31.話し合いとは……?
黒い髪を靡かせ、逆光の影となり顔はよく見えないけれど、その姿は紛れもなく――。
「アレクシア様!」
思わず歓喜の声を上げると、その体がピクッと反応し、
「マリエーヌ!」
そう呼び返すと同時に、公爵様は爽快な笑顔を輝かせた。
呆気に取られている周りの男性たちには目もくれず、公爵様はいそいそと嬉しそうにこちらへと駆け寄ってくる。
「薪を届けに行く道中でシロツメクサの花畑を見つけたんだ。それで君に贈る花冠を作って――」
言いながら、公爵様は右手を持ち上げ――それに視線を落とした瞬間、その表情を曇らせた。
その手には、結い目が綻び、だらんと垂れ下がるシロツメクサの束。
お世辞にも、それを花冠とはとても言い難い。
「残念だが……壊れてしまったな……」
もの悲しげにそれを見つめながら、公爵様はがっくりと肩を落とす。
ボロボロになってしまったシロツメクサの束は、もはや花冠を作れるほどの長さはなく、強く握ったのか、潰れたような箇所もある。
だけど、そんなになるまで急いで駆けつけてくれたのだと思うと、胸が熱くなった。
勘の鋭い公爵様だから、何かを察してすぐに戻って来てくれたのだろう。
花冠は壊れてしまったけれど、公爵様が私を想う気持ちはその欠片からも十分伝わってくる。
「アレクシア様……ありがとうございます」
お礼を告げて、私は公爵様の手のひらからシロツメクサを一つ摘まんだ。
それをアキさんに付けてもらったかんざしの隣に差し込み、公爵様に見えるように横を向いた。
「どうですか……?」
少し照れながらも、ちらっと公爵様の様子を伺う。
公爵様は恍惚とした表情でこちらをジッと見つめ……やがてその表情がふわっと優しく綻んだ。
「ああ、やはり思った通り……君が一番綺麗だ」
感慨深く言うと、公爵様は私の手を取り、その甲に口づけを落とした。
その瞬間、男性に掴まれた時の不快な感触が消え去り、残ったのは甘く痺れるような唇の感触。
ドキドキと胸の高鳴りが鳴り止まな――。
「この状況でよくそこまで二人の世界に浸れますね」
呆れ果てたジニー君の声に、ハッと我に返る。
気付けば他の男性たちも、唖然としたままこちらに視線を送っている。
――そ……そうよ! 浸ってる場合じゃないわ……!
慌てて手を引っ込め、今もうっとりとしている公爵様に訴えかける。
「あ……アレクシア様! それよりも、この方たちとお話をしていただけますか⁉」
そうお願いするも、話が通じる相手なのかと不安は残る。
それでも、公爵様ならきっとこういう事にも慣れていて、穏便に済ませる方法も存じ上げているはず――と。
「ああ……そうだな」
そんな甘い期待をしてみたけれど、全くそんな雰囲気ではなさそう。
ゾッとするような殺気立った声に、ピシィッ……と空気が凍り付く。
それでいて、ふつふつと煮え滾るような怒りがとめどなく伝わってくる。
もはや公爵様の方が、話が通じる気がしない。
「なんだコイツは……こんな奴がいるなんて聞いてないぞ!」
公爵様の只ならぬ殺気に、男たちは警戒心を露わにする。
「さあ……話し合いを始めようじゃないか」
地鳴りするような声でそう言うと、公爵様は腰の帯紐をシュルッと外し、それを目の前でピンッと伸ばす。
「うおおおおおお!」
突如、男性の一人が雄叫びを上げながら拳を握りしめて公爵様へと駆け出した。
身をひるがえし、それを軽々と躱した公爵様は、素早くその背後に回り込む。
直後、「うぐぅっ!」と男性が仰け反り首元に手をかけた。その首には、公爵様が手にしていた帯紐がしっかりと絡みついている。
