第66話 チョコレート
「なぁー、奏。これ、食べていい?」
「ん? あーー、待って! 粉糖かけるから!」
創が匂いに釣られるほどの甘い香りが、キッチンから漂っていた。焼き上がったばかりの鉄板にはハート型が並んでいる。
粗熱のとれたフォンダンショコラに粉砂糖をかけてお皿に盛れば、カフェの一皿のような出来栄えだ。
「はい、創」
「ありがとう」
フォークで切ると、中からとろりとチョコレートが溶け出す。
「うま! 奏、美味しい!」
「よかったー」
弟の素直な反応に安堵し、父と母にも食後のデザートとして、一足早いバレンタインを上原家では迎えていた。
毎年、何かしら作っているけど……今年のバレンタインは、どうしようかな…………いつも……貰ってばかりだから、私も何か形に残るものを渡したい。
和也に少しでも、喜んでもらいたいから…………
二月十四日という事もあり、構内では友人同士でチョコレートを渡し合う人達がいる。いわゆる友チョコだ。
「奏、はい!」
「わーい! 綾ちゃん、ありがとう! 私からも! 綾ちゃん、いつもありがとう」
そう言って、可愛らしくラッピングしたフォンダンショコラを手渡す。二人は高校の頃から友チョコを渡し合う仲の為、この時期の定番であった。
「何? 友チョコ? 懐かしい」
「本当だぁー。友チョコ、久々に見たー」
詩織と理花にも揃って手渡し、顔を見合わせる。示し合わせた訳ではないが、友人に贈る気持ちは同じだったようだ。
「わぁーー、ありがとう!」
「ホワイトデー、期待してて」
「詩織は男前だねー」
カフェテリアで昼食を取りながら、話題になるのは春休みについてだ。
「綾ちゃんは、佐藤と旅行に行くんだよね?」
「うん、お土産楽しみにしてて」
「ありがとう。イタリア旅行、楽しんで来てね」
「奏もライブ、頑張ってね!」
「うん! ありがとう」
「理花も阿部っちと旅行でしょ?」
「そうだけどー」
「いいな。みんな、予定ある」
「詩織は、飲み会で彼氏が出来たとか言ってなかったっけ? デートしないの?」
「何か違った……」
「詩織ちゃん……」 「またか……」
詩織は飲み会にも積極的に参加しているが、いつも『何か違う』と言っては、付き合っては直ぐに別れるか、付き合う前のデートで駄目になるかを繰り返していた。
「……これでも、奏と先輩の関係はいいなって、思ってるんだけどな……」
ストレートな言葉に、少しはにかんだような笑みを浮かべる。
そんな風に言って貰えるのは、嬉しいけど……
「……音楽だけは妥協がないから、ケンカというか……言い合いはするよ?」
「想像つかない」
「だよねー、いつも仲良いから」
「そうかな? 普通だよ?」
「いいなぁー、仲が良いのが普通ってーー」
「理花ちゃんだって、阿部っちと仲良いじゃない?」
「うーーん、でも最近ーー……」
「どうしたの?」
「奏ーー、聞いてよーー!」
彼女もこういう所は、詩織に負けず劣らず男前である。一方的に話す理花に頷き、聞き役に徹していると、話の張本人が姿を現した。
「あっ……阿部っち、お疲れさま」
「上原、お疲れー」
「…………阿部っち、聞いてた?」
「理花がー……上原に助けを求めてる所からな」
「全部じゃん!」
阿部が彼女の隣にごく自然に座れば、甘い雰囲気が漂う。距離感の近さはカップルならではだ。
「ご馳走さま」
「詩織?!」
「確かにねー」
結局は心配するまでもなく、仲睦まじいカップルである。
理花ちゃんと阿部っちみたいに、同級生と恋人同士だったら、こんな感じだったのかな…………たった一つしか変わらない年の差を、感じない時はないけど……
阿部も加わり会話を続けていると、カフェテリアが色めき立った。
視線を辿れば、彼が友人と配膳を返す姿が目に入る。
「相変わらず、ミヤ先輩はすごいねー」
「男の俺からみても、かっこいいからなー」
「本当、モテるね」 「人気だよね」
「……うん」
彼女達の声は何処か遠くの出来事のようだ。小さく頷き、まっすぐに見つめれば視線が交わる。
ーーーー和也が腕時計をしてくれてる…………それだけでも、実感するの。
