第22話 多忙な日々
慌ただしかった年末年始が過ぎて、あと二ヶ月足らずでデビューしてから一年が経とうとしているなんて……時が経つのって早い…………water(s)に入ったのが、ずっと前のことみたい。
それくらい……馴染んできてるって思うの。
彼らはアルバム制作の佳境にいた。
奏はヘッドホンを付けると、レコーディングマイクの前に立ち、収録を行なう。ミキサールームには窓越しに和也を始め、water(s)の四人が見守っていた。これは、それぞれの楽器収録の際には和也だけがスタッフと共に見ている事が多い為、彼女限定である。わざと此方の視線を分かるようにしてプレッシャーを与えているのだ。本番は一度きりなのだから、当然と言えば当然の事だが、和也監修は割とスパルタである。
加入直後から彼は無理難題を言ってきた為、程良い緊張感と安心感に包まれていると自身は感じていたのだろう。
奏はいつもの澄んだ声で、歌い上げていった。
「OK、お疲れー」
和也を含め、四人は頷き、ハイタッチを交わしていく。無事にレコーディングが終わったのだ。
ーーーーーーーー上手くいった…………
ちゃんと声が出てたのは、トレーナーさんのおかげだよね。
一ヶ月に一回程度と日数は減ったものの、奏はボイストレーニングを続けていたが、それだけではなく日頃から音に触れていた成果とも言えるだろう。
聴き惚れる姿が見受けられたが、それに気づく事はなく、気持ちが整っていく。
今日はこのあと、1周年ライブについての打ち合わせがあるんだよね。
どんなステージになるのか…………今から楽しみ。
手早く片付けを済ませ、会議室に移動すると、テーブルには予め頼んでおいた出前のピザやお寿司に揚げ物からデザートまで、スタッフも一緒に食べられる量の料理が並んでいた。
「ーーーーまずはドーム2days公演を祝して乾杯!」
乾杯と言ってもこれからミーティングの為、紙コップの中身はソフトドリンクだ。
彼らは来週発売されるアルバムを引っ提げて、東京ドームで二日間ライブを行うのだ。チケットは即日完売の為、観客がいないという心配はないが、演出をどうするかはまだ検討中であった。
大画面のスクリーンに彼らを映すのか?
照明はどうするか?
曲順が決まったとはいえ、衣装等、細かいものも合わせると決めなくてはならない事が、まだ山のようにある。
当日の販売グッズは、フェイスタオルにTシャツ、ペンライトにCD等の仕上がったものが、料理とは別のテーブルに綺麗に並べられ、自身も手に取り最終チェックを行っていく。
「ありがちなアンコールに、Tシャツ着て出るやつかー」
「ベタなのがいいんだよー」
和也にそう応えると、他のメンバーも楽しそうに販売グッズを手に取る。
初めて行われるドームでのライブに心を躍らせていたのは、おそらく彼らだけではなかった筈だ。一緒にステージを創り上げるスタッフのテンションも高い。
規模の大きさが今までとは違うとはいえ、決める事自体は変わらないのだろう。逸る気持ちを抑え、彼らは的確に意見を述べていく。
「衣装は先程の二種類とTシャツで構いません」
「そう? せっかく衣装映えするメンツが揃ってるのにー」
「ありがとうございます。でも、汗かいて着替えるってイメージで……」
「hanaもそれでいいの?」
「はい! よろしくお願い致します」
紅一点の反応に、衣装担当でもあるスタイリストの中島は、それ以上何も言えなくなっていた。彼女的には、もう少し衣装チェンジさせたかったが、アイドルではないため仕方がない事だ。
「……分かったわ。では、後日フィッティングして決定ね」
『はい!』
water(s)は基本的に拘りはあるが、音作りやライブでの演出等、音楽について限定である。その為、衣装も「ナチュラルなもので」と伝え、中島が用意した物の中からあっさりと選んでいた。スタイリストを始め、スタッフを信頼しているからこその対応でもあった。
「では、また後日という事で、よろしくお願い致します」
圭介が締めの挨拶をし、工程通りに事が運んでいく。
