第52話 日常
クラシック調のコンサートは、二日間ともスタンディングオベーションが沸き起こり、最大限の賛辞の中、幕を閉じた。彼らの挑戦は成功したと言えるだろう。杉本がアップしたこの日の動画は、再生数を伸ばし続けている。
教壇では鍵盤音楽史の講義が行われていた。その名の通り、鍵盤音楽の発展の歴史を学ぶ授業だ。彼女は講義中、真剣に取り組んでいた。
聞き逃したら、試験の時が大変だし…………みんな、優秀だから……少しでも近づきたい。
学んだ知識は、いつか……私の力になるから……
彼女はバンド活動のように、全力投球していると言っても過言ではないだろう。
必修科目の為、授業を終えた教室にはピアノ専攻の生徒が揃っていた。
「終わったー! 奏、お昼行こう?」
「うん」
綾子に奏、詩織に理花と、いつもの四人はロッカーに荷物を入れ、カフェテリアに向かった。
「奏、今日はお弁当なの?」
「うん、たまにはね。理花ちゃんもお弁当?」
「そうだよー。たまには自炊しないとね」
「一人暮らしだよね? 普段しないの?」
「綾子、聞かないで。試験勉強で、それどころじゃないのー」
彼女達は前期の実技試験と学科試験を約十日後に控えていた。学科試験は一斉に行われるが、実技試験は個別の為、日付も時間も人によって異なり講師とのマンツーマンの試験は、授業で慣れている学生にとっても、プレッシャーを感じずにはいられないのだ。
「毎回、実技試験は緊張するよね」
「えっ? 奏も緊張するの?」
「するよー……先生に見られてる感がすごいし、距離も近いから」
「分かる! 何ていうかプレッシャーを感じるよね」
「そうそう。視線が辛い……」
全員一致の見解だろう。昨年の試験風景を思い浮かべているのか、思わず無言になる。
「……でも、それが終わったら夏季休暇で、帝藝祭だよ?」
「そうだよー。楽しい事、考えよう?」
詩織と理花のテンションを上げるべく、頑張る奏と綾子がいた。
五限目までの授業を終えると、帰る頃は十八時近くだ。冬はすっかりと暗くなっているが、七月の今はまだ日差しが残り、暑さも残る。
奏も練習室を訪れ、実技試験に向けてピアノの練習だが、鍵盤に触れる指先は滑らかに動いていった。
ーーーー会いたいな……和也も、練習中だよね……
試験前の会えない僅かな時間ですら、そう想ってしまうの。
water(s)で在る時は、一緒に活動してるから余計にそう感じるの。
淋しい想いを払拭するように鍵盤に触れる。練習室に響く音色は少し切なさを滲ませながらも、変わらずに柔らかなままであった。
彼女が構内に残り練習をする頃、和也もまた練習室でピアノを弾いていた。
奏も練習中かな……会いたいな……
試験前だから、メールや電話で連絡は取り合ってるけど、会えてない。
同じ構内でも会えない事は、よくあるけど……
和也は練習を終えると、電話をかけていた。
「奏? うん、これから帰る所。じゃあ、校門の所で……」
荷物を持つと、急いで彼女の元に向かう。直ぐにでも会いたい想いは、二人とも同じだったようだ。
二人が一緒に帰る頃、圭介達はそれぞれレッスンを終え、喫茶店に集まっていた。彼らはバンド活動をする傍ら、専攻していた楽器も続けていたのだ。
「お疲れー」
「三人で集まるのも久々だな」
「そうだな。何か大学卒業したんだって、ようやく実感したかな」
「圭介の気持ち分かる。周りが就活してる時には、もうバンド活動が忙しかったからな」
「あぁー」
大翔と明宏が頷いて応えていると、マスターが料理を運んできた。
「何か……三人揃うと学生時代を思い出すねー」
「マスター、ご無沙汰してます。あとで弾いてもいいですか?」
「勿論、楽しみにしているよ」
彼らはヴァイオリン、チェロ、サクソフォンと、それぞれ自前の楽器を今日は持ち歩いていた。
「んーー、美味しい」
「落ち着くよなー」
「そうだな。レッスンは意外と厳しいからな」
