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書籍2巻&コミックス1巻予約開始記念SS マリエーヌ女神像 ~とある彫刻家~

本編が開始して2週間ほど経過したお話です。

マリエーヌ女神像を作成した彫刻家を襲う悲劇とは…

『愛する妻を象った石像を作ってほしい』

 

 あの冷徹無慈悲と有名な公爵様の口から、まさかそんな言葉が飛び出すとは誰が予想できただろうか――。


 彫刻界の鬼才と(うた)われ、数多(あまた)の名作を世に残してきた私も、もうすぐ六十を迎える。

 人生の節目とも言われる年齢を前にして、そろそろ引き際かと考えていたところ、耳を疑うような依頼が舞い込んできたのだ。


 ――あの公爵様が『愛する妻』とはっきりおっしゃられた事にも驚いたが……奥様の石像を作ってほしいとは……何が起こっているんだ……?


 とても信じられない。

 だが、今現在、私の目の前には至って真顔の公爵様が佇んでいる。


 ――もしやこれは、彫刻の神が私に与える最後の試練なのか……?


 だとしても、この珍妙な依頼を易々と引き受けていいものかと、重大な決断を前に少々しり込みしているところを、公爵様の手により半ば強引に馬車へと引きずり込まれた。

 そのまま馬車は公爵邸へ向けて走り出し、到着するなり奥様がティータイムを楽しまれているという中庭へと連行された。


 石畳の通路を歩きながら、景観良く整えられた立派な中庭の美しさに感嘆の溜息が漏れる。

 その光景は、芸術家としては創作意欲が搔き立てられるものでもある――が、それ以上に公爵様と二人きりという今の状況の方が深刻さを極めていた。


 正直、さっきから生きた心地が全くしない。


 会話も無いまま、公爵様の背中をひたすらに追いかけていると、先に見えるガゼボの中で、侍女と談笑している女性の姿が見えた。

 すると公爵様が立ち止まり、その先に向けてスッと手をかざした。


「あの女性こそが僕の最愛の妻、マリエーヌだ!」


 精悍(せいかん)な顔つきで、かつ自慢げな笑みも含めつつ、声高らかに言い放つ。

 まるで自分の宝物を自慢する子供のような姿を見せる公爵様に、言いしれない不気味さを感じゾッとした。

 しかし本来の目的を思い出した私は、自分の仕事を全うすべく公爵夫人――マリエーヌ様に注目する。

 ……と言っても、まだ返事も何もしていないのだが……もはや断れる雰囲気ではない。


 もう、やるしかないのだ。


 すぐさまカバンの中からスケッチブックと鉛筆を取り出し、さっそくマリエーヌ様の姿をスケッチし…………いや、遠いな。

 ここからマリエーヌ様の距離までざっと見積もって五十メートル以上はあるんじゃないか……?

 さすがに遠すぎて全貌がさっぱり分からない。

 もう少し近付きたいのだが……。


 そう思いながら、恐る恐る隣に居る公爵様の様子を伺う。

 公爵様はうっとりとした眼差しでマリエーヌ様を眺めており、たまにフフッと笑うと、さも自分も会話に参加しているかのように相槌を打っている。


 なんとも異様な光景だ……。

 怖すぎる。もう帰りたい。


 だが、私もこの道のプロだ。

 そう簡単に仕事を放棄する訳にはいかない。

 今一度、気持ちを持ち直し、ご機嫌な様子の公爵様に声を掛けた。


「公爵様……よろしければ、もう少しお近くに――」

「駄目だ。お前にはまだこの聖域に足を踏み入れる資格はない」


 私の願いは最後まで言い終えるまでもなく、急に真顔となった公爵様によりバッサリと切り捨てられた。


 聖域という……謎の言葉と共に。


「……は……はあ……左様で……」


 とりあえず、聖域(それ)については触れずに、仕方が無いので極限まで目を細めて遠くに見える奥様の姿をなんとか――。


「そこまでだ」


 ようやくピントが合い始めたところで、公爵様が急に私の前に立ち塞がった。


「それ以上、マリエーヌを見つめる事は許さん」

「え……? いえ……あの……見つめているというか……奥様の姿をスケッチするためには必要な事ですので……」


 途端、公爵様の額にピキ……と青筋が浮かんだ。


「なんだと貴様……そうまでしてマリエーヌを見つめたいというのか……?」

「い、いえ……! 奥様のお姿を正確に彫刻するためには、こうして紙に描き記しておかないといけなくてですね……」 

「一目見れば十分だろう。あの可憐で愛らしい彼女の姿を忘れられるはずがない」


 堂々と言い放つと、公爵様は再び微笑を浮かべながらマリエーヌ様を眺める。

 もはや私の場所からマリエーヌ様の姿は一ミリも見えない。


 ――まだ何もスケッチできていないというのに……このままマリエーヌ様の姿を確認できないまま、誰かも分からない石像を作ってしまったら……私が公爵様に殺されてしまう……!

