第107話 リミット
彼らはこの三日間充実した日々を過ごしていた。
一日目は、Jamesやイギリスで会ったスタッフと共に食事をし、音楽の話に花を咲かせた。
二日目は、彼のよく使う広いレコーディングスタジオでの録音。
三日目には、彼の友人であるトロンボーン奏者のMichaelとトランペット奏者のNolanとのJames宅でのセッション。
年齢や国籍は音楽に関係ないと改めて認識した。
そして、今日はJamesの書き下ろした曲を演奏出来る事になっている。
『インストを君達に披露して貰いたい』
一昨日、そう言われた時は……かなり驚いた。
電話の感じだと……『今度、私が担当する映画音楽の世界を君達…water(s)も見てみないか?』だったから…………
ーーーー答えは決まってたけど…………梨音と怜音の事を考えると……日本に残るべきだったかも……って、思ったりもした。
だけど、奏が背中を押してくれたから……
『チャンスは巡って来た時に掴むものでしょ?』
あれは、Jamesの言葉だった。
俺が……彼の事を奏に話した時、彼女はJamesの存在を詳しくは知らなかった。
付き合って……俺の話を聞いて、会ってみたいと思うようになったって言ってたっけ……
ーーーー奏……いよいよ…………彼の作った曲を弾けるところまで来た。
俺の目の前には、Jamesだけじゃない……Jamesのアシスタントをかつて務め、彼自身も映画音楽の監督であり、作曲家……Mark Kellyがいる。
Jamesは彼らに惹かれ、いつものスタッフだけでなく、音楽家の友人にも引き合わせていた。そして今日は、自分の作った曲を演奏する彼らを同じ立場の人から見て貰う事にしていた。四人には分かっていたのだ。試されている事が。
先程手渡された楽譜に目を通す。今日は先日とは違い、オーケストラが使うような広いスタジオを訪れていた。楽器は既にスタッフにより配置済みだ。彼らのライブのように円を作る形で、楽器が置かれている。
「……It's almost time」
「Yes」
ーーーー始まるな…………初見の腕前を見せろって、事なんだろうな……
曲は十分程度。
和也が周囲を見渡すと、三人とも同じような笑みを浮かべていた。緊張感はあるが不安感はない。高揚感が勝っているからだ。
「Any time is ok」
Jamesの声かけに、四人は気合を入れるべく中央で手を重ね、いつものように掲げるとハイタッチを交わした。
「行くぞ!」
『おーー!』
いつものライブ前の光景がそこにはあった。
明宏の刻むリズムに合わせ、ベースとギターの音が混り合う。彼らの弾いている曲は、メインテーマではないのだろうが、それでも構わなかったのだ。ただ、この場で披露できる機会に、またアメリカに来られた事に、感謝していた。water(s)が続けていられる事に。
「That's too much!」
「Yeah! It's wonderful than expected!」
Markの言葉に、Jamesは喜んでいた。彼らは、まだ曲の途中だ。すべて聴くまでもなく、彼らの音楽が素晴らしい事が証明されたからだ。
音色が止むと、拍手と歓声が響いていた。その場にいた彼らを、日本人のアーティストとしか知らなかった人も、water(s)を覚えていく。
ーーーー気持ちよかった……難解なコードもあったけど、楽しかった。
もっと、いろんな曲を弾いてみたい……
和也だけでなく、皆同じ気持ちだったのだろう。思わず本音が漏れる。
「楽しかったな!」
「あぁー!」
「他にも弾かせて貰えるのかな?!」
圭介達と肩を寄せ合いながら喜ぶ和也は、先程から視線がピアノに移っていた。
「ーーーーhanaが参加してたら、よかったのにな」
圭介が彼の本音を言い当てていたが、それは彼らの本音でもあった。今のインストにも彼女のキーボードがあれば、音の幅がもっと広がった筈だと。そう感じていたからだ。
彼らはその後も、Jamesより渡された楽譜を初見で弾いては、彼の指示による微調整を繰り返していた。
「素晴らしかったよ!」
「James……ありがとうございます」
「では君達には、今日も含めて三日間でこの曲をマスターして貰いたい」
