第39話 帝藝祭
帝東藝術大学の学園祭は通称『帝藝祭』と呼ばれ、毎年九月の第一週目の金曜日から日曜日にかけて、三日間行われている。芸術学部にとっては作品を展示する場であり、音楽学部にとっては演奏を披露する場でもある。
付属の音楽高等学校に通っていた奏にとっては、初めて模擬店や一般公開のある学園祭に心躍らせていたが、同時に緊張もしていた。
高校の頃……大学内の講堂で演奏した時よりも、大きなホール…………チケットは在学生限定で千円で販売されたけど、即日完売になったみたい。
音楽学部だけじゃなくて、芸術学部の学生も、チケット販売時には多くの人が並んでくれたって……スギさんが喜んでたっけ……
「講堂も広いって思ってたけど、倍以上の人数が収容出来るんだよね……」
壇上から見える客席の広さに驚いていた。
「数時間後、在学生でいっぱいになるのかー……」
「有り難いよな……チケット買って、聴いてくれるなんて」
リハーサルを無事に終えた彼らは、片付けをしながら話していた。それぞれ緊張感はあるが、その強さは奏が一番だろう。一年生の彼女以外のメンバーにとっては、何度か立った事のある慣れ親しんだ場所でもあるからだ。
「どうする? カフェテリアに行く?」
「模擬店行きたい! スポーツ同好会が、焼きそば販売するって言ってたの」
「じゃあ、hanaとmiyaで買い出しして来て? 僕らは、先にカフェテリアに行ってるから」
『了解』
「hana、たこ焼きもお願い」
「俺もー!」
「うん、分かったー」
「じゃあ、行ってくるな」
奏は和也と並んでAホールを出て行った。
「hana、楽しそうだな」
「だって、ちゃんと参加するのは初めての帝藝祭だもん!」
去年も来た事はあるけど、やっぱり模擬店があるのと一般公開してるのはいいよね。
大学生って感じがする。
それに…………和也が隣にいるから、嬉しくて……
「焼きそばって、ここじゃないか?」
「あっ、本当だ!」
楽しみのあまり、テントの張られた場所にあるスポーツ同好会の模擬店を通り過ぎそうになっていた。ある意味では彼女らしさであり、先程までとは違ういつもの奏だ。
「焼きそば、五個下さーい」
「奏! 来てくれたのー?!」
「うん!」
「ミヤ先輩も、ありがとうございます」
「こんにちは……スポーツ同好会って、綾ちゃん達だったのか」
「うん!」
彼女と綾子の仲の良さは相変わらずだが、エプロンに三角巾をつけた売り子の綾子と、隣で焼きそばを作る佐藤との仲も相変わらずのようだ。
「上原、久しぶりだな」
「うん、佐藤は久々だね」
「おまけしとくな」
「わーい! ありがとう」
話しながらも佐藤は器用にパック詰めをしていく。
「二時から楽しみにしてるね」
「綾ちゃん、ありがとう」
声援に笑顔で応えると、奏は和也と並んでメンバーの待つカフェテリアに向かう。
隣にいる彼女と話しながらも、周囲の視線に気づかない様子に、和也から溜め息が漏れそうになっていた。
カフェテリアに着く頃、二人の手には焼きそばにたこ焼きだけでなく、じゃがバターや綿あめまで握られていた。
「サンキュー」
「縁日行ったみたいだな……」
「……ありがとう」
三人ともお礼を口にするが笑いを堪えていた。奏に釣られ、和也もはしゃぐ様子が目に浮かんだのだろう。
彼らのいるAホール近くのカフェテリアは半分に仕切られ、water(s)等スタッフ専用の休憩スペースになっていた為、学生らしい二人の様子に、その場にいたスタッフも微笑んでいる。
「hanaのせいで笑われたー」
「えーーっ、miyaだって綿あめ買う時、乗り気だったでしょ?」
「あーー、否定はしないけどな」
冗談を言い合いながら、揃って食べ始める。テーブルには二人の買い出ししてきた物の他に、おにぎりにサラダと飲み物が置かれていた。一見多そうに見える量だが、リハーサルで体力を使ったのだろう。すぐにテーブルの上は空の容器だけが残った。
「ごちそうさまでしたー」
『ごちそうさま』
奏に釣られるように彼らも両手を合わせていると、杉本に声をかけられていた。
「皆、学祭見たいかもだけど……開演まで後一時間程だから、ここにいてね」
「どうかしたんですか?」
「音楽学部の子は皆の友人もいるから、そうでもないけど、芸術学部の子はwater(s)が在学生って知らない子もいたみたいで、SNSにhana達の動画上げてる子がいるんだよ」
杉本が携帯電話の画面を差し出すと、先程まで買い出ししていた和也と奏が映っている。
「いやいや、芸能人じゃないんだから!」
思わずツッコミを入れる和也だが、今までとは違い顔までバッチリと映っている。
「……気をつけます」
「うん、カフェテリアにずっといるのが退屈だったら、ホールの控え室なら音出し出来るから、行ってもいいよ?」
『行きたい!』
ここは彼女も和也と揃って応えていた。
「スギさん、僕らは先に控え室に行ってますね」
「分かった。本番前にまた声かけるからね」
『はい』
五人はテーブルを片付けると、それぞれペットボトルの飲み物を買って、控え室に向かう。そんな彼らの仲の良い後ろ姿に、ライブを待ち遠しく思う杉本がいた。