 彫刻家を引退するどころか、人生を引退するはめになってしまうじゃないか!


 もはやなりふり構ってはいられない。何としても、マリエーヌ様のお姿をこの目で確認しなければ……!


「で、でしたらせめて一目だけ! 一目だけでも奥様をお近くで拝見させてください! そのお姿をしかとこの目に焼き付けますので!」


 刹那、マリエーヌ様を見つめていた公爵様が、ギギギギッとこちらへ顔を向け――。


「は? マリエーヌの姿を目に焼き付けるだと……?」


 大きく目を見開きながら、ドスの効いた声を吐き出した。

 身も凍るほどの凄まじい剣幕を前にして、私の体がカタカタと震えだす。


「許さん……今ここでその目玉をくり抜いてやろう……」


 言いながら、公爵様は胸ポケットから取り出した万年筆の蓋を指ではじき、その切っ先を私に向けて握りしめる。


「ひぃ⁉ そ……そそそそそれではマリエーヌ様の像を作れなくなります!」

「貴様は神の手を持つ彫刻家なのだろう? 手が動けば問題ない。さっきからマリエーヌの姿をジロジロ見つめるその目が不快で堪らなかったんだ」

「そ、それはマリエーヌ様の姿が遠すぎてですね!」

「黙れ……うるさいその口も塞いでやろうか」

「ひいいいぃぃぃ‼ 公爵様! どうか……どうかご慈悲をおおぉぉぉぉ‼」


 ゆっくりと近付いてくるペン先を前に、断末魔とも言える叫び声を上げた時――辺りを漂っていた冷気がふっと消え去った。


「公爵様?」


 と、公爵様の背後から、マリエーヌ様がひょこっと顔を覗かせた。


「マリエーヌ!」


 公爵様は今しがた私に向けていた殺人鬼のような顔を一転させ、パアァァァッと笑顔を輝かせながらマリエーヌ様の許へと駆け寄った。

 途端、只ならぬ緊張感から解放された私は、その場に崩れ落ちた。


 ――た……たすかったのか……⁉


 ハァハァと、思い出したかのように呼吸を繰り返し、尋常じゃない量の汗が地に滴り落ちる。

 一方で公爵様は、頬を赤らめながら嬉しそうな様子でマリエーヌ様に声を掛けた。


「もしかして僕に会いに来てくれたのか⁉」

「え……? あ……声が聞こえてきたので……」

「そうか、嬉しいな……君の方から僕に会いに来てくれるなんて……」


 公爵様はなんとも嬉しそうに、うっとりとした眼差しでマリエーヌ様を見つめる。


 ――しかしこの場合、マリエーヌ様が会いに来たというよりも、公爵様の存在に気付いて用事があるのか確認するために来ただけな気がするのだが……。


 だが、マリエーヌ様はそれについては特に何も言わず、フフッと朗らかに笑い受け流している。

 なんと寛大なお方なのだろうか……と、思わず拝みそうになってしまった。

 するとマリエーヌ様はちらっと視線をこちらに向け、ペコっと小さくお辞儀をした。

 呆気に取られていた私も、瞬時に背筋を伸ばし、帽子を脱いでお辞儀を返す。


 ――しまった……私の方からご挨拶するべきだったのに……。


 それを悔いながらおずおずと頭を上げると、マリエーヌ様は、そんな私の懸念など全く気にしていないかの如く慈愛に満ちた笑みを浮かべて佇んでいた。


 風など吹いていないはずなのに、ふわっと緩やかにたなびく髪。

 美しく澄み切った新緑色の瞳、川のせせらぎが聴こえてきそうなほどの……安らぎ。


 そして次に訪れたのは――身を震わすほどの悪寒。


 気付けば公爵様が物凄い形相でこちらを睨みつけている。

「それ以上見つめたら(自主規制)」とその目が訴えている。


 せめてマリエーヌ様に失礼のないようにと、不自然に目を泳がせながらそぉっと視線を逸らした。


 するとマリエーヌ様は何かに気付いたように「あ……」と目を見開く。


「お話の途中なのですよね。私はこれで失礼いたします」

「あっ……マリエーヌ! 待ってくれ! 話はもう終わったから大丈夫だ」


 その場を立ち去ろうとしたマリエーヌ様を、咄嗟に公爵様が引き止める。

 かくいう私も、殺人鬼と二人きりにしないでください! とばかりに右手を差し伸べていた。


「この男はもうふよ――用事は済んだから帰らせよう」


 ――この人……今、私の事を不要だと言いましたよね。


 というか、まだ何も済んでいないのだが……。


 それなのに、公爵様はまるで野生動物でも追い払うかのように、シッシッとマリエーヌ様には見えない位置から私に向けて手を払う。

