第75話 別れ道
大学生活最後の試験を終えた奏は、カフェテリアに一番乗りしていた。
もう、大学に通うのも……あと少し…………時間が過ぎるのが、早いとは思っていたけど……あとは試験の結果と、卒業式を待つくらいで……
「上原、お疲れ」
「樋口くん、お疲れさまー」
注文したローストビーフ丼を受け取ると、揃って中央にある六人掛けの席を二つ陣取った。これからピアノ専攻の八人が集まるからだ。
「試験、やっと終わったね」
「そうだな。あの、上原……」
「うん?」
「年末はライブ来てくれて、ありがとな」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。またライブするの?」
「する予定だけど……俺も拓真も就職したから、落ち着いてからかな」
「そっか……また機会があったら教えてね。miyaも聴きたいって、言ってたから」
「本当に?! 絶対教える!」
「うん、待ってるね」
並んで話していると、他のメンバーも試験を終え、続々と集まった。
「二人ともお疲れー」
「お疲れさまー」 「お疲れ」
「金子、気力使い果たした感じ」
「あぁー、試験の雰囲気は独特だからな」
「張り詰めた緊張感があるよねー」
「理花の言う通りだな」
「なぁー、石沢と潤が同じ楽器メーカーに、就職したんだろ?」
「そうみたいだね」
「あぁー。でも、希望部署は違うからな」
「そうそう。新人研修で会うかもだけど、人数多いから微妙だよねー」
「大手だと、そんな感じか。阿部っちも拓真も音楽関係の企業だろ?」
「まぁーな。ピアノは弾かないけどな」
「それは私達も同じだよー」
綾子がそう応えると、樋口も頷く。
「詩織は音楽教諭でしょ?」
「うん、母校に行くの楽しみ。金子は?」
「一般企業。だからピアノは、趣味で弾く程度になりそうだな」
「そうなんだ……」
ーーーー分かっていたけど、本当に就職したら……卒業したら、別々の道を歩んていくんだ…………今更だけど、卒業……するんだよね。
あんなに待ち遠しかったのに……
「拓真と潤は音楽活動、続けるんだろ?」
「それは、勿論!」 「あぁー」
勢いよく応える酒井と頷く樋口の視線は、彼女に向けられていた。
「目標は……water(s)だからな」
「あぁー……」
「……ありがとう」
「結局、地元に帰るのは詩織だけかぁー」
「うん。でも神奈川だから近いよ。この中だと、実家が遠い阿部っちが大変じゃない?」
「あぁー。学生寮に住んでたから、これから引っ越しだよ」
「阿部っち、大変だな」
「まぁーな」
ピアノ専攻で集まって、こういう話ができる機会はほとんど……残されていないんだよね……
今後の話をしながら昼食を食べ終えると、奏達はカフェテリアに残り、卒業旅行の観光場所を決めていた。
「ルーヴル美術館行きたい」
「うん。あと、エッフェル塔」
「いいねー、オプションで付けたモンサンミッシェルも楽しみー」
「来月末に行けるんだよね……」
「そうだよ。理花は阿部っちとも旅行、行くんでしょ?」
「行くよー。阿部っちの引っ越しがあるから、大阪になったけど、綾子は?」
「私も佐藤とは近場の箱根だよー。詩織も箱根に行くって、言ってなかったっけ?」
「うん、一泊だけどね」
「いいね、みんな彼との旅行も楽しみだね」
彼女達が楽しそうな様子に、奏も嬉しそうにしていると、携帯電話のバイブ音が鳴った。
「ちょっと、出て来るね」
「うん」 「いってらっしゃい」
席を立つと、三人は彼女の話す横顔を見つめていた。
「奏の結婚式、楽しみだねー」
「うん!」
「はぁーー、結婚式かぁーー」
「奏を見てるといいなって思うけど、私にはまだまだ遠い話だな」
詩織の言葉に二人とも頷いていた。いくら卒業するとはいえ、まだ学生の彼女達にとって結婚は現実味がない。
「でも、いいなぁーー……きっと、奏のドレス姿、綺麗だよー」
「うんうん。フランスでは独身最後の旅行って事で、計画通りにね」
「勿論だよー。ラデュレのケーキ買って、お祝いだからね」
