第19話 シークレットライブ
ーーーーーーーーすでに……鳴ってるのが分かる。
痛いくらいに、強い理由も分かってる…………
文化祭でのライブを目前に控え、心音が速まる。奏は気持ちを落ち着かせるように、胸元に手を寄せたまま深呼吸を繰り返していた。
文化祭と言っても、奏たちの通う高校は一般公開されていない上に、学祭でよく目にするような飲食系の模擬店やゲーム等の類は一切ない。
大学の講堂を利用して、部活やアンサンブルの発表する場と毎年なっていた。
生徒に配られた冊子には、最終演目に「スペシャルゲスト」としか書かれていなかったが、教師陣で組んだジャズバンドが鉄板の為、在校生は少しも気に止めていなかった。
舞台に用意された楽器の前に、衣装を身にまとったwater(s)が現れても、顔出しを一切していない事もあり、同級生は和也や奏がいるとしか思っていなかった筈だ。
「ーーーー行くぞ!」
『おーー!!』
重ねた手を掲げ、ステージへ飛び出した。
「本日は、最後に僕らの音楽を聴いて下さい!」
和也の声を合図に曲が流れ、客席が騒然となる。誰もが一度は耳にした事のある曲が、目の前にいる五人から放たれたからだ。
「えっ?!」 「嘘…………本物?」
「すご…………」 「マジで?!」
「やば……」
イントロの騒然も、歌声によって一瞬で消え去っていった。コピーバンドではなく、本物だという事が分かったからだ。
彼女の声に、その音色に、魅せられていく。
客席にいる綾子は、ステージ中央で歌う奏の姿に驚きはしたが、ある意味では納得もしていた。
water(s)の話題になると、少し戸惑った表情をする時があった事。
彼氏としてだけでなく、和也と一緒にいる時間が増えた事。
その全てが一つに繋がった瞬間だった。
「ーーーー奏が、hanaかぁー…………本当、いい音……」
「うん……」 「……上手い」
「……生で聴けるなんて……」
思わず溢した綾子に、隣にいた佐藤も真紀も頷く。
二人だけでなく会場にいる全ての生徒が、彼らの音楽の世界に引き込まれていた。
羨望の眼差しを向けていると、言っても過言ではないだろう。客席には音楽高等学校に通う学生しかいないのだから。
「ーーーーーーーープロか……」
「凄いですね」
「ええー……」
扉の前で聴いていた教師達にとって、かなりの確率でプロになる者はいる為、それ自体は珍しい事ではない。ただ、大学を出てからプロになる者がほとんどだ。中には在学中にメジャーデビューを果たして中退する者もいるが、それはあくまでも大学に進学した後の話である。
音楽高等学校在学中ではなく、少なくとも今の教師陣にとっては初めての出来事であった。
「…………成績……優秀者、揃いですね」
「はい」
昨年までkeiの担任をしていた教師が思わず呟く。大学から進学した二人については知らないものの、他とは違う音色だと、はっきりと言えるからだろう。
そして、在学中のmiyaとhanaについては言わずもがなだ。学年トップの成績だけでなく、ピアノの実力も間違いなくトップクラスである。その上で、あの歌声とギターの音色だ。
事前にwater(s)だと知らされても、驚愕の現実であった。
オファーを受けた時、教師陣が戸惑ったくらいだ。あれだけ世間を騒がせているバンドが、身近にいるとは誰も思っていなかったからだろう。
それに加えてhanaは、歌を披露する機会でもある合唱発表会で伴奏者として参加していた。誰もが一流のピアニストになると感じる程の腕前であり、その受賞歴からも頷ける完璧な演奏であった。近い将来、世界で活躍する教え子を夢見た教師もいたはずだ。
リハーサルを見学した教師もいたが、言葉にならなかった。圧倒的なまでの演奏技術に感嘆するばかりでなく、何処か懐かしくも新しい音色に心が揺れ、ファンの心理を味わった気分であった。
今も、惜しみない拍手が鳴り止む気配はない。生徒に釣られ、無意識に賛辞を送っていた。
「ーーーー本日は、ありがとうございました!!」
hanaの声を合図に、ステージ手前に並んで手を繋ぎ、揃って一礼すれば、また歓声が上がる。
water(s)の虜になっていたのは、生徒に限った事ではない。歓声と同時に、大きな拍手を送る教師陣の姿もあった。送らずにはいられない演奏だったのだ。
