を入れる兄さんの腕は、九歳とは思えないほど立派な力こぶが隆起している。
それは紛れもなく兄さんの努力の賜物。
兄さんの両掌にはマメが潰れた痕が沢山ある。
頭も良くないと言っているけど、第三皇子が亡くなってからは、寝る間も惜しんで苦手な勉強に励んでいるのも知っている。
兄さんは今、まさに血の滲むような努力をしているのだ。
だからこそ……見ていられなかった。
それらが全て無駄になる事を知っていたから。
「それでも、本物の暗殺者に敵うはずがないよ」
自慢の力こぶを前に、僕が何の反応も見せなかったのに落胆したのか、兄さんはガックリと肩を落とした。
「ああ……それなら大丈夫だ。父上が城の警備を厳重にしてくれたんだ。夜の見回りも増やしてくれたし。正式な後継者候補が俺一人になっちまったからな……。さすがに警戒もするよな」
「……」
――その人物が一番危険なのに……なんで兄さんは気付かないんだ……!
そんな僕の苛立ちにも気付かないまま、兄さんはいそいそと嬉しそうに語り出した。
「俺が皇帝になったらジーニアスを皇宮に呼ぼうと思うんだ。お前は読んだ本を一度で全て暗記しちまうくらい頭がいいからな。ちゃちゃっと勉強すれば、俺が苦手な政務についてもすぐ――」
「兄さん。そんな話はしない方がいい」
「え?」
「あの人に聞かれたら……いつ殺されてもおかしくない」
「……あの人? ……おい、ジーニアス……お前、何を言ってるんだ?」
首を傾げる兄は、僕の言葉の意味を全く分かっていないようだ。
三人の皇子殺害の首謀者が、僕たちの父親であり、皇帝だという事にも――。
僕は兄さんと遊ぶ中で、何度か皇宮に出入りした事があった。
誰にも見つからずに皇宮内の兄さんの部屋に忍び込み、指定された物を持ってくるという、遊びの一環だった。
その遊びの最中、皇宮内で偶然、皇帝と第一皇子が話をする姿を発見した。
物陰に隠れ、僕はしばらくその様子を伺っていた。
実の父と兄を前にしても、僕には他人としか思えなかった。
そして……ある事に気付いた。
皇帝が第一皇子に向ける眼差しの中にある、殺意の存在に。
人一倍、感受性が強かった僕には、それが目に見えて分かった。
皇帝が、第一皇子を殺したいほどに忌み嫌っているのだと……。
第一皇子が殺されたのは、それから間もなくしてのことだった。




