第11話 アンサンブル
デビュー曲が完成してからも、練習は毎日のように欠かさずに行っていた。五人で集まる時の練習場所は、専ら大学の練習室だ。
今日も、みんなと集まって音合わせ。
こうして演奏していると、時間が過ぎるのが早いって、毎回のように思う。
それに……ずっと演奏していられたらいいのに…………と、何度も思ってしまうくらい、楽しくて仕方がないの。
「もう閉門時間か」
「早いなー」
「じゃあ、また明日だな」
「そうだな」
時間が経つのを早く感じていたのは、奏だけではない。毎回のように集中して音合わせを行う為、メンバー共通の思いでもあった。
目の前の会話を奏は静かに眺めていた。
ーーーーーーーーまだ……信じられない。
自分のことじゃないみたいで……
「奏、行くよ?」
「う、うん……」
握られた手に現実だと実感していくが、すぐに離れる。
「二人とも試験、頑張れよ!」
そう言って、大翔が振り返ったからだ。
「うん、ありがとう」
「高校は普通に化学とかの授業もあるからなー。音楽だけなら余裕なのに」
「和也らしいな」
「そうだね……」
彼のいつもと変わらない様子に、隣にいる奏も微笑む。
「奏も同じようなもんだろ?」
「うーーん、音楽が得意なのは一緒だけど……」
「奏ーー、和也に合わせなくてもいいんだぞ?」
「そうそう」
「ちょっ、扱い違くない?」
「それは和也だからな」
「圭介まで!!」
練習室から笑い声が漏れる。片付けをする間も話は尽きない。普段は年相応な五人だが、曲作りにおいては全員十代とは思えない知識の多さや耳の良さを遺憾なく発揮していた。
学校のテストよりも、佐々木さん達の前で披露する方が緊張するけど……
奏は隣にいる彼と、目の前を歩くメンバーに視線を移した。
…………みんなと一緒だから、大丈夫。
そう感じる彼女と、同じような気持ちなのだろう。緊張感はあっても、誰も口にする事はない。
いつものように話をしながら、揃って歩いていく。
ーーーーまた……手が熱い。
奏の手は握られている。二人きりで電車に乗っている為、すぐに離れる事はない。他人から見れば、仲の良い高校生のカップルだ。
「奏……テストが終わったら、イルミネーション見に行かない?」
「うん……いいの?」
「うん……それに、テストの翌日が披露する日だろ? 次、いつデート出来るか分からないし」
「うん……」
そっか…………デート……なんだよね。
いつも一緒にいられるから、そういう感覚がなくて……
「……楽しみにしてるね」
「うん、俺も……」
名残惜しそうに手を離して、和也に手を振った。
電車を見送ると、冷たい風が頬を撫でる。
……もっと、一緒にいたかったな…………こんな気持ちも、知らなかった。
和也が当たり前のように手を繋いでくれるから、慣れてきたとは思うけど…………不意をつかれると弱い。
そういえば……初めてのデートだよね。
放課後の練習が日課になり、二人きりで帰る事が当たり前になっていたと、今頃になって気づく。
イルミネーションかーー…………少しは恋人らしいこと、してみたいけど……
楽しい気持ちで迎えられるように試験勉強に勤しんでいく。
思わず歌い出しそうになるのを堪え、ピアノに触れる。根っからの音楽好きなのだろう。反復練習を率先して行なう姿があった。
カリカリとシャープペンを走らせる音が静かな教室に響く。奏は答案用紙を読み返しながら、窓の外に視線を移す。思わず頬が緩むのは、この後の初デートが楽しみだからだろう。
「終わったーーーー!!」
思いっきり机に突っ伏した酒井に、綾子が激しく同意していた。
「本当、酒井の言う通りだねー」
「うん、やっと終わったね」
「長かったなー」
試験中の張り詰めた空気から解放され、安堵した様子だ。
奏が手を振り、教室を出ようとした所で、タイミングよく声がかかった。
「ーーーー奏、行ける?」
「うん、お疲れさまー」
笑顔で駆け寄る彼女の手を取ると、クラスメイトに向けて微笑む。
「綾ちゃん達も、お疲れさま」
「は、はい!」「ミヤ先輩も、お疲れさまです!」
慌てて応える酒井といつもと変わらない綾子に、揃って手を振って出て行った。
「いいなぁー、綾子ーー!」
「親友の特権かなーって、それよりも。酒井、緊張しすぎでしょ?」
「仕方ないだろ?! 憧れてるんだから!!」
「まぁー、その気持ちは分かるけどなー」
「だろ? 佐藤!」
揃って去った教室は、いつもの如く二人の話題が上っていたが、それは彼女の知らない所で行われていた。
後期学科試験を終えた奏と和也は、イルミネーションの輝く街並みを眺めていた。
和也の背中にはギターケースが背負われている。
デートの効果もあり、二人とも試験の手応えを感じながら、楽しいひと時を過ごしていた。
「ーーーーいよいよだな」
「うん……」
どんな時でも思考は音楽に向いてしまうようだ。
曲に自信があるとはいえ、プロの厳しい目からの判断はどうなるか分からないと、考えていたのだろう。
明日に控えるプロデューサー等へ披露を前に、彼の握った手には自然と力が込められていた。
ーーーーーーーーあれだけ……みんなで思い悩みながらも、生み出したんだから…………大丈夫……
「……私……信じてるよ」
まっすぐに和也を見つめた。
告げられた言葉に彼は驚きながらも、自分で感じていたよりも思い詰めていた事に気づかされたようだ。
「うん……」
いつものように微笑む彼に、同じような表情を浮かべる。
「……綺麗だね」
「そうだな……」
イルミネーションを眺める二人の手は繋がったままだ。
