02.黒髪の公爵様
船内には、私たちと同じように、海を渡り国外へと向かう人々が乗船している。
公爵様と待ち合わせをしている船内のラウンジにも、そんな人たちが大勢集まり食事を楽しんでいた。
その中央部に設けられたステージ上には立派なピアノが設置されており、黒いスーツ姿の男性が波打つように体を揺らしながら演奏を披露している。
その指先から奏でられる優雅な音色に心奪われた私は、目的も忘れて聞き入ってしまう。
――……っていけないわ。まずは公爵様と合流しないと……。
ギリギリのところでなんとか意識を切り替え、公爵様の姿を探す。
けれど、どこに居ても目を惹く白銀色の髪が、見渡す限り見つからない。
その時、
「マリエーヌ」
すぐ近くから、私の名を呼ぶ公爵様の声が聞こえた。
咄嗟に振り返ると、私を見つめる人物と目が合い――その姿に思わず目を見張った。
「え……? こ……公爵様⁉ その御髪は⁉」
公爵様の特徴の一つでもある、絹のように艶やかで美しい白銀色の髪。
それが今は、闇に沈んだような漆黒色に染まっている。
それに加えて目元には見た事のない眼鏡まで。
薄っすらと青みがかったレンズ越しに見る公爵様の瞳は、いつもの赤色ではなく深みのある赤紫色をしている。
するとその瞳がニッと細められ、ほんのりと頬を赤く染めた公爵様がぎこちなく口を開いた。
「染めてみたんだが……君から見て、僕のこの姿は……どうだろうか……?」
そう言って私の反応をジッと待つ公爵様は、まるで別人のようにも見える。
それなのに、その瞳に宿す熱量はいつもと変わらない。
私の事が愛しくて仕方が無いという熱い眼差しに、こちらまで胸が熱くなる。
むしろいつも以上にドキドキとして胸の高鳴りで落ち着かない。
――黒髪の公爵様……とても素敵だわ……!
もちろん、いつもの公爵様も素敵なのだけど、なんていうのかしら……この……レア感⁉ それともギャップ……? 意外性……? あとは……お得感……なのかしら?
上手く言い表せないけれど、いつもとは違うその美貌に、ピアノの演奏も聞こえなくなるほど見惚れてしまう。
すると、公爵様はしゅん……と眉尻を下げ、
「君の好みに合わないようならすぐに戻そう。眼鏡も無くした方がよければ――」
「いえ。その髪色も眼鏡も、とても素敵だと思います」
はきはきと告げると、公爵様は眼鏡を外そうとした手をピタリと止め、
「本当か⁉」
次の瞬間、パァァァッと太陽の如く眩い笑みを顔面いっぱいに咲かせた。
――ああ……髪は黒くなったけれど、相変わらず眩しいわ……。
その眩しさに、私はしばし目を細め――やがて落ち着いたところで、公爵様と同じテーブルの席に着いた。
それでも、いつもと違う公爵様の姿をちらちらと覗き見てしまう。
「マリエーヌ……そんなにこの姿が気に入ったのなら、もっと近くで見るといい」
「いえ、ここからでもよく見えますので。ですが、どうして急に髪を染められたのですか?」
「ああ。白銀色の髪は、レスティエール帝国の皇族の血を引く者にしか継承されないからな。この瞳の色もだが……。だからいつもの姿だと、それを知る人間には僕が何者なのかが一目で分かってしまうんだ」
そういえば、レスティエール帝国で公爵位を持てる人物は、皇族の血を引く男性だけだと聞いた。
そして現在、帝国内で公爵位を持っているのは公爵様ただ一人だけという事も。
つまり……公爵様は髪色と瞳の色を隠して、公爵である事を隠していると……?
「でも、それが何か問題なのですか?」
「いや……ただ単純に、あの髪色のままだと目立ってしまうのが一番の理由だ。今回の新婚旅行は、周りの目を気にせず二人だけの時間を堪能したいと思っているんだ。公爵領では、僕たちはすぐに注目の的となってしまうからな」
――……あの、公爵様。公爵様はともかくとして、私が注目される理由は、街の中央部に私とよく似た女神像を建てられたからなのですが……。
ふいに、人々が私に向けて手を合わせる姿を思い出し、苦々しい笑顔でその言葉を呑み込んだ。
すると公爵様は私の手を取り、ギュッと両手で包み込むようにして握った。
「この旅行中はなるべく目立たないよう、君と一緒に慎ましく過ごしたいんだ。だから僕も、今だけは公爵という立場を内に秘め、君だけの夫でありたい」
――私だけの……夫……?
その響きに、胸の奥がじぃん……と熱くなる。
あの広大な領地を統治している公爵様は、休みをとれないほどの多忙な日々に追われている。
それでも隙を見て(ジェイクさんの目を盗んで)私に会いに来てくれるのだけど。
そうまでして私との時間を作ろうとしてくれる公爵様の気持ちは嬉しい。
だけどそれよりも、申し訳ない気持ちの方が勝ってしまう。
なので、迎えに来たジェイクさんに差し出すよう背中を押して執務室へと戻っていただいている。
もちろん、私だって公爵様ともっと一緒に居たい。
前世での記憶を取り戻してからは尚更、一緒に過ごせる時間の尊さを分かっているから……。
だとしても公爵様は、皆の公爵様だから……私だけが独り占めをする訳にはいかない。
それに、公爵様が邸内に居る時は、必ず食事の時間になると迎えに来てくれるし、天気の良い日は中庭を散歩する時間だって作ってくれる。
だからもっと一緒に居たいだなんて……そんな我儘は言えない。
言っちゃいけない。
そう思って今まで過ごしてきた。
だけど今、公爵様は私だけの夫だと言ってくれた。
――それはつまり……今だけは、私が公爵様を独り占めしてもいいって事……?
そんな期待を込めた眼差しを公爵様に向けると、それを肯定するよう公爵様は柔らかく笑った。
「そういう訳だから、マリエーヌ。僕の事は公爵ではなく、名前で呼んでほしい」
――あ……そうよね。私が公爵様と呼んでしまったら、正体を隠している意味がなくなってしまうものね。
「分かりました。では、この旅行中はアレクシア様とお呼びしますね」
まだ呼び慣れないその名前を口にするのは、少し恥ずかしいけれど。
「旅行が終わってからも、名前で呼んでもらって構わないんだが」
「それは……考えておきますね」
その時、聞こえていたピアノの音色が途切れ、パチパチパチとあちこちから拍手が上がった。
それを見て、私も咄嗟に拍手をして演奏者への賛辞を贈る。
「素敵な演奏でしたね」
「ああ。彼は世界を渡り歩きながら活動している有名なピアニストらしい。偶然、同じ船に乗り合わせていたようだから、演奏を聴けたのは運が良かった」
「そうなのですね。ピアノの演奏を聴くのは初めてだったので、感動してしまいました」
「……そうか。それは良かった」
公爵様も、満足そうな笑みを浮かべている――と思った瞬間、その瞳が鋭く尖り、ピアニストの男性へと向けられた。
「だが……やはり君を感動させるのは僕だけでありたい」
「……え?」
低くなった声で呟くと、公爵様はすぐに立ちあがり、ステージの方へと向かった。
――あの……公爵様……。いったい何をするおつもりで……?
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