第24話 帰り道
「奏、おはよう!」
「おはよう、綾ちゃん!」
高校三年生になっても変わらない教室には、三年間共に過ごす仲間がいる。変わった事があるとすれば、和也が卒業したことだ。
ーーーーーーーー大学生か…………私以外は……みんな、大学生になっちゃった。
彼が校舎内にいない事からくる疎外感を感じていると、奏の携帯電話のバイブ音が鳴った。思いがけず手が止まったかと思えば、指先で文字をなぞる。
『進級おめでとう!』
そのたった一言が嬉しかったのだろう。彼女は笑顔を取り戻していた。
単純だって思うけど、和也の言葉に一喜一憂している自分に気づく。
会いたいな…………今までだったら、教室を覗けばすぐに会えた。
放課後、毎日のように練習室に残って二人で模索したこと。
はじめて曲が出来た時、喜び合ったこと。
和也と音に触れる時間が、何よりも楽しくて…………はじめて会ったのも、練習室だった……
いつも通りクラスメイトと過ごしながらも、時の流れを感じていた。
「上原ーー、担任が呼んでる」
「はーい。酒井、ありがとう」
お礼を言うと、職員室に向かうべく教室を出て行った。そんな奏が向けられる視線に気づく様子はない。
「……酒井、どうかしたのか?」
「いや……ライブ、凄かったなって思ってさ……」
「あぁー、上原の?」
「そう……」
「よく行けたなーー、ファンクラブに入会してても、抽選外れたって兄貴が言ってたのに……」
「チケットも即日完売だったらしいからなー」
「本当、凄い人気だよな」
「だよなー」
water(s)の話は、彼女がその場に居なくても話題になる事は度々あった。それは、ここが音楽好きの集まる高校だからだろう。酒井だけでなく羨望の眼差しを向ける者は多い。夢が奏者になるとは限らないものの、プロを目指している者が殆どだからだ。
今も注目の的になっているが、彼女にその自覚は皆無であった。あまりに今までと変わらない奏に、綾子が溜め息を吐いたくらいである。
「奏ーー、先生なんだって?」
「公開実技試験の事で、ちょっと………綾ちゃん、待っててくれたんだね。ありがとう」
放課後になり教室の人はまばらだ。
「今日くらいは活動ないって言ってたから、奏と一緒に帰りたかっただけだよーー」
綾子の温かさに笑顔で応えると、二人は久しぶりに最寄り駅までの時間を一緒に過ごした。
入学当初は出席番号が並んでいる上に、同じ路線を使っている事もあり、よく一緒に帰っていたが、それも奏の活動によって減っていた。バンド活動がない日の方が今では珍しいくらいだ。
「この間、ライブの帰りに食べに行ったよー」
「本当、佐藤と仲良いよね」
「そう言う奏だって、ミヤ先輩と仲良いじゃない? 今年から先輩は大学生かぁーー」
「ねぇー、学年は一つしか変わらないのに、だいぶ違う気がするよ」
「でも、私達も来年には大学生になるんだから試験合格しないと!」
「そうだね!」
ポジティブな言葉に、奏も自然とポジティブに変わる。
彼女達の学校は大学付属の高校とはいえ、エスカレータ式ではなく大学受験を控える受験生と変わらず試験が行われる。ほとんどの学生が、そのまま付属の大学を受験する事が通例である。
「奏、またライブあったら教えてね。今度は自力で入手して行くから!」
「うん! ありがとう……」
ホームから手を振り、綾子を見送ると、過ぎ去っていく電車を眺めていた。
……いつか…………綾ちゃんの為に、曲を描けるようになりたい。
いつもエールをくれる綾ちゃんの言葉に、どれだけ救われているか…………
彼女の夢がまた一つ増えた瞬間だった。
タイミングが良くバイブ音がなり、現実に引き戻される。慌てて電話に出ると、耳元に響く声に頬が緩む。
『お疲れー』
「……お疲れさま」
変わらない和也の声に綻んでいく。
『進級、おめでとう!』
「和也も入学おめでとう!」
懐かしい公園を歩く彼女の頭上には花びらが舞っていた。はらはらと舞い散る桜の花びらが、手のひらに触れ落ちていく。
ーーーーーーーーあれから……一年…………
桜が舞い散る中、一人になった事を実感する彼女は想い返していた。
…………デビューしても、すぐに実感は湧かなかったけど、この間のライブで……聴いてくれる人がいる現実に、泣きそうになった。
みんなと出逢えたことは、奇跡みたいだって思ってる。
歌うことが夢だなんて言えなかった私が、あの場所にいられるなんて…………歌いたい想いが、増していくのが分かる。
CDをリリースする度に、新たな記録を作ってるって言われても、正直よく分からないけど…………ライブなら感じられるから…………
『来年は……一緒に桜が見れるな』
「うん……和也……」
『ん?』
「……ありがとう」
『うん……奏、また明日な』
「うん……」
耳元に届く和也の声は、いつもと変わらずに優しくて……安心する。
来年は……どんな季節になるのかな……
木々の隙間から夕暮れの空を見上げ、以前のように側にいられない現実を知りつつも、穏やかな声が寂しさを拭っていた。
まだ冷たさの残る風が頬を撫でる中、誰もいないステージに視線を向ければ、震える手に差し伸べられた記憶が巡り、思わず足が止まる。
遠くから見つめていただけの筈が、ステージの中心に立っていた事を呼び起こす。
ーーーーーーーーあの日から、ここまで来たんだ……
桜の降り積もる景色は、何処か懐かしさを滲ませていた。
 




