第9話 即興曲
「奏、ちょっといい?」
「うん」
一年生の教室に和也が顔を出した。
一学年一クラスしかない為、今では二人の仲の良さも周知の事実だ。一部では、付き合う前から「付き合っている」と噂された程だが、当の本人は気づいていない。
「今日はスギさんが来てくれるから、俺が来るまで教室で待っててくれるか?」
「うん、待ってるね」
二人の側をクラスメイトが通り過ぎる。避けようとした肩は和也に引き寄せられ、至近距離で視線が交わる。
「ーーーーっ!!」
「…………楽しみだな」
触れられたまま話は続くが、顔色の変わらない和也に対し、頬が微かに染まる。声が出そうになり抑えたくらいだ。
「…………うん」
「じゃあ、また後でな」
「うん……」
ほとんど頷く事しかできないでいると、頭に触れる手にまた熱が帯びる。急激に上昇する体温に、視線を逸らしそうになりながらも微笑む。穏やかな笑みにつられたのはお互い様だったようだ。
「み、見た?!」
「う、うん、今のミヤ先輩……」
「かっこよかった!」
彼の横顔にクラスメイトが色めき立つ。
奏は二年生の教室に戻っていく背中を見つめながら、熱を帯びるよりもその影響力を再認識していた。
ーーーーーーーー和也と付き合うようになってから、何も変わらないって思っていたけど…………そんなことない。
バンド仲間には変わりないけど、距離感が……今までよりも近い気がする…………
頬が赤くなりそうになるのを抑え、友人の元に戻る奏は気づかなかった。彼が緩んだ表情を見せるのは、彼女の前だけだという事を。
「奏ーー、次は体育だから行くよー」
「うん! 綾ちゃん、今行くー」
ジャージが入った手提げ袋を持つと、クラスメイトと共に大学構内にある体育館へ向かう。
高等学校は少人数精鋭の為、体育館や演奏ホールを大学生と共有で使用する機会も多い。音楽学部がメインで使う施設を借りているような印象だ。
体育館では、男女別にバスケットボールの試合が行われていた。
「綾ちゃんは佐藤チームを応援中?」
「それは勿論!」
女子の方が若干人数が多い為、奏達はネット越しに観戦中だ。
「綾子、佐藤がシュート決めてるじゃん!」
同じく見学中の友人の言葉に、彼女は嬉しそうだ。
「あっ、酒井も決めたよ」
綾子は照れ臭さを隠すように、佐藤のチームメイトの応援もしていた。そんな姿を可愛いらしいと感じていると、観戦組の番になった。
奏がジャンプボールを決め、試合が始まる。
「さすが上原、手足長!」
「体育祭でも思ったけど、意外と運動神経良いんだよなー」
「そうそう、背も高いし」
クラスメイトがパスの練習をしながら話していると、綾子との連携からシュートが決まる。
「二人とも、ナイスシュート!」
「やったね、奏!」
「うん!」
二人はチームメイトの真紀に、ピースサインをして喜び合っていた。
「奏と宮前先輩って、付き合ってるのかな?」
「思った! 今日も先輩来てたしねーー」
「ねぇー、お似合いだよね」
小さな声で噂話をしていると、彼女達の番になり、また入れ替わる。
一学年四十名しかいない事もあって、文化祭や体育祭等の行事を通して、まとまりのあるクラスになっていた。綾子と佐藤のように、付き合っている者もいるようだ。
「お疲れさまー」
「お疲れー」
そう言い合ったカップルに、羨望の眼差しが向けられる。制服姿に着替えた綾子と佐藤の仲の良さも周知されていた。
奏達の前を歩く二人は、足並みが揃っている。
「いいなぁー……」
「そうだね」
真紀のように羨む気持ちは、奏にもあった。
みんなと同じクラスだったら、もっと楽しいよね……
「奏!」
馴染みのある声に振り返ると、今想っていたメンバーの二人に頬が緩む。
「kei! aki!」
「はい、やり直しー」
「うっ……圭介くん、明宏くん……」
明宏に指摘され、言い直す。
