42.ただ一つの願いを叶えるため sideアレクシア公爵
「お前だな。僕たちをここに泊まらせるよう仕向けたのは」
僕の問いに、目の前の男は余裕ある笑みで頷く。
「ああ、そうだ。あんたにちょっくら用事があったんだが……余計な奴らまで付いて来たおかげで迂闊に表に出られなくてな。うっかりこれを見られたりしたら何かと厄介だからな」
男は下瞼をグイっと下げ、真紅の瞳を主張する。
「ちょ……ちょっと待て!」
そこへ会話を遮るようにレイモンドが飛び込んできた。
僕と男を交互に見た後、男を指さし声を張り上げる。
「お前は結局何者なんだ⁉ どうして皇族の血を引く人間が、こんなところにいるんだ⁉」
「……だってさ。説明してやれよ。俺もあんたがどこまで把握してるのか興味あるしな」
面白がるようにそう言うと、男は僕に目配せする。
それを見て、怪訝な顔のレイモンドが、ジッと僕を注視する。
さっさと話を終わらせてしまいたいとこだが……仕方ない。
はぁ……と、軽く溜息を吐き出し、その名を口にした。
「レスティエール帝国第四皇子。ルディオス・レスティエール」
僕の答えに、男は満足げに目を細める。
一方でレイモンドは啞然としたまま目を瞬かせる。
「……は? ……第四皇子……? ――って……もう何年も前に亡くなったはずだろう⁉」
「ああ、そうだ。七年前――当時九歳だった第四皇子は、皇宮に忍び込んだ暗殺者に殺された。検死もされ、第四皇子本人だったと確認されている。だが……」
顔を上げ、目の前に佇む死んだはずの人間へと視線を移す。
その男は腕を組み、冷笑を浮かべて僕の言葉を静かに待っている。
「皇子は、もう一人居たんだ。第四皇子と時を同じくして生まれた双子の弟。第五皇子が」
それを告げると、男は薄気味悪く目を細めた。
「なっ……双子……第五皇子だと……? そんな存在……聞いた事がないぞ⁉」
「ああ。この事実はごく一部の人間にしか知らされていないからな」
「知らされていない……? なぜ……? どうしてその存在が隠されていたんだ⁉ 帝国にとっても、皇子が増えるのは喜ばしい事じゃないか! それなのに――」
そこで、レイモンドはハッとするように言葉を詰まらせ、しばし沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「赤い瞳ではなかったから……?」
――どうやら、鈍いコイツでも気付いたようだな。
「そうだ。第五皇子は赤い瞳ではなく、母親と同じ青い瞳を持って生まれてきた。皇族の証である赤い瞳を持たなかった第五皇子は皇族の人間と認められず、その存在も公表されなかった。そして第五皇子は、第四皇子が殺害された日に皇宮から姿を消している」
「ちょ……ちょっと待ってくれ……どういう事だ……? じゃあ、この男は、その時に姿を消した第五皇子で……? しかし兄さんは第四皇子だと……それに、この男は赤い瞳をしている……」
「ああ。それがこの男の特殊なところだ」
僕がこの部屋を訪ねた時、この男の瞳は確かに青色をしていた。
だが、人格が入れ替わった瞬間に、赤い瞳へと変化した。
それは温泉で対峙した時にも確認していた。
それと……僕の父親が書き残していたものに、それを考察した記述が綴られていた。
それによる見解は――。
「第五皇子の体の中に、殺された第四皇子の人格が存在している。そして第四皇子の人格が表に出る時、その瞳の色も赤く染まる……というわけか?」
「……なっ……」
「はははっ! さすがだなぁ!」
唖然とするレイモンドとは対照的に、第四皇子――ルディオスはケラケラと笑う。
それから再び前髪をかき上げ、顎を突き出し得意げに言う。
「あんたの言う通り、俺は第四皇子のルディオス。そんでもって、今は弟のジーニアスの体を借りてるって訳だ。ああ、ちなみにジニーってのは仮の名前で使ってるだけで、ジーニアスが弟の本当の名前だからな。母さんも、人前と俺らだけの時と、ちゃんと呼び名を使い分けてくれてるんだぜ」
「そうか。女将もお前たちの事情を知っているのか?」
「いいや。母さんは俺らの素性については一切知らねぇよ。聞かないでいてくれてるんだろけどな……。だが、兄の俺がジーニアスの中にいるってのは知ってる。俺を名前で呼んでくれるのは、唯一母さんだけだからな……」
言いながら、吊り上がっていた瞳を微かに伏せる。
その様子から、ルディオス自身も女将に対して特別な感情を抱いているのが読み取れる。
「……」
一方で、急に静かになったレイモンドは、あんぐりと口を開けたまま固まっている。
ようやく静かになったか――と思いきや、今度はルディオスが水を得た魚のようにベラベラと喋り出す。
