09.街デートのお誘い
公爵様の様子が変わってから一ヶ月。
公爵様は相変わらずで、今も毎朝花束を持って私の部屋へとやって来る。
私のお部屋に飾る場所が無くなったので、部屋に飾れなかったお花は部屋の外の廊下に飾らせてもらう事にした。
それを見た公爵様は廊下に飾る分のお花も摘んでくる様になった。
私の部屋の周りを中心に置かれる花瓶がどんどん増えていき、廊下を歩くだけで色んなお花を鑑賞出来て楽しめるようになった。
公爵様から贈られる物は花束だけではなく、ドレスやアクセサリーなどの装身具もひっきりなしに届くので、私のお部屋のクローゼットに収まりきらなくて、別の部屋を私のドレス専用のお部屋として使わせてもらっている。
それもそろそろ置き場所が無くなりそうで、どうしようかと頭を悩ませている。
そんな公爵様の変化は、領民達の間でも噂になっているらしい。
『あの公爵様から労いの言葉をかけられたんだ』
『公爵様が、うちの子に笑いかけてくださったのよ』
『最近の公爵様はなんだか雰囲気が柔らかいわよね』
その内容は一聞すると大した事ではない様にも思えるけれど、今までの公爵様の態度からしたら天地がひっくり返る程の衝撃的な出来事らしい。
私のお部屋でリディアとお茶の時間を楽しんでいる時、その話を持ち出したリディアは顔をしかめながら淡々と話し始めた。
「前の公爵様は領民に挨拶もしないし笑いかけもしない、完全に無視していましたからね。公爵様にとって、領民もそこら辺にいる虫も同じ様な存在だったのですよ。自分に直接利益をもたらさない存在はみんな同じっていう感じで……控えめに言って最低のクソ野郎でしたね」
じゃあ控えめに言わなかったらどうなのかは気になるけれど、聞かないでおこう。
「そう……無視されていたのは私だけじゃ無かったの。じゃあ、今は皆にも優しくなったのね?」
私は手に持っているティーカップの紅茶を一口飲み、ソーサーの上へ音を立てない様に戻した。
リディアは複雑そうな顔をしながら口元に手を当てて返答に困っている様子を見せている。
「うーん……そうですねぇ……以前と比べたら挨拶は返してくれるし、無視する様な事は無くなったけど……マリエーヌ様へ向ける様な顔面崩壊レベルの笑顔は誰にも見せてないですよ。やっぱり公爵様にとってマリエーヌ様は相当特別な存在みたいですね! 使用人に対する態度も、マリエーヌ様が居る時と居ない時とであからさまに違いますし。あ、これ私が言ったって事は内緒にしてくださいね」
嘘が吐けない彼女が言うのだから、それは本当の事なのだろう。
未だになぜ、公爵様があんなに私を愛してくれているのか分からない。
なんでもない事を私のおかげだと言ってくるし、何もしてなくても優しいと言ってくる。
やっぱり私が公爵様の妻だからなのかしら。
それに私の容姿も沢山褒めてくれるけれど、私よりも綺麗な女性は世に溢れているし……。
怖くなくなった今の公爵様なら、近寄って来る女性も多いんじゃないかしら?
その事を想像してしまい、少しだけ胸の奥の方がモヤっとした感覚に襲われた。
何かしら……?
