#1
あまり綺麗ではない海に面した、小さな町。
犯罪から事故まで、殆ど起こらない町。特徴が無い所為で、観光名所が無い。
私鉄の高架と、高速道路が立体交差する場所にしか魅力が無いほどだ。
唯一誇れるとするなら、道路に落ちているゴミの少なさ位だろう。
私の名前は、今は無い。とっくの昔に忘れてしまった。
私は35歳、サラリーマンをしている。
そして今日も、いつもと同じ電車でいつも通り会社へと足を運ぶ。いつもと変わらない車窓の風景を眺めながら、少しばかりの眠気と戦っていた。
降車駅まであと数駅。
人々がなだれ込んでくる。その中から、間を縫うようにして、女の子が乗り込んできた。
背丈はとても小さく、見た目で判断するに大体小学3年生くらいだ。上品な顔立ちで、その表情は不思議と嬉しそうだった。
…これからどこかへ向かうのだろうか。友達に会いにいくのだろうか。はたまた親戚の家へ行くのだろうか。
それにしてもこんな小さな可愛らしい女の子が一人で電車とは…等と考えていた。
幼女が私の目の前に立ち、手摺にもたれる。
窓の外を、どこか遠くを見つめるように、ただ静かに眺めていた。
しかし私は徐々に、頭がどうにかなりそうになっていった。
体が動かないのだ。
体を動かせないどころか、眼球も瞼も動かせない。美しくまである幼女から、一㍉も目を離すことができない。
さらに、左手が無意識に幼女の頭上へと伸びてゆく。
必死に抗おうとした。引こうとしたり、下げようとしたり。
しかし、普段人間が扱う程度の力を込めても、どうにもならなかった。
止められなかった。
そして。
幼女の頭を撫でる。
力を加えれば壊れてしまうような、美しいモノを触るように。優しく、優しく撫でてしまう。
艶のある髪。手入れの行き届いた、手触りの良い髪。それに、触れてしまった。
しかし、不思議と焦りは感じない。
面白みの無いサラリーマン生活をこの先云十年も続ける位なら、ここで一度刑務所にでも入ってみるのも面白いのではないか。
そう思ってしまうまで、開き直ってしまっていた。
幼女がこちらを向き、目が合う。
自分の頭の上に載っている手を触る。ほんのり暖かい。
幼女は私の手を胸に当て、こちらに近づいてくる。ほんの数㌢だが、こちらに駆け寄ってくるように。
そして、抱きついた。
私に。
追い討ちをかけるように、彼女はこう言った。
「おとーさん…?」
今度は焦りを隠せなかった。頭の中が混乱する。
お父さん、と。幼女は私に向かって、そう言った。
そんな私を見て、可愛らしく首をかしげながら、少し強く私を抱きしめて。
「おとーさんは、わたしのこと…すき?」
とも言った。
声が出ない。焦りと不可思議な感情が入り混じって、まともに応対できない。
そして、とうとう頷いてしまった。頭が半自動的に動いてしまった。
「ふふ…うれしー//」
それを見た後、囁く様にそう言い、照れる仕草をする。
すると幼女は、どこか妖しげな笑顔で笑みを浮かべ、話す。
「わたしね、おとーさんにてつだってほしいことがあるの。聞いてくれる?」
轟音と共に、闇に包まれる。
私が、ではない。
幼女が、でもない。
電車だ。
今まで町の中心部を走っていた筈の電車は、まるで光の全く届かないトンネルの中に居るようだった。
窓の外は、闇。
ふと周りを見渡すと、誰も居ない。
通勤時間帯であんなに犇めき合って居た人が、丸ごと綺麗に消えている。私と幼女だけを残して、走り続けている。天井のライトが薄暗く光り、いかにも幽霊列車という感じだった。
「…きちゃったね」
幼女は呟く。
すると、目の前のドアへと手をかける。
電車のドアは半自動だが、なにかあった時の為に窪みが付いている。無論、走行中は絶対に開かない。
そう、開かない筈なのだが、幼女はそれをあっさりと開けてしまう。
思わず私も隣のドアへ手をかける。それは思いもよらない軽さだった。少し押すだけで完全に開いた。
開けた先も、やはり闇だった。開いたドアから流れ込む、生温いような冷たいような風が幼女の髪を靡かせた。