「構内で会うの初めてだな。体育だったのか?」
「うん、そうだよー」
話していると、圭介達と待ち合わせをしていた大翔が駆け寄った。
「奏じゃん! 制服姿見ると、高校生なんだって実感するな」
「大翔くん、これからみんなでお昼なの?」
「そうだよ。スギさんに午後会うから打ち合わせ兼ねてな」
大翔が軽く奏の頭を撫でると、側にいたクラスメイトが声をかける。
「何? 奏の知り合い?」
「うん、えーーっと……」
「奏の音楽仲間だよ」
戸惑っていた奏も、圭介に頷いて応える。
「うん……大切な音楽仲間なの……」
「……じゃあ奏、また後でな」
「またなー」
「後でな」
「うん!」
手を振り分かれると、クラスメイトから質問攻めにあった。彼らはタイプは違うが、人目を引くルックスをしていたのだ。高校生の彼女達からすれば、私服姿の大学生が大人に見える部分も少なからずあったからだろう。
「大学何年生なの?」
「みんな、一年生だよ」
「奏の音楽仲間って、いいなーー」
「かっこよかったー!」
「……ありがとう」
三人とも背が高いし、かっこいいよね。
それにしても……名前は慣れないよ。
やっとkeiとか…………ちゃんと呼べるようになったのに、顔出しするまでは名前呼びなんて…………呼び捨てでいいって、みんな言ってくれたけど、まだ呼べてない。
今みたいに、いつもの調子で声をかけちゃう。
後ろを振り返り、少し遠くに感じる背中を眺めた。
ーーーーーーーー大学生なんだよね…………一緒にいると、忘れがちになるけど…………
当たり前の事に気づかされ、空いてしまった距離に押し寄せる。それは和也も感じた事のある感情だった。
約束した通り放課後になると、教室まで迎えに来た和也に手を引かれていた。周囲の視線に奏も気づくが、構わずに歩いていく彼に離す素振りはない。
「ーーーー和也?」
笑いを堪えるような横顔に思わず声をかけた。
「いや、相変わらずだなーって思ってさ」
「どういう意味??」
「集中すると見えなくなるとこ?」
黒いワンボックスカーに乗り込むと、圭介、大翔、明宏の大学生三人と運転席には杉本が待っていた。
「すみません、遅くなりました」
「お疲れさま。じゃあ、全員揃ったから社に向かうねー」
『はい!』
杉本は遅れた事を気にする様子はなく、車を走らせた。事前にメッセージを貰っていた為、知っていたからだ。
後部座席に座る五人の会話が弾んでいると、曲の話題になった。音楽の話をする彼らは、いつも楽しそうだ。
「俺もあのCMの曲すきだなー」
「私もすきー、いいよねー」
「どんなのだっけ?」
「確かねー……」
大翔の疑問に応えたのは、奏の歌声だ。
ずっと聴いていたくなるようなメロディーラインに、杉本は背後から聞こえてくる歌声に耳を傾ける。
たった数小節分でも、彼女が歌えば耳に残るのだろう。和也は奏の声にインスピレーションが湧いたのか、iPadにメロディーを入力していく。その音に乗せて、彼女はまた歌っていた。歌うと言ってもラーラーラーと、鼻歌のようなものだったが和也の作る曲に合う音階だった。
二人に合わせるように携帯電話やiPadで、各自のパート部分を構築していく。
その姿に、改めて音楽が好きなバンドだと感じる杉本がいた。
会社に着く頃には曲が一つ仕上がっていた。
「みんなには、今日はここで各々レッスンして貰うから」
杉本が講師の紹介を終えると、分かれて練習をする事になった。
奏はボイストレーニングを行うべく、グランドピアノのあるスタジオにいた。
講師の山田は、ピアノの音階と同じ音が何処まで出せるかを確かめていく。あまりにすんなりと声を出す為、音の聞き分けテストを行うと、彼女は絶対音感の持ち主なのか、山田が弾いた音を全て言い当てた。
「hanaはピアノ専攻希望って聞いたけど、いつから習ってるの?」
