第48話 歌うこと=生きること
歌うことは、私にとって生きること……と、言っても遜色はない。
幼い頃、テレビに映る歌手に憧れたことはあったけど、それが…………本当の夢には、出来なかった。
人前に出るのが苦手で、あがり症だったから。
ピアノの発表会に小学生の頃から出るようになって、少しは克服されたと思うけど…………water(s)でいられて幸せだって思う反面、怖いとも思う私がいた。
でも、いつも手を差し伸べてくれる……背中を押してくれる……みんながいたから、今も立ってる。
立っていられるって思うの…………ここに……
彼女の目の前には七万人を超える観客がいる。歌う姿は豆粒大に小さく、バックスクリーンに映る姿でしか肉眼で確認する事が出来ない人もいるだろう。
water(s)のライブでは出演者を紹介する僅かな時間だけで、トークのような時間はないに等しい。ライブ開始から二時間、ほぼ歌い続けているhanaに疲れの色は見えない。むしろ歌う度に声が出ているのだろう。彼女の声に続くかのように、演奏にも熱がこもっていく。
彼らが去ったステージに向けて、アンコールの声が響き渡っていた。
「はい、水分取って着替えてね!」
『はい!』
今回のドームツアーの為に作ったTシャツに着替え、再びステージに姿を現わせば一際大きな歓声が上がる。
彼らは、その歓声に後押しされるように演奏していた。ステージを照らしていたライトが小さく切り替わり、water(s)にちなんで水色に光る無数のペンライトが瞬く。
ーーーーデビュー曲を……こんなに、沢山の人が知ってくれているなんて…………鳴り止まないほどに、鳴ってる。
まるで……星みたい…………こんな景色、他に知らない。
泣きそうになる想いを抑え、ここにいる観客に届くように歌う姿は頼もしくもあった。
初日のライブより、より良いモノにする為に、PAエンジニアやシステムエンジニア、マニピュレーター等を交え、音響の微調整が行われていた。
二日目のライブは初日よりも、より音響が整っていた事だろう。生の演奏を届けるという事は、エンジニアの腕の見せ所でもあるのだ。
ライブが終わりスタジアムが空っぽになると、彼女は衣装から私服に着替え、元の姿に解体されていく様子をほんの少しの間だが眺めていた。
「ーーーー藝祭の……祭りの、後みたい…………」
……今日のライブも、楽しかった…………
それにしても……私達の為に、こんなに沢山の人が動いてくれていたんだ。
言葉にならない気持ちが、溢れてくる……
彼女は思わず口ずさんでいた。この季節に似合う曲を。
hanaの側にいたスタッフは、作業を止め、静かにその音色に耳を傾ける。その声は何処までも澄んでいて、疲れが何処かへ行ってしまいそうな声色であった。
「ーーーーhanaか……」
「あぁー」
「あれだけ歌ったのに、全然枯れてないな」
「当たり前だろ?」
「そうだな……」
その場にいた彼らの心にも、歌声が響いていた。楽しそうに歌う姿は、バックステージで働く人に向けて感謝の気持ちを表しているようにも思えたのだ。
「……hana、行くよー!」
「はーい!」
通る声で応えれば、会場は元の形に戻されていった。
神奈川の次は大阪だから、その日のうちに新幹線で移動してるけど、二日間ってあっという間…………
四月一日から二日間ドームでライブが行われるから、大阪でのオフが一日半確保できて嬉しいけど……現実味がない。
たまに、全部夢なんじゃないかって…………怖くなったりもするの。
彼らはドームから程近いホテルに宿泊していた。五人とも大阪を訪れたのは初めてだった為、観光する方向で話が進む。
今回は五人とも別々の部屋に宿泊になり、リーダーであるkeiの部屋に集まっていた。
「USJ、行きたかったな」
「さすがにそれは無理だから、また今度な。どうする? 他に行きたい所あるか?」
「桜咲いてそうだから、大阪城かなー」
「そうだな……あとは通天閣と、夜は道頓堀に行ってみたいかな」
「俺はグリコ光ってる所、見たいな。あと、たこ焼きと串カツ食べたい。名物でしょ?」
「賛成」
