第41話 コーヒー
奏は和也と駅前で待ち合わせると、高校生の頃のように揃って電車に乗り、マスターの経営する喫茶店に足を運んだ。二人が一緒に訪れるのは三ヶ月ぶりである。
「久しぶりだね。二人とも、いらっしゃい。いつもので、いいかい?」
「はい。マスター、お元気でしたか?」
「ふふ、hanaちゃんは相変わらずだねー。元気だよ。いつものテーブル席で待っててね」
『はーい』
店内一番奥の六人掛けのテーブル席には、Reserveの札が置いてある。マスターの計らいでwater(s)専用として、予約席にしてくれているのだ。
「miyaがhanaちゃんを連れて来るようになって、もう四年近くになるのか」
「そうですね。あの頃は、まだ高校生でしたから」
「ピアノは調律してあるから、たまには二人とも弾きにおいでね」
『はい!』
揃って元気よく応える姿は、高校生の頃と変わらず健在だ。
口に運べば、酸味の少ない好みの風味が広がり、思い出話に花が咲くというものだ。
「マスター、久しぶりにあの子達が来てるんだね」
そう言って、カウンターに腰掛ける常連客の姿があった。
「はい、今日はどうしますか?」
「今日は深煎りがいいかな」
「かしこまりました」
「うちの孫が言ってたんだが、あの子達有名なバンドなんだろ?」
「そうですね」
「今時の曲は分からないけど、あの子達が弾いていたピアノやギターの音色は好きなんだよな」
「声をかけたら、喜ぶかもしれませんよ?」
「いやー、こんな爺さんじゃ話しかけにくいな」
そんな話をしていると、和也が声をかけた。
「マスター、ピアノ借ります」
「はーい、どうぞー」
近くで見ても整った容姿の彼は、常連客に当たり前のように会釈をした。
「弾かせていただきますね」
「あ、ああ……」
あまりの好青年ぶりにファンがまた一人増えていった。
奏がピアノの椅子に腰掛けると、すぐ側で和也がギターを弾き始めた。二人の弾いている曲は、新曲をアコースティックにアレンジしたものだ。
「はぁーー……大したもんだね」
「良かったですね。あの子達の演奏が聴けるなんて、レアですよ?」
「孫に自慢しなきゃかな」
常連客は二人の織りなす絶妙なハーモニーに耳を傾ける観客の一人だ。今までにも聴く機会は何度もあったはずだが、心に残るほどの演奏はそうはない。それこそ、ここ数年では彼等くらいのものだろう。
「奏、これ……いいかもな!」
「うん! 六月のにでしょ!」
二人は何やら意気投合している。三月に控えるライブもだが、六月にあるオーケストラとの共演時のイメージが浮かんでいた。
「ドームは曲順だよなー」
「アルバムの曲を演るんでしょ?」
「あぁー。でも、そのままじゃ面白くないだろ?」
「確かに……ファーストアルバムの曲とかも入れたいよね」
再びテーブル席に戻り、何やら話し込んでいる。話の内容まではマスターに届いていないが、相変わらず音楽と楽しそうに向き合う姿に、自然と笑みが溢れる。
最初の頃はカフェラテでしか飲めなかったコーヒーを、今ではブラックで飲めるようになった二人に、時が経つのは早いと、感慨深いものがマスターの心を駆け巡っていた。
「これで、圭介達に提案だな」
「うん!」
一息入れれば、懐かしさも感じるコーヒーの香りに包まれ、初めて飲んだカフェラテの味を想い返す。
ここは……変わらずに温かくて、コーヒーの良い香りが漂ってる。
高校生の頃は、カフェラテばかり頼んでたっけ……ブラックも飲めるようになったけど、マスターのラテアートが見たくて何度も注文してたんだよね。
それにしても……
「ドームでのライブ、待ち遠しいな……」
「うん……」
「その前に歌番組か」
「そうだね……生放送だもんね……」
「そうだな」
彼女の瞳は光を宿したように輝いているが、それは奏に限った事ではない。
カップから和也に視線を移せば、瞳の色が光を増しているように映る。心躍るとは、まさにこの事だ。
和也も楽しみにしてるのが分かる。
観客のいない場所で歌うことにも慣れてはきたけど、淋しいもの…………
人前で演奏する度に、ひどく鳴っている時もあるけど……何にも変えられないの…………他の、何にも変えられない。
