第2話 春夢
waterは無色透明変幻自在、生きるのに必要なもの。
そして(s)は、メンバー全員で……という想いを込めて、miyaがまだ私と同じ高一の頃に、water(s)と名前をつけた。
ーーーーーーーー完全に勢いだけで、ここまで来ちゃったけど……よかったのかな?
彼らの行きつけの喫茶店に立ち寄り、奏はバンドメンバーから自己紹介を受けていた。
「一応リーダーのkeiね、青山圭介。hanaとmiyaと同じ高校出身だよ」
「はい……keiさん……」
「敬語は禁止ね。タメ口でいいよ」
そう言って微笑むと、右隣にいた茶髪の彼が話し出す。
「俺はドラマーのaki、原明宏。三人とも同じ大学に通ってるよー」
「んで、俺がベースのhiro、北川大翔。keiもakiも大学一年で同い年だよ」
三人の自己紹介が終わると、奏の隣に座っていた彼が口を開いた。
「俺はhanaと同じ高校の二年で、宮前和也。miyaな」
「う、うん……私は、上原奏です。あの……hanaって?」
「バンドで活動する時の芸名みたいなものだけど、他のがよかった?」
「ううん…………他のメンバーは、名前から作ってるみたいだったから……」
「奏は女の子だし、顔出しはネット上ではしてないけど、念の為な」
名前から作っているという点では変わりはないが、本人にすべてを明かすつもりはないのだろう。keiとakiのフォローがなければ、さらに追求していたかもしれないが、それ以上尋ねる事はない。
「ストリートだと、たまに勝手にネットにアップする人もいるからね」
「あぁー、その辺の考慮もあるなー。俺達は気に入ってるけど、hanaはどう?」
頷いて応える奏に一同一安心の様子だ。
自身はそれどころではない。急激な変化に心の整理が追いつかず、尋ねる余裕は皆無である。
改めてボーカルになったと実感すら間もないまま、三週間後にライブハウスの出演が決まっている事を告げられた。
「ーーーーこの三曲、奏ならピアノ出来るよね?」
miyaの無理難題が始まったとメンバーは思っていたが、渡された楽譜を受け取った奏は頷いてみせる。
素直な反応に、彼が笑みを浮かべていると、席の側にあるアップライトピアノで弾いてみるように促した。
「マスター、いいですか?」
「いいよー。素敵な曲ならね」
「勿論!」
彼とマスターの会話は、奏の耳には入っていない。
集中して一曲分譜面を読み終えると、流されるまま鍵盤に指を滑らせていく。
「ーーーー初見で、このクオリティーか……」
「凄いだろ?」
「あぁー」
「miya、そんなもんじゃないだろ……」
まるで自分の事のように嬉しそうな表情を浮かべるmiyaに、hanaの音色に、彼らはwater(s)の未来を想い描いていた。
ーーーーーーーー綺麗な旋律……なんて、新しいんだろう。
とても……同年代の人が作ったとは思えない曲。
ピアノに触れていてよかった…………これなら、弾くことが出来る。
彼らの想いとは異なり、奏は曲がスムーズに弾ける事に安堵していた。
一度も間違える事なく弾き切ったのだ。
「…………どうだった?」
「上手いな……次はこれも弾けるか?」
「う、うん……」
隣で当然のように楽譜を手渡してくるmiyaは、抑えきれない想いを抱えているようだった。
その日、喫茶店からはピアノの音色が絶えず響いていた。
夢のような時間だったな…………気づいたら、外は暗くなっていて驚いた。
地元にある喫茶店なのに、今まで知らなかったなんて……
「奏!」
放課後、人の行き交う教室に声が通る。
……目立つから……そんなに名前で、呼ばないでほしい。
奏の思いとは裏腹に、和也は彼女に向けて大きく手を振る。
ただでさえ男子よりも女子が若干多い学校で、一年生の教室に二年生がいるだけでも目立つ。それが一学年一クラスしかなければ尚更だ。
あの後、綾ちゃんに聞いて知ったけど…………miyaは成績上位に加え、あのルックスだから、男女問わずに人気があるみたい。
今も……クラスメイトが、羨望の眼差しをmiyaに向けているのが、私にでも分かるくらいで…………
「……miya……先輩……」
振り絞って出した声に、和也の頬は緩む。
「行くぞ」
周囲の声が聞こえない程、奏の心音は忙しない。微笑まれただけでなく、手を握られ教室を飛び出していたからだ。
それは、数日前のステージへ導かれるような感覚だった。
