第16話 夢にまで見た瞬間
「奏ーー!」
「綾ちゃん、久しぶりー」
一学年一クラスしかない為、進級してもクラスメイトが変わる事はない。
教室で久しぶりに会う親友と話していると、音楽の話題になる。毎日のように話題になるのは、音楽高等学校ならではの光景だが、今はそれだけが理由ではない。
「奏って、配信サイトとか見たりする?」
「あんまり見ないかなー……弟はよく見てるけど」
「そっかぁー。最近、めっちゃ歌の上手い人がデビューしててー」
「water(s)でしょ!」
二人の会話に入ってきたクラスメイトに、綾子が頷く。
「そうそう! 顔出ししてないのが残念なんだけどね」
「ねぇー、でもボーカルの声すきー!」
「私も! 早く次のCD出ないかなぁーー」
「待ち遠しいよねー」
「ーーーーそう……なんだ……」
奏は嬉しくて顔が綻んでしまいそうになるのを抑え、平然を装った。
綾子が動画を再生しようとしたがチャイムが鳴った為、この話題は昼休みに持ち越しとなった。
ーーーーーーーー予想以上の反応……というか、こんな身近に知ってる人がいるなんて思わなかった。
water(s)のデビュー曲は、オリコンチャートやiTunes等様々なチャートでトップ入りを果たしていたみたいだけど、私自身は何も変わらないから実感がない。
でも……今みたいに聴いてくれてる人がいるって思うと、それだけで…………
顔出しをしていない事も話題になっていたが、water(s)に限った事ではない為、聴衆には関係ないのだろう。彼らはその音楽性だけで、CDの売れない時代にCD売り上げが一位となっていたのだ。
鮮烈なデビューから三ヶ月連続リリースも、話題性に一役買っており、セカンドシングルへの期待が高まっている現状である。
教卓では古典の授業が行われていた。音楽高等学校とはいえ、専門分野以外の教科も習うのだ。
奏は気持ちを切り替えるように窓から空を見上げると、苦手な教科をノートに書き写していく。
まだ、夢みたいで…………
意識が音楽に向きそうになるのを堪え、授業に取り組む姿は奏だけではなかった事だろう。彼らにとっても初めての経験であった。
昼休みになると、近くに座る者同士や仲の良いグループで机を並べ、お弁当を食べている。
奏も特に仲のいい綾子と真紀と、机をくっつけてお弁当を広げていた。
「実力試験もあるのに、来月は前期の学科試験かぁーー」
「実力試験は対面式だから緊張するよね」
「そうそう、あれには慣れないよー」
「そうだ! 朝、言ってた動画、これだよーー」
綾子の携帯電話の画面には、water(s)がデビュー時のライブ映像が流れている。
「やっぱり、かっこいいねー」
「ねーっ、真紀もそう思うでしょ? 奏はどう?」
「うん……音楽性はすきかな……」
ーーーーーーーー嘘は言ってない。
water(s)の音がすきなのは、本当のことだもん。
でも、これ以上は…………まだ言えない……
「そういえば、酒井がライブ見に行ったって言ってたよね?」
「そうなんだ……」
ライブはクラブのように、演奏者にライトを当てるような演出にはしていなかった。
光りと音を楽しんで貰えるようなステージにしていたけど、酒井が見に来てくれていたなんて…………すごく嬉しいけど、同時に緊張が走る。
CDと遜色のない歌声だったかな?
少しは……楽しんで貰えたのかな?
聞けない奏の代わりに、綾子が尋ねていた。彼女自身がライブを見に行きたかった為、興味津々な様子だ。
「酒井、water(s)のライブどうだった?」
「ん? それはめっちゃ良かったよ。音響が微妙な会場だとは思えなかったなー」
「いいなぁーー、私も今度見たい!」
「私もー! ファンクラブ入らないとかな?」
「かもな。チケット入手、難しくなりそうだしなー」
「だよねー」
奏は内心、気がきでない。ライブに来ていたという酒井まで、話に加わってきたからだ。
周囲に合わせ話を聞いていると、昼休み終了まで十分程の所で声をかけられた。
「奏」
席を立ち、扉付近で手招きする彼の元へ行くと、iPadが手渡される。
「和也、遅れるの?」
「うん。今日は委員会で遅れそうだから、圭介達に渡しといて? スギさんには連絡してあるから」
「うん、分かった……」
二人の距離は近いと言えるだろう。和也は周囲に聞かれないように、耳元で囁くように伝えると、手を振って自分のクラスに戻っていった。
最後に告げられた言葉に、思わず自分の耳に触れる。
「……奏、大丈夫だよ」
人によっては疑問に思う場面だろう。ただ奏には、それだけで十分だった。
セカンドシングルである"夢見草"は、デビューシングルよりも更に売り上げ枚数を伸ばす事となった。季節感を考慮し、桜の散り際にリリースした事も勝因の一つといえるだろう。
今まで数々のアーティストを手掛けてきただけあって、プロデューサーである佐々木の見極める嗅覚は鋭い。
「スギー、あの子達の出来は想像以上だな……」
「はい、そうですね……とはいえ、まだ学生なので来月リリースの後は、八月、九月辺りでしか主立った活動は出来ませんが……」
「学生なら、学祭でライブは?」
「miya達の通う高校は一般公開していないので、シークレットライブ的にはいいかもしれませんが身バレしますよ?」
「そこは、彼ら次第って所だな」
「…………分かりました。では、講堂の許可や日程等、大学も含め検討しておきますね」
対応の早い杉本に、笑みを浮かべる佐々木。彼らはプロデューサーとマネージャーという関係以上に、気の合う飲み仲間でもある。
「今日は、ここのスタジオに五人、集まるんだろ?」