 もはや私をここへ連れてきた目的も忘れているようだ。


「あの、本当によろしいのですか?」

「ああ、それよりもマリエーヌはお茶の途中だったのだろう? 僕も君の隣で、少し休ませてもらってもいいだろうか」

「はい……ですが、公爵様のティーカップがないと思うので……持ってきてもらいましょうか?」

「いや、問題ない。僕はすでに君への愛で溺れそうだからな……。茶は不要だ」


 ――……え? 今のは……どういう事だ……?


「…………そうなのですね」


 ――そこ納得してしまうのか……⁉ 私には全く訳が分からないぞ⁉


「すでに満たされた愛で溺れそうだからこれ以上水分を多くしたら本格的に溺れてしまうと……?」


 いつの間にか私の隣に来ていた公爵家の侍女が、冷静な態度で分析する。

 私が見ているのに気付いたのか、夕日色の髪をした侍女はフッと諦めたような笑みを浮かべた。


「どういう事でしょうかね……」


 ――いや……私が聞きたい……。


「さあ、マリエーヌ。一緒に行こう」

「あ……ちょっとだけ待ってください」


 マリエーヌ様は私の隣に佇む侍女にぼそぼそと何か耳打ちしている。


「じゃあ、よろしく頼むわね」

「はい。かしこまりました」


 そんなやりとりを交わし、マリエーヌ様は公爵様と仲睦まじく手を繋ぎながらガゼボの方へと去って行った。

 一人残された私が途方に暮れようとしている時、先ほどの侍女が声を掛けてきた。


「マリエーヌ様より、公爵様との時間を妨げてしまい申し訳ありませんでした、との事です。それからこのまま公爵様を待つのであれば応接室にご案内するよう、お帰りであれば馬車を手配するよう仰せつかっております。いかがなされますか?」

「え……」


 ――なんと……誰かも分からない私に……そんな細やかな配慮をしてくださるとは……!


 ……もしや……女神……?


 その瞬間――パアァァァッと神の啓示とばかりに強烈なインスピレーションが舞い降りてきた。


「……帰ります」


 それだけ告げて、その後の事はよく覚えていない。


 ◇◇◇

 

 帰宅直後、私は何かに取り憑かれたように大理石をひたすらに刻み続けた。

 三日三晩、寝食を忘れ……気付いた時には羽根なんて生やしてしまっていたが……。


 私の現役最後の作品に相応しい女神――マリエーヌ女神像が出来上がった。


 ◇◇◇


「これは……素晴らしいマリエーヌ女神像だ」


 完成品をお披露目すると、公爵様はそれはもう大層ご満悦な笑みを浮かべた。


 ――やりきった……。

 もう、これで思い残す事は……。


「次も頼むぞ」


 当然のように告げられた衝撃の一言により、私はそのまま白目を剥いて卒倒した――。


ご愛読いただきありがとうございます!

久しぶりの番外編でしたが…そういえばこの二人、こんな感じだったなと思い出していただけましたら嬉しいです!


そして大変お待たせいたしました…。

本日より、小説2巻&コミカライズ1巻の予約が開始致しました!

7月1日に同日発売となっております!

オンラインストアでは同時購入特典もあります。

今回は書店別にも特典が用意されております!

特典情報については活動報告に詳細を記載しております。


また、続編についても精鋭執筆中でございます!

公開までもうしばらくお待ちいただけますと幸いです!


いつも応援いただき誠にありがとうございます…!

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― 新着の感想 ―
[一言] 第2巻 春の出版だと聞いていたので じれじれしながらお待ちしておりました。7月ですね✍️ 予約しなくては。
[一言] 更新してくださってありがとうございます。 マリエーヌ像に羽が生えた理由がそんな理由だったんだなと笑ってしまいました。 公爵の振り切れ具合が凄すぎてマリエーヌの方が困りそうですよね(笑
[良い点] いつも楽しく読んでます! 彫刻家さんのジェットコースターみたいな1日が無事終わったはずなのに次回が来るとは(笑) もう、彫刻家さんも女神の使徒だしね〜 やれば出来るでしょうね。
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