彼も柔らかな笑みを浮かべていた。それに応えるように、さらに綻ぶ姿を間近で見ればドキリと高鳴る。綾子達だけでなく、対角線上にいた学生は自身に向けられているかのような錯覚を起こし、心拍数が爆上がりしていただろう。遠くで倒れる人がいる程の破壊力があった。
「あーー、彼氏欲しい」
「詩織、そこ?」
「そこだよ。リア充ばっかりじゃん」
否定出来ない彼女達に、詩織は態とうなだれて見せる。羨む気持ちはあるが嫉妬までにはならない。それはひとえに、彼女達の人柄の良さにあるだろう。
「お疲れー」
「阿部っち、ここにいたのか」
いつの間にかピアノ専攻のメンバーが揃い、必修科目に揃って出席する姿も恒例であった。
スタジオでの音合わせを終え、手作りのお菓子を配る。写真を撮ったり、すぐに開けたりと、反応は様々だが、どれも嬉しそうだ。
「はい、スギさんも!」
「ありがとう」
「今年はフォンダンショコラだ!」
「さすが、hiroは詳しいよね」
「まぁーな。ってか、美味いな」
「あぁー、美味い」
「美味しい……hana、こんなのまで作れるようになったんだな」
杉本以外のメンバーは、いつものようにその場で食べている。
バンドを組んでから毎年のように渡している為、今年で六度目だ。ホワイトデーのお返しは、メンバーと杉本で選んだキャンディーやマシュマロ、チョコレート等のお菓子が恒例である。
「hana、美味しい」
「よかったー」
和也の反応に嬉しそうに微笑み、用意したコーヒーを配っていく。
「あっ、これマスターの?」
「うん、マスターにポットに入れて貰ったの」
「久々にマスターのナポリタン食べたくなった」
「あぁー、いいよなー。これから行くか?」
『賛成ー!』
こうして夕飯は、久しぶりに五人で喫茶店に行く事になった。
目の前に並ぶお馴染みのメニューに、嬉しそうな顔が揃う。
スギさんの曲を作るって決めた時、以来……五人で来たよね。
マスターのご飯は美味しいし、みんなとこうやって過ごす時間は貴重なんだって、改めて思う。
圭介達が大学を卒業してからは、スタジオでの練習が主だし、五人が揃わない日もあるから…………
みんな、それぞれ色んな仕事をしてるんだよね。
私が卒業したら……どんな風になっているんだろう……
「奏、食べないと大翔に食われるぞ?」
「食べるよー!」
出逢った当初の緊張感はあれど、少しも変わりはない。誰からともなくピアノを拝借して演奏すれば、即席ながらも完璧なハーモニーが流れる。
制服姿の頃から知るマスターにとっては、成長しながらも変わらずに夢中になれるモノがある事に、巡る想いがあった。
「はぁーー、美味しかったな」
「あぁー、久々に食べれて良かったな」
「じゃあ、またな」
「気をつけて帰れよ」
「あぁー」 「うん、またねー」
駅前で解散する中、コートの裾を握り和也を引き止めた。
「ーーーー奏?」
「あのね、和也……いつも貰ってばかりだから、これ……」
赤い包装紙でバレンタイン仕様にラッピングされた箱を開けると、黒いレザーの手袋が入っていた。
「和也、いつもありがとう……」
手袋から視線を移せば、染めながらも緩ませる頬に手が伸びそうになり堪える。
「……ありがとう、奏」
「うん……気をつけてね」
さっそく身につけて手を振れば、嬉しそうな表情がはっきりと分かった。
「ーーーーーーーー温かい……」
冷たい風の吹き抜ける駅のホームで、彼はそう呟いていた。
奏からのバレンタインも六回目か…………クッキー、チョコチップマフィン、ガトーショコラ、生チョコ、ブラウニーに、今年はフォンダンショコラか……
先程までの笑顔が浮かんでいるのか、和也はにやけそうになる顔を抑えていた。
足早に帰る中、彼女の頬も緩んだままだ。
ーーーー喜んでくれたみたいで、よかった……
視線が自然と左腕に移る。
昼間……視線を集めていたのが、私にも分かった。
和也は目立つんだよね……本人に、その自覚はなさそうだけど…………同じモノを身につけてるって、特別な感じがした。
それに……視線が合って嬉しかったから…………和也も、そうだといいな……
バイブ音に気づき携帯電話を見れば、また柔らかな笑みを浮かべる。彼からメッセージが届いていた。
『奏、ありがとう。大切に使うよ』