デビューして以来、仕事が遅れた事は一度もない。杉本は頼もしくもある彼らのドーム公演を、観客のように待ち遠しく感じる一人となっていた。
「皆、楽しみだねー」
運転しながら話す杉本に、彼らはレコーディングを終え、ミーティングを行った後にも関わらず、高揚感からいつもより高めのテンションである。
「はい! 楽しみです」
「また一つ、叶ったな」
「あぁー、miyaはずっと言ってたもんなー」
「ドームツアー出来るようになりたい! ってな」
ここは圭介、明宏、大翔の三人の息が揃っていた。それは、和也が彼らとバンドを組む以前からの夢の一つであった。
「…………良い返事だね」
そう言って笑みを浮かべる杉本も、ライブ本番までマネージャー業は忙しくなるが、それよりも楽しみの方が強いと感じていた。
ーーーーーーーー今までと……比べものにならない程の大規模なステージ。
緊張感はあるけど、それよりも……五人でライブが出来る楽しみの方が強くて…………
杉本やメンバーと同じように、彼女もまた楽しみなライブをバネに、water(s)の活動に、日々の授業にと、忙しい日々を過ごしていく事となった。
「母さん、今日も奏は遅いの?」
「奏はライブ前で、バンド活動が忙しいみたいよー」
創が一人で夕飯を食べていると、母もダイニングテーブルの席に着いた。休日の夜以外は帰宅時間が異なる為、上原家では別々にご飯を食べる事が多いのだ。
「あっ、今の曲water(s)じゃない?」
テレビから流れるCMの曲に反応した創を、母は感心した様子で見つめた。
「創、よく分かったね」
「奏のいつもの声とは違うから、未だに不思議な感じだけど。どの楽曲もすきなんだよねー」
「…………ライブ楽しみね」
母はテレビ台の上に置いてあるライブのチケットから、創に視線を戻す。
「創も高校生かぁー。剣道の大会、楽しみね」
「うん、また優勝目指して頑張るよ。じいちゃんも喜んでくれてたし」
彼の進学先の高校は剣道の名門校の為、練習が今までよりも厳しくなる事は容易に想像が出来た。卒業間際の創にとって、今は充電期間と言ってもいいが、早朝のランニングと素振りは欠かさずに行っていた。
このようにコツコツと努力が出来る所は、姉と同じ一種の才能だろう。
「ただいまーー」
「おかえりなさい、奏」
「顔色悪くない? 大丈夫なの?」
「うん、ちょっと……眠いだけ……」
リビングのソファーに腰掛けた奏は、そのまま眠りについていた。目元にはクマが出来ているが寝顔は幸せそうだ。
創は肩にブランケットを掛けると、深く眠りについた姉にエールを送るべくテレビの電源を落とし、代わりに彼らの曲を小さなボリューム音で聴いている。
「創は、お姉ちゃん想いね……」
母の声に顔を赤くして自室に戻ったが、姉の見た事の無い様子に自分が思っている以上にプレッシャーを感じているのかもしれないと考えた。それこそ自身の全国大会前のように。
今の彼女を親友が見ても、同じ事を考えたかもしれない。
それ程までに疲労感が顔に出ていた。
「ーーーー奏、そろそろ起きられる?」
「…………うん……」
時刻は夜中の十二時前だ。奏は帰宅してから三時間近く眠っていたのだ。
目を擦りながら起き上がると、温かなブランケットに気づく。
「……お母さん、ブランケットありがとう」
「どういたしまして……って言いたい所だけど、それ持ってきたの創よ?」
もう一度ブランケットに目を移せば、確かに弟が部屋で使っているチェック柄のブランケットだと気づく。
温かなブランケットに顔を埋めると、気合いを入れ直すように声を上げた。
「……よし! 頑張ろう!!」
綺麗に畳みソファーの背もたれに掛け、一日の疲れを癒すべく、しっかりと入浴してから再び眠りについた。
ーーーーーーーー疲れているのかもしれないけど、そんなこと……関係ないくらい、充実してる。
毎回が楽しくて…………一日が、あっという間に感じるの。
奏は満員の観客の前で、water(s)五人で演奏する夢を見ているのだった。




