20.ありのままの自分を
アキさんは、キリッと眉を吊り上げ、やたらと気合の入った顔で、扉に向けてクイッと親指と顎を突き立てる。
「さあ、マリエーヌちゃん。うちの自慢の温泉に案内するよ。着いてきな」
そう言うと、アキさんはスタスタと歩き出し扉へと向かう。
「あ……は、はい!」
慌てながらも、アキさんを追いかけるようにして私も部屋を後にした。
廊下を歩きながら、楽しそうに鼻歌を口ずさむアキさんの後ろ姿を見ながら、先ほど言われたアキさんの言葉を思い出す。
――私は、公爵様に何を伝えれば良いのだろう……。
その時、アキさんの体がふらっとよろめいた。
「おっと……」
すぐにアキさんは壁に手をつき体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、心配ない。ただの二日酔いだよ」
そう言うと、アキさんは額に手を当て、ふぅっと息を吐き出した。
言われてみれば、確かに昨日は相当飲んでいた。
それによく見ると顔色もあまりよろしくはない。
「あの、私の事はお構いなく……あまり無理はなさらないでください」
「あっはは! これくらい日常茶飯事だよ! 見くびらないでおくれよ」
鮮やかに笑い飛ばし、再びアキさんはずんずんと歩き出す。
急に歩くスピードが速くなったので、慌ててその後ろを追いかける。
それからしばらくして、アキさんはピタリと足を止めた。
「さあ、ここがお待ちかねの温泉だよ」
アキさんが手を伸ばす先には、『温泉』と書かれた看板が堂々と掲げられている。
「昔は男湯と女湯とあったんだけど、さすがに二人だけで管理するのが大変でねえ。今使えるのは一つだけなんだ。だからいつもは時間を決めて使ってもらっているのさ。――で、今ちょうどマリエーヌちゃんの旦那が入っているんだよ」
「あ……そうなのですね。でしたら、私はアレクシア様が出てくるまでここで待っていますね」
「いいや。マリエーヌちゃんも一緒に入るんだよ」
「…………え?」
急転直下な提案に、再び声が上ずった。
するとアキさんはにんまりと悪巧みするような微笑みを浮かべ、
「言っただろう? ありのままの自分をさらけ出せばいいって。難しく考えるよりこれが一番手っ取り早いのさ」
「え……ええ⁉」
――ありのままの自分をさらけ出すって……裸をさらけ出すって事だったの⁉
予想だにしなかった展開に、体の熱が急上昇する。
まだ温泉に浸かってすらいないのに、すでにのぼせてしまいそう……。
クラクラする頭を抱えていると、アキさんがフフッと笑った。
「マリエーヌちゃん。もう一つだけ助言しておくよ」
「……は……はい!」
なんとか意識を繋ぎ止め、アキさんの助言に縋るように期待の眼差しを送る。
すぅっと息を吸い込んだアキさんは、ドンッと自らの胸に拳を押し当て声高らかに言い放った。
「女は度胸だよ!」
「女は……度胸……」
無意識のうちにその言葉を反芻し、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
「さあ、行っといで!」
掛け声と同時に、アキさんが気合を入れるように私の背中をバシンッと叩く。
その反動で私の体は温泉へと続く入口によろめき、ふわっと湿った空気が肌に触れた。
恐る恐る振り返ると、アキさんはキラキラと輝くような笑顔をこちらに向け、ひらひらと手を振っている。
その姿を前にして、引き返すという選択肢はもろくも崩れ去る。
温泉は楽しみにしていたけれど、まさかこんな事になるなんて……。
――女は度胸……女は……度胸!
自分に言い聞かせるようにして頭の中で繰り返し……なけなしの覚悟を決めた私はいざ、公爵様が待ち受ける決戦の場へと足を踏み入れた。
――と、覚悟は決めたものの。
温泉は屋外に設けられており、外はすっかり明るくなっている。
竹で造られた仕切りで囲われ、外からは見えないようになっているけれど、同じ温泉に浸かる公爵様にははっきりと見られてしまう。
脱衣場で服を脱ぎ終えた私は、ひとまず胸から太もも辺りまで隠れるほどの大判のタオルを体に巻き付けた。
公爵様に裸を見られるのは初めてではないけれど、明るい場所でとなるとさすがに恥ずかしい。
外へと続く扉はガラス張りとなっており、真っ白に覆われた結露を手でぬぐうと、温泉に浸かる男性の背中が見えた。
髪の色は未だ黒いままだけれど、その後ろ姿は間違いなく公爵様。
扉は横へスライドさせて開けるタイプのもので、引き戸と呼ばれるものらしい。
最初は開け方が分からず戸惑ったけれど、それも昨日教わった。
おかげで「扉が開かなくて辿り着けませんでした!」という口実も絶たれてしまった。
一回、二回と深呼吸を繰り返し、意を決して扉をガラガラッと力任せに引く。
その瞬間、公爵様がこちらへ振り返り――。
「なっ⁉ ……ま……マリエーヌ⁉」
驚愕の形相で、ばしゃあっと大きな水しぶきを上げるほど後ずさった公爵様は、信じられないという顔で瞬きを繰り返した。
公爵様の視線が上から下へと移動したかと思うと、ぐるんっと勢いよく顔と体を背け、
「すまない。君が入るのはもう少し後だと聞いていたから……すぐに上がろう」
そう言うと、公爵様は私から顔を背けたまま温泉の端へと移動すると、そこに置いてあった桶の中からタオルを取り出した。
温泉から出ようとする公爵様を前にして、『女は度胸!』という言葉がアキさんの姿と共に脳内に鳴り響く。
「いえ……公爵様。出来れば一緒に浸かりませんか……?」
タオルを腰に巻き終えた公爵様が温泉から片足を出したまま、動きがピタリと停止した。
大きく目を見開きながら、真っ赤に染まり上げた顔をゆっくり、ゆっくりとこちらに向ける。
「……え? 一緒に……?」
「はい……一緒に……」
「…………」
「…………」
唖然としたままこちらを見つめる公爵様は、それからピクリとも動かなくなった。
ただ、先ほどから公爵様の頬を尋常じゃない量の雫が滴っているのだけど……それは濡れた髪の水滴という訳ではなさそうで。
なにはともあれ、公爵様の返答がない限り私もここから動けない。
せめて体に巻いているタオルが落ちないようにと、手でしっかりと抑えながら公爵様の返事を待つ。
「は……ックシュン!」
外気にさらされていた体が冷えたようで、私の口から遠慮のないくしゃみが飛び出した。
「……!」
次の瞬間、ザバァッと水しぶきを跳ね上げて、公爵様が素早く温泉から上がった。




