第85話 紙婚式
四月二十日。奏は和也と結婚一周年を迎え、式を挙げたホテルを訪れていた。彼が予約していたレストランでは、昼間からコース料理が運ばれている。生ものを避けている為、和也とは違う前菜が前に並んだ。
「美味しそう……」
「食べちゃ駄目って訳じゃないけど、念の為な」
「うん、ありがとう……美味しい……」
幸せそうに口にした奏の味覚は、そこまで変わっていないようだ。
デザートのプレートには『one's wedding anniversary』と、チョコレートで書かれていた。
「わぁ……可愛い……」
「崩すの勿体ないよな」
「うん……写真、撮っていい?」
「あぁー」
そう言いながらも毎回のように、料理が進む度に携帯電話を向けていた。形に残す姿に、和也からも笑みが溢れる。
彼女にはカフェインレスのアールグレイティーが、彼の前にはコーヒーが置かれ、最後のデザートまでゆっくりと楽しんでいた。
「はぁーー……幸せ……」
「本当、美味しそうに食べるよな」
美味しい料理に、和也と二人きりで過ごせる時間。
子供が生まれても、ずっと手を繋いで……歩いていられるといいな…………
結婚が公になってからは、人目を気にせずに手を繋いで歩くことが増えたよね。
お揃いの指輪や時計にも、この一年で慣れたとは思うけど……
今も車道側を和也が歩き、並んで手を繋いでいる。
「和也、ごちそうさまでした……連れて行ってくれて、ありがとう」
「あぁー、美味しかったな。また来ような?」
「うん! これから、どこに行くの?」
「体調が平気なら、散歩しながらベビー用品、見に行くか?」
「わーい! 色違いで肌着揃えたいなぁ」
「そうだな。あと、奏のもな」
「私のも?」
「そう、前開きのパジャマとか必要なんだろ?」
「ありがとう……和也のも新調しようね?」
仲睦まじい様子は学生の頃から変わらない。気づいた人がいたなら、思わず視線が釘付けになっていただろう。街中をゆったりと歩く姿さえも絵になり、菅原ならシャッターを切る場面だ。
二人が立ち寄ったルームウェアのショップには、シルクやオーガニックコットンを使用した可愛らしいデザインが並んでいる。
「肌触り、すっごくいいよ?」
「本当だな、ベビー用品も可愛いな」
「うん、これも可愛いね」
小さなベビー服を手に取っては楽しそうだ。
「奏はサイズ大丈夫そうだな。半袖も買っとく?」
「うん、和也のもね」
「あぁー。じゃあ、色違いな」
ピンク色とネイビー色のパジャマを選び、ベビー用にはピンクとブルーの淡い色合いを手に取った。
サングラスや帽子を着けている訳ではない為、微かに周囲の視線を感じていた。
ーーーーーーーー和也は目立つよね…………ここがルームウェアのショップで、女子率が高いっていうのもあるかもだけど……女性ファンは和也だけじゃなくて、みんな多いから……
少し緊張した様子の店員から、和也が紙袋を受け取ると、タクシーで帰宅する事になった。
この七年で……タクシーにも慣れたよね。
大学を卒業してからは特に…………車にも乗るようになって、電車に乗る機会が減ったから……
後部座席でそんな事を思っていると、タクシーが路肩に止まった。
「すぐ戻るんで、待っていて貰えますか?」
「はい」
「和也?」
「奏は待ってて、すぐ戻るから」
「うん……」
おとなしく待っていると、本当に直ぐに戻って来た。
タクシーがゆっくりと発車する中、和也の膝の上にはケーキの箱が乗っていた。
「……タルト?」
「そう、家に着いてからのお楽しみな?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる和也に対し、二人で食べるには大きすぎるサイズ感の箱に、奏には疑問符が浮かんでいた。
自宅に着くと、その理由がすぐに分かる。いつものメンバーが二人を出迎えたからだ。
「hana、おかえりー」
「ただいまーって、みんないるー!」
「今日は二人の結婚記念日だけど、water(s)七周年も祝おうって事になってな」
「あぁー、鍵はmiyaに借りてたんだ」
「って事で、これは俺達からな?」
大翔から薔薇やかすみ草の入ったブーケが、奏に手渡された。
『miya、hana、結婚記念日おめでとう!』
「ありがとう……」
「hana、泣くなよー」 「らしいな……」
「うん……」
リビングのテーブルには、三人が用意した料理が綺麗に並んでいる。
「美味しそう……もしかして、手作り?」
「まぁーな」 「うん」
「一人暮らし歴は長いからな」