「じゃあ、朝食を食べて八時には出ようか?」
「うん、楽しみー」
ライブ前の緊張感よりも、観光の楽しみの方がみんなも勝ってるみたい。
変わらずに鳴ってはいるけど、初めての大阪観光がみんなと出来るのが楽しみで……今夜も、眠れそうにない。
意気揚々と朝食を五人揃って取っていると、タクシーを使うように杉本から言い渡された。今回泊まっているホテルもだが、地方からもwater(s)のライブを見に来てくれている人もいる為、念の為の対応だろう。
五人では一台に乗れない為、タクシーチケットを二枚使っての乗車となった。奏と和也の乗るタクシーは、卒業生三人が乗る前のタクシーの後に続いて発車していく。
「大阪城は見えるけど、お城までは遠いみたいだね」
「そうだな。それにしても、綺麗に咲いてるな」
「うん……」
東京タワーと同じような感じ……近いようで遠いから、ウォーミングアップしてるみたい。
想像以上の急な坂道は、いい運動になっていた。
「わぁーー、綺麗……」
桜と大阪城のセットは圧巻だったのだろう。思わず声を上げる彼女を、写真に収める和也がいた。
「……和也、みんなでも撮ろうよー」
「うん」
何だか修学旅行風になってるけど、初めて尽くしの事ばかりだから、みんなも楽しんでるみたい。
いいオフになりそう……
「けっこう高いね」
「うん……でも、風が気持ちいいな」
大阪城から見える公園内の桜は、綺麗に咲き誇っていた。
ーーーー桜を見ると想い出すのは、みんなと……和也と出逢った日のこと…………そばにいると、夢じゃないって実感する。
私達の音楽は、まだ……これからだって…………
その後もタクシーで移動となるが、通天閣を登るのに音楽を聴きながら並んだり、ビリケンさんの足を掻いてライブの成功を願ったり、たこ焼きを食べたり、お土産を買ったりと、観光を満喫しながら昨夜に計画した通りのプランを巡っていった。
最後は、ネオンの光る道頓堀でグリコのマークの格好を真似て写真に収まると、串カツの有名店で夕食をとる事となった。
一日大阪観光を楽しんだ為、彼女だけでなく、五人とも直ぐに眠りについたのだろう。翌日に生あくびをする者は一人もいなかった。
こうしてオフの時間に英気を養い、リハーサルを経て、ライブ本番に向けて挑んでいく姿があった。
大阪でのドームの収容人数は、五万五千人と東京ドームと同じである。入念なリハーサルを終え、彼らは整った会場に、人が集まっていく様子をモニター越しに見つめていた。
開演まで一時間を切れば、ほとんどの席が埋まっている。
Tシャツだけじゃなくて、ペンライトに、フェイスタオル、CDやキーホルダーの類まで、売り上げは好調で、完売続出だったみたい。
作った甲斐はあるけど、本当……有り難い事だよね。
チケットを買えなかった人も、物販購入に並んでくれてたみたいだし、追加公演の話もあったみたい…………私達が学生じゃなかったら、即答してたと思う。
『演ります』って…………実際に和也は即答しそうになってたけど、学業メインのスタンスは変わらないから、思い止まってたっけ…………
「こんばんはー! water(s)です!!」
keiのマイク越しの大きな声に、客席から歓声が響く。
初めてのライブは、無我夢中だったけど……今なら分かる。
みんなが……私に合わせてくれていたこと。
ライブは緊張感との戦いだけど、こんな瞬間があるから止められない。
いつまでも……ずっと、続いていてほしいとさえ願ってしまう。
惜しみない拍手と歓声がドーム内に木霊する中、大阪でのライブが終わったのだ。
その日の夜はテンションが異常に高い。アドレナリンが出ている為か、明け方まで起きている者もいる。
二日間のライブの後は、深い眠りについたようだが、ホテルのチェックアウトが十時の為、エントランスには生あくびをしながら集合する者がほとんどだ。
用意されたマイクロバスで空港に向かうと、飛行機で羽田に戻っていく。道中はアイマスクを着用し、仮眠を取るメンバーが多い中、彼女は目が冴えていた。
まだ……ライブが出来るって思ったら、眠れない。
今の言いようのない想いを……歌詞に出来るかな?
