13.青い瞳の少年
私と手がぶつかった少年は、私から少し距離を取り、他の品へと視線を向ける。
――一瞬、女の子かと思ったけど……男の子……よね……?
まっすぐ伸びた髪は肩元で無造作に跳ね上がり、目元を覆い隠すほどの長い前髪。
ゆったりとした大きめの服装から覗く細身な体は猫背気味で、小柄にも見えるけれど、背を伸ばせば私と同じくらいの背丈にはなりそう。
中性的な容姿をしているから断定はできないけれど、今聞いた声の感じだと、声変わりを終えた十代半ばの少年という印象。
私はさっき見ていた手袋を手に取り、少年の前へと差し出した。
「はい、どうそ。これを取ろうとしたのですよね?」
「あ……でも……あなたの方が先だったので……。僕は他のを選ぶので大丈夫です」
そう言いながら、少年は私からそっと離れていく。
その口ぶりからして、やっぱり少年で合っていたと確信するも、少年が手にしようとしていたのは女性向けの品。
――という事は……。
「もしかして、どなたかへの贈り物を選んでいたのですか?」
「え……? あ……はい。母さ…………母への、プレゼントを……」
私の問いに、少年は驚いたように顔を上げ、ほのかに頬を赤く染め恥ずかしそうに答えた。
その姿がなんともいじらしくて。『母さん』を、わざわざ『母』と言い直すところも、背伸びし始めの思春期という感じがして、ほんわかと気持ちが和む。
「でしたら、やっぱりこれはお母様へ贈って差し上げてください」
「え……でも……」
「私はまだ何を買うか決めかねていたので大丈夫です。とても素敵な手袋ですから、お母様も喜ばれると思います。お母様のためにと思ってあなたが選んでくれたのであれば尚更です」
「……」
少年はしばらく黙り込み……やがて遠慮がちに顔を上げた。
「……ありがとうございます」
囁くような声で少年がお礼を口にした時、少し乱れた前髪の隙間からつぶらな瞳が姿を現わした。
鮮やかで深みのある群青色の瞳は、美麗な宝石を彷彿とさせ思わず目を奪われた。
補佐官のジェイクさんも青い瞳をしているけれど、少年の瞳の色は澄んだ海のように綺麗で神秘的。
……決してジェイクさんの瞳が淀んでいるという訳ではないのだけど……多分。
今も公爵様不在の中、執務室で一人血眼になって仕事をしているジェイクさんの姿を想像し、それ以上比較するのはやめた。
すると、私が瞳に見入っているのに気付いたのか、少年は伸ばしかけていた手を素早く引っ込め、目を覆い隠すようにして前髪を押さえた。
「あ……ごめんなさい。あまりにも綺麗な瞳だったから……」
「…………」
なおも前髪を押さえたまま俯く少年は、ぐっと口を引き結んだまま沈黙している。
――そんなに瞳を見られるのが嫌だったのかしら……? とても綺麗なのに……。
不思議に思っていると、突然、少年は何かに反応するような素早さで顔を上げ、
「あ――」
と、少年が息を呑んだ直後、
「マリエーヌ」
背後から呼ばれて振り替えると、淡い笑みを浮かべる公爵様が佇んでいた。
「欲しい物は決まっただろうか?」
「あ……申し訳ありません。どれも素敵でまだ選びきれてなくて……」
「そうか。ならばここにあるものを全て――」
「いえ! 選ぶ楽しみというのもありますので、もう少し選ばせてください!」
「はっ……! 確かにそうだな……すまない。危うく君の楽しみを奪ってしまうところだったな。時間はたっぷりあるから、存分に選ぶのを楽しむといい」
「はい。ありがとうございます」
とりあえずは納得いただけたようで、ホッと胸を撫で下ろす。
そしてまだ自分の手元に手袋が残っているのに気付き、少年へと顔を向け直す――が。
先ほどの少年は忽然と姿を消していた。
辺りを見渡してみても、その姿はどこにも見当たらない。
「マリエーヌ様。先ほどの男性ですが、公爵様を見た途端、脇目もふらず去っていきました。きっと公爵様の殺気を感じ取ったんでしょうね……」
いつの間にかすぐ傍に来ていたリディアが、こそっと耳打ちをして教えてくれた。
「リディア、もう大丈夫なの?」
「はい。大変見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。マリエーヌ様がレイモンド様にすり替わっているのにも気付かないほど、取り乱していたようで……」
――やっぱり……気付いていなかったのね……?
あまりにもすんなりとレイモンド様を受け入れたから、そんな気はしていたのだけど。
それでもリディアはほんのりと頬を赤く染めたまま、少し惚けているようにも見える。
その様子からして、レイモンド様が嫌だったというわけではなさそう。
リディアの少し後ろ側に佇んでいるレイモンド様も、同じような顔をしている。
――結局……二人はどういう関係なのかしら……?