今まで感じた事の無いこのモヤモヤする嫌な感覚は……。
その時、コンコンと部屋をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
私が返事をすると、いつもの様に優しい笑みを浮かべた公爵様が扉を開けて姿を現した。
あら? 昼食の時間はもう少し先の筈なのだけど……。
公爵様はご機嫌な様子で意気揚々と私の方へ歩いて来たので、私も椅子から立ち上がって公爵様と向き合った。
「マリエーヌ、お茶を楽しんでいる所すまないんだが……どうだろう。たまには二人で外食でもしないか?」
「え? ……でも、公爵様のお仕事は大丈夫ですか? 物凄く忙しいと聞いていましたけど」
「ははは。誰だろうなそれをマリエーヌに言った奴は。まあ、だいたい想像は付くが……大丈夫だ。マリエーヌが心配する必要は無い」
公爵様は変わらない笑顔で明るく話しているけれど、私に公爵様の状況を教えてくれたジェイクさんの事がちょっとだけ心配になった。
「今日はマリエーヌと街でデートがしたくて、午前中は仕事に専念していたから、今日の分はもう終えている」
確かに、いつもよりは公爵様が顔を見せに来る頻度が少なかった気はする。
「でも、もう私達の昼食も作り始められていると思うのですが、いいのでしょうか?」
「問題ない。僕達の分は他の者に食べてもらう様に言っておく」
公爵様はすぐにでも出発したいという様に期待の眼差しで私を見つめている。
正直、私も街でデートという響きには少し……いや、とても興味をそそられる。
私がソワソワしながらリディアの顔を窺うと、「ぜひ行って来て下さい!」と言わんばかりに、とびきりの笑顔で返してくれた。
「公爵様ァ……!」
唐突に扉の方から唸る様な声が聞こえて、ドキリと心臓が跳ねた。
少し開いている扉の隙間には補佐官のジェイクさんが張り付いていた。
なんだか酷くやつれて憔悴しきっている様に見える。
今までは公爵様と一緒にいる所を見かけた時に会釈を交わす程度で話をした事は無かったけれど、公爵様が変わってからは頻繁に会う事が多くなった。
だいたいが、仕事を抜け出した公爵様を追いかけてきた時なのだけど。
「お出かけになるのはいいですよ……確かに、午前中に約束したノルマは達成してますから……ですが、必ず食事を終えたらすぐに帰って来てくださいね? そのまま奥様と街でデートなんて絶対にしないで下さいよ? 絶対ですよ? 今日中に片付けなければいけない仕事はまだ山程残っていますのでそれを忘れないで下さいね!」
ジェイクさんは充血して真っ赤になった目を見開いて必死な様子で公爵様に念を押している。
公爵様。
全然大丈夫そうじゃありませんけど……。
ジェイクさんは公爵様が変貌してから、どんどんと覇気が無くなっている様に見える。
どうやら、公爵様が頻繁に仕事を抜け出して私に会いに来るので、それを穴埋めするために仕事が激増したらしい。
おまけに遠方の地へ行きたがらない公爵様の代理として外出する事が多くなり、ただでさえ常人離れした働き方をしていた公爵様の代わりに行動するのは相当堪えているみたい。
それもその筈。
見た目は公爵様と変わらない様にも見えるのだけど、確かもう三十六歳になったと言っていたし、体力的にもしんどいのかしら。
「ああ、分かっている」
ジェイクさんとは目を合わせる事無く、公爵様は空返事で応えた。
これは多分、分かっていないわ。
私がジェイクさんに視線を移すと、ジェイクさんは「頼みます。マリエーヌ様」と言いたげな視線を送ってきていたので、私はコクリと頷いた。
「は? 何だ貴様……? なんでマリエーヌをそんなに見つめているんだ? その両目をくり抜かれる覚悟はあるのか?」
公爵様が何か悍ましいオーラみたいな物を放ちながら懐から万年筆を取り出し強く握りしめ出したので、私は慌ててその腕に手を添えた。
「公爵様! 時間がありませんので早く行きましょうか!」
「……! ああ、そうだな。マリエーヌとの時間が惜しい。さっそく出掛けよう」
私の声掛けに反応して、公爵様から放たれていた何かがヒュンッと引っ込み、その表情は一瞬で笑顔に切り替わった。
私はすっかりご機嫌になった公爵様の腕に手を回し、ジェイクさんの居た扉の方へ視線を移したが、ジェイクさんはいつの間にかその場から姿を消していた。
多分、身の危険を感じて逃げたのだと思う。
ジェイクさん、大丈夫です。
公爵様は、必ず食事を終えたらすぐにお返し致しますので。