「ーーーーこの間、keiから言われてなかった?」
「うっ……じゃあ、何て呼べばいいの?」
敬語禁止令を言い渡された奏は、学校で会わないメンバーを『kei』『aki』『hiro』と、呼べるようになっていたが、学校が同じmiyaの呼び方だけは、定まっていなかったのだ。
「……じゃあ、和也で!」
「えっ?!」
いきなり呼び捨てを提案され、慌てて口元を押さえる。
期待のこもった眼差しを向けられ、緊張感が増す。先日の生歌披露の比ではない。
「ーーーー和也……」
緊張気味になりながらも彼の名を呼ぶと、嬉しそうな表情を浮かべる和也がいた。その表情に、それ以上は何も言えなくなり、手を引かれたまま校内を後にした。
和也に連れられて行った先は、二人の通う帝東藝術大学音楽学部附属音楽高等学校の大学だ。附属で隣接しているとはいえ、初めて訪れたキャンパスに緊張の連続である。
「……勝手に入っていいの?」
「大丈夫、大丈夫」
制服姿の二人は注目を浴びながらも、和也の言った通り、誰に止められる事もなく、練習室に辿り着いた。
重い扉を開けると、この大学に通う圭介、そして明宏、大翔の三人が集まっていた。
「和也、奏ちゃん、いらっしゃい」
歓迎され、五人での音合わせがすぐに始まった。
心地よい音色に、奏の耳には自分の音さえも上手くなったように聴こえていた。実際に彼女の音色は、メンバーと遜色のない音だが、本人にその自覚はない。
透き通るような高音に満足気に微笑む和也と、嬉しそうに表情を緩めるメンバー。奏は背中から受ける音の波に身を任せ、自然と言葉が溢れていく。
一通り、ライブの通りに三曲弾き終えると、和也が声を上げた。
「ピアノを弾く三曲は、これでOKだな」
「一応、聴いてみるか?」
圭介が録音していたiPadを再生すると、五人の心地よいハーモニーに、奏の声が生えたメロディーが流れる。
「うわっ……」
思わず声を上げたのは奏だ。頬を染め、驚いた表情を浮かべている。自分の歌声を客観的に聴くこと自体が、初めてだったからだろう。
そんな彼女の隣にいた和也は、優しく見守っているようだった。
「…………奏の声に、ぴったりだな」
和也にメンバーが頷いて応える中、奏は夢見心地の状態で聴いていた。
うたを歌える人になれたら……と、思ったことはあるけど…………それが叶うと感じたことは、一度もない。
今、みんなと一緒に音楽を出来ること自体が、夢みたいで…………
最後の一音まで聴き終わると、いつもの調子で和也が無理な提案をした。
「残り三曲、奏は明後日までに歌詞を覚えてくること」
「うん」
和也から歌詞の入ったiPadを受け取り、素直に頷く。
「奏、拒否したっていいんだからな?」
「そうそう。和也の無理難題は、いつもの事だからな」
明宏に続いて大翔も声をかけるが、彼女はそんなメンバーに微笑む。
「ーーーーみんなが作った曲、すきだから大丈夫だよ」
その言葉に、彼らが喜んでいた事は言うまでもない。
奏はそう応えた通り、明後日にまた同じ場所で集まった際、歌詞を完璧に覚えているのだった。
渋谷にあるseasonsという小さなライブハウスは、water(s)も時折ライブをさせて貰っている場所だ。とはいえ、ここでワンマンライブを演るのは、彼らにとっても初めての経験である。
この三週間、hanaが加わってからの練習は時間の許す限り行ってきたが、練習と本番では雲泥の差がある。それは、奏の表情からも明らかだ。
ーーーー緊張感が…………初めて人前で歌った時は、完全にその場の勢いだったけど、今日は違うから…………今日は私の意思で、ここに立っているから…………
ステージ袖で、緊張した面持ちになりながら会場を眺めていた。
「hana!」
miyaに応え、バックステージに五人が揃うと円陣を組み、リーダーのkeiが声をかける。hanaにとっては初めての経験だが、彼らにとってはライブ前のルーティンのようだ。
「五人での初めてのライブ、思いっきり演ろう!」
『おーー!!』「お、おーー」
四人は気合いを入れると、ステージへ向かって歩き出す。上手く声の出せなかった背中は、miyaに優しく支えられていた。
「……一番光るスポットライト、目指して歌うぞ!」
「…………うん!」
hanaは笑顔で応え、ステージの左側に置かれたアップライトピアノの椅子に腰掛けると、keiの挨拶からライブが始まった。
