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パンクシュタット・スウィートオリオン・ハニーハニー

作者: 村崎羯諦

『朝の日差しが看板にぶつかれば、上下左右で電磁スペクトルが分割されます。天気は午後からセンセーショナルな舞台演劇に興奮するでしょう。南ブロック第二エリアでは食べられる定規に注目してください。それではみなさんご一緒に。おめでとうございます!!』


 パチリ、と僕はベッドの上で目を開ける。南ブロック第三エリア七階に位置する就寝用プライベートスペース。カーテンの隙間からは穏やかな朝日が差し込んでいる。天井に設置されたスピーカーからはエリア放送が続いている。僕はベッドの上でもぞもぞと動いて身体の体温を上げた後、えいやっとベットから飛び起きた。


 ナタネ油でできた石けんで顔を洗い、着替えを済ませる。各人に支給されている姿見の前で、くしゃくしゃになった髪の毛を櫛でとかしていると、ふと昨日知り合いにもらったスカートのことを思い出す。支給品である物干しスタンドにかけっぱなしになっていたギンガムチェックのスカートを手に取り、側面部分に自分の番号が印字されたブローチピンを取り付ける。スカートを履いて姿見の前で一回転すると、スカートの裾が動きに合わせてひらひら揺れた。寝癖がついていないことを最終チェックしてから、僕は部屋の電気を消し、共用廊下に出る。玄関の前には39132番が油色をした長い髪の毛をいじくりながら、僕を待っていた。


「おはよう、20898番」


 39132番が眠たげな目をこすりながら挨拶をする。おはようと返事を返しながら、僕は彼女に今日履いているスカートの持ち上げて見せる。


「変じゃないかな?」

「私はおしゃれじゃないからわかんないけど、女の子らしくて可愛いと思うわ」

「ありがとう、39132番」


 チッチっと彼女が大袈裟に指を振り、自分の胸に取り付けられたブローチピンを指差した。顔を近づけてよく見てみる。昨日は39132番だった彼女の番号は一つ数字がくり上がり、39131番へと変わっていた。


「昨日の夜に、ずっと行方不明だった30023番の死体が東ブロック第六エリアの下水道で見つかったらしいの」

「そうなんだ」

「ヘドネズミに身体の大半を食べられて、腰から下がなくなってたらしいわよ」

「うひぃ」


 あちこちが欠けた屍肉に、生々しい断面。それに群がる濃灰色のヘドネズミの群れ。僕は思わずその光景を想像し、声を漏らす。


「彼女は食用植物栽培塔管理班(パンクチオン)のエリートだったらしいけど」


 39131番がわざとらしく肩をすくめてた後、どこか得意げな表情でつぶやいた。


「まさか死んでからも動物のお世話(パンクシュタット)をする羽目になるとは思いもしてなかったでしょうね!」



*****



 それから僕たちは一緒に南ブロック第三エリア地下一階にある食堂へ向かい、そこで遅めの朝食を取った。すり潰した小麦とアロエを混ぜて発酵させたパイ生地にはちみつで漬け込んだいちごを挟んだフルーツパイ。鶏の腸に食用ハムスターのもも肉とオリーブの葉っぱを詰めて一晩燻製させた下水道ソーセージ(前から思ってたけど、ひどい名前!)。いつもの岩塩のスープには、僕の大好きなコーヒー豆とカカオ豆のシリアルが入っていた。


 朝食を食べた後はお仕事。今日は半分が火曜日で、残り半分が土曜日だったので、結局僕と39131番が亡くなった元39131番の部屋の片付けをすることに決まった。エレベーターで連絡通路のある第三エリアの10階に行き、連絡通路に張り巡らされた動く歩道を使って、東ブロックの第三エリアに行く。そこから一度5階に降りた後で、管制交通移動監視受付東エリア担当の人からエリア交通許可状と就寝用プライベートスペース一時入室許可状を受け取り、亡くなった元39131番の個人部屋番号を教えてもらう。お嬢さん方頑張ってね。気さくな受付のおじいさんが励ましの言葉をかけてくれた。


『アメリカとパタゴニアはゲリラゲリラという証明がおはようございます。一色の色鉛筆のような国際情勢を例えるならば、それは押すとマーガリンになります。追悼! 追悼! 追悼!』


 エレベーターを待ちながら、39131番が扉の上に設置されたスピーカーを見上げる。


「東エリアの放送担当っていつのまに変わったんだっけ?」

「僕たちが前来た時はまだ前の人だったよね。渋い感じの」

「前の人より私は好きだわ。フレッシュ感があってさ」


 ベルが鳴りエレベータが到着する。僕たちはどのエリアの放送担当が好みかの話をしながら元39131番の部屋に向かい、部屋に到着するころには二代前の中央エリア放送担当の人が一番だということに決着していた。


