41.その正体は―― sideアレクシア公爵
「兄さん、いったい何を考えているんだ!」
僕の部屋を訪ねてくるなり、レイモンドは怒涛の勢いで僕に追及し始めた。
「この新婚旅行の目的は何なんだ⁉ 僕を連れてきた理由も、急にこの宿に変更したのも、僕たちを足止めさせたのも……何か隠している事があるんじゃないのか⁉」
「うるさい。少しは自分で考えろ」
背後でやかましく吠える弟には目もくれず、荷物の中から小瓶を取り出し内ポケットにひそめる。
僕たちは明日の朝、ここを発たねばならない。
だが……その前に確かめるべき事がある。
立ち上がり、しかめっ面のレイモンドを無視して部屋を出ようとすると、
「兄さん! どこへ行くんだ!」
僕を呼び止める声に、うんざりする気持ちを溜息と共に吐き出した。
「説明するのも面倒だ。気になるなら付いてこい」
それだけ告げて部屋を出た。
ギシッギシッと二人分の足音が廊下を踏み鳴らし進んで行く。
閑散とする食堂を通り過ぎ、更に先にある廊下を真っすぐ進む。
この宿の間取りは全て把握している。
この先にある部屋が、誰の部屋なのかもだ。
「兄さん……いったいどこへ向かっているんだ?」
「……」
いずれ分かるというのに、わざわざそれに答える必要はない。
無言のまましばらく歩き、やがて辿り着いた部屋の前で足を止める。
中に人の気配があるのを確認し、扉を開けた。
「……ノックくらいしたらどうですか」
部屋の主は机に向かったまま、感情の起伏のない声で不満を口にする。
突然の訪問にも関わらず、男は特に動じる様子もない。
どうやら僕が訪ねに来るのは想定済みだったようだ。なら話が早い。
「ようやくお前とゆっくり話ができると思ってな。邪魔な連中どもも、あの火事のおかげでいなくなった事だしな」
「……よく言いますね。自分が連れて来た人たちなのに」
「……? なんのことだ? 邪魔な連中……?」
僕の後ろでは、状況を把握しきれていないレイモンドが訝しげに呟いている。
すると、こちらへと顔を向けた男は、不信感を募らせた表情で口を開いた。
「昨日の山火事も……本当はあなたが仕向けたものじゃないんですか? 監視の人間を追い払うために」
「……ほぉ」
――驚いたな……なかなかに頭は回るようだ。
その分析力に感心していると、
「は⁉ あれが兄さんの仕業だというのか⁉ どうしてそんな――って……監視だと⁉ まさか……帝国の人間が、兄さんの監視に付いてきていたのか⁉」
ようやく、状況を僅かに把握したレイモンドが再び吠え出した。
「勘違いするな。あの山火事は偶発的に起こったものだ。あの男自らが火を放ったのは事実だからな」
「……それはつまり……兄さんは、彼らが山に火を放ったのを知りながらも、あえてそれを放置。大規模な山火事を起こす事で、監視の人間を追い払おうとした。……そういう事なのか⁉」
――……さっきからうるさいなコイツは。
いちいち突っかかってくるコイツを連れて来たのを心底後悔するも、その口は依然として止まらない。
大袈裟に声を張り上げながら身を乗り出してくる。
「いくら監視を退けるためとはいえ、さすがにやりすぎだろう! もっと他のやり方があったんじゃないのか⁉ そのせいで義姉さんだって危険な目に――」
刹那、レイモンドの首を掴み上げ、物理的にその声を封じる。
「――‼」
「黙れ。いつ、マリエーヌが危険な目にあった……?」
苦しみに顔を歪ませるレイモンドを、殺気を込めて睨みつける。
僕がいながら、マリエーヌを危険に晒すなどあるはずがない。
「……分かっていたんですよね。雨が降るって」
それまで静かに傍観していた男が、淡々と告げた。
――何も言わずとも、そこまで推測するとは……コイツとは大違いだな。
軽蔑の眼差しを失神寸前のレイモンドへと向け、その首から手を離した。
その場に崩れ落ちたレイモンドは赤く染まった喉元に手を当て、必死に呼吸を繰り返す。
「はぁっはぁっ……死ぬかと思った……」
半ば放心状態となったレイモンドをそのままにして、再び男へと視線を移す。
男はゆっくりと椅子から立ち上り、窓際へと向かった。
窓越しに空を見上げ、淡々と言葉を口にする。
「天気はある程度予測ができますから。空の様子だったり、風の流れとか、湿度とかも……。そうやって天を味方につけ、戦う戦術もあると聞いたことがあります」
「よく知っているな……。それも新聞で得た知識か?」
「……はい」
一泊置いての返事には、緊張による震えが僅かに聞き取れた。
それは、人が嘘を吐く時に発せられる微動と同じ。
そもそも、新聞で戦術など得られるはずがない。敵に手の内を明かすも同然だからな。
不自然な返答に自分でも気付いたのか、男は急に早口となり言葉を続けた。
「だけどそれを正確に読み取るのは至難の業ですし、予測はできても天気を操る事はできない。風向きが変わればここだって無事じゃなかった。昨日のは運が良かったとしか言えません」
まるで苛立っているかのように、最後の言葉からは強い語気を感じられた。
だが、そんな事も全て分かりきっていた事だ。
「たとえ不測の事態が起きようとも、マリエーヌだけは必ず僕が守っていた。お前も、女将に危険が及ぶようなら、すぐにでも駆け付けていただろう」
「……そうですね……きっと……」