「なあ、いつ俺らが皇族の人間だって気付いたんだ? やっぱり温泉の時にこれを見たからか? でもあれはさすがに俺も焦ったんだぜ? まさかあのまま落としにくるとは思わなかったからよぉ」
「……第五皇子がこの国に存在するという情報は事前に知っていた。お前の存在についても……僅かだが手がかりはあった」
すると、ルディオスは何かに気付いたように大きく目を見開き、
「ああ……そうか。あんた、あの男の息子だもんな」
そう納得した後、真紅の瞳を尖らせ挑発的な視線を僕へと向ける。
「だとしてもよぉ、あんたも意地が悪いよな。ジーニアスが運動音痴なのを分かってんのに無理やり力仕事を押し付けやがって……」
「お前がさっさと姿を現さないからだろうが」
「だぁーかーらー。あんたの監視が邪魔だったんだっつーの! 俺の存在が知られたらあんただって困るだろーが!」
「……いや……ありえないだろう……? 亡くなった人間の人格が、他の人間の中にいるなんて……」
大人しくしていたレイモンドが、乾いた声で呟き出す。
レイモンドは、未だ信じられない様子でその場に立ち尽くしている。
すると、ルディオスが訝しげに眉を顰め、僕を見据えた。
「そうか? 俺にはこの男が嫁にデレデレしてる方が何十倍も信じらんねぇけど」
「………………確かに」
あっさりと納得したレイモンドは、疑惑の眼差しを男から僕へと向ける。
忙しい奴だな……。
はぁ……と、疲労を吐き出し、ルディオスに告げる。
「お前がなぜ弟の体に存在するかは分からないが……そういう奇跡もあるのかもしれないな……」
その言葉に、ルディオスは僅かに目を見張る。
「へえ……あんたでも奇跡を信じるんだ?」
「……ああ。実際に僕も、信じ難い奇跡を経験した身だからな。お前のとは少し違うが」
そう言うと、レディオスは興味深げに「ふぅん……」と口角を上げる。
その口から余計な発言が飛び出す前に、こちらから切り出した。
「それよりも本題だ。お前の目的はなんだ? 僕に何の用があったんだ?」
「……それに答える前に、一つ確認がしたい」
そう言うと、男は途端に真剣な顔つきとなり、僕と向き合った。
「あんた……今も皇帝の犬なのか?」
「……」
沈黙する僕に向け、レディオスはスッと腕を伸ばし、僕の左胸を指さした。
「そこの傷。そんなに古い傷じゃなかったよな? どうせあの悪趣味な親父に付けられたもんなんだろ? もしあんたが、今もまだ親父の支配下にいるんなら……俺の話は無しだ」
その言葉と憎しみを込めるような語気から、この男が皇帝をひどく嫌悪しているのが分かった。
「さあ……どうなんだ? 親父の悪口の一つでも言えたら、あんたの事を認めてやるよ」
僕に向ける赤い瞳は、まるで僕を信用していない。
どうせ無理だろうというような、薄っぺらい眼差しだ。
この男が言うように、僕はまだ完全に皇帝の支配から抜けられた訳ではない。
だが……一つだけ、これだけははっきりと言える。
「……僕の願いはただ一つ。マリエーヌを幸せにしたい。それだけだ」
「……? それじゃあ答えになってねぇな」
「確かに、僕はまだ皇帝の支配から完全に抜け出せてはいない。……だが、僕がこの世で心から愛する人物はマリエーヌだけだ。彼女のためなら、僕は何でも差し出せる。もし彼女が僕に犬になれと言うのなら、喜んで犬になろう」
「…………まじ?」
至って真剣に語った僕の言葉に、ルディオスは啞然としたまま目を見張る。
「そして――彼女を傷つける人物は決して許さない。それがたとえ、皇帝でもだ」
「……」
しばしの沈黙の末……突然、ルディオスが激しく噴き出した。
「ぶふっ……はっはははは‼ 信じらんねぇなぁ‼ お前本当にあの公爵なのか⁉ お前も別の人格が乗り移ってんじゃねえの⁉」
「僕は二重人格ではない」
「……やはりそこは誰もが通る道なんだな……」
ひとしきり笑うと、ルディオスは気が抜けるような深い溜息を吐き出した。
そしてニヤリと悪だくみをするような笑みを浮かべ、口を開いた。
「分かったよ。あんたにとって、親父よりも嫁が大事ってのは。……じゃあ、俺はあんた側に付いてやるよ。どうせあんたも、俺を手駒の一つにするためにここへ来たんだろう? 皇族の証を持ち、十六を迎えた俺なら、利用価値としては十分だからな」
「……何を企んでいる?」
やけにあっさりと答えを出したルディオスに、疑念が残る。
「別に、企みなんかねえよ。俺もあんたと同じで、守りたい人がいんだよ……」
視線を落とし、口を尖らせるルディオスの瞳には憂いが滲んで見えた――が、その眼差しが再びキッと吊り上がり、僕へと向けられた。
「ただし、俺からも条件がある」
そう切り出し、ルディオスはその条件とやらを話し出した。