圭介達が手渡された楽譜は二曲分だが、和也の手元には三曲分の楽譜がある。和也が戸惑っていると、続けて告げた。
「miyaには、その曲に合う作詞をお願いしたい。できるか? 期限は……そうだな。日本のライブの後に、またここに来た時で構わない」
「は、はい!」
彼にしては珍しく、声が震えていた。彼らが和也に目を向けると、それが不安感ではなく、武者震いなのだと悟る。その瞳は、強い光を宿していた。
その夜、奏にも二曲分の楽譜がパソコンから送られ、彼女も目を通す事になった。Jamesはwater(s)にインストゥルメンタルバンドとして依頼していたのだ。
「でも、悔しいな……」
「miyaの気持ちは分かる」
「hanaは……どう思ったのかな?」
「あぁー……インストが、世界に通用するのは分かってたけどな」
「奏は……さっき電話したら、笑って喜んでた。テレビ電話で話したから、本心だったと思うけど……俺は、奏のうたが聴きたい……」
和也はそう溢すと、机に頭を乗せていた。ホテルの大翔の部屋で集まっている為、周囲を気にする必要はない。
「でも……miyaに歌詞を依頼してきたって事は、チャンスじゃないか?」
「そうだけど……その曲がさーー」
「……よすぎって事か?」
「そうなんだよ! この楽譜と、音源聴いてみて?」
iPadから流れるオーケストラの壮大な音色に、言葉が出ない。
「ーーーーJamesがmiya並に無茶ぶりの達人って事は、この四日間でよく分かったよ……」
「keiの言う通りだな。あの後もサクソフォン弾かされるとは思わなかったし」
「あぁー、いくらCDが全米一位になっても、国外じゃまだまだ無名って事だなー……俺達の採用試験的な意味合いも含まれていたんだろ?」
「そうだよな……」
「んで? どうするんだ?」
「hiro、それは聞かなくても決まってるだろ?」
明宏の言葉に、大翔が和也に視線を向けると、彼は笑みを浮かべた。
「ーーーーやっぱりそうか……無理はするなよ」
「ありがとう、hiro」
和也は歌わせて貰えないのなら、water(s)にしか出来ない曲、彼女しか歌えないモノを作ると決心していた。
ラウンジで朝食を済ませていると、圭介の携帯電話が鳴った。
「Hello……Yes…」
圭介はコーヒーの入った紙カップを持って、先に行くとジェスチャーをした。
「誰からかな?」
「Jamesだったりしてー……」
「今日は午後からオケのリハを見学させて貰う予定だろ?」
「そうだけど、miyaみたいな無茶振りな人だからなー」
「hiroもakiも酷くない?」
「酷くはないだろ?」
「あぁー、いつも酷い目に合ってるのは、俺らだからな」
イタズラっ子のような笑みを浮かべていると、圭介が電話を終えて戻って来た。
「おっ、kei! どうだった?」
「うん、部屋で話す。みんな、食べ終わったか?」
「あぁー」
彼らはコーヒーを片手に、珍しく圭介の部屋に集まっていた。
「……Jamesからで、楽器を持って参加してくれって言ってた」
「それって!」
「うん……オケのリハで時間あればコラボ的な感じになるかなって、笑って言ってた」
「さすがレジェンド……」
「それで楽器って言うのが、miyaはアコギなんだけど、他はakiがチェロで、hiroがサクソフォンだってさ」
「keiは?」
「僕はヴァイオリンだったな……何か意図があるんだろうけど、考えても仕方ないな」
「あぁー」
「そうだな……miyaどうかしたのか?」
「いや……hiroは、ベースも持って行った方がいいかもなって……」
「ーーーーまた無茶振りって事か……」
「akiはドラムスティック、いつも持ち歩いてるからいいとして……keiは、どうする?」
「僕? 僕はー……アコギも持っていくよ」
「そしたら、帰りにどこかで弾いて帰るか? またバスキングしたいし」
「いいじゃん! そんだけ楽器持ってくなら、色々出来そうだし」
「だなー!」 「あぁー」
こうして彼らの予定が決まると、和也は彼女に電話をかけていた。日本は夜の九時頃だ。テレビ電話に出た奏は、ショートパンツにキャミソールと薄着をしていた。