これから、ここ……Aホールで、ライブが始まる。
音出しをしていた事もあり、ライブまでの時間を早く感じた事だろう。
ーーーーーーーーリハよりも鳴ってるけど…………緊張に押し潰されたりはしない。
ただ……待ち遠しくて仕方がないの。
私達は、音楽がすきで……ライブがすきで…………高校生の頃とは違う。
お金を払ってまで聴いてくれる価値がないと、捨てられていく……置いていかれてしまう………
分かってる…………そうは、なりたくないから……
いつものように五人の手が重なれば、口元が緩む。待ちわびた瞬間が訪れたからだ。
「こんにちはーー! water(s)です!!」
舞台に勢いよく飛び出すと、圭介の挨拶に拍手が沸き起こる。
「それでは、最後までお付き合いください……」
奏のアカペラから曲が始まり、観客を惹きつけていく。
五人で奏でている時が、一番幸せかもしれない。
ずっと……歌っていたい。
それは、私の変わらない想い。
この場所だけは、誰にも譲れないの。
彼らのライブは二時間の為、間で衣装チェンジが行われていた。先程までの比較的ラフな格好から、フォーマルな装いに変わっている。
「……自己紹介も終わったので、ここからは音大生らしい演奏をさせて頂きます」
圭介が話している間に、メンバーは準備を整えていた。大翔はベースから用意していたサクソフォンに、圭介はギターからヴァイオリンに、楽器が持ち替えていた。
奏のピアノをベースにした曲調で始まっていく。いつもとは違うwater(s)の音色にも関わらず拍手が響く。
先程まで立って見ていたライブから一変し、座って観賞する者が増えていく。柔らかな歌声に、弦の響きに交じる色っぽいサクソフォンの音色に、魅了されていたのだ。
「ーーーー流石、よく考えたな……」
「えぇ、佐々木さん。しかもこれは、次のライブに向けての足掛かりですからね」
「それは楽しみだな」
杉本は誇らしげに見つめていた。
「別人だな……」
「はい」
数時間前まで冗談を言い合い、学生らしい姿を見せていた彼らは何処にもいない。壇上には、アーティストの顔をしたwater(s)の五人がいた。
「ありがとうございました!」
『ありがとうございました!!』
一列に並んだ彼らは、観客に向けてお辞儀をしている。ステージに立つ彼らは、いつも未来を見つめているようだった。
ーーーー楽しかった…………なんて……一瞬なんだろう……
誰と手を繋いでも……隣にいる和也の手を握る時が一番鳴ってる……
和也と圭介に両手を握られ、彼女は五人の真ん中にいた。鳴り止まない歓声に包まれながら帝藝祭を終えたのだ。
……また……演りたい…………すでに終わったライブを惜しんでる。
みんなも、同じ気持ちみたい……
控室に戻った彼らは、衣装から着替える前に撮影会をしていた。
「はーい、撮るよー」
笑顔で応え、杉本が撮る写真に収まる。
「スギさん、それSNS用?」
「それもあるよ。この後、ミーティングするんでしょ?」
「はい!」
勢いよく応えた奏に、彼らも笑って応える。
次へ繋がるステージにしたい。
いつだって……
私服に着替えた五人は、スタッフ等も交え大学から近い焼肉店を訪れていた。
「美味しいー……」
「本当、美味しそうに食べるよな」
「miyaもでしょ?」
「そうだけど、hanaには負ける」
「なんでよー?」
成人組がアルコールでいつものように乾杯する中、二人もいつものようにソフトドリンクを飲んでいた。
ミーティングも無事に終わったから、ご飯が美味しい。
今日のステージが、少しでも帝藝祭に色を添えられていたら……
「hanaーー、歌ってーー」
「hiro……」 「酔っ払い……」
「酔ってないってーー」
大翔はお酒に弱いから、顔が真っ赤…………和也は、お酒に強いのかな?
圭介と明宏の顔色の変わらなさには、毎回驚かされるけど……それにしても……
「仲間が増えたな」
「……うん」
和也も同じこと、思ってたんだ……
事前に予約しないとお店に入れないほどの人達が、一緒にステージを作ってくれてる。
すごい事だよね…………みんな……その道のスペシャリストなんだもの。
「じゃあmiya、ギター弾いてーー」
「……分かったよ」
大翔の押しの強さに折れたようだ。
彼女がギターの音色を楽しみにしていると、右手が引き寄せられる。
「miya??」
「俺が弾くんだから、歌うだろ?」
「えっ?!」
楽しそうな笑みを浮かべる彼を止めるメンバーは一人もいない。周囲を見回しても味方は皆無だ。
奏が深く息を吐き出すと、明るいテンポの音が響いていく。十分な機材も、マイクすらない状態でも、彼女が歌えばステージに変わる。そう感じていたのは彼らだけではない。打ち上げに参加していたメンバーは、彼女達の音を間近で感じ、創作意欲をかき立てられていた。
「ーーーー懐かしいな……」
「あぁー」 「そうだなー……」
奏が口ずさんだ曲は、彼らの始まりの歌だった。
ーーーー和也が……合わせてくれてるのが分かる。
こんな音を聴いちゃったら、歌わずにはいられないよ。
二人は視線を通わせながら仲間に向けて奏でていた。




