第6話 月夜の誓い
八月二十八日、午後五時五十分。
単独ライブがseasonsで始まろうとしていた。
「春江さん、今日はまた一段と多いですねー」
「この間のライブが好評だったからね」
「あーー、あれは興奮しました!」
春江がフロアに視線を移すと、すでに満員だ。ここ数年で、最多の動員数になりそうだ。
感慨深く眺めていると、いつもの客層とは違う男性が視界に入った。ライブハウスがメインになってからは、スーツ姿の客はめっきりと減っていたのだ。
「すみません……これから演奏するバンドをご存知ですか?」
「はい、今日はwater(s)の単独ライブです。ワンドリンク制なので、今日も注文して下さいね」
バーテンダーの彼は、顔を覚えるのが得意なのだろう。男性は驚きながらも微笑む。
「はい、ありがとうございます」
男性はソフトドリンクを注文すると、カウンターの椅子に腰掛けた。
春江も彼に見覚えがあった。スーツ姿の客は珍しいが、それだけが理由ではない。
「……お兄さん、ここ数日来て下さってますよね? 誰か探してるんですか?」
「はい……ただ、名前も何も分からないので…………」
「そうですか……」
男性は会場のボルテージが上がるのを肌で感じた。ここ数日観客の一人として訪れていたが、今までと比べ物にならない程、観客の反応が良いからである。
拍手と歓声と共に、五人がステージに姿を現す。
「こんばんは! water(s)です! 今日は来てくれてありがとうございます!」
keiの声に観客の反応は上々だが、次の瞬間。
歓声を物ともしない声が響く。アカペラが始まった途端、静寂が訪れていた。
「ーーーーーーーーまた……化けたわね……」
春江の呟きよりも、ステージ上で歌う彼女に、バーカウンターにいた男性は目が離せなくなっていた。思わず椅子から立ち上がっている。彼女こそが、あの時に見つけたピアニストだと、すぐに気づいたからだ。
water(s)の放つ音の世界に浸っていた。心を鷲掴みする程の音色が広がっていく。それは、プロと呼ぶべきモノだった。
ーーーーライブは緊張するけど……楽しい!
ずっと、歌っていたくなるもの…………keiとmiyaのギターに、akiのドラム、hiroのベースを背中に受けながら歌う、この瞬間が……何よりもすき。
ずっと……続いて…………
彼女の音域の広さに、声量に、その声色に、観客は一瞬で魅了されていく。それはオーナーである春江も含め、その場にいた全員だった事だろう。
変化していく音色に胸が弾んで、思わずリズムを刻んでしまうような魅力もあった。
「あの! ボーカルと左側にいるギタリスト、誰だか分かりますか?!」
「……hanaとmiyaだね。お兄さん、二人の知り合いかい?」
「い、いえ……ファン、ですかね?」
「それは良かった。あの子たち、今日はCD販売するって用意していたからね。気に入ったなら、買ってやってね」
「はい!」
春江にとってwater(s)は、かつての夢を叶えてくれる体現者だった為、肩入れしてしまうのだろう。ただ宣伝をした春江自身も、それが不要な事は分かっていた。別格な存在感は集客力からも明らかであった。
勢いよく応えた男性は、会場内に響く音色に、その絶妙なハーモニーに、瞳を閉じて聴き入っていた。耳を澄ませないと聴き分けられない程、難解なメロディーラインが多数含まれていたのだ。
一時間程のライブは、あっという間に終わりを告げ、会場にはアンコールの声援が響いていた。
「ーーーー新曲のお披露目だな」
「うん!」
五人はハイタッチを交わすと、再びステージに立ち、akiのドラムに、miyaのキーボードの音色から始まっていく。
ーーーーーーーー"夢見草"は、water(s)を想って描いた。
春は出逢いと別れが一度に来る季節。
みんなに出逢えたから、今の私がある。
こうして……今ここで、歌っていられるの。
一人でも多くの人に届いてほしいと願って歌ったhanaの声は、実に伸びやかだ。
前回よりも大きな拍手と歓声に包まれている。
すごい……鳴ってるの。
また……音が溢れてくるみたいに…………
夏休みの終わりに行われたライブは、彼らの予想を上回る結果となった。
ライブ直後のステージでは、seasonsのスタッフの手を借りながら、CD販売が行われていた。
「凄い良かったです!!」 「感動しました!!」
「またライブ見に行きますね!」
「……ありがとうございます」
手渡しする際、ダイレクトに観客の反応が伝わっていく。hanaは夢見心地になりながらも、嬉しそうに対応していた。
長蛇の列が出来ていた為、販売予定の枚数以上に並んでいた。嬉しい予想外に、翌日以降に受け渡しとなった人も多数いる中、幸運にも最後のCDを手にした男性はスーツ姿であった。
「ーーーーやっと見つけた……」
奏の目の前には、楽器店で声をかけてきた男性がいた。
「あっ……あの時の…………」
「この後、話す機会を貰えないかな?」
CDを買った男性に、隣にいたmiyaが間に入った。
「カウンターで待っていて下さいますか? まだ片付けが残っているので…………」
「分かった……」
そう応えた男性は、先程と同じ椅子に腰掛けていた。
「えーーっ!? さっきのが楽器店で声かけられた人ーー?!」
「hiro、声でかい」
慌てて口を手で覆うと、声のボリュームを下げた。
「悪い、aki。まさか、本当に来るなんて思わなかったし」
「俺も思った。店のカードだけで、ここまで来るのは予想外だったなー」
「とりあえず、片付けたら話だけ聞くか?」
keiがそう提案すると、メンバーは納得した様子で手早く片付けを済ませる事になった。
春江の計らいもあって、店内には先程の男性と数名の従業員しか残っていない。帰宅準備の整い、各々テーブルや椅子に楽器を下ろした。
「ーーーーお待たせしました」
keiの声に男性は勢いよく立ち上がると、名刺を差し出し自己紹介をした。
「ディアレコード会社の杉本俊彦と申します」
手渡された名刺は、先日miyaが貰ったものと同じ物だ。
「立ち話も何だから、あっちに腰掛けたらどう?」
春江の提案でソファー席に移動すると、杉本が話を続ける。
「先日、彼女を見た時……普段は、スカウトしないんだけど……思わず声をかけていたんだ。やっと……見つけた……」
「やっと?」
miyaに応えたのは、飲み物を運んできた春江だ。
「このお兄さん、ここ数日来てくれてるのよ? また店のカードだけ渡して、miyaが逃げたんでしょ?」
「えっ?!」
「ここ数日って……あれから二週間以上は、経ってますけど……」
miyaとhiroの驚いた様子に、杉本は思わず苦笑いだ。
「いやー……諦めきれなくてね。どうしても……もう一度、彼女のピアノを聴きたいって思っていたから……」
彼の視線は、まっすぐにhanaへ向けられていた。
「えっと……ありがとうございます……?」
「うん、今日のライブを見て確信した。是非うちのレコード会社からデビューしてみないか?」
ーーーーデビュー……? これって……夢じゃないよね?