 鍵を使い、部屋の中に入る。元39131番の就寝用プライベートスペースは驚くくらいに整頓されていた。ベッドのシーツのシワは伸ばされ、床にはティッシュクズひとつない。支給されている姿見は手垢一つついておらずピカピカ。壁に設置された本棚には難しそうな本がびっしりと詰められていて、それでも入りきらない分の本はコンテナ風の収納ボックスの中にきれいに収納されていた。


「元39131番は几帳面な女性だったらしいわ。私は会ったことないけど、40092番……じゃなくて、40091番がそう言ってた。でも、これだけ本が多いと仕事が大変かもね。自動運転カートに十回くらい往復してもらわないといけないかも」


 ベッドの下を覗いてみる。ベッドの下にも同じような収納ボックスが丁寧に並べられていたので、ひとまずそれらを引きずり出していく。箱の側面にはそれぞれ何が収納されているのかのラベルが貼られていて、故人の几帳面さが伝わってくる。洋服とラベリングされたボックスを見つけたので、試しに中を開けてみて、丁寧にたたまれた服を取り出していく。


「わー! この下着可愛い! 見たことない柄してる! これもらっちゃっても大丈夫かな?」

「どうせ、支給品以外は基本廃棄物エリア送りなんだし、別にいいんじゃない?」


 39131番が両手に軍手をはめながら返事をする。そのタイミングで部屋に設置されたスピーカーからエリア放送が流れてくる。


『豪雪地帯はシュガートーストの楽園です。プライベート空間に肘鉄を喰らわせて、エンターキーを取り出しましょう』


 とっとと始めよっか。39131番が気怠げに提案する。僕は相槌を打ちながら、部屋の奥にある荷物から部屋の外へと運び出していく。本がびっしり詰まった収納ボックスはさすがに1人では持ち上げられないので、39131番といっせーのせで持ち上げる。外に運び出した荷物を自動運転カートに積む。箒で床を掃き、支給品の姿見も一応研磨剤で磨いておく。しばらくすると、自動運転カートが廃棄物エリアから戻ってくる、載せきれなかった分の荷物を載せていく。いつものように他愛のない会話をしながら、僕たちは作業を進めていく。


「私が死んだら、こんなふうに誰かに部屋の掃除をされるんでしょうね」


「ねー、これって支給品だったっけ?」


『放課後のキッチンにひとさじの塩コショウ。なぜならば、イヤホンが火星に繋がるからです』


「大勢にいる人間のうちの一人が死んだところでこの世界にとっては何の意味にもならない。私にとっての世界は単一であるとしても、その逆は成り立たないから」


「こんな小難しい本をちゃんと全部読んでたのかな。すごいよね」


『時間に落書き、空間を介護。ポイントカードはお持ちでしょうか?』


「原初的な間主観性を脱却することを、ひょっとすると功利主義的な立場からは正当化できないのかもしれない」


「うわぁ、こんなエッチぃ下着も持ってたんだ」


『わさび! わさび! わさび!! ごめんください! ごめんなさい!!』


「尊重欠如が承認をめぐる闘争を生み出すのだとすれば、一定の同一性を要求せざるをえない人格に一体になんの意味があるんだろう」


「あれ? 廊下からもエリア放送の声が聞こえてこない?」


 僕と39131番は手を止め、耳を澄ましてみる。スピーカーから流れるエリア放送とともに、同じ声が廊下の壁を反響して聞こえてくる。僕たちは作業を中断し、慌てて廊下へ出る。右方向へ目を向けると、ちょうど拡声器を手に持ったエリア放送担当が肩をいからしてこちらへ歩いてくる最中だった。僕達と同じくらいの若い男性。髪はポマードでギチギチに固めていて、白と黒のストライプ側のシャツは第一ボタンまできっちりと留めている。僕たちは玄関の前で並んで立った。放送担当が僕たちの歩みを止め、左のかかとを軸にくるりと僕たちの方へと振り向いた。狭い廊下で、僕たちと拡声器を握ったままのエリア放送担当が向かい合う。


『大きくなったものがゴーヤと新郎新婦でごめんなさい。卵をケーブルで溶いて、ビリビリビリビリ電流が腰痛になります。これは初耳ではありません。朝が来たら金曜日になって、イギリスの妹が発狂しています』