「miyaは受け取れたか?」
「勿論!」
先程立ち寄ったケーキの箱を開ければ『water(s)七周年おめでとう!』 と、書かれたプレートが乗ったタルトが入っていた。
「注文通りだな」
「あぁー」
取り皿を配り合い、グラスを準備していると、インターホンが鳴った。
「まだ、誰か来るの?」
「ここは、やっぱりマネージャーでしょ。優香さんにも来て貰ったから」
「わーい!」
和也がオートロックを解除すると、程なくして二人が顔を出した。
「お招きありがとう」
「こちらこそ、来て下さってありがとうございます」
優香さんとはスギさんの結婚式以来、メッセージのやり取りを行なってるから、私にとってお姉さん的な存在。
実際は弟しかいないし、water(s)の殆どがお兄ちゃんみたいな存在だから……
「みんな、車なの?」
「今日はお酒飲めるようにタクシー」
「流石だな。hiroは布団あるから、みんなも泊まってっていいよ?」
「スギさん達は? お酒飲めます?」
「飲めるよー」
「どれから飲む? ビールとジュースは買ってきたけど」
「せっかく来て貰ったから、シャンパン開けるか?」
「賛成!」
「奏は飲めないけどな」
「分かってるよー。kei達が買ってきてくれたジュースで乾杯します」
グラスに注げば、ささやかながらデビュー七周年をお祝いする事となった。
「これ、hanaちゃんに……」
優香からプレゼントを受け取ると、中には香りの良い保湿クリームとガーゼのハンカチが入っていた。
「わぁー、優香さん……ありがとうございます」
二人は紅茶とケーキを食べながら楽しそうに話を続けている。
「聞いてた通り、hiroくんはお酒が本当に弱いのね」
「そうなんですよー」
大翔はすでに酔いが回ったのだろう。リビングに敷かれた布団に横になっていた。
「僕達はそろそろ片付けて失礼するよ」
「スギさん、優香さん、来て下さってありがとうございます」 「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」 「ご馳走さまでした」
「片付けは、和也にやって貰うので大丈夫ですよ」
「あぁー、すぐ終わるんで、二人とも気をつけて帰って下さい」
杉本が優香を連れて宮前家を後にすると、いつものメンバーが残る。奏も片付けを手伝うと先に寝室に行った為、リビングには和也、圭介、明宏、そして寝ている大翔がいた。
「今日は来てくれて、ありがとう」
「喜んでたみたいで良かったよ。双子だと産休開始も早いんだな」
「あぁー、俺も初めて知った」
「hanaがママになるのか」
「まだ妹的な感覚が抜けないからなー」
「成人式の時も祝ってくれてたもんな?」
「そうだったな」
「早いなー……もう七年経ったのか」
「デビューした頃は、全員十代だったからな」
「懐かしいな……次はアジアツアーか」
「最終的な目標は、ワールドツアーだろ?」
「それは、やっぱりな!」
「あぁー、water(s)としての活動がこの一年で減る分、チャンスがあれば何でも挑戦したいな」
「keiは既にヴァイオリンでオケと共演してるだろ? hiroはサクソフォンの他に、編曲の依頼が来るって言ってたな。akiは?」
「俺はドラムでは外国からオファーが来てたなー。あとは今まで通りかな」
「楽しそうだな。そう言うmiyaは?」
「俺も今まで通り、作曲とかの依頼が溜まってたのを受けてるところ」
「この間も映画音楽とか引き受けてたもんなー」
「やってみたら、結構楽しい。若干学祭前のお祭り気分みたいな?」
「そんな呑気なこと言うの、miyaとhanaくらいだと思うぞ?」
「そう?」
それぞれが自分に求められる音楽の仕事をする。ある意味、個人で挑戦できる一年になりそうだ。
「来年の八周年ライブは、seasonsで十一月頭くらいに予定だろ?」
「そう。奏がどの程度まで歌えるかの肩慣らし的な感じで、九周年のドームライブに備える事になるな」
「seasonsか……懐かしいな……」
「あぁー……原点に戻った感じで、良いスタートがきれそうかもな」
「うん」 「あぁー」
奏が産休の間も立ち止まるわけにはいかないが、彼らにとっては音楽に触れない事の方が苦痛だろう。
話が尽きる事はなく、遅くまでお酒を片手に語り合っていた。
奏が身だしなみを整えリビングに入れば、男四人が並んで眠っていた。和也も話しながら、圭介達と共に寝てしまったようだ。彼女は起こさないように、静かにキッチンに立った。
朝ご飯、どうしようかなー……洋食もいいけど、みんな結構お酒を飲んでいたから和食にしようかな。