「おとーさん、上、みて。」
その声で初めて、上を見る。少し電車から乗り出したような状態で、電車の真上を見る。その速さを示唆するかのように、強い風が体に当たっている。
充血した大きな目玉と、小汚い緑色の口があった。
それらは人のものではない、禍々しいモノだった。
「あれはね、『まじょ』さん。」
魔女。
ファンタジーの世界でよく見る、あれだ。
もう既に、「魔女などありえないだろう!」等という気持ちは微塵も無かった。それ以上に不可解なことが、実際に起こっているからである。
「まじょさんは『寝不足』だから、おほしさまで『おやすみ』させてあげるんだけど……あっ、ほら!」
なにかを見つけたかのように、幼女は指を向ける。
指した先は、暗闇。
しかし暗闇の向こうから、光の粒のようなものがこちらに2つ、飛んでくる。片方は明るく、もう片方は少し暗い。
近づくに連れて、それが星の形をしている事に気づく。そして少女の胸に飛び込んでくる。少し後ろによろめいたが、すぐに足を踏ん張る。
「もう1こくるよ、おとーさんのぶん。」
先ほどの方向を見直すと、もう1つの星がこちらへ向かってきていた。幼女の隣の、私へ向かって。
かなりの速度で、私の手の中へ飛んでくる。避けることは出来なかった。そうなると、反射的に両手でそれを掴もうとする。
あまりの速さに後ろに倒れそうになるが、何とか踏ん張る。この幼女はどんな力持ちなんだと疑問に思ってしまう。
手の中を見る。
それはやはり、『星』だった。
角が丸く、石を彫って切り出したような手触りだった。
幼女に飛んできた星は明るい色で光っていたが、こちらのものは黒に近い光を放っていた。
「それをね、ぎゅーってして、ばーんってするの。」
よくわからないが、身振り手振りで示しているお蔭で何となく解る。
「みててね?」
幼女はそう言うと、ドアから半身を外に出した。右手の平に握っている星を腕ごと上に向け、左手を二の腕に添える。幼女は目を瞑る。
少しずつ、星の中心に黄緑色の何かが集まってくる。
それは、葉。
小さな小さな、木の葉。それらが集まった。
幼女がめを見開くと、1つの光の線になって、飛んで行く。下の空気を巻き上げるように、飛んで行く。
魔女の顔の近くで少し広がり、覆う。隙間から、魔女の顔の右半分を容赦無く吹き飛ばすのが見えた。
「いたいよね…もうすこしだけ、がまんしてね?」
するとそれは変な声で呻き、黒い塊を吐いてくる。しかし片目が潰されたからなのか、全く照準が合っていない。電車のすぐ横に落ちる。
「おとーさんもてつだってあげて?」
そんな場面を眺めていたら、唐突に『やってみて』等と言われる。
先ほどの幼女と同じ格好をし、星を上に向ける。どんどんと右手に力を込めてゆく。体の回りが明るくなり、体が軽くなるが、腕が捥げそうだ。
すると確かに、星の中心に何かが集まってきた。しかし、それは木の葉等ではなかった。
砂鉄のようなモノが渦を巻き、星の中心に集まる。
そして1つの球になる。
よく見ると、それは鉄のようなモノだった。あるいは、小さな鉄の塊そのものだった。
少しずつ脹らみ、やがて完全な球となる。腕の痛みがピークに達したその瞬間、右手の平が熱くなり、それは放たれた。
鋭い音と共に、一筋の螺旋状の線を描きながら、飛んでゆく。それは見事に、貫いた。
魔女の額から、その全てを吹き飛ばすかのような勢いで。
「おやすみなさい、やすらかに…」
耳の痛い音と暴風の中身動ぎもせず、幼女は胸の前で手を組む。
魔女は跡形も無く、消え去った。
黒い粉が灰のように降ってくる。そのどれもが、体に触れると徐々に消えていく。
「おとーさん、やさしいんだね?」
隣に立つ幼女はそう言った。
例え相手が怪物であったとしても、その脳天を打ち抜くという所業はどう考えても『優しい』にはなり得なかった。
轟音、後、光。
橙色の夕日が、窓から差し込んでくる。西の方角を向けないほどの、眩しい光。
私は、家の方向へと向かう電車に乗っていた。
初投稿です、ごめんなさい。