 エリア担当が息継ぎのためにすうっと息を吸い込む。


『それではみなさんご一緒に』


 僕と39131番が声を合わせて叫ぶ。


「「おめでとうございます!!!」」



*****



 今日は久しぶりに星でも見ない。最後の荷物とゴミを自動運転カートに積み終わったタイミングで、39131番がそう提案してきた。いいね、久しぶりに見に行こう。残りの後片付けを済ませ、南ブロック第三エリアに戻って食堂で夕飯を取る。それから僕たちはエレベーターで最上階に向かった。開けた天窓で覆われた最上階フロアには誰もいなくて、空調の調子が悪いのかほんの少しだけ肌寒い。三列に並べられた長椅子の間を縫うように奥へ進んでいき、一番隅っこの長椅子に二人並んで座る。僕たちは身体をくっつけ合って顔を上げる。天窓の向こうに広がる夜空は、フロアの白昼色の照明にも負けないくらいに色鮮やかな光で瞬いていた。


「ねえ、あっちの方角にさ、砂時計の形をした星があるのが見える?」

「どこ?」

「端っこが黒ずんでる窓の少し右にあるやつ」

「ああ、あれのこと?」


 僕が指をさし、39131番が小さくうなづく。


『クロワッサンの生地に机とテーブルが挟まりました。逃げてください、逃げてください。マスクが在庫切れで桶屋はピラニアのように舞い上がっています。わーわーわー』


 入り口近くに設置されたスピーカーからエリア放送が聞こえて来る。


「なんかの本で、あそこらへんの星をつなげると、人の形になるとかって聞いたことがあるわ」

「どこをどうつなげるの?」

「あんまり覚えてないけどあそこの星が腕で、砂時計のてっぺんが顔で……あとは忘れた」

「人には見えないよ」

「そうね」

「とち狂ってる」

「ホント。とち狂ってるわ」


 身体をもぞりと動かす。左の肘が39131番の腰にあたる。僕は頭を彼女の肩にのせた。かすかな吐息で前髪が揺れる。


「月と狩りの女神であるアルテミスと仲の良かったオリオンに、アルテミスの兄アポロンが嫉妬して、2人を引き離そうとした」


「どうしてあんなにたくさんのお星様があるんだろうね」


『夕闇に沈めばあじさいの花園。トリップハイに苛まれて豪速球。そういえばしたたかなパンダがカルフォルニアで殺されました。一生懸命頑張りましょう』


「海から出ていたオリオンの頭を黄金の岩だと嘘をついて、アポロンは妹のアルテミスに弓を射らせた」


「ねえ、あそことあそこの星を繋げたら生地の薄い下着に見えてこない?」


『自動販売機を奏でることになりましたので、白線の内側までお下がりください。ジョンレノンが殺されたのは、耳鳴りに混じった波の音に慢性的な肩こりがしていたからだそうです』


「アルテミスが放った矢でオリオンは死んでしまった。愛する人を自らの手で殺めてしまったアルテミスは嘆き悲しみ、ゼウスに頼んで彼を星座として夜空に上げてもらった」


「明日は今日もらった新しい服を着てくるね。きっと今履いてるスカートに似合うと思う」


『メープルシロップに歯磨き粉を混ぜて、火力発電所を組み立てましょう。空が晴れているからといって、それは五目並べであるとは言い切れません。保存しましょう、保存しましょう』


「ねえ、ちょっとだけいい?」


「どうしたの?」


『夜の冷蔵庫、耳たぶの火炎放射。ぐーるぐるぐる、ぐーるぐるぐる。そろそろお腹が空いてくるのでは?』


「手を握ってもいい?」


「そんなのいちいち聞かなくてもいいのに」


『カマキリの幸せなんて知る由もありません。星屑は靴紐で結んでおきました。でも、果たしてそれは本当にチワワなのでしょうか?』


「何よ、にやにやしちゃって」


「ううん、別に。でもさ、僕はあんま頭良くないから難しい事はよくわからないけど……」


 あ、流れ星。39131番が星空を指差してつぶやいた。視界の隅で一瞬だけ白い光の筋がきらりと瞬いて消える。僕たちは流れ星が消えた場所をじっと見つめた。吸い込まれそうになるほどに濃い墨色の空は、とても綺麗で、だけどなんとなく悲しかった。ごめん、何か言おうとしてた? 39131番が星に目を向けたまま聞いてくる。別に大したことじゃないよ。僕は断りを入れてからささやく。


「できるかどうかは別として、ずっと一緒にいられたらいいね」


 39131番が何も言わずにうなづく。僕たちはさっきよりも身体をくっつけあう。静かな最上階フロアに調子の悪そうな空調の駆動音が響く。握られた手がちょっとずつ二人分の体温で温められていく。小さく息を吸い込む音がしたあとで、スピーカーからエリア放送の溌剌とした声が聞こえてくる。


『それではみなさんご一緒に』


 僕は夜空に顔をむけ、ゆっくりとまぶたを閉じる。まぶたの裏では光の残滓がチカチカと光っていて、夜空の中に包まれているかのようだった。そして、そんな心地よい微睡の奥の方で、いつものエリア放送の音が、こだまする。


『おめでとうございます!!』

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