森の覇者
「近藤」
誰かが呼ぶ声がする。うるさいな、今の作業に集中させてくれ。この計算面倒くさいから話しかけるなよ。
「近藤!」
えーと、この数字とこの数字をかけて、この数字と足して。表計算ソフト?無いよそんなモン、と言うかそもそもPC自体無い。なぜなら、PC使いたいと言ったら、申請出せと言われ、申請出したら却下されたからだ。却下理由?簡単だ。『業務上の必要性が見られない』『作業効率の向上が具体的な数値として示されておらず、費用対効果が見込めない』『どうしても必要ならば個人での持ち込みは許可する』だってさ。そう言えば別の部署で誰かが自分でノートPC持ち込んでたな。そっちの部署では多少活躍してるらしいけど。あ、ちなみに持ち込んだ奴は、去年退職した。どういうわけかPC持ってきた奴はみんなPC残して退職するんだよな。退職理由?簡単だよ。戸籍が無くなったら退職扱いになるだろ?二コ上の先輩なんて、机の引き出しに薄墨インクの筆ペン常備してるんだぜ?
「近藤雄二!聞こえてないのか!」
「す、済みません。ちょっと集中してて」
電卓の数字を書き写して、謝りながら声の主のところへ行く。なんだよ全く。何もトラブルはないぞ、少なくとも今月は。
「お前、これ、どうなってる?」
一枚の紙を投げてくる。普通に手渡しできないのかね。
「これ……ん?」
俺の担当している得意先からの注文書だ。えーと、ああ、これか。半年に一度くらい納入してる奴だな。……え?納期が今日?
「どうなってる?」
「えと……えっと……」
ちょっと待て、こんなの見てないぞ。いつ届いたんだ?先週の月曜?どこに放置されてたんだ?これ……今の在庫じゃ足りないはず。今からメーカーに注文しても五日はかかる。
「先方からどうなってるかと問い合わせが来てる。すぐ対応しろ」
言いたいことだけ言うと課長は書類の束を持って席を立つ。
残される俺となんの手続きもしていない注文書。金額は億に届く一歩手前。頭の中が真っ白になった。どうしよう……
「どうしようっ!……夢か」
酷い夢だ……って、辺りがすっかり真っ暗じゃないか。熟睡しちゃったのか、はあ……
モゾモゾとくぼみから這い出して、あたりの様子を窺う。
「!」
ダメだ、すぐそこにいる。と言うか、こちらが動くのを待っていたかのように茂みのすぐそばにやって来た。
狼の方だ。
そっと、覗いてみると……やはりデカいな。他の狼の倍ぐらいありそうな体格だ。だが、その体も今は真っ赤に染まっている。毛皮が引き裂かれて肉が見えているところも一箇所二箇所では無い。取り巻きは三頭、こちらも血まみれ。満身創痍だ。
これなら全力で走れば逃げられるかな……いや、ダメだ。足の長さが全然違う。
どうする。あんな所に居座られたらどこにも行けない。と言うか、全員の視線がこちらを向いている。臭いとかでバレてるんだろう。
そう思っていたら右上に「!」が表示された。なんだ?と思って見ると……
『スキルが取得できます』
は?何だこれ。
とりあえずタップすると、おなじみのスキルウィンドウ。そして中央に『念話』と薄く表示されていて、その下に文章が。
『念話による会話を要求されました。念話スキルが取得可能です』
異世界物の定番来ちゃったよ。
ま、取得するか。便利そうだし。念話をタップして、OKっと。
お、右下に「念」って点滅してる。念話を要求されているって事なんだろう。タップ。
『念話のチュートリアルを開始しますか? はい いいえ』
何だこりゃ。まあ、開始するか……はい、と。
『念話はある程度以上の知性を持つ魔物と会話するためのスキルです』
『魔物の他、人間やエルフなどの亜人、獣人とも会話が可能です』
『念話を使用する場合には「念」アイコンをタップしてから心の中で話しかけます』
『相手の肉声は普段通り、耳から聞こえます』
『会話が届く距離は数メートル。自分の肉声が届く範囲となります』
『なお、範囲内の全員に届きますので、内緒話は出来ません』
『また、相手が念話スキルを持っていない場合、こちらの声だけが届くため、不信感を煽りますので注意しましょう』
『自身のレベルが一定上の場合、相手に念話スキルを獲得させることが可能です』
『獲得させる場合には、「相手に念話スキルを獲得させますか?」のメッセージに「はい」と応答してください』
『一度、「いいえ」を選択した相手にはメッセージは表示されなくなります』
なんか、これだけでどっと疲れたよ。
人間、いるんだな。いやそれよりも!エルフとかいるのかよ!テンション上がってきた!
