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03.公爵様のピアノ演奏

 ピアニストの男性と入れ替わるよう公爵様がステージに上がり、ピアノの椅子にすとんと座った。

 それから鍵盤の上に両手を添え――。


 ――――――♪


 突如、公爵様が奏で始めたピアノの演奏に、周囲から一斉にどよめきが起こった。


「な……なんだこの演奏は⁉」

「聴いたことがない曲ね……。だけど……なんて儚く美しいメロディーなの……?」

「切なさと愛しさが混ざり合うような……なぜかしら……なんだか涙が出てきたわ……」


 誰もが公爵様の演奏に酔いしれ、のめり込むように聞き入っている。

 それは私も同じで、優美な音色が耳に心地よく響き、滑らかな動作でピアノの鍵盤を弾く公爵様の姿に目を奪われる。

 ドキドキと高鳴る胸の鼓動すらも、美しいピアノのメロディーに溶け込んでいく。


 ――公爵様にこんな特技があったなんて……。


 やがて演奏が止まり、公爵様が鍵盤から手を降ろした瞬間、沸き起こった拍手喝采がラウンジ内に鳴り響いた。

 中には立ち上がり、割れんばかりの拍手を贈る人や、涙を流し余韻に浸る人たちも。

 その時、先ほど演奏していたピアニストの男性が、転げそうになるほどの勢いで公爵様の傍へとやって来た。


「い……今のは何の曲ですか⁉ どこの国の曲で……楽譜は存在するのですか⁉」

「そんなものはない。僕が今、考えた曲だ」


 鼻息荒く問いかけてきた男性に、公爵様はあっさりと答えた。

 途端、男性は大口を開けて唖然とする。


「なっ……い……今のを即興で⁉ もしや貴方は名立たる音楽家様であられますか⁉」

「いや、ピアノに触れるのもこれが初めてだ」

「は……はじめてですと⁉ そんな……ありえない! 初めてであんな演奏できるはずがありません!」


 疑惑の眼差しを注ぎながら詰め寄る男性に、公爵様は少しも動じず淡々と言葉を連ねた。


「お前の演奏を見て音の位置と規則性は把握していたからな。あとは頭の中でイメージした通りに組み立てて演奏するだけだ。そう難しいことではないだろう」

「………………私の演奏から……音を……? 初見で……?」


 驚きに卒倒しそうなほど目を白黒させる男性を無視して、公爵様は何食わぬ顔でステージから降り……ようとした時、男性が素早く回り込み、両手を広げて公爵様の前に立ち塞がった。


「お待ちください! これほどまで素晴らしい演奏を奏でられる貴方こそ、世界で活躍するべきです! ぜひ私と一緒に世界を周りませんか⁉」

「は? なぜ僕が貴様と世界を周らねばならないんだ」

「うっ……それは……」


 冷たい眼光で公爵様に睨まれ、男性は一瞬たじろぐも、すぐに両膝と両手を地に着け公爵様を見上げた。


「で……でしたら……! どうか先ほどの曲を、私が演奏する許可をいただけませんか⁉ 貴方の演奏ももちろん素晴らしかったのですが……何よりも曲が素晴らしかった……。透明感のある繊細で美しいメロディーと絶妙なハーモ二ー……私が知る数々の名曲の中でも珠玉の一曲と言えます。きっと多くの人々の心を魅了し、長きに渡り後世へと受け継がれる名曲となるでしょう……。どうか貴方の名前と共に、唯一無二のこの曲を世界中に広める権利を私に与えてはくださいませんか⁉」


 メラメラと燃えるような闘志を剥き出しにした男性は、真剣な眼差しで公爵様を見据えている。


 一方で、全く興味の無さそうな公爵様は、しばらく沈黙した後、私をジッと見つめた。


 ――……え? それは……私に判断を任せるという事……⁉


 私の心の声を読み取ったかのように、公爵様はコクリと頷く。

 それを見て、ピアニストの男性の視線も私へと注目する。

 更には周囲の視線も……なぜか私の方に……すごく刺さる!


 なにか物凄く重大な決断を託された気がする。

 だけど……私の答えは一つしかない。

 私は公爵様に向けてニッコリと微笑み、力強く頷いた。


 公爵様の素晴らしい演奏に感動したのは私も同じ。

 こんなに胸を打つ演奏を聞いたのは初めてだった。

 だからきっと、この曲は国境も人種の壁も越えて、世界中の人々を感動させるに違いない。


「ああ。許可しよう」


 公爵様が承諾すると、ピアニストの男性の表情は一気に明るくなった。


 それと同時に、周りの人々からも歓声が上がり、拍手が湧き起こる。


「ありがとうございます‼ この曲は私が責任を持ってお預かりさせていただきます! 譜面は先ほどの演奏を元に私の方で作らせていただきますので。つきましては……どうかこの素晴らしい名曲に、名を付けてはくださらないでしょうか?」

「名前……それならもう決まっている」

「なんと! それは是非とも教えてください!」


 男性が期待の眼差しを公爵様へと向けると、周りの人々も固唾を呑んでその瞬間を待った。

 しん……と静まり返るラウンジ内。

 皆の注目を集める中、公爵様は眼鏡を人差し指でグッと持ち上げ、ゆっくりと口を開いた。


 その眼差しを、()()()に向けて――。


「曲名は、゛マリエーヌのために゛だ」


 ――……え?


 私の浮かべている笑顔が、ピシッと凍り付いた気がした。


「マリエーヌ……? それは……誰かの名前でしょうか?」


 ピアニストの男性が神妙な面持ちで問いかけると、公爵様はキリッと表情を引き締めた。


「そうだ。僕が愛してやまない妻の名前だ」

「おお! もしやあのお方が貴方様の……⁉」


 男性の視線はもちろん、私へと向けられている。

 公爵様も深く頷き、堂々と告げた。


「ああ、彼女こそ僕の最愛の妻――マリエーヌだ」

「なんと……愛する奥様の名前を曲名にするとは……大変おみそれしました! ぜひ、奥様の名前もこの名曲と共に世界中に広めてみせましょう!」

「ほう……悪くないな。ならば僕の妻がいかに素晴らしい女性……いや、女神であるかも今ここで語ってみせよう」


 すっかり男性と意気投合した公爵様は、とても誇らしげなご様子で私が起こしたという(全く身に覚えがない)奇跡の数々を流暢(りゅうちょう)に語り始めた。

 更には私が浄化の力を持っているだとか、この世界を創立した神なのだとか……この世に実在する人物とは思えないような話を、それはもう生き生きとした様子で語っていた。

 それを聞いた人々は、私に向けて手を合わせ拝み始め、涙を流す人まで……。

 その馴染みある光景を前にしながら、私は諦めにも似た気持ちで公爵様の顔を見上げた。


 ――公爵様。思いっきり目立っているようですが……?


 つい先ほどまで慎ましく過ごしたいと言っていた公爵様はどこへやら。

 誇らしげに微笑む公爵様は、私の視線に気付くと目尻を下げて嬉しそうに笑った。

 そんな幸せそうな顔を見せられては、もはや何も言えない。

 たとえ私の名前までもが、世界中に広められる事になるのだとしても……。


 貴方の幸せが、私の幸せでもあるのだから――。

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