第68話 告白
桜の見える場所じゃなかったけど、私達の希望通り……みんなも、この日を待ってたんだよね。
野外音楽堂にて、三千人規模のライブを行なっていた。春の陽気が心地よい午後二時からwater(s)のライブが始まった。
全席指定のチケットは即日完売した為、席は全て埋まっている。ステージ中央では、屋外で演奏出来る事を楽しむ姿があった。
ーーーー晴れてよかった……たまに吹き抜ける春風が気持ちいい。
初めての場所で演る時は、いつも以上に鳴ってるけど…………変わらない想いもある。
ずっと……歌っていたい…………五人で……
彼らのライブはトークが殆どなく、hanaの喉への負担は大きいが、日頃から鍛えられているせいか、今までに傷めた事は一度もない。むしろ歌う度に、声が伸びやかに出ているのだろう。彼女に釣られるように、演奏にも熱が帯びるようだ。
いつものプロジェクションマッピングのような最新技術を駆使したライブじゃないからこそ、観客を身近に感じるのかもしれない。
自然の光がスポットライトみたいで、ニューヨークに行った時のことを想い出すの。
これが、water(s)の音楽だって……たくさんの人に広めたいとか……そんなことを思ってしまう。
「はじめての野音にお越し頂き、ありがとうございました! 五周年を迎えたばかりのwater(s)をこれからもよろしくお願いします!」
keiの挨拶で締めくくられ、揃って一礼してステージを後にした。
ーーーー鳴ってるの…………鳴らない時はないけど、希望を……叶えられるだけの場所にいるんだ……
観客の声が響き渡る中、再びステージに立てば一際大きな拍手が沸き起こる。奏でれば、観客も一体感になったライブが続いていた。
アンコールの声に応え、彼らが去ったステージにも関わらず、拍手と歓声が送られていた。
……音が響く……心に…………みんなの笑顔と、こだまする声が……鳴り響いて……
彼らと抱き合う彼女は、笑顔を向けていた。初日を無事に終えた安堵感と高揚感を滲ませながら。
野外音楽堂で行った三日間のライブは、気候の良い中、大盛況で幕を閉じた。
最終日はライブの打ち上げをすべく、日比谷公園の桜を見た足で、千鳥ヶ淵緑道を訪れていた。桜の木々がライトアップされ、人が列をなしてゆっくりと歩いていく。
「ここは、やっぱり凄い人だな」
「そうだなー」
「でも、夜桜も綺麗だね」
「あぁー、せっかくだから靖國神社も寄って行かないか?」
「行きたい! 今の時期、屋台出てるだろ?」
「じゃあ、屋台で何か買いながら、桜見物だな」
「わーい!」
ライブの疲労感よりも、五人でのお花見の方が優先である。息のあったやり取りも健在だ。
花より団子な感じだけど……みんなと一緒に過ごしていると、忘れそうになる。
私は、まだ学生で……限られた中での活動になってるってことを……
「奏は何か食べる?」
「うーーん……このあと食べに行くから雰囲気だけで」
「じゃあ、りんご飴買って帰るか?」
「うん……」
手は繋いでいないけど……和也と距離が近い…………婚約してから、こういうこと……割と、増えた気がするけど……
一歩引こうとしたが阻まれる。和也が彼女の手を引き、屋台で購入していくからだ。彼女の手には、りんご飴が握られていた。
「奏、綿飴も好きじゃなかったか?」
「明宏、よく覚えてるね」
「買ってきてやるよー」
「ちょっ! もう、いいよ!」
彼女の手には、和也が買ったりんご飴だけでなく、ポップコーンやおさつスティックのような出店によくある類の食べ物が入ったビニール袋が、下げられていた。
半分は和也だけが買うと……だから、かもしれないけど…………殆ど、面白がってるよね?
彼女の視線に気づいたのだろう。その後は妹を甘やかすような事はせず、夜桜見物を楽しむと、和牛焼肉店に寄り、反省会兼打ち上げを行うのだった。
奏は野外ライブの数日後、構内で和也と会えない事を実感していた。
カフェテリアでも……時々だったけど、会えてた。
練習室に二人で残った事もあったけど……それも、もう出来ないんだ…………分かっていたはずなのに、淋しいって感じるの。
数日前まで……ライブで一緒にいたから、余計に……そうなのかも……
「奏、お疲れさまー」
「綾ちゃん、お疲れさまー」
二人は授業を終えたばかりだ。大抵カフェテリアの窓際にある四人掛けの席に座り、詩織、理花も含めた四人で昼食を取るか、ピアノ専攻のメンバーが揃うかが、お決まりのパターンである。
「ごちそうさまでしたー」
「……奏、聞いてもいい?」
「うん? 何? 詩織ちゃん」
「それって、先輩から?」
詩織は左手の薬指で光る指輪が朝から気になっていた。
「……うん」
「さすが先輩。いい虫除けだ」
「本当、さらっと指輪を贈るあたりがねー」
綾子は婚約したと知っている為、黙ってはいるが反応は彼女達と同じである。
「虫除け……」
「詩織の言う通りだねー」
「綾ちゃんまで……」
虫除けと言うのは、あながち間違ってはいないのだ。
「奏……卒業式の日から……学校に、指輪つけて来て欲しい」
「う、うん……」
「……分かってないな」
「えっ?」
「虫除けだよ」
「虫除け?」
すぐにはピンとこなかったが、意味を理解しても納得はいっていないようだ。
「そんな心配いらないと思うよ。みんなみたくモテないし」
