09.二人の間にある問題? sideリディア
「……」
「……」
天窓から日差しがさんさんと降り注ぐ馬車の室内で、ふかふかの座席に腰掛ける私は、目の前の人物と顔を合わせないようにと首が折れ曲がるほどに俯いている。
――よりによってこんな密室で二人きりなんて……気まずい……気まずすぎる!
とはいえ、今更降りる事もできない。
目的地に到着するまでこのまま耐え続けるしかないのだ。
それにしても……まさかあのタイミングでマリエーヌ様が公爵様と二人で馬に乗りたいなんて言うとは思わなかった。
急にどうしてしまわれたのかと思ったけど、よくよく考えてみれば、マリエーヌ様なりに公爵様と二人きりになりたくて言った事なのかもしれない。
新婚旅行なのに二人きりになれる時間が少なかった訳だし……。
まあ、それも私のせいなのだけど。
そう考えると、今の状況は仕方が無いとも言える。
結果的に公爵様の思惑通り、私がレイモンド様の相手をするはめになっているのはすごく不服だけど。
はぁぁぁぁと重たい溜息をがっつりと吐き出し、少しだけ顔を持ち上げる。
向かい合わせに座るレイモンド様は、腕組みをしながら長い足を組み、窓からの景色を眺めている。
その姿がやたらと絵になっているので、不覚にも格好いいと思ってしまった。
――こうして改めて見ると……やっぱり顔だけは文句なしの超イケメンなのよね。
頭部から真っすぐ伸びる長い髪は、天然パーマが強い私の髪質とは違って絹のように艶やかで縮れ毛の一本も見当たらない。
長髪がこれほど似合う男性を今までに見た事があるだろうか……。
やはりイケメンはたいがい何でも似合う説は当たっていると思う。
私が初めてレイモンド様を見た時は、公爵様と同じ白銀色の髪だったけど、今は鮮やかな朱色に染められ結んでいたはずの髪も下ろした状態。
公爵様といいレイモンド様といい、今回の旅では二人とも見た目が全くの別人だ。
まあそれでも二人ともイケメンなのは変わりないけど。
昨日、食事をしながら聞いた話だと、二人とも身バレしたくなくて髪を染めているらしい。
それも律義にシャレてる黒眼鏡まで掛けて瞳の色を隠すほどの徹底ぶり。
だけど外を眺める横顔からは、ルビーのように美しく赤い瞳がはっきりと視認できる。
それに加えて睫毛がめちゃくちゃ長いな……。
しかも文句のつけようがないほど理想的な曲線を描いている。
あとは鼻筋も綺麗だし顎もシュッとしているし唇だって――。
「リディア嬢……ち、近くないか……?」
「はっ!」
気付けば私は思いっきり前かがみになりながら、レイモンド様の顔をこれでもかというほど凝視していた。
どうやらこの超美形なお顔をもっと近くで観察したいという正直な欲求が行動となって現れていたらしい。
私は口だけでなく、体も正直だから……。
ひとまずシュッと背筋を伸ばし、コホンッと上品に咳ばらいを一つ。
「申し訳ありません……」
今更ながらもお淑やかに謝罪すると、レイモンド様は頬を赤らめたまま「んんっ」と喉を鳴らし、
「いや、別に嫌だった訳じゃないが……そこまで熱烈な眼差しで見られてしまうと、さすがに恥ずかしくてな……」
落ち着いた振る舞いを見せようとしているのだろうけど、その口元はふるふると震え、まんざらでもなかったのが伺える。
どうやら私が熱心に顔の観察をしていたのを、熱い眼差しで見つめられていたと勘違いしているらしい。
――なんてめんどくさい人なんだろう。このめんどくさいところは公爵様の血筋なのかな……。
耳まで真っ赤にしながら「少し熱いな」と呟き、パタパタと手で顔を扇ぐレイモンド様の熱を冷ますべく、私は冷ややかな眼差しを向けた。
それにしても……。
――……やっぱりこの人……私に気があるのかな……。
本人はそれについて頑なに認めようとしなかったけど、ちょくちょく気になる言動がある。
それにもうひとつ、たった今疑問に思った事がある。
それを確認するのは少し抵抗があるけど、モヤモヤしたままなのも性に合わないので意を決して問いかけた。
「あの……もしかしてその髪って、私の髪色を意識しています?」
私の問いに、レイモンド様は意表を突かれたかのようにキョトンと目を見開いた。
「……いや? そんなつもりはなかったんだが……」
言いながら、レイモンド様は自身の髪先をつまんでジッと見つめる。
「……言われてみると、確かに君の髪色と似ているな……」
神妙な面持ちで呟くのを見る限り、意図的に私の髪色を真似た訳ではないっぽい。
さすがに自意識過剰か……と、安堵しながらも少し恥ずかしく思っていると、髪先を見つめていたレイモンド様の顔が再び赤く染まっていく。