彼女はiPadに今、浮かんでいるフレーズを打ち込んでいく。
そんな彼女の様子を隣にいた和也は静かに見守りながら、そっとブランケットの下で左手を握った。
驚いた様子の奏と視線が合えば、優しい笑みを浮かべて瞼を閉じていった。
ーーーーーーーー温かい…………
和也の肩から落ちてきたブランケットをそっとかけ直すと、左手は彼の手を握り返したまま、右手で歌詞を描き上げていった。想い描いたメロディーと共に。
久しぶりの空港に見たい所もあったようだが、予め用意されたタクシーで東京ドームに移動となった。
一度自宅に帰る事も出来たけど、ドーム近くのホテルに今日の夜からライブ終了日まで滞在予定で、移動の疲れを癒すべく、今日は解散となったんだけど……
「……体が固まったなー」
「だよなー……久々に乗り物、乗り継いだからな」
落ち着かなかったのは、私だけじゃなかったみたい。
揃ってホテルのラウンジに、いつの間にか集まっていた。
「ここの近くだと、ボーリング場とかバッティングセンターにプールかな? あとは、ショッピングモールに遊園地とか?」
「……私、ボーリング行きたい」
「おっ、いいな! もう夕方だしな」
「じゃあ、腹ごなしにみんなでボーリングに行くか?」
「いいじゃん! ついでに負けた人が今度、ご飯奢ってね」
「和也、勝つ気満々だな」
「って言っても、あんまりやった事ないけど」
急遽、ボーリング大会が開催される事になったけど、すごい……久々に来た。
言い出したのは私だけど、ボーリングやったの……三回目くらいかな?
動いたら、また眠れるかと思ったんだけど……ご飯をご馳走するって勝負があるからか、みんな本気みたい。
五人は隣同士のレーンで、タクシーと同じように三人と二人に分かれ、ボールを投げていく。
個人戦だがストライクやスペアが決まる度に、勝ち負けに関係なくハイタッチをしては、盛り上がっている。
彼女の思惑通り、良い運動になったようだが、負けたのは意外にも圭介だった。
「あーー、負けた。みんな、上手くないか?」
圭介で嘆くのも無理はない。スコアの平均が百六十越えもいて、素人にしては高かったのだ。こうしてwater(s)による第一回ボーリング大会は笑って幕を閉じ、程よい疲労感から彼女も眠りにつく事が出来るのだった。
「ーーーーーーーーいよいよ明日……」
空がようやく明るくなり始めた頃に、奏は目が覚めていた。ベッドに腰掛け、発声練習をしていく。
今日は夕方からミーティングの予定だけだから、早起きする必要はないんだけど……眠れそうにない。
もう、目が冴えてる…………
鞄からノートを取り出し、イヤホンを付けると、作詞を始めた。
「…………before daylight……」
夜明け前。
夜が明ける直前。
光に満ちてくる…………そんな未来を願ってる。
書き出したノートには、英語の詩が並んでいた。
本番は開演午後七時からだが、設営を終えたステージでは最終リハーサルが行われていた。
空っぽの客席に向かって、演奏していく事にも慣れてきた。
システムエンジニアやマニピュレーター、照明デザイナーにコーラス……たくさんの人の手を借りて、water(s)のライブは成り立ってる。
プロになるって、すごいよね……より良い環境で、音楽が演れるんだもん。
学校の練習室やカラオケ店の一室だけだと、限界はあったから…………最後の最後まで、届けられるように。
歌いたい想いが、溢れてきそうで…………
本番さながらのように声を出した彼女を近くで見てきたからこそ、彼らは鳥肌が立っていた。一際澄んだ声が響いていたからだ。
リハーサルを終える頃、ドームの外は開場前にも関わらずファンが集まっていた。設置されたライブグッズの売り場は、人で溢れかえっている。
「拓真、買えたか?」
「あぁー! 潤!」
「はい、飲むだろ?」
拓真はペットボトルを受け取ると、勢いよく飲み干した。
「それにしても……凄い人だな」
「water(s)のライブは倍率高いからな。ファンクラブに入ってた俺達でさえ、今日の二枚しかゲット出来なかったじゃん」
「そうだな……」
二人には感慨深いものがあるのか、人混みの中からドームを見上げた。
「……目標だな」
「あぁー」
彼らもまた夢の途中にいるのだろう。開場時間になると、アリーナ席に向かう二人の姿があった。