ご飯は早炊きでスイッチ入れたから、焼き鮭と、シジミの味噌汁、出し巻き卵、オクラの胡麻和え、残ってた金平牛蒡と、彩りでミニトマトかな……梅干しも出しとこう。
手際良く調理している為、三十分程度で朝食が出来上がる。一足先にダイニングテーブルで食べていると、和也が起きてきた。
「んーー、奏……おはよう……」
「おはよう、和也。はい、お水飲む?」
「ありがとう」
和也は隣の椅子に腰掛け、水を飲み干した。
「美味しそう……朝ご飯作ってくれたのか? ありがとう」
「うん、みんなも起きたら食べるでしょ?」
「あぁー、もうすぐ九時か……圭介が昨日、目覚ましかけてたから鳴るな」
「みんな、オフじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど、せっかく五人揃ってるからマスターの所に顔出そうってなったんだよ」
「行きたい!」
「言うと思った……ついでにCD渡そうってな?」
彼の言った通り、圭介の携帯電話からアラーム音が鳴り、揃って目を覚ました。
「おはよう。よく寝たー」
『おはよう』
大翔も途中で起きたようで、三人とも和也の部屋着に着替えていた。
「美味しそう……」
「本当だ」
ダイニングテーブルには、四人分の朝食がランチョンマットの上に綺麗に並んでいる。
「みんな、昨日はありがとう」
「奏、ありがとう」 「サンキュー」
「美味そうだな」
「しっかり食べてね?」
『いただきます』
テレビのニュースをラジオのように聞きながら、朝食をとる。揃って食べる事はライブの時にはよくあるが、和也の家では初めてだ。話の尽きないまま、ゆったりとオフの朝を過ごしていた。
昨夜決めた通り、遅めの昼食にマスターの喫茶店を訪れていた。
五人揃って行くことって、学生以来ないかも……
もしかしたら……一年ぶりになるかもしれない。
『こんにちはー』
「久しぶりだね。みんな、いらっしゃい」
マスターは変わらない優しい笑みを浮かべ、出迎えていた。彼らが以前よく使っていた席には、変わらずに予約席の札が置いてあった。
「コーヒー四つと、レモンスカッシュ一つと、ナポリタンと、オムライスとー」
圭介がカウンターに注文しに行くと、先にレモンスカッシュだけ受け取り、戻ってきた。
「はい、hana」
「ありがとう。お先にいただきます」
「コーヒーも暫く飲めないのか?」
「全く飲めないわけじゃないけど、一応ね。カフェインレスにしてるの」
「やっぱ味違うのか?」
「違うよー。紅茶のアールグレイは比較的、変わんない気がするけど」
「でも、最近タリーズとかスタバのデカフェ頼んだら、美味しかったんだよな?」
「そう! 濃くて美味しかったの」
「へぇー、色んなのが出てるんだな」
話していると、マスターが料理を次々と運んできた為、テーブルには懐かしのメニューが並んだ。
「お待たせしました」
「わーい! 美味しそう」
「hanaは子供が生まれるんだって? おめでとう」
「マスター、ありがとうございます!」
「ゆっくりしていってね。コーヒーは食後にね」
「はい」
久しぶりに食べるマスターの手料理は、どれも美味しく、懐かしさを感じる味に思い出話の花が咲く。
「マスター、ピアノ、あとで借りていいですか?」
「勿論だよ」
変わらない彼らに、マスターもまた懐かしく想い返していた。学生服姿で奏でていた事を。
和也は自宅に帰ると、奏に絵本を手渡した。
「ーーーー昨日、紙婚式だったから」
「ありがとう……」
それは、彼女が好きな画家が描いた絵本だ。大人向きの絵本と言えるだろう。
お互い用意していた事に綻び、手帳を手渡す。仕事のスケジュール管理は、携帯電話だけでなく、最初は持ち歩いてる紙にメモをする事が多いからだ。
「ありがとう……」
和也も奏と同じような笑みを浮かべていた。
ーーーー白紙のような二人の将来を願う……か……
紙に由来したプレゼントを贈ることが多いみたいだけど、和也も知ってるなんて…………きっと、調べてくれたんだよね。
その気持ちこそが、何よりも……
「これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくな」
いつかと同じようなやり取りに、揃って笑みが溢れる。
こうして、想い出がまた一つ増えていく。
来年の今頃は、四人家族になるんだよね。
どんな事でも……和也となら、乗り越えていける。
彼の優しさに触れ、改めてそう感じているのだった。