「ピアノの個人レッスンは小学生からですね。それまでは、音楽教室でエレクトーンを習っていました」
幼少期の頃から音に触れている為、彼女の耳は鍛えられていたのだ。
「発声練習はした事ある?」
「いえ、高校の授業で少し習ったくらいですね」
「他には……スポーツとかは?」
「今はしていませんが、中学までは剣道部でした」
腹式呼吸の基礎は出来ているが、今まで以上に声を出しやすく、枯れない喉にするよう山田は、現状からレッスン内容を組み立て直す事になった。
奏は新しい事が楽しかったのだろう。レッスン中もその瞳は、常に輝いているように映っていた。
「好きなコードで弾いてみて」
講師の言葉通り、和也がギターを弾くと、それに合わせるように圭介の音が重なっていく。ギター担当の二人は同時にレッスンを受けていた。
CD販売をしたり、ネットに動画を上げているだけあって、思っていた以上に上手いうえに、魅せ方を知っていると、講師の木村は感じていた。
パテーションで分かれただけの部屋の為、右隣りからはベースの音が聞こえている。
「好きなコード」と言われた為、和也と圭介が視線を合わせると、ピッチの早い曲へ変わっていく。四つのコードを順番に弾いている事が大翔にも分かったのだろう。二人に合わせるようにベースの音が重なると、それに続くようにドラムの音が加わり、ピッチが変わっていく。
「ーーーー佐々木さんが惹かれる訳だ……」
木村の声は誰にも聞こえていなかったが、楽しそうに弾く即興に音楽好きなら誰もが心躍った事だろう。
弾き終わると、二人の癖を把握した木村が的確なアドバイスを出した。二人だけでなく、大翔も明宏もパテーションでお互いに姿は見えないが、指導をしっかりと受けているようだ。
「そしたら、keiがヴァイオリンで、miyaがピアノだったよね? パテーション退かすから四人の音が聴きたいな」
『はい』
木村の指示通り、一つの空間になった場所で三人の講師を前に演奏する事となった。
「何にする?」
和也に即答する圭介。二人だけでなく、考える事は同じだったようだ。
「微妙な編成だから、"春夢"かな。サクソフォンが生えるし」
「だよなー」
「了解」
アップライトピアノの周囲に椅子を並べ、ヴァイオリン、チェロ、サクソフォンの順に座ると、和也の視線を合図に曲が始まった。
「…………さすが音大生だな」
「あぁー…………でも、ジャズとかクラシックじゃなく、敢えて自分達の楽曲を演るのが若いねー」
「ーーーーそれにしてもバランスが良いな」
入口付近に並んでいた講師陣が彼らの奏でる音楽に耳を傾けていると、山田が奏を連れてそっとスタジオに入って来た。
「ーーーー"春夢"……」
「曲のタイトル?」
「はい……」
木村の疑問に、奏は彼らをまっすぐに見つめながら応えると、その場で口ずさでいた。
彼女の声に反応するように、四人は曲調を調整していく。その音色の組み立ては、プロの演奏者として相応しいものだ。
「……やっぱりアドリブいいな」
「そうだな……」
木村の反応に、講師陣は概ね同意していた。
アドリブは、バンド内の関係性やその人のルーツみたいなものが見え隠れするからだ。とはいえ、演奏者のwater(s)にとっては、慣れ親しんだ楽器に、楽曲でも、相当な気力を消耗していた。
音で会話をする行為とはいえ、相手の癖や視線を読み解く事は容易ではないのだ。デタラメなようで、そうではないのがアドリブの醍醐味だろう。
緊張感から開放され、息を吐き出す四人に対し、途中から参戦だった為か、楽しそうな笑みを浮かべたままの奏がいた。
そんなwater(s)の様子に、紅一点が一番ハートが強いと、講師陣が感じたのは言うまでもない。
これから三月までの五ヶ月間、週一で講師による個人レッスンが付く事となった。
五人の出逢いから約半年。
季節は暑さの残る秋から、冬へ移り変わろうとしていた。