『みんな、おはようー』
「おはよう。そっちは夜か?」
『うん。梨音達が寝た所だよー』
「hanaの曲、アレンジするの楽しみにしてるな」
『kei、ありがとう。今日はオケのリハ見学だっけ?』
「あぁー、無茶振りされないように頑張るよ」
『うん。みんな、頑張ってねー』
大翔、圭介、明宏と、和也の横に並びながら、話している。メンバー仲は良いが、彼が口を挟んだ。
「ーーーー奏……頼むから、次からは何か羽織って?」
『へっ? ライブの時とあんまり変わらなくない?』
「miyaはむっつりだからなー」
「違うって! kei達ならいいけど、他の人達には見せたくないだろ?」
「……はい、ごちそうさま。」
「あぁー、そんなに心配なら音声だけにすればいいじゃん」
「そうしようとしたら、aki達がテレビ電話に切り替えたんだろ?!」
液晶越しの変わらない様子に、彼女の笑い声が聞こえてきた。
「じゃあ、奏……ゆっくり休んでな」
『うん、ありがとう』
和也が電話を切ると、からかわれたのは言うまでもない。ひとしきり笑った後に表情を引き締め、午後からの表向きの見学に備えていった。
 
Jamesと共に彼らが訪れていたのは、MichaelとNolanの所属するオーケストラだ。彼らは四十代後半の為、water(s)とは一回り以上歳が離れているが、先日会った時と変わらずに気さくに手を振っている。
「MichaelもNolanも……君達と会えて良かったと、言っていたよ」
「James……それはこちらの台詞ですよ。色んな方に引き合わせて頂いてありがとうございます」
「ーー……音に触れる事で、学ぶことは山程あるからな……」
「はい……」
圭介とJamesの会話に、彼が無茶振りをするのは自分達の為だったのだと、確信した。
ーーーーいくらレジェンドと呼ばれる音楽監督が、俺達のような……ある意味新人を連れていった所で、周囲のスタッフが納得する筈はない。
Jamesはレジェンドと呼ばれるだけあって、周りにいるスタッフも超一流だ。
表面上は彼の指示に従っていたとしても、その歪みは音になって必ず返ってくる。
音が崩壊するのは明らかだ…………だから……Jamesは俺達の実力を認めさせる為に、わざと初見で弾かせたり、楽器を持って来いって言ったりしたのか……
Jamesにとっては、和也達がこちらの意図に気づこうが、気づきまいが関係ないのだろう。彼らが結果を出せれば、それで良いのだ。
壇上では、指揮者がタクトを正確に振りながら音色を響かせている。それは和也が依頼された曲だった。
ーーーー生の音は、やっぱり違うな……
和也は目の前で繰り広げられる壮大な音色に、歌詞が頭に浮かんできたようだ。
「Thanks James……」
彼の口にした言葉に、Jamesは笑みを浮かべた。実に楽しそうな彼の姿に、周囲からは感嘆の声が上がっていた。
彼が今回監修する映画音楽を弾き終わると、メンバー紹介を簡単に済ませれば、訝しげにする指揮者に、コンマスがいた。
water(s)を……俺達を知らない人からすれば、東洋人の出る幕じゃない……と、言いたい所か……
彼らもそれを理解している為、気づかないふりをして舞台に立っていた。
ーーーーそれにしても……イヤな空気だな……
まぁー……俺がオケのメンバーでも、そう思うだろうけどな……
メインを俺達に弾かせるって事は、オケはその為の引き立て役になるから……仕方ないか……仕方ないけど……大人気ないな……
和也がそう思うのも無理はない。彼らより一回り以上歳の離れた大人が、あからさまに嫌な顔をしているからだ。
「I will hear any complaints」
さすがのJamesも滞りなく進むよう口を挟むと、表面上は弾く事を了承したようだ。
指揮者から近い位置にドラムやギター等が用意され、オーケストラの編成が変わった所で、和也達が昨日渡された楽譜の演奏が始まった。
彼らはいつものように明宏のテンポに合わせていく。ドラムのリズムは指揮者の指示通りに刻んでいたが、一瞬で崩壊した。指揮者がタクトを振らなかったからだ。
「……Oops! …s…sorry」
ーーーー……驚いたのか……?
