01.目的地は異国の地
新婚旅行編、連載開始します!
どうぞよろしくお願い致します!
「マリエーヌ。僕たちの新婚旅行は何処へ行こうか」
二度目の結婚式を挙げて、一ヶ月後。
唐突に告げられた公爵様の言葉により、私たちはおよそ二年越しとも言える新婚旅行を決行する事になった。
新婚旅行となると、少しは遠出するのだろうとは思っていたけれど……まさか、海を渡って異国の地へと向かう事になるなんて――。
◇◇◇
「マリエーヌ様ぁ……」
板張りの壁で覆われた室内。
刺繍枠に固定した布地に黙々と刺繍を施していると、私のすぐ傍にあるベッドからうなされるような苦しげな声が聞こえてきた。
その声の主は、私の専属侍女リディア。
真っ青な顔でベッドに横たわる彼女からは、いつもの威勢の良さは全く感じられない。
普段は白いリボンで一括りに結ばれているふわふわとした夕日色の髪も、今は枕の上でぐしゃぐしゃに乱れてしまっている。
リディアは虚ろげな眼差しを私に向け、声を絞り出す。
「私の事はお気になさらず……どうか先に公爵様と昼食をとられてください……」
「でも……やっぱりあなたを置いては行けないわ」
言いながら、サイドテーブルの上にある針山に針を刺し、手にしていた刺繍枠をそこに置いた。
リディアは尚も声を振り絞る。
「ですが……昨日も私のせいでお二人の時間をほとんど過ごせていませんよね……? どうか、私の事よりも公爵様とのお時間を優先されてください」
体を起こすのもままならないほど辛そうなのに、自分の事よりも私を気にかけてくれる彼女の優しさに、じぃんと目頭が熱くなる。
そんな彼女をやっぱり一人放ってはおけない。
「ありがとう。でも大丈夫よ。公爵様だってきっと分かってくださるわ。それよりも、何か食べられそうなものはある?」
「食べても……またすぐに戻してしまうかと……」
「そう……困ったわね……」
――こんなにも苦しそうにしているのに何もできないなんて……。
もどかしくて仕方ないけれど、今はどうやっても彼女を苦しみから解放させてあげる事はできない。
なぜなら、私たちが今居る場所は大海原の真っただ中。
リディアが苦しんでいる理由。
それは私たちが乗っている船の揺れ。
つまり、船酔いなのだ――。
今、私たちは公爵邸のあるレスティエール帝国を離れ、海を越えた先にある大陸――ディーランド大陸を目指している。
ディーランド大陸は、レスティエール帝国が統一するレスティエール大陸と比べると、その広さは十分の一にも満たない。
大陸内には独立した国がいくつかあり、中でも私たちの目的地であるヤシャという国は、芸術を愛する民族柄、工芸が盛んで伝統的な技術が今も受け継がれている土地らしい。
新婚旅行先をこの地に選んだのには、理由があった。
それは、私が大切にしていたショールに施されていた刺繍がほつれてしまったから。
そのショールは、唯一残っていたお母様の形見の品でもある。
十歳の頃にお母様が急死して、私が悲しみに暮れているあいだにお義父様はお母様のものを勝手に処分してしまった。
そんな中、お母様に借りていたショールただ一つだけが私の手元に残った。
年季の入ったショールを私が使うのを見て、公爵様が新しいショールを沢山贈ってくれたのだけど、つい手に取ってしまうのはやっぱりこのショールだった。
それがついに限界が来てしまったらしく、刺繍糸が切れ、美しく描かれていた模様の一部が解けてしまったのだ。
刺繍のほつれに気付いた時、すぐに公爵様が修繕の手配をしてくれたのだけど、機械化の進むレスティエール帝国内に、それを直せるほどの手腕を持つ職人さんは見つからなかった。
それならばと、公爵様はショールが作られた産地を調べ、更にはそれが作られた工房の場所まで特定してくれた。
そして、新婚旅行の行き先をこのショールの産地でもあるディーランド大陸にして、現地の職人さんに直してもらおうという話になったのだ。
ディーランド大陸までは、船で移動して丸一日と半日もの時間を要する。
昨日の朝に港を出港し、天候も乱れる事無く順調に航海は進んでいる。
この調子でいくと、夕方頃には現地へ到着するはず。
旅行をするなんて、私には初めての経験。
しかも、海の向こう側に渡れるのだと思うと、ワクワクとドキドキが止まらなくて、昨晩はあまり眠れなかった。
「マリエーヌ様。本当に私の事はお気になさらずに……すでに公爵様がお待ちでしょうから……」
「そうね。じゃあ、公爵様に一言言ったらすぐ戻って来るわね」
椅子から立ち上がり、扉へと向かおうとした時、手首をガシッと掴まれた。
「……リディア?」
振り返ると、ふるふると震えながら上半身だけを起こしたリディアが、必死の形相でこちらを見据えていた。
その紫色の瞳にうっすらと涙を滲ませながら。
「いえ……マリエーヌ様のお気持ちは大変嬉しいのですが……私のせいでマリエーヌ様と公爵様が過ごす時間が減ってしまうと、私が公爵様に殺されかねないのです!」
「…………え?」
耳を疑う発言が飛び出し、瞬時に思考が停止する。
そのまましばらく言葉を失い……ニコッと無理やり笑顔を繕った。
「リディア……さすがに公爵様もそこまでしないと思うわ」
「いいえ! あの人ならやります! そういう人なんですよあの人は!」
血走った瞳を見開きながら反論すると、リディアは視線を地に落とした。
「あの人、自分よりも先に私がマリエーヌ様から『好き』って言われたのをずっと根に持っているんですよ……。本当に器が小さい男ですよね……」
さりげなく付け加えられた誹謗には、キュッと口を閉ざして沈黙を貫いた。
――というかリディア……そんな事まで公爵様に言ってしまったのね……。
嘘のつけない彼女の事だから、何かの流れで口が滑ってしまったのだろう。
「それに私、知ってるんです……。あの人が密かに私そっくりな女性を探しまくっている事を。きっと私の替え玉を用意してこっそり私とすり替えるつもりなのですよ! そして気に食わない私の事を抹殺――」
「待ってリディア。落ち着いて……きっと何かの間違いよ。それにあなたが別人とすり替わっていたら、私が気付かないはずがないわ」
「ええ。マリエーヌ様ならきっと気付いてくださるでしょう……。ですが、その時にはきっと私はこの世には……うっ……ううう……」
途端にしくしくと涙を流し始めたかと思うと、リディアはぼふっと枕に顔を埋め、頭からすっぽりと布団を被さった。
その中から、悲しそうにすすり泣く声が聞こえてくる。
――リディア……可哀想に……。きっと船酔いが辛すぎて疑心暗鬼に陥っているんだわ。お腹も空いているだろうし……。
そんな彼女を、この部屋に一人残すのはとても心苦しい。
けれど今の彼女にとって、私がここに居る事すらも不安でしかないというのはよく分かった。
とにかく今は、彼女の言う通りにして少しでも安心できるようにしてあげないと……。
「分かったわ。じゃあ、私は公爵様と食事をしてくるけれど、何か口当たりの良さそうな食べ物があれば持ってくるわね」
「ありがとうございます……それだけでもう十分ですので……」
布団の中から発せられる声を最後まで聞いて、私は一人部屋から退室した。




