第20話 ライブの後に……。
「奏! ライブ、凄かった!!」
勢いよく飛びついてくる綾子に微笑む。
「ーーーーありがとう……」
そう口にした奏はステージ上とは違い、少し気恥ずかしそうだ。いつもと変わらない反応に穏やかな空気が流れそうだが、興奮が冷めないのは綾子だけではない。
「サイン欲しい!」 「めっちゃ良かった!!」
「私もー!」 「俺も!!」
「いつから活動してたの?!」
次々と質問責めに合っていると、和也が顔を出した。
「奏ーー、行くよー」
「う、うん、今行くー」
「CD買ってくれた子のは、受け取って来ていいよ。kei達にも書いてもらおう」
「うん!」
穏やかな横顔に、黄色い声が上がる。
綾子や酒井をはじめ、クラスメイト数名からCDを預かると、和也に手を取られたまま教室を後にした。
「ミヤ先輩、かっこ良かったねー!」
「ねぇーー! ギター、上手いし!」 「うん!!」
「あの二人、付き合ってるんでしょ?!」
「うん! 今も手、繋いでたよね!」
二人が去った後も、盛り上がりが欠ける事はない。教室は彼らの話題で持ちきりである。
「奏とミヤ先輩以外は、うちの付属の音大生らしいよ」
「また聴きたいなーー」
「だよなー」
water(s)の音色もさる事ながら、流星のごとく現れたバンドの正体が分かった事も、その要因の一つだ。
様々なランキングで首位を獲り、記録を更新し続ける実力にCDの売れない時代は関係ない。耳に残る音源は手にしたくなる良さがあった。
歌う姿は別人のようだったが、先程まで教室にいた奏はいつもと変わらない様子でサインにも快く応えていた。
正体不明のボーカルが友人だと分かり、興奮はまだ収まりそうにない。教室には半数以上のクラスメイトが残ったままで、講堂で行われたライブだという事は抜け落ちているようだ。
「……奏が組んでたバンドって、water(s)だったんだー」
「綾子、知ってたのか?」
「うん、バンド組んでる事だけは聞いてたよー」
「本当、上原と仲良いよな」
「親友だからねーー」
「はいはい」
綾子が佐藤と話しながら教室を出る頃、奏は杉本の運転する車に乗り込んでいた。
後部座席には奏たちだけでなく、water(s)の五人が揃っている。
「ーーーーあとで、サイン書いてほしいの」
先程預かったCDを差し出すと、彼女に続いて和也も同じように袋から出して見せた。
合わせれば十枚程のCDがあった。
「勿論、書くけど……購入者、意外といるんだな……」
圭介の言葉に二人だけでなく、明宏と大翔も大きく頷く。
「本当だなー。ライブするって知らなかった筈なのに、持ってきてるなんて……」
「有り難いな……」
音楽に関する学校に通うだけあり、CDの貸し借りはJ-POPに限らず日常的に行われていたが、かなりの確率で購入者がいる事に驚きである。
また大学生にとってはクラシックや専攻楽器の音源の貸し借りが増える為、歓喜すると同時に重みを感じる。
「ーーーーーーーーまた、演りたいね……」
漏らした本音に意気投合だ。奏の想いはwater(s)の総意でもあった。
そんなメンバーに、杉本も思わずバックミラー越しに微笑む。嬉しそうな五人の心情が伝わり、彼もまた想いを巡らせているようだった。
話し込んでいたはずの声が、いつの間にか止んだ。
奏は和也と寄り添ったまま眠っている。二人きりでのアンコールの演奏は、相当な気力を使ったようだ。
「ーーーー疲れたんだな」
「あぁー」 「だよな」
車の揺れも相まって、睡魔に襲われても不思議な事ではない。静かになった車内には、期待が満ちる雰囲気だけが変わらずに流れていた。
「皆、着いたよー」
杉本の声で、眠っていた和也が目を覚ます。
「ーーーー奏?」
肩にかかる重みで、揃って寝ていた事に気づく。愛おしそうに頬に触れる仕草に、周囲の方がニヤけそうだ。
「んーーーー……和、也……?」
ぼんやりとする頭で応えるが、まだ微睡みの中だ。
「奏……おはよう……」
「うん…………おはよ…う……?」
至近距離に一気に覚醒する。触れられた背中の熱に、勢いよく飛び起きそうだ。
「ーーーー二人とも、着いたぞ?」
「うん」「う、うん……ちょっ、和也?!」
急激に上昇する体温を持て余しながら、導かれるまま手を引かれ着いて行く。即答した横顔には、既に悦楽が滲む。
次のシングル曲を練習する為に、スタジオを訪れていた。
入るなり楽器を用意して、すぐに音を合わせながら弾き始める。先程までの慌てた様子の奏とは違い、変わらずに声を出す姿に、期待は高まるばかりだ。
メッセージ性の強い曲に、彼らの多彩な音源を感じずにはいられない杉本がいる中で、奏は視線を感じていた。和也との約束を思い出していたのだ。
『…………学祭成功したら、奏をちょうだい』
今日は和也のご両親も、健人さんも……夜にならないと、帰って来ないんだよね……
文化祭のシークレットライブを無事に終え、学校は休みでバンド活動も午前中のうちに終わった土曜日の午後。
奏は緊張した面もちで、和也の部屋を訪れていた。
…………触れたいと……思った事はあるけど…………どうしたらいいんだろう?