みんなとだから、見ることが出来る景色があるって……
「奏、おかわり頼む?」
「うん……和也は時間、平気?」
「あぁー、大丈夫だよ。奏は?」
「私も平気だよ」
隣同士で座っていた二人の距離は、学校よりも近い。ぴったりと寄り添っている為、彼女は少し照れたような表情を浮かべていた。
「時間が経つの早いな……」
「うん……」
……本当に早い……もっと、ずっと一緒にいられたらいいのに…………
「二人ともお待たせー」
「ありがとうございます」
「マスター、ありがとうございます」
テーブルには、カフェラテの入った大きめのカップが二つ並んだ。揃って砂糖を入れ、カップに口をつける。演奏後という事もあり、糖分を欲していたのだろう。甘くほろ苦い味が、更に想いを加速させていくようだ。
「綺麗なリーフが欠けちゃった……」
「奏はよく写真撮ってたよな」
「あっ、写真撮ればよかったー」
「また来た時に、撮ったらいいじゃん」
「そうだけど……」
久しぶりに飲んだから、写真に残したかったのに……飲みたさに負けちゃった……
「奏らしいな」
「ん?」
「そういう所、変わらないよな」
「そうかな……和也も変わってないよ? 甘いのが意外とすきでしょ?」
「そうだな……そういう所は変わらないか。相変わらず、音楽からは離れられないし」
「そうだね、楽しみだね」
「あぁー、奏がコラボするのか……リハ前に一度だけ合わせるんだっけ?」
「そうだよ。貴重な機会だから、精一杯やってくるね」
「うん、楽しみにしてるよ」
そう告げた彼の額が、不意に肩に寄せた。
「和也?」
「んーー……奏のピアノ、聴きたい……」
「うん……」
撫でていたさらさらの髪から手を離すと、鍵盤へ滑らせていく。心地よいピアノの音色を、彼は自然と瞼を閉じて聴きいっていた。
ーーーーーーーー届いて……と、何度も願う。
この音が、和也の心にも響くようにって……
色彩豊かな音が、コーヒーの香りと共に店内を包んでいく。彼女の指先から放たれる音色は、他とは違うのだろう。店内の客は漏れなくその音色に酔いしれていた。
「ーーーー本当……敵わないよな……」
そう呟いた彼は、愛おしそうに彼女を見つめていた。
振り返れば、差し出された両手に手を重ねる。ライブの終わりのようにハイタッチを交わしていた。
「よかったよ……」
「ーーーーありがとう……」
笑い合っていると、喫茶店の扉が開く音がした。いつもの顔ぶれが揃ったのだ。
「keiくん達も、お疲れさま」
「マスター、お疲れさまです」
「いつものコーヒーかい?」
「はい、お願いします」
二人の座っていた店内奥の席に五人が揃う。
「みんな、お疲れさまー」
「お疲れさん。これ、ライブの?」
「そう! 和也と考えてたんだけど、どうかな?」
テーブルにはiPadに、携帯電話、ルーズリーフ等のメモが並ぶ。
「面白そうじゃん」
「あぁー、一回弾いてみたいなー」
「だよな。スタジオ借りて演ってみるか?」
「明日、スタジオ借りれるよ」
「さすが、圭介!」
「仕事が早いなー」
先程よりも店内奥のテーブルは賑やかだが、話す内容に変わりはない。
和也と二人でも話は尽きないけど、五人揃うと音が更に広がっていく気がする…………この中に、私も……いるんだよね……
デビューする前と変わらずに、音楽がすきな五人の姿があった。
「明日が楽しみだね!」
「そうだな」
「あぁー。奏と和也で、何かやってよ」
「散々弾いてたんだろうけど、僕も聴きたいな」
「俺も! たまにはギターとピアノ、チェンジしたら?」
「面白そうじゃん」
「了解。はい、奏」
「う、うん……」
言われるがまま、和也から手渡されたギターに触れる。その音色は、ピアノと変わらず心に響くような音だったのだろう。彼女が弾き始めた瞬間、和也は一瞬だけ呑み込まれそうになり、聴いていたメンバーもまた感嘆を隠せずにいた。
先程とは違う二人の音色が店内を彩っていく。
「ーーーーまた、いい曲だな」
「はい」
マスターと常連客だけでなく、誰もが手を止め聴き入る。圧倒的な存在感は変わらずに健在である。
彼らの側には変わらないコーヒーの香りと共に、変わっていく音色があった。