和也だけでなく、オーケストラの奏者も指揮者の初めて見る姿に驚いたようだ。
「I'm sorry……I ask from the beginning」
「Yes」
彼らに気にする様子はなく、いつものように圭介が応えると曲が始まった。二度目は崩壊する事なく、音が会場に響いていた。
「James is also bad people……」
「Hi,Mark……Did you see it?」
「Yes」
Markが彼の隣に腰を下ろすと、壇上に立つ彼らに視線を移した。
「 I'm looking forward to it……」
彼の言葉に、Jamesは穏やかに微笑んでいる。Markも和也達の音色を認めた一人になっていたからだ。
予定通り二曲弾き終わると、彼らは指揮者と握手を交わしていた。
和也達の手元には譜面台は用意されておらず、彼らは短時間で二曲をマスターしていたのだ。そんな四人の姿に認めざるを得ないだろう。
「……三日間は、必要なかったな」
「James……譜面台も用意されていないのに、よく言いますね」
和也の反論は最もであるが、彼は声を出して笑った。珍しいJamesの様子が周囲の視線を集めている。
「Long time no see…いや、miya……君達の楽器のソロで頼む。曲は最初ので、夜に追加で渡した楽譜だ」
彼らはJamesの無茶振りを甘くみていたようだ。
「……miya並って、言ってたけど……」
「あぁー」 「miya以上だな……」
ーーーーみんな、言いたい放題だな……
否定はしないけど……追加で、しかもkeiはヴァイオリン、akiはチェロ、hiroはサクソフォンの楽譜を彼が持ってきた時点で、決まっていたんだろうな。
ある意味、彼の実験に付き合ってるって事か……
オーケストラの編成が元に戻り、指揮者の傍に圭介がヴァイオリンを持って立つと、タクトが振り下ろされ、曲が始まった。
「ーーーーかっこいいな……」
「あぁー、さすがkeiだよな」 「そうだな……」
調和のとれた音色、弦の心地よいメロディーが流れていく。
こうして彼らは、圭介の後に続き、明宏、大翔が順に、オーケストラとのコラボレーションを実現させる事となった。
「Jamesは、どう想ってるんですか?」
「……君達の音の事か?」
「はい……少しは……信頼を得られるに足りそうですか?」
和也は彼の懸念材料を言い当てていた。
「ーーーーmiya……オケの反応で分かるだろ?」
舞台に視線を移すと、大翔のサクソフォンの艶のある音色が響いている。その心地よいハーモニーにJamesは瞼を閉じていた。
ーーーーようやく……少しは認められたって事か……
それに……ここまでやらないと、俺達は信用されない程度の知名度って事か…………
首位を取る度に実感する。
たとえ取れても、継続されなきゃ意味がない。
持続されなければ、使い捨てされる消耗品と変わらないんだ。
和也の表情は陰っていたが、そのおかげで歌詞がまた浮かんでいた。
俺があの壮大な曲につけるなら……
考え始めた彼は一人の世界で、周囲の音は聞こえていない。今日の役目を果たした為、残りのリハーサルを見学しているが、和也だけは歌詞の事で頭がいっぱいになっていた。
「ーーーーできた……」
ホテルの部屋で小さな声がした。まだ空は薄暗い夜明け前だ。
ーーーーこれなら壮大な曲にも、Jamesのイメージしてる映画にも合う!
