第49話 4月の君と僕
数日前まで、ドームツアーをしていたのが夢みたい。
今日から大学二年生だけど……圭介達とは、もう大学構内では会えないんだ…………
元々、そんなに会えてた訳じゃないけど、構内で会えないのと、ここに在ないのでは違う。
奏は目の前で風に吹かれ舞っていく花びらを見つめていた。
「わぁー、初めて見た!」 「やば……」
「本当に在校生だったんだね」
「綺麗だな……」 「顔小さっ!」
「あの人でしょ? water(s)の……」
「えっ、本物?」 「マジで?!」
新入生が彼女の事を噂しているようだが、当の本人には聞こえていない。皆、遠巻きに眺めているだけだ。
water(s)の知名度が上がる度、大学内での彼女の知名度も上がっていた。また声楽科でなく、器楽科ピアノ専攻でコンクールの受賞歴がある事も注目を集める要因の一つとなっていたが、それは彼女の知らない所で起こっていた。接触を試みるファンはいたようだが、実際に話しかけられる事は少なかったのだ。それは、一人での行動が少ないからだろう。
「奏!」 「いたいたー」
「綾ちゃん、詩織ちゃん、理花ちゃん、久しぶりー」
綾子達の元に笑顔で駆け寄る。春休みはライブがあった事もあり、直接会うのは二ヶ月振り近くになる。
「久しぶりー! 今日は寄って行けるんでしょ?」
「うん!」
「公園のカフェ、空いてるかな?」
「行ってみよう」
仲の良いピアノ専攻の友人も皆、二年生に進級していた。彼女達だけでなく、ピアノ専攻の八人とも無事に進級を果たしていた。
「そういえば、奏のライブに酒井達が行ったって言ってたよ」
「本当? 有り難いなー……」
「奏は相変わらずねーー」
「ステージと別人」
「そんなこと……」
否定したかったが出来ない自身に気づけば、三人ともクスクスと可愛らしい笑みを浮かべ、彼女らしさを実感していた。
「あっ、順番来たよー」
「行くよー、奏」
「うっ、うん……」
釈然としない彼女を他所にテラス席に案内されれば、公園の桜が遠くに見えている。今日は気候がいい事もあり、公園内のベンチで最後のお花見を楽しんでいる人達がいた。
「わぁー、美味しそう」
『いただきます』
テーブルには、紅茶のシフォンケーキやガトーショコラ等、四種類のケーキに、それぞれの飲み物が置かれている。さすがは女子会だろう。一口ずつシェアしながら食べる姿からも仲の良さが分かる。
「美味しいー」
「本当、美味しそうに食べるよねー」
「食べてる時、幸せだもん」
「奏らしい」
「みんなだって、美味しそうに食べてるじゃない」
「甘いものは別腹」
「分かるー!」 「だよねーー」
会話が弾む中、細やかな進級祝いが行われていた。明日から本格的に始まる授業を前に、英気を養っていたのだ。
一日の授業を終えた奏は、カフェテリアを訪れていた。
今日は和也と待ち合わせしてるんだけど……まだ来てないみたい。
周囲を見回して居ないと知り、想いが募る。
ーーーーーーーー早く……会いたい…………和也に聴いて貰いたいの。
ホットティーを頼んで、窓際の四人掛けの席に腰かけた。ヘッドホンを付けようとしていると、彼女を呼ぶ声がした。
「上原、お疲れさま」
「酒井、樋口くん、お疲れさまー」
「珍しいな、一人なの」
「待ち合わせ中なの。あっ、二人ともライブに来てくれたって聞いた! ありがとう」
奏が立ってお礼を告げていると、待っていた彼が現れた。
「hana、お待たせ」
「miya、お疲れさまー」
「ミヤ先輩! ライブ凄かったです!」
和也は、酒井の反応に嬉しそうに応える。
「ありがとう。酒井くんだよね? 同じ高校の……」
「はい!」
「えーーっと、樋口くんだっけ?」
彼とは一度しか言葉を交わした事はなかったが、和也は覚えていた。自身が昔使っていたギターケースと、同じ物を彼が持っていたからだろう。
「はい! ギターソロ、かっこよかったです!」
樋口も酒井同様、興奮気味に話かけている。
二人とも、miyaのファンなのかな?