が、今はとりあえず念話だ。
「……えているか?おい、聞こえているか?」
「……ああ、今聞こえるようになった」
「やはり、思った通りだ」
「思った通り?」
「ああ。お前はただのハリネズミでは無いな。魔物で……しかもかなり強い」
俺が魔物……だと……?
まあ、普通のハリネズミでは無いという自覚はあったよ。だけどまさか、ジャンルが『異世界転生したら魔物でした』だったとはね。
どう見ても愛玩動物じゃん。ペットショップで売られてるけど、昼間は寝てるからほとんど姿が見えない奴じゃん。
なんで狼とかに狙われる不幸ルートなんだよ。魔物とか言われてもピンとこないよ。どうすればいいんだこれ。
「さて、今の状況は理解できたか?」
「一応は。納得してないけど」
「お前が納得したかどうかなど、どうでもいい」
「そこ、とっても重要なんですけどね」
「今一番重要なのは、俺がお前を喰らい、力を得ること。そしてアイツを倒すこと」
「アイツ……あの熊か」
「そうだ」
「アイツ、そんなに強いのか?」
「ああ。俺はこの森の南の方をある程度押さえているが、奴は森のほぼ全域を支配しつつある。俺の縄張りが取り込まれるのも時間の問題。一刻も早く力を得て、奴を倒さねばならない」
「倒さねばって、何で?」
「何故かと聞くのか……簡単な話だ。奴が森を支配すると言うことは俺が殺されると言うことだ。わざわざ殺されたいという酔狂な者はいないだろう」
「なるほどね……でも、それは俺も同じだ。俺だって死にたくない」
「ならば……戦い、この俺……ファングに勝てばいい!出来るならな!」
そう言うと、ファングは立ち上がり、ガウッと吠える。それを合図に取り巻きが俺の周囲に散開。茂みに隠れている意味があまりないな。こちらも出るしか無いかと思った矢先、ファングが先制してこちらに飛びかかってきた。配下に先に攻撃させて、自分は安全な場所から、なんて選択をしないところは潔くて好感が持てるが、逆に言えば最大戦力がいきなりこちらに向かってきていると言うことだ。
「クソッ!いきなりボス戦かよ!」
超有名国民的RPGだって、最初の村の周辺は雑魚敵だけってのが定番だろ。これ、バランスが悪いどころの騒ぎじゃ無い。ゲームならクソゲー扱い間違い無し。とにかく今できるベストを尽くすしかない。つまり、正面から来るファングは無視して横にいる取り巻きに向けて駆け出す。取り巻きが一瞬驚いて足を止めるが、関係ない。戦うしか無いことは理解したが、同意はしてない。どいつと最初に戦うかはこちらで勝手に決めさせてもらう。
一瞬動きの止まった取り巻きに二発撃ち出す。足下と顔面に。
こちらの攻撃に慌てて顔をそらすが少し遅い。右前足と右目を貫く。まだ無力化とはならないが、痛みにのけぞったところで喉に一発。死亡確認はしていないが、水道を捻ったみたいに血が出ているので放置。後ろに回り込んでいた取り巻きに向かう。
こちらはためらうことも無く牙を剥けてくるが、その開いた口、良い的ですよ。二発撃ち込むと……ブルブルと震えて、ストンと伏せの姿勢に。脊椎貫通したっぽいな。
ここにファングが追いついてきたが、針のリロード待ちなので、全力で逃げる。体格差は大きいが、茂みの下をジグザグに駆け抜ける。
手負いで踏ん張りがききにくい上に、小回りのきく俺にかなり翻弄されているな。とりあえず二発リロードできたので一発撃ってみるが、余裕で避けた。さすがだ。
だが、その間に残りの取り巻きの真横へ躍り出る。
慌ててこちらに向き直るよりも早く、首筋と前足に撃ち込む。致命傷にはならなかったが、戦線復帰はなさそうだと目の前を駆け抜けてやる。前足を振り下ろしてくるが届くことは無い。