……歌うのは奏だ。
奏以外は、考えられない。
和也は確信していた。彼女以上の歌い手はいないと。
「今日は俺達だけで録るのかー」
「そうだなー」
「あぁー、あと二日で帰国か……早かったな」
「……miya?」
「あぁー、悪い。実は歌詞が出来たから、Jamesに見てもらおうと思っててさ……」
「緊張してるのか?」
「みたいだな……やっぱ、俺が書いてよかったのかな…とかさ……」
「miyaらしいけど、ボツになる事は考えてないんだろ?」
「あっ……」
圭介の言葉で気づいたようだ。
ーーーーそうだよな。
必ずしも採用される訳じゃない。
でもーー……
「……でも、miyaの歌詞が採用されない理由があったら、教えてほしいくらいだけどな」
圭介がそう付け加えるて微笑む。信頼関係のある彼らだからこその言葉だろう。
「そうだな……miyaの歌詞がボツになるのは、想像つかないな」
「あぁー、英詞で仕上げたんだろ?」
「今回はな……あの壮大な曲で日本語もありと思ったけど、ハリウッド映画だからな……」
「仮歌録ってきたのか?」
「iPadで一応な」
準備の良さに感心していると、スタジオに着いた。四人は右手を重ね、いつものように掲げるとレコーディングに挑んでいった。
「……They are good at playing」
「Of course」
Jamesが当然だと思うのは、当たり前の事だ。ここまでwater(s)は、彼の課題をすべてクリアしてきた。残すは和也の作詞だけだが、それもクリアすると確信していたのだから。
四人は別々のブースに入り、ガラス越しにアイコンタクトをとる。彼らのリズムが狂う事はない。それほど彼らの結束は強く、確かなものであった。
録音を終え、スタッフから『素晴らしかった』と、声をかけて貰う中、和也はJamesに話しかけた。その瞳に迷いの色はない。彼は信念を貫いていた。
waterは無色透明変幻自在、生きるのに必要なもの。
そして、(s)はメンバー全員で……という想いを込めてバンド名をつけた。
メンバーは俺達だけじゃなくて……スギさんに、佐々木さん、ハセさんと……活動を続けていく中で、欠かせない人は増えていったけど…………根本的な所は変わらない。
hanaの……奏の歌があってこその……water(s)だ。
JamesにiPadに書いた歌詞を見せながら、仮歌を流す。彼は和也の歌声を気に入ったようだが、本人は納得していないようだ。
オケの壮大な音色に……俺の声だと、合わないんだよな……
歌詞は、納得したものに仕上がったんだけどな。
「ーーーーOK……歌詞はmiyaのが採用だ」
和也の頭を撫でたり、肩を組みあったりして、三人とも喜んでいる中、作った本人は修正も頭にあったのだろう。ひと言、口にするのがやっとの状態だ。
「ーーーーありがとうございます……」
「ところでmiya、仮歌は君が歌ってるみたいだけど、歌ってほしい人がいるのか?」
「はい、hanaです」
彼女の事になると躊躇はない。はっきりとした口調で、即答する和也がいた。
ーーーー俺達のバンドのボーカルって事は、分かってくれたけど……全米一位でも気にくわないなら、何位ならいいんだよ?!
和也は珍しく苛立ちを隠せずにいた。
「あーーっ!!」
イライラを発散させるべく、ホテルの部屋で一人叫んでいる。
英語の発音が気になる?!
奏のうた、聴いた事もないくせに!
あのコンマス!!