次の瞬間、公爵様が身を屈めると同時に、男性の体が後ろに一回転し、顔面から一直線に地へと向かい――ダァンッ‼ と地に叩きつけられた男性は、声を発する間も無くピクリとも動かなくなった。
瞬く間に起きた出来事に、思わず呆気に取られてしまう。
――すごい……。公爵様ってこんなに強かったの……⁉
思えば、公爵様が誰かと戦う姿を見るのはこれが初めて。
噂では聞いていたけれど、その強さは私から見ても圧倒的だった。
その後も公爵様は華麗な紐さばきで、襲い来る男たちを次々といなしていった。
しなやかな動きで相手の攻撃を躱し、一切の無駄もない身のこなしで相手を制圧していく姿は、まるで華やかな演舞を見ているようで、美しいとすら思えた。
それを一緒に見ていたジニー君が、口元に手を添え興味深げに告げた。
「あの人……凄く気を遣った戦い方をしてますね」
「……? どういう事……?」
ジニー君は、ピンと立てた人差し指を公爵様へと向ける。
「ああやって、相手の声を封じて一瞬で落としてる。たぶんマリエーヌさんが不快な思いをしないよう気を付けてるんでしょうね。苦しみに歪む顔も叫び声も、あまり見ていていいものじゃないし……。血を見せないようにしているのもそういう事だと……。あと、わざわざ道具を使っているのも、汚いものを触った後にマリエーヌさんに触れたくないんだと思います」
「……そ……そうなの……?」
「マリエーヌさんがいなかったら、今頃あの人たちの顔面は原型を留めていなかったでしょうね」
「それは……確かに見たくないわね……」
その時、倒れていた扉が動き、下敷きになっていた貴族の男性がのっそりと這い出してきた。
私と目が合うと、男性は素早く身を起こし、こちらへ駆け出そうと足を踏みしめる。
直後、ヒュンッと何かが男性の鼻先を通りすぎ、ガッ! と壁に突き刺さった。
「そこから動くな」
ドスのきいた声で公爵様に凄まれ、男性はそのまま硬直する。
真っ青な顔の鼻先から、ツゥーと一筋の血がつたった。
その顔のすぐ隣にある壁に突き刺さっているのは、公爵様がいつも胸ポケットに携えている万年筆。
「貴様はさっき、マリエーヌに触れていたな……?」
何重にも重なるような重圧感のある声が、耳に届いた。
公爵様が今まで相手をしていた男性たちは全て地に伏せている。
その体の上を躊躇なく踏みしめながら、公爵様はこちらへと近付いてくる。
「うひぃ……!」
貴族の男性は腰が抜けたように尻もちをつくと、公爵様から逃げるように手足を動かす。
けれど全く力が入っていないらしく、それは虚しく地を撫でるだけ。
「確か右手だったな……。ああ……ちょうどいい物があった」
そう言うと、公爵様はどこからともなく斧を取り出した。
柄の長いそれは薪割りに使っていたのとよく似ている。
「な……ど……どうするつもりだ⁉」
「貴様の腕でも薪の代わりくらいには役立つだろう」
「は……? 何を言って……」
ぽかんとする男性の右手の甲を、公爵様は足で踏みつける。
「ああああ! いたい! いたい‼ 放せ‼」
貴族の男性が喚き声を上げる中、公爵様は男性の首元からスカーフを外し、その口の中へと押し詰めた。
直後、男性の叫び声がくぐもる。
「この程度でいちいちうるさい。本番はこれからだ」
そう言うと、公爵様は手にしていた帯紐で男の右腕を縛りだした。
「う……ううう?」
「こうすれば出血は最小限に抑えられる。死にはしないだろう」
「うううううう‼」
言葉を封じられ、恐怖に歪んだ貴族の男性の顔は、この世の終わりを目の当たりにするよう。
――まさか公爵様……腕を切り落とすつもりなの……⁉




