09.ずっと傍にあったもの
沈黙の時が流れ……俯いていた顔を上げると、リディアは口元に手を当て「うーん」と唸っていた。
そのまま僕をジッと見つめると、口を開いた。
「……レイモンド様。一つお伺いしたいのですが……中庭のブルーロザリアは、お母様が育てられたのですか?」
「……? ああ、そうだが……」
ブルーロザリア――それは母さんが一番好きな花だ。
母さん自らが手入れをするほど入れ込んでいた花で、公爵邸に住んでいた頃、僕の部屋からわざわざ見える位置にブルーロザリアの花壇を設置してくれた。
だから僕が公爵邸を出る時、ブルーロザリアの花壇ごとこちらへ持って来たのだ。
母さんの形見だと思って、僕が長く滞在する執務室のすぐ近くに設置している。
――幼き日の思い出は何もかも燃えて残っていないと思っていたが……これだけは無事だったな……。
窓に目を移せば、月明かりに照らされたブルーロザリアの葉がザァザァと揺れている。
時期的にも、もうすぐ花を咲かせるかもしれない。
それにしてもリディアはなぜ、ブルーロザリアを母さんが育てたのだと分かったんだ?
それを訊こうとした時、リディアが先に口を開いた。
「でしたら、レイモンド様はもうすぐ誕生日ではないのですか?」
「……!」
なぜそんな事を訊いてくるのか分からないが……確かに、もうすぐ僕の誕生日がくる。
今まで忘れていたのだが……。
「そうだが……なぜ分かったんだ?」
するとリディアは得意げな顔でにんまりと笑うと、人差し指をビシっと突き立てた。
「ずばり、ブルーロザリアのお花がもうすぐ咲きそうだったので!」
「……?」
「その反応……やはりご存知ではないのですね」
リディアは机の上にあるティーカップを手に取り、入っているホットミルクをゴクゴクッと飲み干した。
ふぅ……と小さく息を吐き、それソーサーの上へと戻すと、柔らかい笑みを浮かべて語り始めた。
「私の母親の故郷では、子供が生まれたらブルーロザリアの種を植える風習があるんです。それを植えると、季節に関係なく時間をかけて土に深く根を張りながら成長し、一年後……子供が誕生日を迎える頃に花が咲くのです。しっかりと根付いたブルーロザリアは、毎年同じ時期に花を咲かせるので、それを子供の誕生日プレゼントと一緒に贈るんです」
それはまさしく母さんが毎年、僕にしてくれていた事だった。
リディアの母親と僕の母さんは、もしかしたら故郷が同じだったのかもしれない。
「……ああ。僕の母も同じ事をしてくれた。だが、それに何の意味があるんだ?」
僕の問いに、リディアは何かを懐かしむように目を細めた。
「ブルーロザリアの花言葉は『母の愛』なのですよ」
「……!! ……母の……愛……?」
「はい。ブルーロザリアは種から花を咲かせるまでの一年がとても手間がかかるんです。肥料の質や量、土の状態にとてもデリケートなお花なので……育ち具合を確かめながら調整を繰り返す必要があるんです。それはもうよほどの愛情を持って根気強く育てないと、開花しないまま萎れてしまうんです。それが我が子を育てるのと似ている……というのが花言葉の由来だったかと思います。だからブルーロザリアは、母の愛により成長するとも言われているんです」
リディアの話を聞きながら、幼い頃に見ていた光景を思い出していた。
泥だらけになりながら、熱心にブルーロザリアの手入れをする母の姿を――。
「だから誕生日プレゼントと共にブルーロザリアの花を贈るのは、我が子への愛の証明でもあるんです」
「愛の証明……」
「はい。ですから、レイモンド様はすでにお母さまからの愛を受け取っておられ……って……え!? ど、どどどどうしたのですか⁉」
僕に視線を移したリディアが飛び跳ねるように驚き声を上げた。
その理由は聞かなくとも分かる。
「そうだったのか……母さんは……僕の事を……」
瞳から零れ落ちる涙を拭う事も忘れ、窓から見えるブルーロザリアを見据えた。
今は緑が生い茂るその花壇は、もう間もなく海のように澄んだ青色で染めあがるだろう。
ずっと信じられなかった母の愛。
それをこんなかたちで伝えられていたなんて……。
「僕が本当に欲しかったものは、ずっと前から……こんな近くにあったんだな……」
母さんが亡くなってから、もう二度と母の愛を得られないのだと思った。
母さんは僕を本当に愛してくれていたのか……その答えも分からないまま……。
家族も、思い出の地も……何もかも失ったと思っていた。
だが、僕に唯一残されていたものがあった。
それこそが……僕のずっと追い求めていたものだった。
――リディアのおかげで、それを知る事ができた。
目の前で唖然としたまま、どうしてよいのか分からないようにオロオロとしている彼女の姿に、思わず笑みが零れた。
心の中でずっと闇に覆われていた部分が取り払われたように晴れやかな気分だ。
指の先で涙を拭い、心の底から込み上げる想いを口にした。
「ありがとう……リディア。君のおかげだ」
「え……え……?」
感謝の気持ちを口にすると、リディアは薄っすらと頬を赤く染めながら反応に困っている。
そんな姿すらも、なんとも可愛らしく……ずっと見ていたいと思った。
胸を焦がすような熱と高揚感に包まれながら、目の前で戸惑う彼女をジッと見つめていた。
――誰かを愛するという事は、こんなにも愛しさが溢れるものなのか……。
願わずにいられない。彼女の幸せを――。
母さんも、こんな気持ちだったのだろうか――?