舞台袖からも聞こえるアンコールの声と拍手は、まだ学生でありながらもプロの証だ。
ーーーーーーーーwater(s)が世に出て……人の耳に触れた中での、初めてのライブ。
クラスメイトが大多数だけど、それでも…………こんなに響いてくる……
hanaは緊張感から解放され、その場にしゃがみ込んだ。最後の挨拶だけでなく、友人が聴いていた事も、いつも以上に緊張していた要因の一つだったのだろう。
「hana……」
「ーーーーmiya……」
差し伸べられた手を握ると、引き寄せられるように立ち上がる。耳元に唇が触れそうな距離に、また心音が加速する。
「皆、お疲れさま」
タイミングよく杉本が、飲み物とタオルを五人に配ると、彼だけでなく支えてくれたスタッフに向けて一礼を返す。この日を迎えられた事に、心から感謝していたのだ。
「ありがとうございました! おかげで無事に終わりました!」
『ありがとうございました!!』
音楽性だけでなく、その人間性からも好かれる面が多々あった。
彼らを見守りながら、ずっとwater(s)の音楽を聴いていたいと思う杉本がいる中、教師の一人が声をかけた。
「ーーーー反響が凄いな……もう一曲、演ってくれるか?」
アンコールの声が講堂に鳴り響く中、揃って勢いよく応える。
『はい!!』
「やったな! 何の曲にするか?」
「うーーん、どうするかなー……」
ライブ会場さながらの熱を帯びた会場を、クールダウンさせるような曲の選択だ。新曲発表の許可は下りていない中、keiが咄嗟に判断した。
「…………miyaとhanaで演るか?」
「演る!」「えっ?!」
正反対の反応を示す二人に、笑みが溢れる。
「いいじゃん!」
「あぁー、面白そうだしな!」
ーーーー面白そうって…………確かに……楽しそうだとは、思うけど……
「行くぞ!」
「ちょっ、miya?!」
手を握られ、頷く間もないままステージに戻る。
一際大きな歓声に呑み込まれそうになりながらも、熱を帯びた手が現実だと告げているようだ。
「えーー、アンコールの声、ありがとうございます! 本来なら先程の演奏で終わりなんですが、特別に先生から許可を頂いたので、最後は在校生の二人で演奏させて頂きます」
三人が舞台袖から見守る中、椅子に座るように促され、彼の隣に腰掛けた。
アンダンテなテンポのギターに乗せて声を出せば、二人の息の合ったハーモニーが会場を包んでいく。
弦の音に歌声と、シンプルな音源の中に人の声が一番の楽器だと思わせるような音色が広がっていく。
…………和也の、優しいギターの音色。
私……この人がすき…………water(s)になれてよかった……
みんなと出逢えてなかったら、ここにはいない。
ずっと鳴ってるような……こんな気持ちも、知らなかった。
観客が聴いてくれてるのが、私にも分かって……
アカペラを外す事なく歌いきる姿に高鳴る。隣にいるmiyaだけでなく、舞台袖で見守るメンバーもだ。
奏者として一人でも十分にやっていけるhanaが、加入してくれた幸運を噛み締めていた。
当たり前のように音に触れる彼女は気づいていない。それが、どれほど特別な事であるかを。
ーーーーーーーーすでに……曲が鳴ってる……
再び五人揃って一礼すると、大勢の拍手と大歓声に包まれていた。また届けたいと新たな気持ちを胸に秘める中、初めて知る感情が駆け巡る。
……また…………新しい音が浮かんでくる。
届けたい想いが強くなる度、実感するの。
私…………hanaに、なったんだって……
「hana! よかったぞ!!」
「うん、hiro! ありがとう!」
「頑張ったな!」
「あぁー、よく最後まで声が出てたな!」
「ありがとう……kei、aki」
次々と告げられる言葉は、どれも優しいものばかりだ。
泣きそうになっていると、不意に抱きしめられる。
「ーーーーっ、み、miya?!」
「ーーーーーーーーやったな……」
「…………うん……」
緊張感から解放され、笑い合う姿が滲んでいく。
ーーーーーーーー今も鳴ってる……痛いくらいに強い理由も、分かってる…………
目の前で微笑む彼らと、喜びを分かち合う。
……鳴り止まない歓声が、響く場所まで…………辿り着いていたからなんだ。