第33話 出逢いの季節
年々、桜の咲く時期が早くなってる気がする。
今年の桜は寒い日もあったから、私の入学式まで咲いてる。
咲いてるって言っても、満開は過ぎて場所によっては葉桜に変わりつつあるけど…………桜を見ると、出逢った日を想い出す。
初めて公園で歌った時……手が震えるほど緊張したけど、それ以上に音が響いてた。
強く握られた手が、現実だって告げているみたいだった……
高校生の頃から大学構内の練習室、講堂、体育館は行った事があるけど、やっぱり広いなー……
奏がそう思うのも無理はない。帝東藝術大学は彼女の通う事になった音楽学部だけでなく、芸術学部の他に、それぞれの学部の大学院研究科まであるのだ。
奏は器楽科ピアノ専攻の為、ガイダンスを行う教室を訪れていた。
「奏ーー!」
先に座っていた綾子が手を振れば、緊張が緩んでいく。彼女も同じピアノ専攻だ。
「綾ちゃん、おはよう」
「おはよう」
「佐藤は指揮科だっけ?」
「そうだよー。真紀は音楽環境創造科だから、違う棟にいるみたいだし」
「うん、棟も違うとは思わなかったね」
構内は広いから同じ専攻でない限り、約束しないと会うのは難しそう…………みんなとも……毎日のようには、会えないのかな。
二人が話していると、講師が黒板の前に立った。一気に静寂になる室内は期待に満ちているようだ。
ーーーーーーーーこれから、大学生活が始まるんだ……
water(s)のみんなと、やっと同じ大学に通える。
ずっと…………鳴ってるみたい……
奏は喜びを噛み締めつつ、講師の話に耳を傾けていた。ようやくメンバーと同じ場所で学ぶ事ができる日々に、期待しないはずがない。頭の中で鳴り止まない音色に綻んでいく。
「上原、石沢、お疲れー」
二人が教室を出ると、呼び止められていた。
「酒井、お疲れさまー」
「いたの気づかなかった」
「石沢、酷くね?」
「気づかなかったけど、いたのは知ってるよー。元クラスメイトなんだから」
三年間同じ教室で過ごしてきたから、誰がどの学科や専攻になったのかは把握してるからね。
同じ高校から専攻まで一緒になったのは、綾ちゃんと酒井に私の三人だけ…………みんな、それぞれの道を選んでるってことだよね。
和也とは同じ専攻だけど……他のみんなは器楽科は一緒でも、圭介と明宏が弦楽専攻で、大翔は管楽・打楽専攻だから……
「……酒井、後ろの人は?」
「あぁー、俺の音楽仲間の潤」
彼女達の前には、酒井の斜め後ろにパーマがかった黒髪の長身の男性が先程から立っていた。紹介するつもりで声をかけた彼も、教室にあった緊張感から一気に解放され緩んでいたのだろう。理由はそれだけではないが。
「樋口潤です。よろしく」
男性にしては高めの声で話す彼は表情が硬いままだが、変わらずに微笑んでみせた。
「はじめまして、上原奏です」
「樋口くんね。石沢綾子です」
自己紹介を済ませると、四人は構内を歩きながら、さっそく選択科目について話している。
「英語とドイツ語かなー」
「上原もかー、フランス語とイタリア語も良いんだけどなぁーー」
「ねぇー、迷うのは分かる。綾ちゃんは?」
「私も英語とドイツ語だよ。ウィーンに行ってみたいし」
「分かる! 樋口くんは? もう決めてるの?」
急に話を振られた樋口は、戸惑いながらも応える。
「……俺も英語とドイツ語かな」
「じゃあ、奏と樋口くんとは一緒に学べそうだね!」
そう態と言う綾子に、酒井も態とらしく抗議した。
「いや! 俺も同じ選択だからな!」
冗談を言い合っていると、樋口から本音が漏れる。
「ーーーー本当、仲良いんだな」
「高校の頃から賑やかだったよ。そういえば、樋口くんはどこ出身なの?」
「俺も東京。高校は武蔵野だよ」
「武蔵野って、吹奏楽部の強豪校じゃない?」
「さすが石沢、詳しいな」
「友達で進学した子がいたからねー」
盛り上がっていると、奏の携帯電話のバイブ音が鳴った。
「あっ、電話出ていい?」
「うん」
綾子に続いて酒井も樋口も頷いて応えると、高校の頃の話を続けた。
先月まで三年間過ごした校舎は目と鼻の先にあるし、樋口でなくとも音楽学部に通う生徒なら気にならないはずがない。少数精鋭の内部進学者の殆どが成績優秀であり、音楽と関わりのある職種に就く。今はダイヤの原石でもコンクールでは結果を残しているし、留学する者もいる。コンクールの優勝者は奏に限った事ではなく、珍しい事ではないのだ。
切磋琢磨が常だともいえる現実に、樋口は思わず喉を鳴らした。これから始まる学校生活に期待を寄せていたが、急激に不安にもなる。憧れが目の前にいれば尚更だ。
彼女が通話ボタンを押すと、優しい声が耳元で響く。
『奏、入学おめでとう!』
「……和也、ありがとう」
『今、どこにいる? あっ!』
「あ?? もしもしー?」
通話がすぐに終了になった為、奏がかけ直そうとしていると、背後から声をかけられた。
「奏!」
後ろから抱きしめられるような態勢になっているが、綾子と酒井が驚く様子はない。距離の近さに驚いていたのは樋口だけだろう。
「和也!」
「入れ違いにならなくてよかったー……奏、ライン見てないだろ?」
「ごめん……気づかなかった」
距離の近い二人がいつものように話していると、和也が見た事のない彼に気づく。
「綾ちゃんも酒井くんも入学おめでとう。そっちの子は?」
「酒井の音楽仲間の樋口くんだよ。みんな、ピアノ専攻」
「そうなんだー……あっ、俺もピアノ専攻で、二年の宮前和也。よろしくね」
「樋口潤です。よろしくお願いします」
緊張した面持ちで応える彼に対し、綾子はいつも通りだ。
「ミヤ先輩、奏を待ってたんですか?」
「そう、これから行く所あるのに携帯放置するからさー」
「もう! ごめんってばー!」
これも日常の一部である。高校から大学に場所が変わっただけで、度々二人にいじられていたのだ。
「じゃあ、奏かりていくね」
「はーい」
「上原、またなー」
「うん、また明日ねー」
奏は三人に手を振ると、和也の手を握った。
「ーーーーーーーー本物だ……」
樋口の呟いた言葉は小さく、綾子には聞こえていなかったが、酒井にはその表情で分かっていた。彼もまたwater(s)のファンの一人だったからだ。硬い表情は入学初日という理由だけではなかったのだ。
遠ざかる距離が現実を告げているようだ。彼の視線の先には、ごく自然に手を繋ぎながら歩いていく後ろ姿があった。
「……奏、入学おめでとう」
「ありがとう……」
「指輪、つけてくれてるんだな……」
「うん……御守りだよ?」
「うん……」
ライブの日に貰った指輪は、和也がそばにいるっていつも感じるから……御守りになってるの。
和也から貰ったモノは、たくさんあるけど……
はらはらと舞い散る桜の花弁と、晴れ渡る空に瞳を輝かせる。
「ーーーーーーーー和也……ありがとう……」
「うん……」
和也が……私を見つけてくれたから……ここにいるの。
また…………この季節が来たんだ……
繋いだ手に力が込もる。彼に導かれるように車に乗り込んでいく横顔は、期待に満ちていた。
ここから奏の大学生活が始まりました。