「はぁーー……今までは、構内にメンバーがいたからだよ。俺が牽制してたのだって知らないだろ?」
「牽制?! そんなの……気づかなかった……」
「……という事で、はい!」
左手が取られたかと思えば、薬指に指輪をはめている和也がいた。
「……ありがとう」
嬉しそうにする彼女の手の甲に唇を寄せると、彼は強く抱きしめていたのだ。
「奏……」
「……和也?」
「ーーーー俺……」
ガチャっと重い扉が開き、他のメンバーが続々と入ってきた。二人はスタジオに一番乗りしていたのだ。
「お疲れーって、どうした?」
「ううん、何でもないよ!」
「あ、あぁー」
くっついていた二人は、向き合ったまま一人分の空間が出来ていた。抱き合っていたと想像はついたが、彼らは口にする事なく練習に励む姿があった。
ーーーーあれは、かなり恥ずかしかった……みんなの顔がにやけてるんだもん……って、そうじゃなくて……虫除けって、和也も言ってたっけ……
卒業式前の事を想い返していると、詩織から彼氏が出来たと報告があった。
「どんな人?」 「やっぱりイケメン??」
「同じ学校?」 「同い年??」
次々と出てくる質問に、詩織は簡単に応える。
「他の学校で、楽器の事は何も知らない人」
「写真ないのー?」
隣に座っていた理花に聞かれ、彼女は携帯電話から春休み中に撮ったであろう写真を見せた。
「やっぱりイケメンだ! さすが詩織!」
「かっこいい人だね」
「また相手から告白されたの?」
「ううん、綾子。今回は私からした」
「詩織からーー?!」
「そんなに驚く?」
「だってー、いつもは告白されて詩織が断るパターンが多いじゃない?」
「でも、付き合いたてって響きがいいよねー?」
「えっ? 綾ちゃん、私??」
視線から彼女に聞いてると明らかだ。
「そうだよ、奏。付き合いが長いとマンネリ化するでしょ?」
「そうかな? 綾ちゃんと佐藤は、相変わらず仲がいいと思うけど……旅行も行ってたし」
「綾子! マンネリ化しない方法は?」
「理花、必死」
「だってーー、阿部っち最近忙しそうで……」
「バイトに、就活に忙しいんでしょ?」
「綾子の所もそうなのー?」
「指揮者も狭き門だからねー……支持してる先生について海外行くかもだし」
「そうなんだ……綾ちゃんは、楽器メーカー勤務が決まったって言ってたよね?」
「うん! とりあえず就職が決まって一安心かな」
ーーーーこうして……みんなで過ごせるのも、もう一年もないんだよね。
それぞれ就職したり、大学院に進んだり、別々の道を歩いていくんだ…………唐突に、そう思った。
「奏、行くよー」
「うん!」
次の授業に向かう中、三人の後ろ姿に想いを馳せていた。
レッスン終わりの彼女を和也が待っていた。二人きりで会うのは一ヶ月ぶりになる為、心なしか揃って笑顔が硬い。
「奏、お疲れー」
「和也、お疲れさまー」
お揃いの腕時計に、彼女の左手薬指で光る指輪に、彼は心を決めていた。
「今日は俺の家に行っていい?」
「うん! 初めて和也の家に行くね。何か買っていく?」
「コーヒーはあるけど、甘いのないからケーキとかお茶出来るの買ってくか?」
「うん!」
彼はこの春から一人暮らしを始めていたが、奏が訪れるのは初めてである。
都内の高層マンションに着くと、奏は落ち着かない様子で、彼の後についてエレベーターに乗り込んだ。
ーーーーーーーーすごい……和也、こんな所で暮らしてるんだ。
エントランスにはセンスの良い椅子やテーブルが置かれ、コンシェルジュまでいるようだ。先程までの硬さはなく、初めての場所に驚くばかりである。
「わぁーー……」
リビングの窓からは、夜景が綺麗に見えるであろう景色が広がっている。
「気に入った?」
「うん、すごいね! お部屋も広い!」
「とっておきの部屋があるから、こっち来て」
後をついて行くと、案内された扉の向こうにはグランドピアノが置かれ、コンデンサーマイクやインターフェイスに、スピーカー等のレコーディングに必要な録音機材が揃っていた。
「和也……ここ、もしかして防音?」
「そうだよ。ピアノ見てみ?」
「ーーーーこれ……」
それは以前、彼女が楽器店で弾いたスタインウェイ&サンズのグランドピアノである。
「……すごい……」
他に……言葉が出てこない。
高校生の頃の果てしなく遠かった夢を、和也は現実にしたんだ……
「あとは……water(s)専用を、みんなで考えないとな。出来たらスピーカーを埋め込み式にして、真っ白な部屋で演りたい」
和也の頭の中には、専用のレコーディングスタジオの構想が出来ているようだ。
「奏……」
感動した様子で部屋を見つめていると、背中から抱きしめられていた。
「……一緒に暮らさないか?」
「……えっ?」
「俺が……一人で、こんな所に住むはずないじゃん。ここに、奏がいてくれたら……理想が叶うんだけど……」
そう言って彼は、奏の左手に鍵を乗せた。
「ーーーーうん……」
鍵を両手で握ったかと思えば、振り返り抱きついていた。
「……嬉しい……ありがとう……」
そのままキスを交わすと、買ってきたケーキと和也の淹れたコーヒーでお茶の時間を楽しんでいた。
程なくすると、先程の防音設備の整った部屋から奏のピアノと和也のギターの音色が響いているのであった。