「こんばんはー! water(s)です! 五人で初のワンマンライブにお越し頂き、ありがとうございます!」
ファンがいるのだろう。小さなライブハウスは、すでに満員である。
「それでは聴いて下さい……"star"」
hanaのピアノに合わせ、ギターに、ベース、ドラムと、音が重なり合う中、声を出した。
今までのライブやインターネット配信では、ボーカルはmiyaの担当だった為、響めきが起こるが、それも一瞬。彼女の声に魅了されていくかのように、手拍子をする者が一人、また一人と増えていく。
二曲、三曲と歌うに連れて、hanaの緊張感も解けていく。彼らには、それが手に取るように分かった。声が、いつも以上に出ていたからだ。
この音響の悪い環境の中、ここまで歌える人はどのくらい在るだろう。
歌手にとって大切なものをhanaはすでに持っている。
それはーーーー声に特徴があること。
彼らがそう感じるのも無理はない。
miyaが加入後、ボーカルを探していたが、一向に見つかる気配がない為、代わりに歌い始めたのが彼だったのだ。
miyaはマイクを片手に、ステージ中央で歌う姿に見惚れていた。
六曲全て歌い終わると、拍手と歓声と共にアンコールの声が鳴り響く。
ステージ袖で手が震えていたhanaは、抱きしめられていた。
「ーーーーmiya……」
頬が熱い…………一瞬で、手の震えが止まってる。
抱きしめられている事実よりも、ライブ直後の高揚感が勝っているのだろう。頬を染めながらも、miyaの腕の中から離れる素振りはない。
「…………アンコール、行けるか?」
頭上から聞こえきた声に、ようやく意識したのだろう。奏は慌てた様子で離れようとするが、彼に阻まれ二人の距離は近いままだ。
「……"春夢"は、もうhanaの曲だから」
「うん……」
離れるよりも素直に頷いていた。
六曲しか練習していなかったけど……それくらい、思い入れがあったのかもしれない。
hanaの表情は、この状況下にも関わらず何処か楽しそうだ。そして、そんな彼女の反応にmiyaの頬も緩む。
五人揃って再びステージへ上がり、最後の曲を奏でていく。
ーーーーーーーーこんな景色、はじめて…………
夢中になって歌っている事が、彼らには痛いくらいに分かっていた。初めて音合わせをした時のような感覚が、確かにあったからだ。
鳴り止まない拍手と歓声をただ眺めていた。正式にwater(s)のhanaとして、奏が認められた瞬間でもあった。
ライブ会場から観客が去ると、water(s)の貸し切り状態だ。
「春江さん、ありがとうございました!」
「久しぶりに楽しいライブだったよ。hanaちゃんは、はじめましてだね」
「はい! 春江さん、ありがとうございました!」
綺麗にお辞儀をして応える奏に、春江はレモネードを差し出した。
「これは私の奢りだからね」
「ありがとうございます!」
彼女の作ったオリジナルのレモネードは、蜂蜜が入っていて喉にも優しい為、ライブハウス参戦者にも人気のドリンクの一つだ。
奏が嬉しそうに飲んでいると、和也がiPadで今日のライブ映像を編集し始めた。
「……これ、どうするの?」
彼女の疑問に応えたのは、和也ではなく圭介だ。
「和也は集中すると周りの声、聞こえてないからな。これは顔だけ映らないように加工して、インターネットで配信するんだよ」
「えっ? ユーチューバーみたいな?」
「まぁ、そうだな」
「一応専用のアカウント持ってて、そこからリンクした人だけ見れるようにしてるんだよ」
圭介に続いて明宏が応えると、和也の作業が終わったらしく、話に入ってきた。
「一回、見てみるか? 結構雑音ありだけど、調整はそんなしてない」
「いいんじゃないか? ライブ感、重視って事で」
奏は四人の話を聞きながら、小さな画面に映る先程までのライブ映像を見つめた。
そんなwater(s)の様子に、春江はやっとボーカルが見つかって良かった……と、心の底から思っていた。seasonsのオーナーでもある彼女もまた、water(s)のファンの一人でもあったのだ。
周囲がライブ直後の高揚感で滲んでいる中、奏を初めての感覚が包んでいた。
ーーーーーーーー"春夢"みたい…………本当に……まだ、夢の中にいるみたい。
その日、water(s)が配信したライブ映像は顔出しをしていないのにも関わらず、一日で百万回再生を超える事となった。