「創、タオル持ってきたのね」
「そりゃあ、奏がくれたから……」
会場には照れくさそうにしながら、ペンライトも持って姉を応援する弟の姿があった。彼女の家族も見に来ていたのだ。
「ーーーー楽しみだな」
「本当、創はwater(s)がすきなのね」
「母さん、笑いすぎ」
「いいじゃない」
「そうだけど……奏じゃなくても、water(s)のファンにはなってたと思うくらいにはね。奏には言わないでよ?」
「分かってるわよー」
創の姉想いな姿に、母だけでなく父からも笑みが溢れる。たとえ奏が姉でなかったとしても、ファンになっていたと確信していた。それほどまでに惹かれる歌声であり、何度も聴いていたくなるような楽曲だからだ。
バックステージでは、いつものようにkeiの声かけでステージへ向かう姿があった。
「三周年記念ライブに来てくれて、ありがとう!」
今日はメンバーの両親も、この会場で見てくれてるんだよね。
お母さん達にも届くかな……会場のボルテージが高いのを肌で感じる。
ーーーーーーーーずっと、歌っていられたらいいのに……
何度目かになるか分からない想いを抱えながら、声を出す。
スクリーンに映し出される彼らは、楽しそうな表情を浮かべている。hanaはステージを右往左往しながら、マイクを片手に駆けまわっていたが、その歌唱力が乱れる事はない。透き通るような歌声が響いていた。
手早くTシャツに着替えると、アンコールの声に応えるべく、またマイクを握る。
二時間半近く歌い続けてきたライブが終わると、最後は並んで手を繋ぎ、揃って一礼すれば、目の前の光景に綻ぶ。
ステージから去っていく姿に、惜しみない拍手と歓声がいつまでも送られていた。
「お疲れー!」
「お疲れさまー!」
何度目になるか分からないハイタッチを交わし、抱き合っていた。
water(s)のデビュー三周年から始まったライブ。
神奈川から始まって、大阪、東京の三ヶ所で六日間行われたライブも、遂に最終日。
春休みはライブ漬けの日々だったけど、それもあと少しで終わるなんて……
「はぁーー……あと数時間後には、この会場も元通りになるんだね」
「そうだな。春休み、あっという間だったな」
「miya達はすぐに学校かー」
「うん、kei達は卒業旅行、行きたいって言ってなかったっけ?」
「そう! それなんだけど、hana達が夏休みの時にみんなで何処かに行かないか?」
「行きたい!」
「さすがmiya、返答早!」
「何処かって? 検討中ってこと?」
「とりあえず、僕らで二つまでに絞ったから、イギリスかアメリカ」
「ロックか……ジャズ的な感じ?」
「そう、まずはな! 二人も卒業したら、話はまた別だけど」
どうやらkei達は、これから先の事まで視野に入れて考えているようだ。
「すごいね……」
「hana、どうかした?」
「みんな、色々考えてるんだもん。私は……今のことで、精一杯だから……」
自己嫌悪になりかけている背中に、miyaが優しく触れる。
「そこがhanaのいいところでもあるから」
「…………単純ってこと?」
「否定はしないけどな」
「もう!」
これから最終日のステージを迎えるはずだが、いつもと変わらずに話していた。それこそが、彼らの強みであり、団結力の良さだろう。
「はい! そしたら、今日も演りますか!」
周囲のスタッフに微笑まれている事に気づいたkeiがまとめると、表情が切り替わる。そこには、water(s)というアーティストの顔をした五人が在た。
ずっと、歌っていたいって……何度だって想う。
ライブをする度、曲を作る度、五人で演る度に…………
昨日と同じようにお揃いのライブTシャツを着た五人は、並んで手を繋ぎ一礼をするが、hanaの瞳は潤んでいた。
バックステージに戻ると、ツアーの達成感を実感するように抱き合う。昨日と同じ光景であるが、周囲に分からないように強く抱き寄せられ、彼の唇が頬に触れる。
「……っ!?」
驚きで涙が止まったhanaを他所に、彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「hana、お疲れ」
「……お疲れさま、miya」
hanaの手はしっかりと握られたまま、仲間の元へ再び駆け出していった。
PA=public address(大衆伝達) ミキサー




