第70話 5周年
三月二十八日のデビュー日で五周年を迎えたwater(s)は、七月中旬から八月下旬にかけてライブを行なっていた。
「お疲れー!」
「お疲れさまー!」
「早かったなー」
「だよな……」
「そうだな」
ライブ後の高揚感を滲ませながら、いつものようにハイタッチを交わして抱き合っている。二日間あった福岡でのライブを終えたばかりだ。
基本的に土日がライブだから、毎週末になると各地を移動していた。
名古屋、大阪、福岡とライブを終えたから、来週末は、去年も出演した国営ひたち海浜公園で行われる国内最大級の邦楽ロックフェスティバルに参加する事になっているんだけど…………あの……壮観だったステージに、また立てると思うと……それだけで、鳴ってるの。
待ち遠しくて、仕方がなくて…………
毎回のように東京に戻る前に、各地の名物を食べ歩いていた。今日は博多ラーメンを食べに天神を訪れている。初めて見る並ぶ屋台に、思わず写真を撮る。
「テレビで見たのと一緒だな」
「うん! 明宏が調べてくれたお店に行くんでしょ?」
「そうそう。こっちだ!」
簡易の椅子に並んで座り、ラーメンをすする。ファンが見たら撮影か何かと、騒然となる場面だろう。幸いキャップや眼鏡と、こんな所に居ないという心理が働いているのか、騒ぎになる事はない。ただ店主にとっては、美男美女が完食する姿が目の保養であった。
『ごちそうさまでした!』
「またおいでね」
『はい!』
手を振り屋台を後にすれば、いつものようにホテルの大翔の部屋に集まっていた。
「明日は、観光するだろ?」
「行くー!」 「あぁー」
「太宰府天満宮で梅ヶ枝餅と、大濠公園……」
「博多駅周辺も散策したいな」
ガイドブックを広げながら話しているが、大翔はアルコールのせいで既に夢の中だ。彼女もライブの興奮で昨夜は寝つけなかったらしく、和也にもたれ掛かっている。
「……奏、寝かせてくるから、あとは任せた」
「あぁー。俺らも、これ飲んだら部屋に戻るよ」
「また明日な」
「うん、おやすみ」
奏を抱きかかえて部屋まで送り届けると、ベッドの上で眠る彼女を愛おしそうに見つめた。
「ーーーーおやすみ……」
うっすらとクマの出来た目元に触れ、長い髪に口づける和也がいた。
ライブの翌日はタクシーを使って福岡観光を楽しんだ一行は、夕方の便の飛行機で東京に戻っていた。
「ただいまー」 「ただいま……」
二日ぶりの我が家でソファーにダイブだ。
「和也、明日はお土産渡しに行ってもいい?」
「あぁー、両方の実家に行くんだろ?」
「うん!」
奏の夏季休暇に入ってからの各地のお土産は、東京に帰った翌日に渡しに行く事が多い。その為、昼食を宮前家で、夕食を上原家で呼ばれる事が恒例となっていた。東京に戻った翌日は大抵オフの為、休日を有効に過ごしていた。
「こんにちは」
「いらっしゃい。奏ちゃん、和也」
和也の母が自分の娘のように温かく出迎えている。
「母さん、これ福岡のお土産。健人はいるの?」
「二人が来るって伝えたら、久美さん連れて帰って来るって言ってたわよ」
「じゃあ、健人が来たら、奏から渡して?」
「う、うん」
健人達の分のお土産を預かると、リビングにはお寿司やピザが用意されていた。
奏が義父にビールを注いでいると、健人達が顔を出した。
「和也、奏ちゃん、久しぶりだなー」
「久しぶりー」
「ご無沙汰してます。これ……福岡のお土産です。よかったら、久美さんと召し上がって下さい」
「ありがとう」
奏から手渡され嬉しそうな健人は、和也の思惑通りのようだ。弟よりも、妹から手渡された方が、兄は喜ぶと。
挨拶を済ませると、六人揃っての穏やかな昼食となった。
彼女の実家では、母が奏の好物を作って待っていた。唐揚げにちらし寿司、茶碗蒸しだ。今日は創も帰宅していた為、こちらも家族揃っての夕食である。
「美味しいです」
「よかったー、たくさん食べてね」