あの言葉の意味が、分からないわけじゃないけど……
彼はいつもと変わらない様子で、共に曲を仕上げている。それは、彼女が初めて一人で描いたラブソングだ。
緊張感が丸わかりだった奏に、今では別の意味で緊張が走る。
…………やっぱり……この瞬間には、慣れない。
自分をさらけ出してるみたいだから…………
一人で描いた曲を見られる事にも慣れずにいたが、気持ちを切り替えるようにアイスティーを口に運ぶと、アレンジについて自分の想う音色のイメージを口にする。曖昧だった輪郭が、はっきりと形取られていく。
音楽について妥協がないのは、二人のよく似ている所だ。
数時間程で曲が仕上がると、出来上がったばかりの曲に並んで耳を傾ける。
このフレーズは…………和也を想って、描いたから…………
ほんのり染まった頬に、そっと触れる手があった。顔を上げれば二人の視線が交わる。そのまま唇が重なり、触れるだけの口づけが呑み込まれるように徐々に深くなっていく。
「……っ、ん……」
思わず吐息の漏れる奏の腰は引き寄せられ、強く抱きしめられていた。
「ーーーー奏……さわりたい……」
ストレートに告げられ、真っ赤に染まりながらも小さく頷くと、彼のキスが上から下へと移動していく。
ーーーーーーーー頭がおかしくなりそう…………
ライブの比じゃないくらい……鳴ってる……
「……ん……和也……」
「…………奏、怖い?」
…………怖い?
そんな事ない……だって、和也だから…………
そうじゃなくて、声も身体も……自分じゃないみたいで……和也が優しく触れてるのが分かるから…………
優しく触れる頬に手を伸ばす。
ベッドサイドに二人の服が折り重なるように、彼のベッドの上で二人は一つになっていた。
ーーーーーーーー痛みよりも、喜びの方が強い。
和也と触れ合うのが……こんなに気持ちいいなんて…………
初めての体験に恥ずかしさよりも、痛みよりも、彼に触れた温かさを感じていた。
「奏……すきだよ……」
「ーーーーっ、和也……すき……」
甘く痺れるような感覚に、触れ合った肌から想いも伝わっていくようだ。
…………hanaになって、毎日が夢のようで…………音が、鳴り続けているの。
今も…………
寄り添って寝転んでいた二人から、笑い声と共に歌が聴こえてきた。
「んーー……いい声だな……」
「…………本当?」
「これだけ歌えるのに…………奏、らしいな……」
「うっ……だって……」
「奏のうた……すきだよ。歌って?」
耳元で囁かれ、また頬が染まる。
ぎゅっと抱きしめられたまま胸元に額を寄せれば、同じように足速な心音が聴こえてくる。
「ーーーー和也……ギター、弾いてくれる?」
「あぁー」
アコースティックギターに乗せて歌う彼女は、幸せそうな笑みを浮かべていた。
二人の澄んだ音色が、まるで部屋を包み込んでいるようだった。