と思っていたら、追ってきたファングが無情にも踏みつけ、その爪で引き裂いた。おい、お前の仲間だろと思ったが、突っ込みを入れる余裕は無い。真後ろの気配だけを頼りに二発撃つが避けたようだ。
正面にデカい木が一本。根元は……ちと貧相なのでパス。右方向へ舵を取り、他の木を目指す。追いつかれそうなので牽制を一発。
次の木。根元に良い感じの穴発見。食いつかれるギリギリのところで飛び込んだ。
ズン!という音と共に木が揺れる。ボスクラスの体格を持つ狼の頭突きだからな。折れなかったのがラッキーだったが、すぐにバリバリという音がする。前足で引き裂いているのだ。だが……
「穴掘りしてる狼なんて、動かない的さ」
顔に向けて二発撃ち出すが素早く回避される。今ので一発しか当たらないとか、反射神経がすごいな。だが、眉間に突き刺さっていてかなり出血している。
「貴様を……喰らう!」
バリバリッと木が引き裂かれ、俺まで十数センチまで迫る。時間差で二発撃つ。
「グアッ」
大きく仰け反る……が、まだ倒れない。
「喰らう!喰らう!」
バリバリ……あと五センチ……三発同時発射。
「グ……グ……ルル……ァ……」
喉元が見えた瞬間に二発。
「グフッ……グ……」
ドサッと倒れ、ようやく動かなくなった。
ゆっくりと外に出る。うわ、地面も結構えぐられてる。ヤバかったな。
恐る恐るファングに近づく。
「まさか……俺が……負け……ると……は……な……」
「うひゃああああ!」
まだ生きてんのかよ!
「お前な……ら……アイツ……に勝て……る……か……もな……」
何この、長年のライバルと全国大会決勝で会うかと思ったら準決勝で対戦、決勝では反対ブロックから勝ち上がってきたトンデモ怪物の相手をする流れが見えてきたみたいな展開は。だいたいお前が仲間連れて全力で戦って勝てなかった相手だぞ、勝てるわけ無いだろ。それに大きさを考えろ。俺の体のサイズ、アイツの手のひらくらいの大きさだぞ。無理ゲーにも程がある
やがて、毎度おなじみの緑の光が見えてきたので、石を引っ張り出してかじりつく。ファングの石はさすがに大きかった――俺の体とほぼ同じ大きさだった――が、問題なく食えた。ホント、この食った石はどこに行ってるんだか。
あとはこれか。
「狼の毛皮(大)」
……これは放置だな。持って行けないし。これ、放っておくと消えるんだよな。どうなってるんだか。
ファングと取り巻きの石も食うとさすがにゲージが赤くなった。疲れたし、これ以上の移動は危険と判断し、少し離れた茂みに潜り込み、くぼみに体を収めて休む。ゲージが半分くらいまで回復したら移動しよう。今となってはあのひどい臭いのする巣穴が恋しい。
そうだ、スキルポイントを確認しようか……六。んー、どうするか。
何となくの予想だが、飛針も針強化もレベルを上げるとさらに他のスキルを派生させそうな感じがする。針回復速度向上も捨てがたいんだけどなぁ。
もし仮に、仮の話だよ?あの熊と戦うなんて事になった場合、いや、戦うつもりは無いけど、なんていうか降りかかる火の粉っていうの?そう言うヤツのことを想定しておくだけだからね。断じてフラグじゃ無いから!まあ、そう言う仮定ではあるが、もしも戦うとしたら、現状で不安があるのは攻撃力だろうな。
防御力?そんなのいくら上げたって、体格差が覆るとでも?前足バン!でお終いですよ。
と言うことで、飛針を六にした。スキルポイントは一余らせておくことにする。
フラグが一杯立ってる気がするが、気にしないことにしよう。
さて、体を丸めて針を立てて、少し休もう。