14.絶たれた帰路
リディアたちが乗る馬車を見送り、私と公爵様は買い物の続きを楽しんだ後、食堂でお茶の時間も満喫した。
日が暮れ始めた頃、預けていたショールを持って、ルドラさんがやって来た。
それを受け取り、解けていた刺繍の箇所を確認してみるも、言われた通り、どこを直したかも分からないほど完璧に修繕されていた。
それだけでなく、全体的に手入れもしてくれたようで、年季が入ってくすんでいた色が鮮やかな赤ワイン色を取り戻し、手触りも各段に良くなっていた。
何度もお礼を告げる私に、ルドラさんも深く頭を下げ、『とんでもございません。このショールのおかげで、こちらも大きな商談に繋がりましたから』と、大層ご満悦な様子だった。
それからルドラさんと工房の責任者、数名の職人さんに見送られながら工房を出発し、私たちは馬を繋いでいる場所へと向かった。
……のだけど――。
「あら……?」
目を見開き、その場所と周辺を見渡してみるも……いない。
私たちがここまで乗って来た馬……あの白馬が見当たらないのだ。
――場所を間違えたのかしら……?
受け入れがたい現実を前にして、そう思いたい気持ちに駆られるけれど、残念ながらそんなはずはない。
隣の公爵様も、神妙な面持ちで馬を繋いでいたはずの木を鋭く見つめている。
「あの……アレクシア様。私たちが乗って来た馬は、ここに繋いでいたはずですよね……?」
「ああ。間違いない」
きっぱりと答えて、公爵様は馬の手綱を繋いでいたはずの木の傍まで歩み寄ると、眼鏡を指先でズラし、木の表面を観察している。
「まさか……誰かが盗んでいったのでしょうか……?」
「それは考えづらいな。乗って行くにしても目立つだろうし、売るにしてもリスクが高い。あれほど立派な白馬はそう存在しないだろうからな」
――……確かに。
「だが、何者かが意図的に手綱を解いた可能性はある。どちらにしろ、あの白馬は諦めて別の移動手段を探す方がいいだろう」
「あの……馬は探さなくてもよろしいのですか?」
「ああ。馬は帰巣本能が高い動物だからな。もしかしたら自分の帰るべき場所へ戻っているのかもしれない。たとえ戻らなかったとしても、僕の方でなんとかしよう。解決方法はいくらでもあるからな」
――それは……お金で解決する……という意味かしら……?
とはいえ、この危機的な状況にも関わらず、全く動じていない公爵様の姿がとても頼もしい。
おかげで不安に駆られていた気持ちが落ち着きを取り戻していく。
ひとまず、私たちは工房へと戻り、ルドラさんに事情を説明して借りられる馬がないかと掛け合った。
けれど残念ながら、現時点で馬はすべて出払っており、今日中に戻る予定はないとのこと。
明日の朝になれば借りるのは可能らしいのだけど。
「今日のうちに宿へ向かうのは難しそうですね……。どうしましょう……?」
公爵様に訊ねると、それを聞いたルドラさんがずいっと身を乗り出した。
「でしたら、近くにある温泉付きの宿を利用してみてはいかがでしょう?」
「え? そんな宿があるのですか⁉」
泊まれる場所があるというだけでもありがたいのに、温泉という言葉につい反応してしまった。
そんな私を微笑ましそうに見つめた後、ルドラさんは朗らかに告げた。
「ちょうど今、そこの宿主の息子が来ていて……あ……あの子ですよ。おーい! ジニー君!」
工房から出て来た人影に、ルドラさんが呼びかけた。こちらに顔を向けたその人物は――。
「あら? あなたはあの時の……!」
「あ……」
私を見るやいなや、ポカンと口を開けて固まったのは、売店で見失った例の少年だった。
そんな私たちの反応を見て、ルドラさんが目を丸くする。
「おや、お知り合いですか?」
「えっと……知り合いというか……さっき売店で会ったので……」
「ああ、そうだったのですか。もうすぐこの子の母親が誕生日なので、プレゼントを買いに来ていたのですよ」
「あ……そういえば……お母様へのプレゼントは買えましたか?」
「……はい……おかげさまで……」
少年は小さく頷くと、肩に掛けている革袋からピンクブロンドの手袋を取り出した。
公爵様の言った通り、少年はもう一度プレゼントを買いに戻って来ていたのだろう。
「良かった……ちゃんとあなたの手に渡って安心しました」
「ありがとうございます……気を遣っていただいて……」
ペコっと頭を下げ、少年は手袋を収める。
それから少年はルドラさんに声を掛けた。
「ルドラさん、僕に何か用事があったの?」
「ああ。この方たちが乗って来た馬がいなくなってしまったようでね。山を下りられなくて困っているんだ」
「え……? 馬が……?」
信じられないというような顔で、少年は唖然とする。
そうよね。びっくりするわよね……。
「どうやら意図的に何者かが馬を逃がしたようでな」
スッと私の前に出た公爵様が、鋭い視線を少年に向ける。
「で……どうなんだ? お前の母親が経営する宿に、僕とマリエーヌが泊まれる部屋はあるのか?」
少年を見下ろしながら、威圧的な態度で問う公爵様に、咄嗟に声を掛けた。
「お待ちください、アレクシア様。私たちが無理をお願いする立場なのですから……」
とはいえ、いくら身分を偽っているからと言って、公爵様にそう易々と頭を下げさせるわけにはいかない。
代わりに私が公爵様の前に出て、改めて少年と向き合い頭を下げる。
「急な話でごめんなさい。あなたの宿で今夜一晩だけ泊まらせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……」
少年の返事はない。
長い前髪に阻まれ、その表情はよく分からないけれど、肩に掛けている革袋の紐を胸元でギュッと握りしめる様子から、私たちを警戒しているように見える。
――やっぱり公爵様が怖いのかしら……?
それなら無理強いはできない……と諦めかけた時、ルドラさんが軽快に笑い出した。
「はっはっは! この子は昔から口下手でしてね。心配しなくても大丈夫ですよ。彼の母親は、あなたたちの事を大いに歓迎してくれますから。ほら、ジニー君。早くお客様を宿にご案内して差し上げなさい」
縮こまる背中に手を添えながら朗らかな口調でルドラさんが告げると、ジニー君という少年は観念するように小さく息を吐き出した。
「……分かりました。宿へ案内します。では……行きましょう」
緊張感の漂う声でそう言うと、ジニー君は顔を伏せたままスタスタと歩き出し、山道へと向かう。
「あ、待って……ルドラさん、ありがとうございました!」
「いえいえ、お気を付けていってらっしゃいませ。明日の朝には貸し出せる馬車をご用意しておりますので、また立ち寄ってください」
「はい! また明日、よろしくお願いします!」
ニコニコと優しい笑顔のルドラさんに見送られながら、私たちはジニー君の背中を追いかけ工房を発った。