唐突な提案に声が出ない。
それは奏だけでなく、五人共通の想いだ。突然の出来事に夢見心地の状態である。
water(s)としての活動は、ずっとプロになる事を一つの目標に続けてきたが、こんなにトントン拍子で事が運ぶとは、誰も想像すらしていなかった。
「それは……water(s)の……ここにいる五人でって事ですか?」
miyaの疑問は、予想に反し即答だ。
「勿論、water(s)でだ! それとも、他から声がかかっているのかな? 先程調べたら、配信サイトで動画を上げているみたいだったから……」
「声をかけて下さる所は、今までもいくつかありましたけど……未成年なので、顔出しする気は今の所ないです」
keiのはっきりとした口調に、杉本は頷く。
「そっか……それでも構わない。卒業すれば、顔出しは問題ないでしょ? 他に条件があれば教えてくれないか?」
「ふっ……」
またしても即答する彼に、miyaは笑いを堪えていた。
「ちょっ、miyaーー、釣られるから笑うなよ」
「いや、だって……」
miyaに釣られ、akiもhiroもkeiでさえも、笑いを堪えられずにいる。
「ちょっと、みんな……」
紅一点のhanaだけは、ただ目の前で繰り広げられる会話に耳を傾けていた。真剣に彼の話を受け止めていたが、緊張のあまり思考は追いついていないようだ。
ーーーー学生の間、顔出しはしない。
それは、私が加入する前から決まっていたこと。
顔出ししないで配信している人は多いし、そういうアーティストだっているけど……
「すみません、杉本さん…………まさか、こちらの条件提示を求められるとは思わなくて……」
keiの言葉は、奏にもある想いでもあった。
……そう、それはあくまで趣味の範囲内か、本物だからか…………少なくとも私は、まるっきりの素人。
許容してもらえるとは思えないのに……他にも条件があるか、聞いてくれるなんて…………
予想に反し、杉本はその能力を認めていた。彼が即答してしまう程、water(s)の音色は別格だったのだ。多少の条件を飲んででも、自社からデビューして貰いたいという明確な意図があった。
hanaの加入前なら、丁重にお断りしていただろう。彼らなりに考えがあり今まで敬遠していたが、その必要も彼女の加入によってなくなっていた。
「ーーーー僕がリーダーのkei、青山圭介です。ドラマーのaki、原明宏。ベーシストのhiro、北川大翔。楽器店で会ったのがmiya、宮前和也。そして、ボーカルのhana、上原奏です。全員音楽に関する学校に通っています」
改めてメンバー紹介をしていくkeiは、先程までとは違い友好的だ。彼はその変化に隠しきれない高揚感を滲ませながら、口を開いた。
「未成年って言ったけど……みんな、いくつなのかな? 大学生?」
「いえ、大学一年なのは僕とaki、hiroの三人だけです。miyaは高校二年生で、hanaはまだ一年生です」
「高校生?!」
杉本は驚きのあまり大きな声を出した。
「す、すみません……想像以上に若くて驚きました……」
一呼吸置いて、仕切り直す。
「では……改めて所属の件、考えて頂けますか?」
五人は顔を見合わせると、即決していた。彼の誠実な対応があったからだ。
そして、五人で出来る事が何よりの条件だったからだ。
「…………杉本さん、これから宜しくお願い致します」
『よろしくお願い致します』
彼の声に続き、四人は揃ってお辞儀をした。そこには、杉本に対する敬意が込められていた。
彼らがライブハウスを出る頃、空には月が出ていた。
「ーーーーこんなに早く……話が来るとはね」
「うん……」
深く頷くhanaは未だに放心状態だ。確信のあったmiyaでさえ、予想していなかった出来事である。
ーーーーーーーー夢だったデビューすること。
こんなに早く叶うとは思っていなかったけど…………予感だけはあった。
みんなの音を聴いたあの日から、いつかはこんな日が来ることを…………
その日、五人で見上げた空は晴れていた。夜のネオンに遮られそうになりながらも星は瞬き、丸い月が綺麗に浮かんでいる。
「デビューだーー!」
思わず声を上げたmiyaと、肩を組むように並んで歩いていく。hanaは仲間のテンションの高さに、その笑顔に、夢に一歩近づけたと実感しながら、その日の月にも願っていた。
これからも……みんなで音を創っていけますように……いつまでも、何処までも……ずっと…………
それはwater(s)、五人共通の願いでもあった。