◇◇◇
それから数日が経ち――不思議な夢を見た。
目の前に広がる光景は、馴染み深い公爵邸の中庭の一角。
いつもより目線が低く、自分の体を確認すると子供のように小さい手足と、幼い頃によく着ていた服装を身に付けていた。
――この姿は……子供の頃の僕……?
「レイモンド」
懐かしい声で名を呼ばれ、咄嗟に振り返った。
そこに佇んでいたのは――。
「母さん!」
叫ぶと同時に、一目散に母さんの元へと駆け寄った。
母さんは僕に向かってにっこりと微笑むと、両手を広げて僕を受け入れてくれた。
「母さん! ごめん!! 最後まで母さんを悲しませて……母さんの愛を信じられなくて……!! うっ……うう……本当に……ごめんなさい……!」
母さんの体に必死に抱きつき、子供のように泣きじゃくりながら何度も謝った。
そんな僕を母さんは優しく包み込むようにぎゅっと抱きしめた。
「ふふ……レイモンドは相変わらず真面目なのね」
二度と聞く事が叶わないと思っていた母の柔らかな声が、幼き日の思い出を僕の脳裏に呼び起こす。
僕を見つめる母の眼差しは、いつだって愛に満ち溢れていた。
それなのに……僕は……。
「レイモンド。もう自分を責めるのはやめなさい。あなたは私の愛にちゃんと気付いてくれたのだから……私も嬉しいわ」
「でも……僕のせいで……兄さんだって……」
僕のせいで兄さんとマリエーヌが死んだ事に関しても……自分を許せなかった。
母さんもきっと、僕を恨んでいるだろうと……。
それなのに、母さんはなぜかクスクスとおかしそうに笑い出した。
予想外の反応に、思わず呆気に取られてしまう。
「母さん……?」
「ふふっ……ごめんなさい。でもね、アレクシアの事に関しても、あなたは気にしなくて大丈夫よ。あの二人も今、とても幸せに暮らしているの。ふふふ……アレクシアがマリエーヌちゃんに本当にベタ惚れでね……もうおかしくて……あなたにも今のあの子の姿を見てほしいわ」
楽しそうに笑いながらそう言う母さんを見て、それが何を意味するのか悟った。
――ああ……そうか……あの二人も……母さんと同じ場所で幸せに暮らしているんだな……。
「……それなら良かった……」
心の底からそう思う……が、少しだけ切なくもある。
やはり、僕一人だけがこの世界に取り残されてしまったような寂しさ。
それはきっとこれからもずっと続いていくだろう。
「レイモンド」
囁くように名前を呼ばれ、顔を上げた。
穏やかな笑みを浮かべた母さんが、僕をジッと見つめている。
「今度はあなたが幸せになる番よ。私はあなたが幸せになる事も、ずっと願っていたの。だから――」
そう言って、母さんは抱きしめていた僕の体を離すと、くるりと踵を返して歩き出した。
その先には、海のように鮮やかな青色が一面に広がっている。
そこでしゃがみ込んだ母さんは、しばらくして再び立ち上がると、僕の前へと歩み寄った。
「今度こそ大切にするのよ。私からの愛も、あなたの近くにいる、かけがえのない人たちからの愛を」
差し出された母さんの手の中にあるのは、僕の誕生日に欠かさず贈ってくれた、青々とした花を咲かせる一輪のブルーロザリア。
気付けば僕の目線はいつもの高さに戻っており、母さんは僕を見上げるように見つめていた。
僕にそれを受け取るように、目を細めて促している。
両手でそれを受け取ると、自らの胸元に押し当てた。
僕の頬から零れ落ちる涙が青い花びらを濡らしている。
それでも、母さんに向かって精一杯の笑顔を向けてみせた。
「ああ、分かったよ……。ありがとう、母さん。僕を愛してくれて――」
僕の言葉を聞いた母さんは、瞳に涙を浮かべて満足そうに微笑み、
「レイモンド。お誕生日おめでとう」
と、優しい声で告げた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
外伝3はここで完結となります。
また次回のエピソードをお待ち頂けますと幸いです!
そしてそして…ついに今日(10月20日)書籍が発売となりました!!!!
本当に素敵な一冊になりました。
このお話をもっと深く読みたい…他のショートストーリーを読みたい…と思って頂けましたら、書籍もチェックして頂けますと嬉しいです!(詳細は活動報告に載せています)
無事にこの日を迎えられたのも、皆様の応援のおかげです。
本当に、ありがとうございました!