そんな二人をもどかしく思いながらも、今はそれよりも手元にある手袋へと意識を戻す。
それをしばらく見つめた後、意を決して公爵様を見上げた。
「あの、アレクシア様。これを買っていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。マリエーヌによく似合いそうだ」
「いえ。自分用にではなく、先ほどの少年にこれを差し上げたいのです」
「……あの男に……?」
公爵様は驚きに目を見開き――すぐに眉根をきゅっと寄せ、口を尖らせる。
「マリエーヌは……さっきの男が気になるのか?」
「……え?」
思わぬ問いかけに、目を見張ったまま硬直する。
公爵様は視線を伏せ、ムスッとした顔で口を尖らせたまま目を合わせようとしない。
――……公爵様……もしかしてヤキモチを……?
今までにも、公爵様が周りの男性に敵意を向ける姿は幾度か見てきたけれど、こんな風に拗ねる姿は初めて見る。
だけど……。
――どうしよう……なんだかとても可愛く見えるわ……!
公爵様には申し訳ないけれど、心ときめくその姿に思わず見入ってしまう。
けれど握りしめる手袋の存在を思い出し、ぶんぶんと首を振って気持ちを切り替えた。
「いえ! 気になるというか……。先ほどの少年が、これをお母様へのプレゼントにするとおっしゃっていたので、ぜひ届けて差し上げたいのです」
言いながら、公爵様に見せるように手袋を差し出した。
すると公爵様は、伏せていた視線を手袋へと移し、
「……母親へ……か」
ぽつりと呟き、すぐに店主を呼び寄せ手袋の清算を速やかに済ませた。
それから私の手を取ると、凛とした顔つきで私を見据えた。
「マリエーヌ、一緒に探しに行こう」
「あ……はい!」
公爵様はリディアとレイモンド様、控えていた護衛の騎士様にも指示を出し、皆で手分けして少年の捜索を始めた。
少年が姿を消して、さほど時間は経っていないから皆で探せばすぐに見つかるはず……。
そう思ったのだけど――。
結局、少年の姿はどこにも見当たらなかった。
がっくりと肩を落としていると、公爵様が優しく声を掛けてくれた。
「マリエーヌ。そんなに気になるのなら、それは店に返そう。その男がまた買いに現れるかもしれないからな」
「……そうですね。せっかく買っていただいたのに、申し訳ありません」
「いや、それは構わない。店主にも話をしておこう」
公爵様は私から手袋を受け取ると、店主のもとへと向かった。
――無事にあの子の手に渡りますように……。
そう願ってしまうのも、私はもう、お母様に何かを贈る事ができないから。
ふいに胸を締め付けるような切なさに襲われるも、
「マリエーヌ」
公爵様に名を呼ばれ、フッとが胸が軽くなる。
「ショールの修繕が終わるまでもう少し時間がかかるらしいから、リディアたちには先に宿へ向かってもらおう」
「え……やっぱりまた、別行動なのですね……」
ずぅん……と、リディアの表情に重たい影が落ち、その口からは大きな溜息が漏れた。
私はすでに清算を終えていた、リディアが選んだ髪飾りを手に取り、
「はい、リディア」
それを彼女に差し出すと、影で覆われていた表情に光が差し込むかの如く、その表情がパァァッと輝き出した。
「マリエーヌ様……ありがとうございます……!」
再び瞳に涙を溜めながら、リディアは髪飾りをそぉっと受け取ると、震える手つきで自らの頭に括り付けた。
「うん、やっぱりリディアによく似合っているわ」
リディアの隣では、私に同調するようレイモンド様がうんうんと頷きを繰り返す。
「嬉しいです……一生の宝物にいたします! 家宝にして子供たちにもこれを……! いや、やっぱり死んでも手離したくないので、私の遺体と一緒に埋めてもらいます!」
「そ……そう。大事にしてくれて嬉しいわ」
とは思うけれど、いきなり『遺体』という強烈な単語が飛び出てきたのでちょっと複雑な心境になってしまった。
レイモンド様も切なげな……なんとも言い表せない表情を浮かべている。
それでも当の本人はすっかり気を良くしたみたいで、表情はすっかり晴れ上がった。
「私たちも後で追いかけるから、夜は一緒に温泉へ浸かりましょう」
「あっ……そうですね! マリエーヌ様と温泉……楽しみにしています!」
私たちが宿泊する予定の宿にはとても広い温泉があるらしい。
ディーランド大陸には温泉の源となる多くの源泉が存在し、温泉大陸とも呼ばれている。
その温泉には体の不調を治したり、疲れを癒す効果もあるらしく、私たちがこの旅行で楽しみにしていた事の一つでもある。
「マリエーヌが浸かった温泉か……他所の男が浸からぬよう、手を打っておかなければな……」
微かに聞こえてきたその呟きは、今はそっと聞き流す事にした。