つまんでいた髪先をスルッと手放し、レイモンド様は恥ずかしそうに視線を泳がせ――。
「もしかすると……リディア嬢の言う通り、少し……意識していたのかもしれない……」
「……⁉」
きまりが悪そうに告げられた言葉に、声にならない驚きと同時に顔が熱くなった。
更にレイモンド様はキッと鋭い視線をこちらに向け、たどたどしくも早口で弁明し始めた。
「き……君の髪色があまりにも綺麗だから……! つい……似た色を選んでしまった……かもしれない。君に指摘されるまでまったく気付かなかったが……」
「……」
さりげなく髪色を褒められた事に、不覚にもときめいてしまった。
直接的な告白でなくとも、こんなあからさまに異性から好意を向けられるのは初めてで……言葉が詰まって何も出てこない。
それどころか心臓が異常なほど高鳴っているし、控えめに言って心臓吐きそう……。
一方でレイモンド様はというと、先ほどまで真っ赤だった顔が血の気が引いたように白くなっている。
というよりも、暗雲が立ち込めているかのように表情が暗い。
その口から、自虐的とも思えるような深い溜息が吐き出された。
「すまない……勝手に髪色を同じにする男なんて……さすがに気持ち悪いだろう」
「…………ええ……気持ち悪いです……」
途端、レイモンド様はガンッと勢いよく窓に額を打ち付け分かり易くショックを受けている。
――あ……やっちゃった……。
咄嗟に口を手で塞ぐも、すでに飛び出してしまった言葉は取り消せない。
気を付けてはいるものの、嘘のつけない私の口はこうも容易く本音を零してしまう。
そのせいでこれまで失ってきたものは数知れない。
友人も、職場も、信頼も……それまで必死に築き上げてきたもの全てが、たった一言の本音であっさりと崩れ落ちてしまう。
本当に厄介な体質だ。
もしも私がマリエーヌ様のように、純粋で心の綺麗な人間だったなら、きっとこんな風に人を傷つけたりしないだろう。
だけど残念ながら、私はそんな心を持ち合わせてはいない。
というかマリエーヌ様が特別なだけで、ほとんどの人間の本音なんて欲とか見栄とか嫉妬とか……隠したくなるようなものばかりだと思う。
私だってその一人だし。
だけどみんなは良いよね。そんな本音も嘘の一つで隠せるんだから。
それができない私の苦労なんてきっと分からない。
それなのに、私が本音を口にするとみんな揃って責め立ててくるんだから。
「リディア嬢……?」
その声に顔を上げれば、眉尻を下げたレイモンド様が心配そうにこちらを見つめていた。
「すまない……。そんな辛そうな顔をさせるほど気持ち悪い思いをさせてしまったか……」
「あ……いえ、そういう訳ではなくて! ……ちょっと別の事を考えてました」
パタパタと手を振りながら訂正すると、レイモンド様は安堵するように表情を和らげた。
――気持ち悪いなんて言っちゃったのに……私の心配をしてくれるんだ……。
その優しさに、じわりと胸が熱くなる。
レイモンド様と初めて会った時は、やたらと威圧的な態度を向けられ不快だった。
だけどそれは、以前の使用人がマリエーヌ様を冷遇していたからで、牽制する意味もあっての事だったらしい。
それについても昨日、レイモンド様から直接謝罪された。
自分の非を認めて謝る事ができる人に悪い人はいない。
ましてやレイモンド様は私よりも何倍も身分が上の人なのに……。
その誠実な姿を思い出して、私はグッと背筋を伸ばしてレイモンド様と向き合った。
「レイモンド様。さっきは気持ち悪いだなんて言って、ごめんなさい」
誠意を込めて謝罪を述べ、深々と頭を下げる。
この言葉に嘘がない事も、レイモンド様ならきっと分かってくれるはず。
すると慌てた様子のレイモンド様の声が聞こえてきた。
「いや……君が謝る必要はない! 僕が気持ち悪い思いをさせたのは事実だからな。今夜の宿で違う色に染め直そう」
「え……? あ……いえ、そこまでしていただかなくても……」
「だが、このままでいるのも気持ちが悪いだろ?」
「……いえ……今はそれほどでも……。それにその髪色……よく似合ってると思うので」
「……え?」
ぽかんと口を開けて呆気にとられているレイモンド様を見て、急に恥ずかしさに襲われる。
「そ……それよりも、マリエーヌ様たちは無事に出発できたのですかね⁉」
咄嗟に明るく別の話題を切り出すと、
「あ……ああ! そうだろうな! そろそろ馬が着く頃だろうな!」
すぐにレイモンド様もテンション高めで答えると、急に噴き出した。
「ふっ……! 馬がな……ふっ……くくっ……は……はくばの……ふふっ……」
どうやら『白馬の王子』がよほどツボだったらしく、レイモンド様は片手で顔を覆いながらくつくつと忍び笑いを漏らしている。