時間って……あるようで、ないよね。
和也といると、すぐに過ぎてしまう……
隣にいる彼に視線を移す。
……綺麗な横顔…………綾ちゃんが言ってた通り、今も和也を見ている人がいるのが、私にでも分かる。
「ーーーー奏、座ろうか?」
「うん……」
並んでベンチに腰掛けた距離は近い。二人きりの練習室と変わらない距離感だ。
「奏、両手出して?」
「うん?」
言われるがまま両手を出すと、小さな箱が手渡された。
「ーーーーこれ……」
「開けてみて?」
「うん……」
奏がリボンを解くと、中にはムーンストーンのついたネックレスが入っていた。
「…………可愛い……ありがとう……」
花が咲いたような笑みを浮かべ、その場でつけてみせる。
「うん……似合ってる」
そう言って、首元にそっと触れる手に心音が早まる。
「ーーーー大切にするね……」
「うん……」
渡した和也も頬を緩ませていると、鞄から綺麗にラッピングされた袋が出てきた。
「私も……クリスマスプレゼント……」
奏がサプライズに驚いたように、彼もまた驚きながら受け取った。袋を開けると、中には紺色がベースになったチェック柄のマフラーが入っていた。
「ありがとう…………まさか、自分が貰えると思ってなかったから……」
嬉しそうに告げ、その場で寒そうな首に巻いてみせる。
「……あったかい」
「よかったー……」
「……もう少し、二人でいたいな」
ストレートな言葉に、今度は頬が染まっていく。それは彼女の本音でもあった。
「そうだね。でも……楽しみでしょ?」
「それはな……明日で決まるといいけどな」
「大丈夫。和也の曲は……いつも、残ってるよ」
「ありがとう……奏の言葉が一番嬉しいな」
「うん……大丈夫だよ…………それに……」
「それに?」
「……和也、今日も楽しみでしょ?」
「そうだな……いつだって、圭介達と音楽演るのは楽しいからなー」
大きく伸びをした和也に、揺れる瞳のまま頷く。
「うん……」
「奏、分かってないだろ?」
「えっ? 圭介達とみんなで演る時、楽しいって事でしょ?」
「そうだけど……ちゃんとそこには、奏も入ってるんだからな?」
「ーーーーうん……ありがとう……」
初めて気づいたような反応に、彼は優しく微笑むと、いつものように頭を撫でた。
いつだって目標のみんなに……追いつきたいって、願っている。
恋人同士になってから、初めてイベントらしい事をしているかも……とか、そんなの気にならないくらい。
いつの間にか……五人でいることが、当たり前になっていたの。
特にデビューが決まってから…………曲が出来上がってからも、客観視したりして、練習しない日が一日もないってくらい音に触れてきた。
二人きりになれなくても……音楽仲間でもあるから、一緒にいられるだけで……十分楽しいんだよね。
私も、和也も、water(s)の音がすきだから…………
楽しげに微笑み合うと、いつもの喫茶店に向かう。
手を離す事はなく、繋がったまま話を続ける。熱を感じながらも、繋ぐ事が当たり前になっていた。
離れていく手に名残惜しさを感じながらも扉を開けると、真っ先にカウンターに声をかけた。
「マスター、カフェラテ二つとオムライスとたらこパスタ、お願いします」
「はーい、いつもの席ね」
和也が二人分の注文を済ませると、いつもの席には大学生三人が集まり、先に食事をしていた。
「二人ともお疲れ」
「お疲れさまー」
「今日の集まりって?」
二人とも詳しい話は聞いていなかった。ただ「決起集会」とだけ聞かされていたが、五人で集まる事に、期待をせずにはいられなかったようだ。
「明日の決起集会って事で、久しぶりにアンサンブル的なのやらない?」
『演りたい!』
勢いよく揃って応えた二人に、明宏がチェロを出しながら提案すると、圭介はヴァイオリンを、大翔はサクソフォンを用意し始めた。
「俺達はピアノでいい? 」
「二人の連弾面白そうじゃん! カノンにするか?」
「うん!」
奏も同意見だが、いくら客の少ない時間帯とはいえ久しぶりにする連弾に、多少の緊張感が滲む。
和也はそんな彼女にだけ聞こえるように、隣に座ると囁いた。
「ーーーー大丈夫……俺も一緒だから……」
「うん……」
優しい瞳に緊張感が解けていくのを感じながら、鍵盤に触れる。
五人の織りなすハーモニーを常連客の一人は、心地よさそうに聴いていた。
「ーーーー弦の音は、やっぱりいいね」
「そうですね……」
「……上手いもんだね」
マスターはいつも通り濃いめに淹れたコーヒーを出して応えると、店内奥で奏でる彼らに視線を移した。
五人は楽しそうに奏でている。その姿は、まるで音で会話をしているようだ。彼らの音を聴く度に、音楽が好きだという想いが伝わっていた。
ーーーー楽しい……久しぶりの連弾も、みんながいればそれだけで…………景色が彩られていくみたい……
いつだって、見たことのない場所へ連れていってくれるの。
マスターや常連客から温かな拍手が送られる中、五人は顔を見合わせ、一礼して応えた。
「次は違う曲にするか?」
「うん!」「演る!」
揃って応える姿に、彼らだけでなく、マスターや常連客からも笑みが溢れる。奏は和也と顔を見合わせ、笑い合っていた。
和也がピアノの椅子に逆向きに腰掛けると、ギターを弾き始めた。彼に合わせ、もう一度鍵盤に触れる奏から多彩な音色が流れる。
音が重なり、温かなハーモニーを生み出していた。
ーーーーこれがwater(s)の音楽……どうか、届いて…………
視線を通わせ、奏でた音色に惹かれるように、喫茶店の扉を開ける人が増えていくのだった。