「はい」
「和也さん、この間の野外ライブ、楽しかったです!」
「創くん、ありがとう。また都内で演る時は見にきてよ」
「はい!」
宮前家では彼女が中心的に話しかけられていたが、上原家では和也がそうである。自分の娘の夫になる彼と、話したいようだ。特に創は、兄が出来たかのように積極的に話しかけていた。
ーーーーあたたかい……夕食も、私の好きなものばかりだ……
家族の有り難みを感じながら、今週末に控えるライブを意気込む奏がいた。
四日間で二百以上のアーティストがライブを行う一番広い会場のGRASS STAGEで、一日七組出演するうちの今年も最後の一組となっていた。
water(s)の目の前には約六万人の観客がいる。彼らの音を、それだけの人が聴き入っていた。
また……今年も、この場所に立てた。
壮観で……やっぱり、他に言葉が見つけられない……
再び同じステージに立てた喜びを噛み締めながら歌う表情に、前日までの不安感はない。あるのは、ただダイレクトに響く声だけだ。
アンコールの声に応えステージに戻れば、拍手と歓声が響き、再び音が重なる。
ーーーーーーーーー止められない。
こんな景色、他に知らないから…………
呼吸を合わせるように、音を紡いで……届いてと願うの、何度も……
彼らが去ったステージには、盛大な拍手と歓声が送られている。五人は顔を見合わせ、強く抱き合っていた。毎回のようにライブ直後は、ハイタッチをしたり、抱き合ったりしているが、望んでいた通りの場所にまた立てた事に感動もひとしおなのだろう。いつも以上に喜び合う姿に、杉本だけでなく携わってきたスタッフも感動していたようであった。
ライブを終えれば、また次に向けて走り出す。
「思ってたよりも涼しくないな」
「でも、東京よりは蒸し暑くないよ?」
「そうだな」 「あぁー」
今週末に行われるライブは北海道だ。五周年を記念したライブツアーも、残すところ北海道での二公演と、東京に戻ってからの二公演だけだ。
彼女が学生でなかったなら、一年を通してライブを行なっていた事だろう。それくらい、彼らは音楽がすきである。
ドームでは、公演前の最終リハーサルが行われていた。
「はい、OKです」
「ありがとうございます。本番もよろしくお願いします」
システムエンジニアやマニピュレーター等のwater(s)の音を創り出すのに欠かせない人達に、いつものように伝えれば、本番が数時間後に迫る。
彼女は空っぽな会場を見渡していた。
ーーーーーーーーここが……数時間後には、人でいっぱいになるんだよね。
瞳を閉じると、歓声が聞こえてきそうなくらい……鳴ってるの…………
「また明日も出来るんだね……」
ライブ直後の率直な想いだ。歌い足りないと、顔に書いてある。
「hanaは嬉しそうだなー」
「うん! みんなも楽しみでしょ?」
「まぁーな」 「そうだな!」
麦茶で乾杯すると、ホテルの一室では初日の反省会が行われていた。明日もライブを控えている為、お酒やおつまみの類はないが、大翔の部屋という事に変わりはない。
彼らはiPadで、今日のライブ映像を見つめ直していた。
「ここ、リズムがよれてたな」
「本当だ……」
「明日のリハで修正だな」
「あぁー」
今日の反省点は速やかに修正され、より良いステージを創り上げる。これも、デビュー前から変わっていないモノの一つだ。
明日もライブが控えている為、反省会が終わりすぐに解散となった。
各自部屋で眠りにつくが、彼女はすぐに眠る事が出来ずにいた。ベッドに横になっていたかと思えば、起き上がっては窓から夜空を眺めている。
ーーーー駄目だ……目が冴えちゃう……
ライブの高揚感からか、特に連日ステージに立つ時は、すぐに眠れない事が多いのだ。彼女がベッドに腰掛けていると、部屋の扉をノックする音がした。扉を開ければ、彼が湯呑みを待って立っていた。
「和也……」
「やっぱり起きてた……眠れないんだろ?」