……何がそこまでおかしかったのか、その笑いのツボはよく分からないけど、おかげで高鳴っていた鼓動が落ち着きを取り戻していく。
未だに肩を震わせているレイモンド様はそのままに、私は思っている事を吐き出した。
「マリエーヌ様……よほど公爵様と二人きりになりたかったのでしょうね。せっかくの新婚旅行なのに余計な人間がくっついてるから……」
その余計な人間の一人に私自身が含まれているのも承知の上。
新婚旅行に同行できると知った時は嬉しくて何も考えてなかったけど、今の私はどう考えても二人の邪魔になってるとしか思えない。
出発早々、船酔いでマリエーヌ様にお世話される事になってしまったし……。
だけどそれとは別に、気になる事もある。
ひとしきり笑い終え、ハァハァと呼吸を整えているレイモンド様に、率直に訊いてみた。
「新婚旅行なのに寝室が別々っておかしくないですか?」
途端、ゴフゥッと変な声を発し、レイモンド様は真っ赤な顔でゴホッゴホッとむせ返り始めた。
落ち着くまで時間がかかりそうなので、気にせず続ける。
「この旅行中、何故か私とマリエーヌ様が同室なんですよね。まあ私としては嬉しいんですけど、これは二人のための新婚旅行なのに……。公爵様は新婚旅行の意味をちゃんと分かってるんですかね? ハネムーンベビーって言葉を知らないのかな……? 呑気に旅行を楽しむのもいいですけど、やる事はちゃんとやってもらわないと……それとももしかして公爵様ってふの――」
「待ってくれリディア嬢。さすがにそれ以上は弟としても聞くに堪えかねん」
頭を抱えるレイモンド様に、被せ気味に言葉を遮られた。
しばし考え、言い方を変えた。
「公爵様は、マリエーヌ様とのお子様が欲しくないのでしょうか?」
「いや、それは有り得ない。義姉さん似の娘が生まれた時の兄さんの反応を想像すると……」
――………………確かに。
「そうですね。公女様には同情すら覚えますが……」
「ああ……そうだろう」
まだ見ぬ公女様のこの上なく愛らしい姿と、周りがドン引くぐらいデレンデレンになる公爵様の姿を思い描き、うんうんと深く頷き合う。
「それならなぜ公爵様はマリエーヌ様と寝室を共にしないんですかね……。あの二人、前の結婚式の夜も何もなかったみたいなんですよ」
「そ……そうなのか……」
気まずそうに言うと、レイモンド様は少し考え込むように視線を落とした。
「……ああ……そうか……。あの問題がまだ残っていたな……」
「……問題?」
レイモンド様の口から呟かれた言葉の意味を問おうとした時、ゆっくりと馬車が停止した。
どうやら目的地に到着したらしく、レイモンド様は組んでいた足を降ろし身なりを整え始める。
その様子からして、今の発言をなかった事にしようとしているのが伺える――が、そうはいかない。
「レイモンド様。二人の間に何か問題があるのですか?」
ずいっと詰め寄ると、レイモンド様は私から顔を背けながら両掌を私に向ける。
「リディア嬢。とりあえず今は旅を楽しむ事だけを考えるんだ。そんな顔をしていると義姉さんが心配する」
「こんな顔にさせたのはレイモンド様ですが」
「……ああ、すまない。そこは僕の落ち度だ」
すんなりと自分の非を認めるレイモンド様を見て、少しだけ頭の熱が引いていく。
冷静になって考えると、レイモンド様の言う事も一理ある。
もしその問題が深刻なものなら……私はそれをマリエーヌ様に黙っていられるか分からない。
公爵様がマリエーヌ様に話していない事なのであれば尚更、どんな内容であれ私から伝えるべきではないだろう。
「分かりました。私もお二人の新婚旅行に水を差すような真似はしたくありませんので」
しぶしぶと納得し、レイモンド様から身を引く。
するとレイモンド様はしばし黙り込み……フッと柔らかく笑った。
「まさかこんな事を僕が言う日が来るとはな……」
小さく呟くと、私に面と向かって告げた。
「今は兄さんを信じてほしい。兄さんが義姉さんを不幸にするはずがないからな」
「当然です。そんな事があれば、私がマリエーヌ様をお連れして逃げますから!」
堂々と言い放つと、レイモンド様は一瞬だけ呆然とし、すぐに噴き出すように笑った。
「あの兄さんから逃げ切れるとは思わないが……そうなった時には、今度こそ僕も覚悟を決めよう」
それはマリエーヌ様を守るために協力してくれるのか……それとも、私を守るため……?
なんて考えてしまい、胸の奥がきゅっとなった。
結局、二人の間に何の問題があるのか……今は何も分からない。
だけど――たとえ何が起きようとも、私はマリエーヌ様のお傍を離れまいと固く誓った。




