美しい日本
21○○年、日本で4回目のオリンピックがここオワリシティーで開かれようとしていた。
ちょうどその一年前のこと、プレオリンピックの開催を前にJOCの会合が開かれている。
会長挨拶の後、早速議長が本題に入った。
「皆さん、ご承知の通り、外来語禁止令が先日の国会で可決され、来年の1月に施行されます。」
理事の一人で日本体操協会会長のウチムーラ4世が尋ねる。
「なぜこんな法案が通ったんだ。」
議長のケロ・タカッハシ6世が頷きながら応える。
「憤りはごもっともですが、昨年政権についたアーベ5世の人気は絶大なんです。特に女性に圧倒的人気を持つイケメン議員のゴーイズミ4世を幹事長に迎えてからは向かうところ敵なしです。」
「しかしこの時代にグローバル化と逆行するような政策にいったい何の特があるというんだね。」
「いや、考えようによっては採用せざるを得ない国際情勢なんでしょう。かつての同盟国であったヨーエスエーでは内戦が終わらず、となりのシャイナも周辺僻地で独立運動が頻発しています。いま各国は政権の維持、領土の安定に手をこまねいています。そのためにも挙国一致体制が求められています。」
「アーベ政権の今回の対応も理にかなっているという訳か。」
いつも反体制的な発言でマスコミを騒がせるフェンシング協会のオタオタ4世が口を出す。
「いや全く違いますよ。あそこの家系は理屈で動く血筋ではない。我々から見れば極めて感覚的ですよ。タチが悪いのは、本人だけが理にかなっていると思っていることです。しかも次の総理を狙っているコーノトリ外務大臣の尽力で、日本いやアーベ政権はGDP世界一のインディアと資源国コアラストラリアと三国同盟を結んだから外交も磐石です。」
「しかしゴーイズミ幹事長は、奥さん、フランス人だろう。あの口うるさい奥さんがよく黙っているな。」
「いや、実はあの夫人の計画らしいですよ。」
「彼女はJOCを支えてくれた「おもてなし」の子孫じゃなかったのかね。」
「それ以上に、ファーストレディ狙いの家系なんですよ。」
「確かに母君は、英国皇太子やスペイン国王とも噂があったな。」
「とにかく今は夫を次期総理に就かせるべく奔走してます。国粋主義者のアーベ総理の心をくすぐるためには思想信条などどうでもいいんでしょう。」
「しかし選挙応援から国会の予算委員会の場にまで口にするアーベ総理の「美しい日本」ってやつにはいささか嫌気が指すね。」
アリムーラ3世が吐き捨てるように言う。
タカッハシ議長は説明を続ける。
「いずれにしても美しい日本に外来語は要らないという突拍子もない理由で法案は通りました。まあ、議員の半分がゴーイズミチルドレンですから予定通りといったところです。」
「そしてここからが本題です。オリンピックで行われる競技、技、ジャッジ、表示、会話に至るまで全て美しい日本語にする必要があります。」
理事のカニーブラウン3世が尋ねる。
「どこまで日本語にするんだね。たとえば100メートル走は、メートルという呼び方を変えるということかね?」
「そうです。メートルは、一寸、一尺、一丈あるいは一間、一町、一里のいずれかで示す必要があります。重さも、一もんめ、一斤、一貫ですかね。」
「ばっからしい!」
カニーブラウン理事がつぶやく。
「ちょっと待って下さい。」
日本水泳連盟副会長のイワサッキー4世が怪訝な顔で質問する。
「フリーは自由形、ブレストは平泳ぎ、バックストロークは背泳ぎ、これらは100年前まで使われていたからまだいいですけど、バタフライは蝶々に変えるんですか?次は女子蝶々100メートル決勝ってアナウンスが入るんですか。」
「まあ、原則そうなると思いますが、より美しい日本語があれば発案して頂ければよろしいと思います。」
日本体操連盟会長のウチムーラ4世が声を荒立てる。