彼女達はフランス旅行時に、サプライズを企画していた。
彼女に視線を移せば、周囲の注目を集めていると分かる。学生にとっても、残り少ないhanaを生で見れる機会だ。
奏が加わり、残りの観光先を四人で決めていくが、話し合う間も楽しそうに頬を緩ませる。数週間前まで真新しかったガイドブックには、付箋や印の数が増えていた。
待ち遠しいのは、ライブ前の高揚感に似てる。
みんなと旅行は初めてで……嬉しくて…………
さっきまでの淋しい気持ちを振り払うように、ガイドブックに勢いよく印をつけていった。
「ごちそうさまでした」 「ごちそうさま」
「奏は明日から旅行だろ?」
「うん! 一週間、行ってくるね」
奏は和也と並んで、夕飯の後片付けをしていた。
「一週間か……気をつけてな」
「うん、ありがとう」
「奏が帰ってきたら、またライブの音合わせだな」
「うん、楽しみ……六周年だね……」
「新曲も同時リリースだからな」
「うん……」
ーーーー六周年……本当に、早く感じる…………みんなと出逢ってから、六年経ったんだよね。
あの日から、毎日が新しいことばかりで……鳴り続けてる。
待ち遠しく感じていた日々が、現実に変わる時が来たんだ…………
「…………奏……」
エプロンを取ると、和也が大きく腕を広げた。それが合図になったかのように抱き合う。
「…………奏、少し痩せた?」
「そんなこと、ないと思うけど……」
「移動時間長いんだから、しっかり食べて、ちゃんと寝るんだよ?」
「はーい、和也お母さん」
クスクスと可愛らしい笑みを浮かべれば、優しく頭を撫でられる。
「お土産、楽しみにしててね」
「あぁー、帰ってくるの待ってるよ」
「うん……」
今も……こんなに、離れ難いのに…………
安心感を覚えていたのだろう。背中に手を伸ばし、同じようにぎゅっと抱きしめていた。
旅行は楽しみだけど、和也と一週間も会えないのは淋しい……
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
同棲を始めてから、一日も会わない日がなかったから……余計に…………二人で夕飯を食べることも、一緒に眠ることも、いつの間にか当たり前になって……隣にいないなんて、想像もつかない。
照明の落ちた中見つめれば、不意に抱き寄せられる。
「……奏、眠れないのか?」
「ーーーーバレてた?」
「分かるに決まってるだろ?」
「うっ……おやすみなさい」
見つめていたと、本人に分かってしまい気恥ずかしそうに背中を向けて横になるが、眠れそうにない。
「…………奏……」
背中から抱きしめられ、耳元で響く甘い声に心音が速まる。
「……和也」
「明日、夜の便だろ?」
「そうだけど……んっ…」
舌を絡めるようなキスをされ、身体の力が抜けていく。素肌に触れる手に素直に応じ、彼女も唇を寄せていた。
ーーーー温かい…………抱きしめられたまま、寝ちゃったんだ……
すぐ側にある寝顔に頬を染めながら、触れ合っていた肌から離れようとすれば、引き寄せられる。
「……寒い」
「……和也、私で暖を取らないで」
「冗談だって。まだ早いだろ?」
「そうだけど……洗濯とか……」
「そんなの俺が後でやっとくから……いいだろ?」
返事を待たずに、ベッドの上で肌が触れ合う。
「ーーーーうん……重くないの?」
「奏くらい、どうって事ないよ」
額を寄せ合った二人は、会えない時間を惜しむように抱き合っていた。
ーーーーーーーー安心する…………トクトクと鳴る心音に、和也の温かさに……
「……奏……迎えに行くから」
「うん……ありがとう……」
和也は…………私の憧れ。
強くて、優しくて……私も、少しでも……そう在りたいと願ってしまう。
少しでも、支え合っていけるようになりたいから……
「奏、いってらっしゃい」
「いってきます」
楽しみで嬉しいけど……こんな気持ち、初めて……和也がそばに、いないんだ……
複雑な心境のまま、家を後にするのだった。




