10.みんなから慕われる公爵様
私と公爵様は最近出来たばかりだという、女性に人気があるカフェへ行く事になった。
使用人からは馬車での移動も勧められたのだけど、公爵様があまり馬車には乗りたくない様にも見えたので、歩いて行ける距離だからと馬車は遠慮しておいた。
それにあまり目立つのも良くないだろうし、お忍びデートというのも楽しいかもしれないと、柄にもなくはしゃいでしまう自分がいる。
公爵邸を出発した私達は、いつもの様に手を繋いで大通りを並んで歩いた。
繁華街まではそれ程遠くなく、暫く歩くと多くの人が賑わう街並みが見えてきた。
透き通る様な青空の下、柔らかい風を感じながらパンの焼ける香ばしい香りが漂ってきたかと思えば、焼き菓子の様な甘い香りに惹きつけられた。
行き交う人達の話し声がザワザワと大きくなり、活気で満ち溢れている様子が伝わる。
私が周囲を見渡し、見慣れない光景に目を輝かせていると公爵様がフフッと笑う声が聞こえて来た。
見上げると、目立たない様にとつば付きの帽子を被った公爵様がなんとも嬉しそうにこちらを見つめていた。
少し子供っぽかったかしらと、急に恥ずかしくなり公爵様に顔を見られない様に少しだけ俯いた。
というのも、私は今まで殆ど外出をした事が無い。
物心がついた時には、私はお母様とおばあ様と三人で暮らしていた。
年老いたおばあ様は脳の病気の後遺症で体全体に麻痺の症状が残り、自分では体を動かす事が出来ない状態だった。
そんなおばあ様を家に一人で残す訳にはいかず、お母様が買い物へ行く時はいつも私はおばあ様と二人でお留守番をしていた。
おばあ様が亡くなり、お母様が再婚してからは、再婚相手であるお父様の愛娘――つまり私の義理の妹が、私に虐められていると周囲に言いふらしていたせいで、外出した時にはいつも周りの人達から白い目で見られていた。
それが嫌で、だんだんと私は家に閉じこもる様になっていた。
結婚してからも、公爵邸から出るには外出許可が必要であったし、お金も持たせてもらえなかった。
私が外で他の男性と関係を持って子を設けては困るという理由から、外出する際には監視を付ける様に義務付けられてもいた。
確かに公爵様にとって私は世継ぎを産む為の女なのに、全く別の男性の子を身ごもるのは公爵様にとっても困るわよね、と私も納得していた。
決して私と他の男性が関係を持つ事が不快とかでは無くて、ただ困る。という理由だけで――。
そんな事を思い出すうちに、さっきまで浮かれていた気持ちはいつの間にか沈んでしまった。
いけないわ。
せっかく公爵様が街へ連れ出してくれたのに、こんな暗い気持ちになるなんて。
「マリエーヌ、どうかしたか?」
以前の公爵様を思い出し、虚ろ気味になっていた私の顔を、公爵様が覗き込んだ。
私を気遣う様に、赤い瞳が小さく揺れている。
急に至近距離で見つめられた事にビックリして、思わず足を止めて後ずさったけれど、手を繋いでいる事もあって公爵様との距離はまだ近い。
何故か公爵様との距離の近さを強く意識してしまい、ドキドキと胸の高鳴りが収まらない。
「いえ! ちょっと人混みに酔ってしまったみたいで――え?」
誤魔化す様に私が慌てながら弁明している途中で、公爵様が身を寄せてきたかと思った瞬間、体がふわりと浮き上がった。
……え?
体を包み込まれる様な感覚と、目の前には公爵様の美しい顔。
どうやら私は公爵様に抱き抱えられているらしい。
突然の出来事に私は頭の中が真っ白になり、以前の冷たかった公爵様の事なんて一瞬で吹き飛んだ。
「こ……公爵様?」
「ん? 疲れたのだろ? もうすぐ着くから、それまで僕に身を任せてほしい。このまま眠ってくれても構わない」
いえ……この状態ではさすがに眠れません。
「でも公爵様! これでは公爵様が疲れてしまいます! この後仕事もしないといけないのに……」
「そんな事は無い。むしろこうしていると仕事の疲れが癒される様だ……それにしてもマリエーヌは軽いな。やはり羽が生えているのではないか? このまま空まで飛べそうな気がするな。ははは」
どうしよう……公爵様のテンションがちょっとおかしいわ。
やっぱり仕事の疲れが溜まってるんじゃないかしら?
それにしても、これはさすがに目立ってしまう様な……。
「あれ? もしかして公爵様……?」
「あ、本当! じゃああの女性は公爵夫人?」
案の定、私達の存在に気付いた人達がざわめき出した。
「公爵様、先日はありがとうございました。公爵様のおかげで道路の補修が早く済みました」
「あ、駄目よ。今は奥様とデート中なんだから、邪魔しちゃいけないわ」
「公爵様、また今度うちの店にもいらしてください」
公爵様に近寄り声を掛ける人もいたが、私を気に掛けてか、すぐにその場から離れて行った。
以前の公爵様なら、こんな風に気さくに話しかけられる事なんてありえなかったはず。
今の公爵様は本当に皆から慕われているみたい。
そんな人達に対応する公爵様の横顔を、私は公爵様の腕の中でドキドキしながら見上げていた。
抱き抱えられている事にも緊張しているのだけど、こうして街の人達と話をする公爵様はいつも私に見せている姿とは違って、なんだか大人の風格が漂う姿だったから。
上に立つ人間としての威厳を見せつつ、カリスマ性が滲み出ている様な……その姿が格好良く見えて、頭のてっぺんまで上昇した熱に浮かされながら、私は公爵様の横顔に釘付けになっていた。
私の視線に気付くと、公爵様は嬉しそうに頬を赤く染めていつもの様にあどけない笑顔を輝かせた。
太陽にも負けない程の眩い笑顔を私は直視する事が出来ずに、限りなく薄目の笑顔で応えた。
「な!? なんだあの公爵様の笑顔は……!?」
「ま、眩しい! なんて神々しい輝きを放っているんだ!?」
「うぅっ……! とても直視出来ない……!」
「ママー、なんであそこだけ輝いてるのー?」
公爵様の眩いばかりの笑顔を見た周囲の人達は一斉にどよめきだし、次々と目を覆い始めた。
良かった。
眩しいと思うのが私だけじゃなくて。