どうやら彼は、コンサートマスターの言動に苛立っていたようだ。
……分かってる。
ワールドツアーだって、アジアと……アメリカとイギリスで成功させただけで……本当の意味では、まだ夢の途中だ。
「他の団員の人は、好印象でOKの雰囲気だったのにな……」
ーーーー悔しい…………
奏にはメールで楽譜も歌詞も送ったけど……大丈夫かな?
プレッシャーに感じてないといいけど……明日の昼が勝負だな……
和也は窓の外を眺めながら、彼女の事を想い浮かべていた。
「もしもし? 奏?」
『和也? そっちは、お昼過ぎかな?』
「うん、夜遅くにごめんな」
『ううん、大丈夫だよー。みんな、元気ー?』
「元気だよー、hana!」
『hiro! スタジオにいるの?』
テレビ電話からパソコンに切り替わると、和也の後ろから肩を組む大翔に明宏、圭介の姿が見えている。彼らの背後に見える楽器から、彼女はスタジオだと分かったようだ。
「うん、それで……送った楽譜見た?」
『うん! 見たよー! オケと演ったら、豪華な曲になりそう……早く生で聴きたいなー」
「あぁー、歌詞はどうだった?」
『曲の……映画のイメージに、ぴったりだと思ったよ……これ、和也が書いたんでしょ?』
「ーーーー何で分かったんだ?」
『……なんとなく? 』
「なんとなくって……」
『んーー、直感?』
「miya、そろそろいいか?」
「うん」
いつまでも話したい雰囲気だが、オーケストラの団員や指揮者、Jamesに、彼の元で働いているスタッフが集まってきた為、圭介が話を切り上げた。
彼女は連絡を貰った通り、歌を準備していた。準備と言っても練習時間は、数時間もなかった筈だ。
和也はノートパソコンの音を、スピーカーから出るように設定していた。パソコンの画面越しに歌い始める奏は、ピアノの前に座っている。彼女は自宅のレコーディングルームで弾き語りをしていた。
「ーーーー相変わらず……」
「あぁー……」 「決まりだな」
圭介の言葉に、皆頷いて応える。
奏は……いつも俺の斜め上をいく。
ーーーーいつだって……
歌声だけかと思っていた周囲は騒然となるが、それも一瞬の出来事。彼女の音が、彼らを優しく包み込んでいく。それくらい、胸に響く音色であった。
和也が昨夜、苛立っていたコンマスの彼に目を向けると、彼は気まずいと言わんばかりに視線を逸らした。自分の非を認めたのだろう。彼女が歌う事を認めない者は、もう一人もいないようだ。
「Awesome singing voice……」
「Right?」
そう言ったJamesの顔は、七十二歳には見えないほど、少年のように瞳を輝かせていた。彼の瞳の色が、すべてを物語っている。
彼ら、water(s)の音は、気づけば誰でも一度は耳にした事があるようになる……と、そう言っているように感じるMarkがいるのだった。
「……数時間で、この出来か……」
「ピアノが出来るの分かってたけど、甘かったな」
「あぁー、完璧じゃないか?」
「そうだな……miyaは、嬉しそうだな……」
圭介がそう言って和也に視線を向けるが、彼はパソコンの画面に集中している為、近距離の声も届いていない。彼女の音色だけが届いていた。
ーーーー目の前で……生の音が聴きたい……
奏に会いたい……会って……抱きしめたい。
滑らかに動く指先から流れるメロディーに、ぴったりと合う歌声。
楽譜通りに弾ける優等生だけど、それだけじゃないのがhanaの魅力だ。
満場一致で彼女が歌う事が決まる中、コンマスの彼が和也に話かけた。
「……I'm sorry about what I said yesterday」
「No, I said too much」
昨日は俺も言い過ぎたから……今後の為にもな……
彼がコンマスと和解する中、画面越しの彼女は微笑んでいた。
 