「うん……」
「柚子茶持ってきた」
「……ありがとう」
湯のみを受け取ると、温かい柚子茶が喉を潤す。
「ーーーー美味しい……」
彼女がいつも愛用している蜂蜜入りの柚子茶は、喉にも良く、甘く柚子の良い香りが口の中に広がる。
「……持ってきてくれたの?」
「あぁー、この間も寝つけなくて二日目のライブの後はダウンしてただろ?」
「……バレてる」
「何年一緒にいると思ってるんだよ? それに……奏の事なら、すぐに分かるよ」
「……ありがとう」
「明日も楽しみだな」
「うん、楽しみ……」
飲み終えると、ベッドに横になるように促される。
「……和也は?」
「奏が寝るまで、ソファーで見張ってようかな?」
「うっ……逆に眠れないよ……」
「冗談だって、奏が居てもいいならいるけど」
小さく頷けば、二人は一つのベッドに横になっていた。自宅と同じ環境のせいか、背中に触れる手の温かさに安心したのか、奏はすんなりと眠りについた。隣にいる和也もまた、彼女の寝顔に安心したのだろう。すぐに眠りに落ちていった。
誰もいないステージには、惜しみない拍手と歓声が送られている。北海道でのライブが終わったのだ。
福岡の時のように、大翔の部屋で反省会兼打ち上げを行い、明日の観光の予定を立てている。昨夜は熟睡出来たおかげで、今日は奏も起きていた。大翔だけは相変わらずなようで、一番に寝息を立てている。
各地でライブができて、楽しかったなー…………あとは、東京でのライブだけ……あっという間だった気がする。
彼女はサングリアの入ったグラスを眺めていた。
「奏は意外と飲めるよなー」
「そうかな? ビールは苦手だけど、前に飲んだ日本酒は美味しかったかな」
「和也も、ビールより日本酒とかウイスキーの方が好きだもんな」
「家でも飲んだりするのか?」
「家では、たまーにだね」
「あぁー、収録終わった後とかは飲むけど、毎日じゃないな。明宏は、結構飲むでしょ?」
「まぁーな。でも家だと、ビールかハイボールかーって感じだな」
空になった瓶や缶がまだ数本の為、一人を除き酒の話題に移る。
ーーーーこうして……お酒の話を出来るような年齢になったんだ。
はじまりは高校生だったから、もっと未来のような気がしていた…………先に大人になっていくみんなに追いつきたいと、何度思ったか分からない。
それぞれ想いを巡らせながら、夜は更けていった。
「五周年ライブ、ラストーー!!」
千秋楽という事もあって、彼らやスタッフだけでなく、観客もいつも以上の盛り上がりを見せている。
今日でラストなんて…………もっと……ずっと、歌っていたい。
自分の選んだモノをできる場所に、今……いるんだよね。
振り返っても、心が鳴り響くような出来事ばかりで……
彼らはライブを重ねる度に学び、次に繋げていた。それを肌で感じていた佐々木は、観客席から客の反応を、彼らの姿を、見つめていた。
「ーーーーーーーーあれから五年か……」
佐々木の呟きは周りの歓声にかき消され、届く事はない。彼らにとっては、佐々木プロデューサーが見に来てくれた事。それだけで励みになっていた。
彼もまた、十代だった彼らと出逢った日の事を想い返しているのだろう。微かに懐かしむような表情を浮かべていた。
いつものようにライブTシャツに着替えると、未発表の曲を披露して、六ヶ所で行ったライブが終わりを告げる。
ライブの達成感と、終わってしまった淋しさを滲ませ、瞳が潤んでいく。
「hana、お疲れー」
「最高だったなー」
「お疲れ!」
「hana、すごかったな」
頭や肩に優しく触れるメンバーに、涙が溢れる。一番触れてくるのは彼だが、メンバーとの距離感を改めさせる事はない。
目元を拭われ視線を移せば、達成感に満ちた仲間に微笑む。
「……お疲れさま!」
ライブが大盛況で終わる中、反省会は欠かさずに行われ、また次のステージへ駆け上がっていくのであった。