個人レッスンで三人とも気力を使ったのだろう。マスターの変わらない味に癒されながら、旅行の予定を立てていく。
「楽器も持ってくから、大荷物だよな」
「あぁー。席、二つ確保したしなー」
「特別な機材とかはないけど、楽しみだな」
彼らは五人での旅行が楽しみなようだ。久しぶりに重なる三人の弦や管楽器の音色は、色彩豊かな色を見せていたが、アンサンブルを行ったのは卒業式以来の事であった。
「終わったー」
「ミヤ、お疲れー」
「お疲れー」
「カフェテリア行くか?」
「行く。今日の日替り定食何かなー」
「なぁー、腹減った……」
和也はクラスメイトとカフェテリアに足を運んだ。試験が全て終わった為、食事もいつも通り喉を通りそうだ。
「鈴木、今日唐揚げだって」
「ミヤの好きなやつじゃん」
二人は日替り定食を注文すると、テーブルを挟んで席に着いた。
「あとは、追試がない事を願うだけだな」
「確かに」
「ミヤは夏季休暇、ライブしたりするのか?」
「休みは旅行に行くかな。鈴木は?」
「俺もコンクールが終わったら、海に行く予定」
「去年も海に行ってなかったか?」
「割と毎年、海かプールに行くかもな」
男二人で夏季休暇の話をしていると、声をかけられた。
「……隣、いいですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
和也達の隣に座った女子グループは、緊張しながらも嬉しそうな笑みを浮かべた。その初々しさからおそらく一年生だろう。
「……なぁー、ミヤ」
「ん?」
「ミヤって、やっぱ有名なんだな」
「えっ? どうしたんだよ急に。変なもんでも食ったのか?」
「ちょっ! 言い方!」
和也は悪そうな笑みを浮かべると、トレーの上で空になった皿を返却しに席を立った。
「ごちそうさまでしたー」
耳馴染みのいい声に気づき、思わず口元が緩む。
「意外とカフェテリア混んでたね」
「うん、この後も試験の人がいるからかな?」
「そうだねー。奏は、もう帰るの?」
「うん、綾ちゃんも佐藤と待ち合わせでしょ?」
「うん! 久々だから楽しみー」
「よかったね」
奏も綾子と返却口に来ていた為、鉢合わせたのだ。直ぐに気づいた彼が、嬉しそうに声をかけた。
「hana、綾ちゃん、お疲れー」
「miya、お疲れさまー」
「ミヤ先輩、お疲れさまです」
鈴木は彼女を間近で見た事が初めてだった事もあり、少し感動していたようだ。和也が紹介すると、嬉しそうにしていた。
奏は綾子と分かれると、和也と共に杉本の運転する車に乗り込んだ。
「お疲れさま。二人ともテスト、どうだった?」
「大丈夫な筈です」
「追試になったら、kei達に散々言われそうだからな
ー」
「確かに……」
……卒業生の三人は首席で卒業する圭介がいるくらい、成績優秀者しかいないから……真剣に取り組まないと、あっという間に取り残されてしまう。
遅れだけは取りたくないから…………大学で学べる事は全て吸収したいし、いつだって……今の一番を発揮したい。
進化し続けないと、生き残れない世界だって痛感させられるから……
レコーディングスタジオに着くと、五人が揃う。
エンジニア等と共に収録に臨んでいく中、四人は彼女の歌声に耳を傾けていた。ライブ期間中に作詞作曲した彼女の音色に。
「ふっ……」
「miya、どうかしたのか?」
「いや、ちょっとな……」
和也からは笑みが溢れる。カフェテリアでの出来事を想い出していたのだろう。
「それにしても……英語、すごいな……」
「あぁー、ネイティヴと変わらないんじゃないか?」
「そうだな……」
圭介が視線を向けても、和也は真っ直ぐに見つめたままだ。コンデンサーマイクの前に立つ彼女は、眩い光を放っているように映った。
五人の想い描いた音が収録出来ると、ハイタッチを交わして喜び合う。彼らはいつも、音楽と共にあった。