「水泳なんかまだいい。体操の技なんかどうするんですか。トカチョフとかコールマンをなんて言ったらいいんですか?」
JOCの重鎮、ツカッパラ5世相談役が笑って言う。
「いやいや、現役を引退して30年経つ私でもトカチョフが懸垂前振り開脚背面跳び越し懸垂で、コールマンが後方抱えこみ2回宙返り1回ひねりということは覚えているぞ。」
「わかっていますよ。私が言いたいのは技が次々といくつも出てくる中で、画面を見る視聴者にアナウンサーや解説者が正式名称を話していたら、試技に追いついて行けませんよ。着地前に「栄光への架け橋だー」なんて名文句を吐くのは絶対に無理です。」
ジャマシタJOC会長が静かに応える。
「ウチムーラ君、気持ちはわかるが、略称でも考えるしかあるまい。トカチョフは懸前開背面、コールマンは後抱2回1ひね、でどうだい。私でも考えつくぞ。」
理事の1人が隣の理事に囁く。
「会長もかなりガタが来てるんじゃないか。」
「ああ、IOC会長の激務もこれ以上は難しいから、来年のオリンピックを最後に参議院議員選挙に立候補するらしいぞ。」
柔道連盟会長のコーセー・アノウエ3世も相槌を打つ。
「皆さん、とんでもない悪法ですが、決まった以上ここはルールに従うのが日本人です。一部のアジアの大国のようにルールを無視したり、欧米のように節操なくルールを変えたりすることはできないのだから、オリンピックを無事開催するためにも一致団結して頑張りましょう!」
「いやあんたのところはいいよ。もともと全部日本語なんだから。私のところは全てフランス語なんだよ。」
フェンシング連盟のオタオタ4世理事が息まく。
ジャマシタ会長が慰める。
「オタさん、剣道の名称を使えばいいでしょう。」
オタオタ理事は反論の構えだ。彼の異論反論はいつも説教じみていて評判は良くない。
「剣道は構えと攻め場所の競技だが、フェンシング、特にフルーレは優先権と攻め場所の競技なんだよ。まあ物も使わず取っ組みあっている柔道家にはわからないだろうが、いずれにしてもあなたはいう資格無いよ。どうせ3代前からアーベ総理と家族ぐるみの付き合いだろう。あなたのような国粋主義者と議論はしたくないね。」
ジャマシタ会長は祖父譲りの大きな体躯を見せつけるように立ち上がり、しかし低い優しい声でオタオタ理事に言う。
「オタオタさん、国粋主義者という言葉は誤解を招くよ。愛国者と言ってくれたまえ。君こそ国家反逆罪で逮捕されないよう気をつけるんだな。君は昨年国交を断絶したドイツの車を3台も保有しているそうじゃないか。いずれアーベ政権が車の輸入禁止措置をとるだろうが、常識人はみな美しい日本の車に替えていますぞ。」
「ジャマシタさん、私は価値や技術に国境はないと思っています。むしろ国境を敷くことは危険なことだと思いますよ。昔、江戸時代の鎖国がいかに科学技術の進歩を遅らせ、明治初期に日本がどんなに苦労したかご存知でしょう!あなた大政翼賛会でも作る気ですか。」
ジャマシタ理事が反発する。
「君は、江戸時代の平賀源内や北斎・若冲を否定するのかね。たとえ鎖国していようが、科学は立派に進歩したんだ。むしろ鎖国していたからこそ花ひらいた文化だってあるんだ。」
タカッハシ議長が口を挟んだ。
「まあまあ、そのくらいにして下さい。話しがそれてきてますよ。とにかくどんな悪法だろうが、政府から予算を分捕るためには日本語に変えるしかないんですよ。」
議長の説明もかなり乱暴になってきている。恐らく38キロ地点を通過したのに、誰もスパートをかけない状況に苛立ちを隠せないのかもしれない。
そこにまた、ゴールのよく見えていない輩が質問する。
「あの〜。」
サッカー協会会長のキングカーズ4世だ。
「点が入ったら、「とうちゃく〜!」って叫ぶんですかね。」
会議はまだまだ続きそうだ。