第47話 旅立ちの日に
三月下旬に毎年行われている卒業式。帝東藝術大学音楽学部器楽科を首席で卒業する圭介が、舞台の上で卒業生代表を読み上げていた。
ーーーーーー本当に……卒業しちゃうんだ…………あっという間の一年だった。
それにしても…………
彼女の視線の先では、首席をはじめとする優秀者の演奏が行われていた。
ヴァイオリンを弾く圭介の他に、同じ弦楽専攻でチェロを弾く明宏と、管楽・打楽専攻でサクソフォンを奏でる大翔の姿があった。
三人ともオリジナル曲も演りたかったみたいだけど、来賓の目があるからって、言ってたっけ……
Aホールには、音大生の卒業式に相応しいクラシックの音色が響いている。
「……三人とも卒業だね」
「あぁー……一年が早く感じるな」
「うん……」
奏の隣には和也が座っていた。二人は彼らの勇姿を見に来ていたのだ。
……いつ聴いても、澄んだ音色。
私もあんな風に、演奏できるようになりたい。
ずっと聴いていたい……そんな音がしてるの。
そう感じていたのは、彼女だけではないだろう。
おそらく彼らはソリストになる事も出来たが、その道を選ばなかった。ソリストになる道は狭き門の為、本来なら選べる筈ではないが、彼らはバンドを、water(s)を選んだのだ。
これから、彼らはどんな曲を奏でていくのか? と、いう期待感と嫉妬心は、この場においてはセットだった事だろう。
奏はよく同じ時代にいられて良かったと感じていたが、必ずしも誰もがそういう訳ではないのだ。彼らの音に、自身の才能を疑った者もいたかもしれない。それが音楽の、彼らのいる世界だった。
とはいえ、卒業式においては四年間共に過ごした仲間との門出を祝う式の為、彼らの紡ぎだす絶妙なハーモニーに、誰もが耳を傾けていたに違いない。
音色が止んだ瞬間、大きな拍手が沸き起こった事が何よりの証拠だ。二人も彼らの姿に拍手を送る観客の一人となっていた。
三人のアンサンブルは、何度も聴いた事があるけど……今までで、一番の演奏。
鳴り止まない拍手に、私まで泣きそうになる。
「ーーーーmiya……」
握られた手から彼に視線を移せば、優しい瞳が揺らめいて見える。和也の手が頬に触れ、はじめて涙が溢れていたと気づく。
「hana……」
「ん……」
ハンカチで涙を拭って、微笑んでみせる。
ーーーーみんな……卒業おめでとう……
「卒業おめでとう!」
「おめでとう!」
「あぁー、これからもよろしくな」
圭介、大翔、明宏の三人がハイタッチを交わし、卒業を喜び合っていると、この機会に乗じて写真やサインを複数の人から求められていた。
これが高校の卒業式だったなら、学ランのボタンだけでなく、ワイシャツのボタンまで、全て取られていた事だろう。芸能人並みに人気の三人の姿に、彼女は花束を抱えたまま、和也の隣で声をかける事も出来ずにただ眺めていた。別世界のように感じていたのだ。
「ーーーーすごいね……」
「あぁー……でも、あれは……akiがもう飽きてるな」
「そうだね……」
人に囲まれるのは私も苦手だけど、みんなも得意じゃないみたいだから…………笑ってるけど……作った笑顔になってきてるのが、私にも分かる。
……みんな、大丈夫かな?
心配している様子に、和也も気づいたのだろう。彼は深く息を吐き出すと、思いきり名前を呼んだ。もしかしたら、叫んだと言った方が正しかったかもしれない。
「……kei! aki! hiro!」
彼の通る声が周囲の喧騒を駆け抜けると、彼女の手を引いた和也が仲間の元に飛び込んだ。
「卒業おめでとう!」
そう言って和也が抱きつけば、奏も続くように促される。戸惑う彼女を他所に、腕を広げられれば飛び込ばずにはいられない。ライブ直後のように抱き合う姿があった。
「……みんな、卒業おめでとう!」
勢いよく卒業生に花束を手渡すと、嬉しそうな笑顔が並ぶ。
「ありがとう!」
「ありがとな」
「ありがとう……二人とも聴いてたのか?」
「うん!」 「勿論!」
『素敵な演奏だった!!』
揃って告げた言葉に、奏が和也と顔を見合わせれば、笑い声が聞こえてくる。
「ちょっ、笑いすぎだろ?」
「そうだよー」
「悪い、悪い……」
「だって、揃って言うからさー」
「そうそう。それに、二人が気に入ったんなら練習した甲斐があったよな」
「みんなの演奏が届かない筈ないよ?」
ストレートに告げられた本音に、今度は彼らの方が染まりそうだ。
「hanaには、敵わないなー」
「えっ? ちょっ、hiro?!」
照れくささを隠すように、彼女の頭を豪快に大翔が撫でる。他の人が触れようものなら分かりやすく牽制する彼も、仲間は許容範囲なのだろう。特に助ける素振りはないが、髪を整えるのには手を貸していた。それだけで仲間には、独占欲が丸分かりである。
「楽しみだな!」
「うん!」
晴れ渡る空の下、彼らの門出を祝うように、暖かな日差しが注がれている。笑顔で卒業を迎えた彼らは、すでに次のステージへ向かって動き出していた。
圭介達の卒業からすぐの三月二十八日。
デビュー記念日から四月六日までの十日の間に、神奈川、大阪、東京の三ヶ所のドームで、六日間ライブが行われる日程だ。
ーーーーーーーーまた……鳴ってる…………待ち遠しく感じていた日々もあったけど、ようやくこの瞬間が来たんだ……
「hana、準備はいい?」
「うん!」
五人は右手を中央に重ね、円陣を組む。
「……行くぞ!」
『おーー!!』
重ね合わせた手を掲げ、いつものようにハイタッチを交わすと、光り輝くステージへ飛び出していった。