「そうですよ。顔出しするなら、七時前にお願いしますね」
そう言って杉本が会議室を出て行くと、一人きりになった佐々木は思考を巡らせる。
water(s)とは音楽プロデューサーとして、挨拶したが実質的なプロデュースはしていない。クレジットも載っていない為、アドバイザーといった方が正しいだろう。
彼らは基本的に、アレンジから音の抽出まで自分たちで行える事もあり、最初はレコーディングの度に立ち合っていたが、曲の創作についてはノータッチだ。
「ーーーー予想以上の反応だな……」
このCDの売れない時代に、増版がかかる事は滅多にないと痛感していたが、彼らはそれを軽々と超えていった。
佐々木は数々のアーティストや映画音楽まで手掛けている為、多忙な日々を送っていたが、water(s)の音楽は刺激になっていたのだろう。彼らの音を聴く度、自身の創作意欲を掻き立てられる気がしていた。その為、彼らが会社のレコーディングスタジオを使う際は、必ずと言っていいほど顔を出すようにしていたのだ。
CDの販促にあたっては、「音楽プロデューサー佐々木昇も絶賛!」と、銘打っていたが大袈裟ではなく事実であった。
「…………確かに絶賛だな」
手元にあるwater(s)のCDジャケットを見つめながら、曲を聴く。耳に残るキャッチーな音色から離れられない一人になっていたのだ。
「うーーん、ここは?」
「ちょっと、テンポ変えてみるか?」
「hana、出だしアカペラで演ってみて?」
「うん」
佐々木が静かにスタジオへ入ると、彼らは意見交換の真っ只中だ。誰も佐々木が入って来た事に気づく気配はない。
アカペラで歌い出した瞬間、彼は鳥肌が立っていた。澄んだ歌声に、心を掴まれたのだ。
それは佐々木に限った事ではなく、その場にいた誰もがそう感じるような、空気が震えるような声色だった。
「ーーーーhana……上手くなったな……」
「本当?!」
嬉しそうに無邪気な笑顔を見せる彼女は、先程までとは違ういつもの奏に戻っていた。
「あっ、佐々木さん! おはようございます」
「おはようございます。すみません、気づきませんでした」
「いや、おはよう。いいもの見せて貰ったな」
「……ありがとうございます」
代表して応えた圭介に、佐々木も微笑む。その視線は彼女へ向けられていた。
化けると思っていた彼も、ここまですぐに変貌するとは思っていなかったのだろう。water(s)に新たな可能性を感じていたが、それは佐々木に限った事ではない。メンバーに限っては最初から確信していたと言える。五人の音色が何処にいても聴ける日が必ず来ると。
サードシングルが発売された六月、奏は前期専攻実技試験に挑んでいた。
彼女のピアノの音色を講師は絶賛していた。これは、彼女が毎日のように触れていたからこそ成せる技だろう。
高い評価を受けた彼女は順当に試験を終え、来月に控える前期学科期末試験に備えていた。
バンドの練習がある為、日々の授業は真剣に聞いている。今も黒板の文字を丁寧にノートに書き写している中、歌詞のフレーズが思いついたのだろう。メモ用のノートに言葉を綴っていく。学校の勉強とバンド活動を正に両立していたのだ。
「綾ちゃん、ちょっと三年の教室に行ってくるね」
「うん、先にご飯食べてるよーー」
「うん!」
先日借りたCDを持って、三年生の教室に来ていた。今日は別々にレッスンがある為、放課後は一緒に行動できないからだ。
普段は上級生の教室に行かない奏は、緊張しながらも顔を出すと、声をかけられた。
「奏ちゃんじゃん! 和也ーー!」
「あ、ありがとうございます」
「いいえー」
クラスメイトに呼ばれた和也は、食べかけのお弁当を残して席を立った。
「奏、どうした?」
「うん……これ、CDありがとう」
「今日、別だから来てくれたのか……ありがとう」
「ううん、また明日ね」
「うん、また連絡するな」
二人は軽く手を触れ合わせ、そのまま自分のクラスへ戻っていった。
「三井、ありがとう」
「いや、今のが和也の彼女でしょ? 初めて近くで見たけど、綺麗な子だなー」
「うん」
一つも顔色を変えず告げる和也に、三井は笑みを浮かべると彼の隣の席に腰掛け、買ってきたパンを食べ始めた。
「今のがミヤの彼女かーー、CDって何貸してたんだ?」
「ん? 洋楽だけど、聴く?」
和也の周りには数名の男子が集まり、昼食をとっていた。
「あっ、俺も聞きたい!」
「宮前、私も借りたい」
「うん。じゃあ三井、次に貸したげて」
「はいよー」
三年間クラス替えのない事もあり、CDの貸し借りは日常茶飯事だ。
「三井。これ借りてたやつ、ありがとう」
「あーー、木下に貸してたっけ?」
「もう適当だなぁー。でも、めっちゃ良かったー! ありがとう」
「三井は、何のCD貸してたんだ?」
「water(s)のセカンドシングル!」
「あぁー、"夢見草"だっけ? いい曲だよなー」
「私もダウンロードしたよーー」
「俺も。サブスクで聴いてるけど、CDも買おうか検討中」
「ーーーーそうなんだ……」
water(s)の話題になると、和也は頬が緩みそうになるのを抑え、平静を装った。CDの売れない時代に、購入者が身近にいる事が単純に嬉しかったのだ。
バンドのグループラインにメッセージを送れば、他のメンバーも同じような反応を得ていた。
オリコンチャートトップを独占する結果は快挙といえる。数々の記録を作り出していった。
デビューした事も夢見心地だったがCDになり、ラジオやCMから流れる自分たちの曲に、夢にまで見た瞬間が訪れたと感じる五人がいた。