酒井も樋口くんも嬉しそうにしてるけど……和也が一番嬉しそう…………
奏も嬉しそうな表情に、笑みが溢れる。
「……ありがとう」
和也はそう応えると、二人と握手を交わす。
「ふふ……」
「何? hana……」
「よかったね、miya」
見つめ合えば、幸せそうな笑みを浮かべていた。
「ーーーー俺は……俺達は、上原の……hanaのファンでもあるよ? water(s)のファンだから……」
「…………ありがとう……」
同級生から初めて聞く事実に、頬をほんのりと桜色に染める姿があった。
あんな風に、ストレートに言われたことは今までなかったから、嬉しかったな…………
そういえば、酒井はデビュー当初からライブを見に来てくれてたんだっけ……
先程までのやり取りに、思わず笑みが溢れる。
「hana、またにやけてる」
「ファンが身近にいるって、嬉しいね」
「そうだな……」
本来の目的の為、二人は隣同士に座り、彼女がiPadの再生ボタンを押すと、イヤホンから曲が流れ出す。
because of sleepless nights also now……
眠れない夜もすべて今の為にある……
ライブの時の不安感。
でも、一人じゃないから…………
「ーーーー“before daylight“か……」
「うん……」
「……“夜明け前”……か……」
私なりに曲調も歌詞にマッチしたものに、仕上がってると思うんだけど…………他人に触れる最初の一瞬が、一番心臓に悪い。
特に和也に……water(s)のみんなに触れる瞬間が一番……
「……奏、この曲……」
和也は感激したのか、珍しく名前で呼んでいた。
「……miya?」
「このまま……いけると思う」
「本当?」
「うん……早く、みんなに聴かせたいな」
二人は抱き合って喜びそうになるのを、手を握り合うだけに留めた。まだ構内のカフェテリアにいるからだ。
「それで、もう一つは?」
「それは、miyaのかっこいい曲だから……歌詞は捻り出しました」
態とおどけて見せているが、油断すると泣きそうになるからだ。
再びイヤホンから曲が流れれば、和也の作った曲調とも合う仕上がりになっていた。
「これ……ライブ中に描いたんだろ?」
「うん」
ライブの片手間に描けるようなモノではなかったのだろう。和也は驚かせられてばかりだ。
今日だけじゃないか…………ライブで歌う姿も、コンクールで優勝した時も…………初めて曲を作った時も……
……思えば、初めて出逢った時から……奏には……驚かされてばかりいるな。
そんな自覚のない彼女は曲を評価され、とびきりの笑顔を向けた。
「ーーーーhana……ちょっといい?」
「うん?」
テーブルを手早く片付けると、手を引かれたまま練習に向かう。いつもより速い足取りだ。
ーーーー急に……どうしたんだろう?
曲は、喜んでくれてるみたいだったのに……
彼の横顔から、感情を読み取る事は出来ないようだ。
練習室の扉を閉めるなり、強く抱きしめられていた。
「か、和也?!」
「ちょっと、このままで……」
「…………うん……」
……早く鳴ってるけど…………和也に、抱きしめられてると安心する……
彼女の身体の力が抜けている事が分かると、手が頬に触れる。そのまま二人の唇は、ゆっくりと重なっていた。
「ーーーー奏……」
「ん?」
「あんま……その顔、見せないで……」
「その顔って? ……なにかあった?」
ーーーー心当たりはない。
いつも通りだと、思うんだけど……
「……何でもない」
「えっ? なに、その顔! 気になるよ!」
「いいって、ほら? 練習するだろ?」
「う、うん……」
和也との練習は楽しいから、すきだけど……釈然としない気がする……
少し頬を膨らませた彼女に手が触れると、いつもの穏やかな表情に戻っていく。二人の関係は学年が変わろうとも、以前と変わずに続いていた。
練習室には出来たばかりの曲を披露する彼女と、その弾き語りに合わせ、誇らしげに鳴らす彼の姿があった。