いまひとつはっきりとしない返答だが、今はそんな事はどうでもいい。
「そんな事よりも、お前は僕に何か用事があったんじゃないのか?」
「……? 何を言ってるのか分かりませんね。そっちが訪ねに来たのでしょう?」
「とぼけるな。お前が、僕たちが乗って来た馬を逃がしたのは知っている」
「……僕が?」
すっとぼけた声で、男が訊き返す。
しかしすぐにハッとしたように息を呑み、ばつが悪そうに押し黙った。
「……」
「……そうか。どうやらお前は知らなかったようだな」
「……? どういう事だ……?」
よろよろと立ち上がったレイモンドは、僕と男を交互に見て首を傾げた。
「まあいい。分からないなら、分からせるまでだ」
「⁉」
歩み寄る僕を見て、男は身を引いて距離を取ろうとする。
――が、僕の手が奴の前髪を掴み上げる方が早かった。
露わになった青い瞳が、憎悪を孕ませ僕を睨みつける。
「なにを――」
「お前は何者だ?」
瞳の奥を見据え、はっきりと問いかけると、男は動揺に瞳を震わせ視線を逸らした。
「……そんなの……僕にも分かりません」
「ならばどうして正体を隠している? この髪も……意図的に染めているのだろう?」
「……!」
ピクッと肩を揺らし、男は動揺を露わにする。
「おいおい兄さん! さすがにやり過ぎだ! これくらいの年頃なら、髪を染めてお洒落を楽しみたいとかあるんじゃないのか⁉」
的外れな事を堂々と言い放ったレイモンドには、もはや失望しかない。
深い溜息を吐き出し、男の髪を掴んだまま、反対側の手で内ポケットの小瓶を取り出した。
「これを見ても、そんな事が言えるか?」
小瓶の蓋を外し、中の液体を男の頭上から注ぐ。
「兄さん! そんな強引に……って……⁉」
非難の眼差しを向けていたレイモンドの顔が、瞬時に驚愕へと一変する。
除去液を被った苔色の髪は――降り注ぐ月光を反射して煌めく、白銀色へと変わっていた。
僕たちと同じように、この男はその色を隠していた。
皇族の証の一つと謳われる白銀色の髪を。
「……」
それでも、男はグッと歯を噛みしめ沈黙を貫いている。
どうやらまだ何も語るつもりはないらしい。
後ろから、レイモンドが戸惑いながらも声を掛けてくる。
「白銀の髪……まさか……いや、しかし……兄さん。この男の瞳は青色だ。いくら白銀色の髪を持っていたとしても、これでは皇族だと証明する事はできない。瞳の色を変えるなんて不可能だからな」
「ああ、そうだ。だが――隠しているだけかもな」
空になった小瓶を投げ捨て、胸ポケットの万年筆を手に取る。
キャップを弾き、それを逆手に持ち替え、ペン先を男に突き付ける。
「兄さん! 何をする気だ⁉」
「瞳の奥に隠されているものを暴くだけだ」
「なっ……いくらなんでもやりすぎだ!」
「レイモンド。お前はそこでジッとしていろ。手元が狂ってお前を先に殺めてしまうかもしれないからな」
僕の忠告に、レイモンドは踏み出そうとした足を急停止する。
「……やはりあなたは……!」
ギリッと歯を噛みしめて、男はあからさまな敵意を僕に向ける。
「どうした? マリエーヌがいれば、僕がお前に手を出せないとでも思ったのか? あいにく、僕は最初からお前が気に食わなくてな……。影からマリエーヌを見つめるお前の姿も……マリエーヌに纏わりつくあの小賢しい犬も……! 何度息の根を止めてしまおうと思ったことか……思い出すだけで忌々しい! この汚らしい下種どもが‼」
「……兄さん……本来の目的を見失っていないか……?」
怒りのあまり、危うく万年筆をへし折りかけたところを、ギリギリのところで耐え抜いた。
コイツを殺したいのはやまやまだが、そうしてしまっては全ての計画が台無しになる。
だが――。
「もういい。お前に用はない」
刹那、大きく見開いた瞳孔めがけて万年筆を突き出した。
「――‼」
反射的な速度で男が目を瞑る――が、ペン先が瞼を貫かんとする直前、再び瞳が見開かれ――ガンッ‼ と、万年筆を男が掌で弾き飛ばした。
カツンッ……と、万年筆が床に落ち、ブチブチッと前髪を引きちぎった男は後ろに下がり、僕から距離を取る。
「……っぶねぇなぁ」
重々しかった口調が、途端に軽やかになる。
垂れ下がる前髪をゆっくりとかき上げながら、男は顔を上げた。
吊り上がるその瞳を更に細め、
「あんまり弟をいじめないでくんねぇかなぁ。オ・ジ・サ・ン」
僕を子馬鹿にするような態度で言うと、男は口角を引き上げる。
「お前がさっさと現れないからだろうが」
僕の言葉に、男は薄ら笑いを浮かべたまま、ふんっと鼻であしらう。
まるで全く違う人格が乗り移ったかのように、豹変した男の現象を、何と言うかは嫌ほど理解している。
僕自身、幾度となくそれと誤解されてきたが……コイツは間違いない。
正真正銘の二重人格者――それも、少し特殊な類のようだ。
「なっ……なっ……」
突如、信じられないという表情で、レイモンドがわなわなと震えだす。
その視線は、男のある一点へと注がれている。
「兄さん……この男は……何者なんだ……? どうして……瞳の色が変わったんだ……⁉」
前髪を後ろに流し、露わになった男の顔。
そこには、艶やかなルビーを彷彿とさせる赤々とした瞳が煌めいている。
それは紛ごうことなき、レスティエール帝国の皇族の血を引く証――。




